第十七話
ローリンゲン総督府に集められた総兵力は八千。
総司令官はもちろんリッツハイム総督で、主力部隊は総督府の幕僚たちが指揮をとるらしい。
では、俺たちグラナダ地方周辺の小領主たちは何をするかと言えば、どうやら後方の予備隊として配属されることになった。
場所は、リムディア王国軍と神聖ローレンシア帝国軍が睨み合う平地が見下ろせる、本陣近くの小高い丘の上。
「なんだ……、俺たちが戦うわけじゃないんだ」
「はあ……緊張して損したよね」
「こらこら、お前ら気は抜くなよ? 戦況次第では俺たちにだって出撃命令が下ることだってあるんだからな」
あからさまにホッとしたような顔をした双子へ、注意をしておく。
ただ、見える範囲で推測するに、帝国軍の数はおよそ五千といったところか。
後続部隊が控えているかもしれないけど、とりあえず布陣を見た限りで判断すると、数の上では味方が優勢。今は互いの陣地に砲撃を加えて双方の出方を窺っているといったところだけど、この様子なら俺たちに出撃命令なんて出ることは無いだろう。
というより、俺たちが参戦するような事になれば負け戦である。
そんなことになったら突撃するよりも、どう撤退したらいいかを考えたほうが良い。
「やあ、ウィンズベル卿。壮健そうで何よりだ」
「これはエリアン卿、お久しぶりです。途中で閣下の領地に寄らせてもらいましたが、もうお発ちになられたと伺って、これは出遅れてしまったかと焦りましたよ」
「わはは、それはただ単純にわしの領地がローリンゲンに近いからじゃな。それにしても早速武勲を挙げられたではないか。ローリンゲンに来るまでの道中で、野盗どもをひっ捕らえたと聞きましたぞ」
その話、もう伝わってるのか! さっき身柄を引き渡したばかりだと言うのに。
隣に並んで戦場を見下ろし豪快に笑うこの老人は、レルシェ村の隣村の領主フロイド・エリアン騎士爵。
確か御年六十歳の元気な爺さんだ。こうして会うのは王都で論功行賞を受けた後、騎士爵に陞爵した時に挨拶をして以来だ。
そしてエリアン卿より少し後ろに若い女性が控えていた。
高齢だし、世話役でも仰せつかった侍女か何かだろうか?
エリアン卿から声を掛けてくれてきたのは好都合。実は俺もエリアン卿とは話したいことがあって、後で会いに行こうと思っていたのだ。
まあ、今はその件は後回しにしてエリアン卿に相槌を打つ。
「数が少ないのが幸いしました。それにしても白昼堂々と、ローリンゲンに近い街道で野盗に出くわすとは思いませんでした」
「野盗どもも、まさか街道でウィンズベル卿に出くわすとは思わなかったじゃろうな。奴らにとってはとんだ災難じゃ。まさかあやつらを連れた若者が、我が国でも英雄と名高い魔法士だとは思わなかったじゃろう」
エリアン卿はそう言って、俺の後ろに座って休んでいるアリス、ケイン、ミーシャ、クレアの四人を覗き込むと、面白そうに笑った。
「英雄だなんて……恐れ多いですよ」
「わはは、謙遜せずとも良い。それにしてもウィンズベル卿。面白い兵たちを連れてきたな?」
「はあ……、何ていうか勝手についてきてしまいまして」
「村の子どもたちかね?」
「一人だけ違いますけどね」
苦笑して頷く。
「一人はもともと軍にいた奴で、俺がこっちに領主として赴任した際に一緒に同行してくれたんです。今回も最初は彼女だけを連れてくるつもりだったんですけどね」
「あのおっぱいの大きな娘かね。君の奥さんかと思ったよ。何にしても他の子たちもそうじゃが、まだ領主になって間もないというのに、戦争へ付いて来てくれるなんて随分と慕われておるじゃないか」
アリスの場合、軍を辞めた後の手っ取り早い再就職先としてくっついて来ただけだと思うけどね。
「ですが、見れば訓練も禄にしていないような村の子どもたちばかり。しかも、まだ少女と言った年頃の子までいるではないですか。戦場では足手まといにしかならないような者を兵士として連れてくるなんて、ウィンズベル卿は戦場を甘くお考えでいらっしゃるのでは?」
「いや、そんなつもりは……ええっと」
「こら、失礼だぞディアナ。孫娘が失礼をした。こいつはわしの孫娘のディアナだ」
「よろしくお見知りおきを、ウィンズベル卿」
控えていた女性はお世話役ではなく、孫娘さんだったのか。
祖父と同じ赤い見事な髪、勝ち気そうな印象を与える少し釣り上がった瞳。
ちょうどアリスとは正反対の、気が強そうな美人さん。
年齢も同じくらいかな?
ただ、胸もアリスとはせいはん……。
やば、強く睨まれてるけど考えていることが顔に出たか?
