言葉のわからない少年 1
「言葉が通じない?」
ルムティエは小さく首を傾げた。
ルムティエ・デナリウス。それが、〝ソラグの愛娘〟と名高い、ソラグ神殿の若き最高司祭の名だ。
その彼女のもとに、治療院を束ねる神官からの報告が届いたのは、まだ朝も早い時刻だった。昨夜運び込まれた少年はどうやら言葉がわからないらしい、と。
「では、旅の方なのね」
セーヴェルで使われているのは、北方語と呼ばれる言葉だ。大陸北部の国々で主に使用されている。セーヴェル生まれの者は──特にハーフエルフにその傾向が強いのだが、あまり国を出ることがないため、北方語以外を話せる者は少ない。
「だとすると、西方語かイシマエル語……かしら」
どちらも大陸で広く使われている言葉だ。西方語を話せる者ならこの神殿にも何人かはいるが、それ以外の言葉となるとどうだろう。
「その子が唯一の目撃者なのでしょう? 目が覚めたのなら話を聞きたいけど……」
口元に手を当て、考え込む。ややあって、ルムティエはぽんと手を打った。
「古代魔法には、意志疎通のための魔法があった気がするのだけれど」
「……古代魔法、ですか」
「あら、魔術師ならいるじゃない。そこに」
困惑を滲ませた神官の言葉に、ルムティエは視線を横に流し、礼拝所を示す。
ルムティエが礼拝所に足を運ぶと、そこにはすでにラエスリールの姿があった。ルムティエの知る限り、彼はほとんどの時間をこの場所で過ごしている。もしやここで寝泊まりしているのだろうか。程よく散らかった書物や器具を眺めながら、そんな疑問が浮かぶ。祭壇が作業台になってしまっていることには、気づかない振りをした。
「少しいいかしら、ラエスリール」
ルムティエが声をかけると、ラエスリールは床に座り込んだまま顔だけを上げる。
「やあ、ティーエ。おはよう」
隣でサミルが立ち上がり、「おはようございます」と頭を下げる。
「昨夜のことは聞いてる? きっと聞いてないと思うからいま言うわね。例の殺人鬼に襲われて治療院に運び込まれた子がいるんだけど、言葉が通じないのよ。だから通訳してくれると助かるんだけど」
「そんなの他の人に頼んでよ、僕じゃなくても構わないでしょ」
「でも、言葉を翻訳するような魔法があったでしょう?」
「事件に関係することなら、僕じゃなくギゼリックに言ってほしいんだけどね」
「ちょうどあなたがいるんだから、あなたに言うほうが早いじゃない」
引き下がる気配のないルムティエを一瞥し、ラエスリールは深々と溜息をつく。それから手近にあった箱を引き寄せ、ごそごそと中を探る。いくつかの箱を同じように漁ったところでようやく目当てものを見つけたようで、ラエスリールは取り出した指輪をルムティエに放ってよこした。
装飾のほとんどない金属の指輪だ。白みがかった輝きはクレイドル鋼だろうか。受け止めたそれを指で摘みながら、ルムティエはラエスリールに問いかける。
「これは?」
「意志疎通の魔法がかかってる。簡単なやり取りならそれで問題ないはずだ。貸してあげるから、あとは勝手にして」