第一話
戦争に勝って、めでたしめでたし――となるのは、王様やお偉い貴族の方々、そして軍高官のお歴々たちだけで、現場で戦った兵士は、戦後処理を行う一部の者たちを除いて故郷へと帰らなければならない。
帰らなければならない場所――自分の場合は王都ディアール。
内戦でもない限り多くの場合で戦争は、外国との国境付近で勃発する。
つまり、王都から遠い。
鉄道を使って丸五日。
客車にぎっしりと詰め込まれた挙句、座る椅子は固いという不満はあれ、馬や馬車で移動していた時代に比べたら、随分と早く戦場へ到着できるし楽になったのだろう。
もっとも、戦場まで鉄道のレールは敷かれていないため、終着駅を降りたらそこからは自らの足で移動しなければならなかった。
そして戦争が終わり、幸運にも命を拾うことが出来た者は、来た道を帰る必要がある。
傷つき疲れた体に鞭打って、どうにか鉄道の通る町まで辿り着かなければならない。
黙っていても連れて帰ってもらえる者は、お偉い将軍様か貴族様たちだけ。彼らはさっさとお抱えの馬車で駅まで移動して一足先に戻ってしまう。残った下っ端兵士たちは現地解散でそれぞれ故郷を目指さなければならなかった。
そして行きと同じく兵士たちで溢れかえった列車に耐え忍び、這う這うの体でようやく王都の駅へと帰り着いた時には、戦勝の将軍たちを出迎える祝宴はとっくに終わっていて、勝利を収めた軍の凱旋に高揚していた市民たちは落ち着きを取り戻していた。
それでも王都に帰りを待つ者がいる兵士はいい。
家族。
友人。
恋人など。
「じゃあな、俺はこっちだから!」
「おお! 元気でやれよ!」
「また酒でも飲みかわせたらいいな!」
王都の巨大な駅のプラットホームには、家族の帰りを待ちわびる人々で溢れかえっていた。
兵士たちは大勢の中から出迎えの人を見つけ出すと、無事を確かめ、泣いて喜び、抱き合う。そうして互いの無事を確認して落ち着いたならば、彼等はそれぞれの家路に着き、それぞれの家でささやかな祝宴でも催すのだろう。
いいな、ちくしょう……うらやましい。
自分には家族もいなければ、帰りを待っていてくれる恋人もいない。
一人寂しくその場を離れると、くたびれた足を引きずって官舎へとたどり着いた。
リムディア王国軍に属する魔法士には、王都に官舎が用意されていて、それぞれ個室が与えられる。個室とは言ってもベッドに机と椅子、そして小さな収納箱がやっと置けるだけの小さな部屋。
部屋にたどり着くと、旅の埃にまみれた軍服を脱ぐことも無く、そのままベッドへ倒れ込んだ。
「疲れた……」
小さな呟きと一緒に大きく息を漏らす。
汚れたままの姿で横になれば、後でシーツと毛布を洗わなければならない。
だけど、横になった途端に身体の芯から染み出してきた疲れに、もう何をするのも億劫な気分になってしまった。
もういいや。
このまま寝てしまおう。
襲い来る睡魔に抵抗することを諦めて、そのまま目を閉じた。
目を覚ました時には、すっかりと日が暮れていた。
王都に着いたときは朝だったし、たっぷり半日は眠っていたらしい。
本当はまだ寝たりなかったのだけど、どうして目を覚ましたのかと言えば、あまりの空腹に耐えかねたのだ。
もう宵の口だし、食堂も酒場も営業しているだろう。
土埃にまみれた軍服を脱いで軽装に着替えると、共用の井戸から水を汲んできて軽く汗だけを流す。それから財布だけをポケットに突っ込んで、ふらふらと近くの酒場に入った。
酒場の中はすでに出来上がった男たちでいっぱいだった。
カウンターの隅に空いている席を見つけて、何とか身体を滑り込ませる。
すると顔見知りの店の主人が、にこやかな顔で自分の所にやって来た。
「おお、久しぶりじゃねえか」
「ビールと、何か適当なおすすめ料理をくれ」
「あいよ。随分と顔を見なかったが、どこか旅行にでも行っていたのかい?」
「北であった戦争に参加していたんだよ。今朝、王都に帰って来たばかりなんだ」
「北って言うと、ひと月以上前に帝国からローリンゲンをぶんどったっていう戦いか!? あの時はリムディアの大勝利って事で、街中がお祭り騒ぎになったもんだ。でもそれにしちゃあ、随分と帰りが遅かったじゃないか。凱旋のパレードはとっくに終わっちまってるぜ?」
「お偉い貴族様や士官様と違って、俺たち兵士なんて帰りの列車も後回しさ。戦場であろうが王都であろうが、美味しいところを持っていくのは、全部上の連中だけだと、相場が決まってるものなんだよ」
