アイギオルテスの月
十二月を迎えると、セーヴェルは本格的な冬を迎える。降雪の量も段々と増え始め、街のあちらこちらに白い光彩が見え始める。
国内では比較的南に位置している王都でも、それは例外ではない。
数日の間を置いて降りしきる氷の結晶は木々や家々に白く薄い紗幕をかけ、街の様相を一変させる。
そんな街中の通りを、リッガは歩いていた。呼吸のために吐いた息が白く煙り、気温の低さを実感させる。
一年の終わりを祝う、セーヴェルで最も大きな祭りの一つであるアイギオーリア祭が近いこともあってか、通りに人が絶えることはなく、喧騒と雑踏に包まれている。おかげで手を伸ばすたび、掏り取った財布でリッガのポケットも重くなっていくというものだ。
広場の一角で踊りを披露する旅芸人の前で足を止め、リッガは見物するふりをしながら周囲へと視線を走らせた。
街の中心部を通る大通りと、街の中央を流れるケトラ河が交差する位置にあるこの広場は、ギエフでもっともにぎわう場所だ。無作為な噂を拾い歩くならば、ここが一番いい。ほんの少し注意を向ければ、声をひそめた会話さえもよく聞こえるものだ。
例の殺人鬼を騎士団が撃退したらしい。いや、追いつめたが結局は逃げられたのだ。その際に負傷した騎士が、神殿で手当てを受けている。ひどい大怪我で、もう助かる見込みはないらしいぞ。聞いたところでは、ほんのかすり傷だって話だぞ。そうではない、返り討ちにあったのだ。あいつはまだ王都に潜んでる。
昨日の今日だというのに、いったいどこから聞きつけてくるのか。盗賊ギルドの情報網も顔負けだ。的外れなものから当たらずとも遠からずというものまで、種々取り混ぜて、噂は疫病のように広がっていく。
真相はこうだ。
見回りをしていた騎士が件の殺人鬼と遭遇し、戦闘となった。殺人鬼は取り逃がしたが、その際、彼らは怪我をした少年を保護した。治療のため神殿にいるその少年は、殺人鬼の顔を目撃したという。
これまでは生き残った者も、顔を見た人間もいなかった。だからこそ何も手がかりがなかったのだ。
これで何かが変わるだろうか。
リッガは丘の上にあるソラグ神殿へと視線を巡らせる。
逃げた賊は、この街のどこかにいるはずだ。
身を潜めるとしたら、どこだろう。
すぐに浮かぶのは下町だ。異種族が多いギエフでも様々な種族が入り雑じり、言ってしまえば治安が悪い。
──さすがに単純すぎるかな。
潜伏先として誰もが最初に考えつきそうな場所だ。
下町以外にも怪しげな場所など星の数ほど存在するし、金さえ積めば余計な詮索をしない旅籠もいくらでもある。
柄の悪い連中がギエフに入って来ているともいう。お尋ね者とまでは行かないまでも、出すところに出せばそれなりの賞金が出る──魔剣や殺人鬼つられて、そんな柄の悪い連中が集まってきているらしい。そういった輩のなかに紛れてしまえば、探し出すのは難しいだろう。そもそも、いかにも怪しげな風体をしているとは限らない。誰が人殺しであっても不思議ではないのだ。
──王都も物騒になったよなあ。
答えの出ない疑問を抱いたまま、リッガはその場を後にした。