「そして本当の英雄たちは祭りの季節にも乗り遅れ、おこぼれにすら預かれずってか? 世知辛い話だな。だけど、お前さん。前に一応自分も貴族だとか言ってなかったか?」
「貴族と言っても名ばかりの、所領も持たない二等爵士の貧乏貴族のこせがれだ。しかも俺は長男じゃないから身分は三等爵士で一代限り。子どもはただの一般市民になるからな」
「そのくせ、貴族としての義務は課せられていて、軍へ十年間奉公しなくちゃならないんだっけか? 貴族の家に生まれるのも大変だねぇ」
「せめて王都に生きて帰って来た今日この日くらいは、贅沢してもバチは当たらないだろうと思ってね。自腹だけどさ」
「よっしゃ、それは美味いモン食わせてやらんとな!」
「頼むよ」
程なく冷えたビールと料理が運ばれてきた。
出て来た料理は肉と根菜を煮込んだシチューに、腸詰めを焼いたもの、そして生野菜のサラダ。籠いっぱいに盛られた焼きたてのパンなど。
迎えてくれる家族も恋人もいないけど、せめて一人少し豪華な夕食で、ささやかなお祝いをする権利はあるはずだ。
さっそくビールへと手を伸ばす。
戦場ではもちろんのこと。王都へ帰還する旅路でも、口にしていた飲み物はすっかりぬるくなってしまった水か、これでもかとばかりに薄いコーヒー、それからほんの少量の安物の酒だけだった。
キンキンに冷えたビールなんて、口にするのは数カ月ぶりの事になる。
きっとこの世のモノとは思えない程、旨いと感じるに違いない。
期待に胸を膨らませ、ジョッキに口をつけようとしたその時だった。
「人を探している! こちらの酒場に、魔法士アーティア・ウィンズベル殿はおられるか!」
酒場の扉がバタンッという音を立てて乱暴に開けられると、飛び込んできた兵士の一人が店内全体に聞こえる大声で叫んだ。
その声にさすがの酔っ払いたちも黙って兵士に注目する。
「もう一度言う。魔法士アーティア・ヴァン・ウィンズベル殿はおられるか! もしくは行方を知っている者はいないか!」
「おい、アーティア。呼ばれてるぞ?」
店の主人が自分の方を向いて言う。
やめてくれ。聞こえなかったことにしたいんだ。
アーティア・ウィンズベルという名前は自分の名前だ。
この兵士は、自分を探しているのだ。
でも、いったい何の用事だろう?
先の戦争で参じていた軍はすでに、現地で解散式を終えている。
名指しで呼び出しということは、何らかの任務を与えられるのだろうか。
戦地から帰って来たばかりだというのに……。
「行かなくていいのか?」
再度親父に促されたので舌打ちをすると、渋々ただの一口も口を付けていないビールのジョッキをテーブルの上に置いた。
「アーティアは自分だ。何の用だ?」
「あなたが魔法士ウィンズベル殿か。宮廷魔法士長マイセン様より至急、王宮の宮廷魔法士団本部にまで出頭せよとのご命令だ」
「え? 誰だって?」
「宮廷魔法士長のマイセン様だ。知っているだろう?」
いや、それはもちろん知っているけど。
宮廷魔法士長ウェルズ・ヴァン・マイセン。
このリムディア王国に所属する全ての魔法士の中で、エリート中のエリートたる宮廷魔法士たちを束ねる者。
つまり、リムディアの魔法士たちの頂点だ。
宮廷魔法士長という役職は大臣と同格の職位にあたるから、軍属の魔法士でしかない自分とは無関係な上に雲の上の人物。
そんなお大尽様が自分に何の用だ?
「それでは宮廷魔法士団本部まで、同行していただきたい」
「え? 今から?」
「至急との事だ」
ちょ、待って。ビール……。
まだ一口だって飲んでいないのに……。
ほかほかと湯気を立てている料理だって……。
悲しげな表情を気にも留めず、伝令の兵士は俺の腕を掴むと、さっさと酒場の外へと向かって歩き出した。
酒場の親父が、憐れむような顔で見送ってくれた。
「アーティア、代金はつけておくからな」
金、取るのかよ……。
◇◆◇◆◇
ぐぅぅぅ、きゅるるるる……。
いかん、腹の虫が鳴いている。
「おや、腹でも空かしておるのかね?」
「はあ、朝から何も食べていないもので」
「若いのに摂生にでも努めておるのかね? いかんぞ? 若い内はきちんと食事を取らねば、身体を壊してしまう」
「……ご忠告、感謝いたします」
あんたに呼び出されたせいで食べ損ねたんだよ!
そう言い返したいのをぐっと我慢しつつ、正面に座る頭頂部の禿げ上がった白ひげの爺さんに曖昧に笑ってみせた。
この爺さんこそが、リムディア王国の魔法士全てを束ねる宮廷魔法士長マイセン様だ。
マイセン様は頭に毛は無いが、その代わりに大層立派な白い顎ひげを撫でると、俺にも座るように席を勧めてくれる。
「アーティア・ヴァン・ウィンズベル君。王国貴族の血統を管理する紋章院によると、君の家は二等爵士位を持つ貴族ということになっているが、相違ないかね?」
「はい。ただ、私自身は三男なため家を継ぐ立場ではありません」
「なるほど。では、三等爵士となるのか。軍へ勤めて何年になる?」
「間もなく十年になります」
「なら、もうすぐ軍役の義務を終えて満期除隊するということで良かったな?」
「はい」
リムディアの貴族には軍役が義務としてある。
貴族の端っこである三等爵士の身分にある自分にも、軍へ奉仕する義務があった。
その期間は満期で十年。
十年に満たずとも、軍に然るべき金額を納めれば、軍への就役期限は短くできるのだが、ウィンズベル家は二等爵士で所領もなく、王宮に務める下級官僚として細々と食いつないできた貧乏貴族。後継ぎでも無い三男程度に、当然そんな金を用意できるはずもない。
十四歳となった時に、自分は家を出て軍に入った。
軍に入隊してから丸九年と半年。
もうすぐ自分は軍への就役期間が終わる。
軍を退役したらわずかに貰えるはずの退職金と、これまでに貯めてきた金、そしてささやかな貴族年金――軍役の義務を果たした貴族身分の者に与えられる年金――を使って、商売でも始めるか田舎に畑でも買う予定だった。
「それでええっと、その事が何か?」
「うむ。先日、君も参戦した我がリムディア王国と神聖ロ―レンシア帝国との戦争で、我が国はグラナダ地方と呼ばれる広大な地域を、帝国から切り取ることに成功した」
「はあ」
「グラナダは、非常に地下資源の豊かな土地だ。近隣には良質の鉄、銅、金の採れる鉱山が存在し、シェン川という大河沿いには、ローリンゲンという名の鍛冶で有名な町もある。ローリンゲン。知っているかね?」
「刃物生産で有名な町ですね。確か、我が国の貴族階級の間でも、ローリンゲン産の武具は贈答用としては、最上級の品物として扱われるとか」
以前、王都にある武器屋で丁重に飾られているローリンゲン産の剣を見たことがある。
磨きぬかれたその刃は、店の外から差し込む光をギラリと反射して、素人目にも良く切れそうだと思えた。
そして値段を見てみれば――。
とりあえず、自分の年収では、十年飲まず食わずに働いて、ようやく買えるかといったところ。
まあ、今の戦場の主役は小銃だし、剣を振る機会なんて殆ど無い。接近戦で小銃の先に装着した銃剣やナイフで戦う程度だ。
まあ貴族であれば軍刀として剣を腰に帯びていたりするけれど、貴族ではない自分には購入したところで宝の持ち腐れである。
その日は確か、安物のナイフを一振り買って帰ったと思う。
「国王陛下の佩剣もそのローリンゲン産の一振りだ。ところで、今やその名高きローリンゲンも我が国の町だ。それを知った国王陛下は大層お喜びになられてな。グラナダ地方を恒久的に我が国の領土とするべく、ローリンゲンに総督府を置き、そして新たな領主として、幾人かを諸侯として取り立てることを許すとされた」
「はあ、なるほど……」
諸侯というのは領地を持つ事を許された、騎士爵以上の貴族の事だ。で、そのグラナダ地方の統治の話と自分が何の関係があるのだろう。
大臣の位に並ぶ宮廷魔法士団の長マイセン様が、一介の軍属の魔法士ごときにそんな話をされても困るのだが。
「諸侯へ列せられるのは、この度の戦で多大な功績を挙げた者だ。ウィンズベル君。今度の論功行賞で君は、軍功抜群に付き諸侯に抜擢されることが確実となった」
驚いて目を見張ってしまう。
「は? え!? 俺が……諸侯に?」
「そこでだ、ウィンズベル君。君に宮廷魔法士団へ入団をしてもらいたいのだ」
末端の貧乏貴族の三男に過ぎない自分に、突然舞い込んだ諸侯へ取り立てるという話。
あまりにも美味い話に驚きで呆然とする自分に、マイセン様はどこか楽しそうな表情を浮かべてそう言ったのだった。