「ゴ、ゴホン」
咳払いを一つ。
「こちらこそよろしく、ディアナ嬢。ところで、今回の帝国軍。規模はどの程度のものなんでしょうか?」
「ウィンズベル卿はその程度の事も知らずに?」
何だろこのディアナって娘、いちいち俺に突っ掛かってくるな。
「ディアナ、少し黙っておれ。ウィンズベル卿はわしらより一日遅れて先程ここへ到着したばかり。まだ説明を聞いておらんでも仕方ないじゃろう?」
そんな孫娘をたしなめると、エリアン卿は「まあ、座れ」と俺に促してきた。
今の場所では周囲に他の諸侯やその兵士たちもいて、話をするには少々騒々しいので端の方へと移動した。
家臣に壷と二つ杯を持って来させると中身を注ぎ、俺に一つを差し出す。
中身は米から造られた酒か。
「お祖父様、お酒は……」
「固いことを言うなディアナ。色気の無い戦の話をするというのに、酒も無しでは盛り上がりもせんわ。わしの村で作っている酒じゃ。飲んでみてくれ」
「いただきます」
ちょっとぬるくなっているけど、口の中に広がる米酒特有のほのかな甘味が口の中へ広がっていく。
美味いな、癖になりそうな味わいだ
「今回の帝国軍の規模は五千だそうじゃ」
「五千……少ないですね」
リムディア王国より数倍も大きな神聖ローレンシア帝国は、軍の規模だってリムディアよりも大きい。
グラナダ地方を本格的に取り返すならば、五万とか六万、十万規模の大軍を送り込んでくると思っていた。
「いま帝国の主力は南方のソラン自由都市同盟に張り付いておるからな。幾ら帝国とはいえど、そうそう両面に大軍は割けんよ。今回の出兵はいわば、偶然が呼んだパフォーマンスじゃよ」
「偶然が呼んだパフォーマンス?」
きっかけは国境付近で起きた小隊同士のささやかな遭遇戦らしい。
グラナダ地方を支配下に置いたとは言え、帝国とリムディア王国の国境線は曖昧なままで明確な線引がされていない。両国の国境警備に歪みが生じ、その結果山賊たちが増加を招いた。
両国が対応しようと小隊規模で国境近辺を巡回していたのだが、運悪く遭遇してしまい戦闘となってしまった。
そして互いが互いに応援を呼び寄せ、現在の状況となってしまったのだ。
「グラナダは元々帝国領じゃろ? 当然元はそこで領主をしておった貴族がおる。彼らとしては早く領地を取り戻してもらいたい。帝国軍としてはソラン自由都市同盟との戦いに注力したいところじゃが、彼らの主張も放置しておくわけにもいかん。形だけでも軍を送りだし、早急にグラナダを取り返す姿勢を示したいところじゃった。そこに来てこの度の遭遇戦が発生したわけじゃ。これを帝国はグラナダを取り返す意思があると、内側の貴族に向けて発信するのに利用しようとしているのじゃろう」
「なるほど」
なるほど。
そのパフォーマンスのために付き合うために帝国は五千、リムディアは八千もの兵士を集めたわけか。
「総督府の見解では、帝国としては同盟との戦いにリムディアの干渉は避けたいところ。そのために一時的にでもグラナダを差し出してでも良いと考えておると見ておる。グラナダの統治にリムディアが力を割いている内に、同盟との戦いをある程度有利に進めておきたいとな」
「では、今回の戦い。せいぜいが小競り合い程度で終わりそうですね。双方、多少の犠牲者と捕虜を出したところで手打ち、といったところでしょうか?」
「おそらく」
小競り合い程度でも死者も負傷者も出る。
国を守るためといった理由があるならともかく、領地を奪われた貴族たちの溜飲を下げるために死んでこいとか、そんな理由で死んでしまったら本当に浮かばれないな。
俺たちが後方に配属されていて良かった。
そんな理由で子どもたちを死地に立たせたくない。
「まあ、おかげでわしらまでは出番は来んじゃろう。わしらの出番は戦いの後、手打ちのときじゃな」
「ああ、それでわたしたちも招集されたわけですか」
総督府も領地に入ってまだ数ヶ月。
村一つ程度を領有する貴族に兵力など期待してなどいるはずもない。
それに魔法士として呼び出したのなら、後方に置く必要もない。
それなのになぜ呼び出されたのか気になっていたのだが、エリアン卿の話で謎が解けた。
要するに小競り合いを収めた後に行われる停戦協定の儀式。その儀式の後には両国の要人を招いて晩餐会が開かれるはずだ。
俺たちは晩餐会に招待されるリムディア側要人の役割を与えられているわけか。
「茶番……ですね」
「じゃが外交とはそういうもんじゃ」
「はい」
「それにリッツハイム総督にとってこの小競り合い、子飼いの部下どもに手柄を取らせる絶好の機会よ。わしらのような小領主は後方に引っ込んでおれと言うところじゃな」
「なるほど」
敵軍よりも兵士の数を多く揃えるのは戦場での常道だ。
ただ、先のリムディア軍によるグラナダ侵攻作戦で、帝国軍はリムディアに偽情報を流してまんまと大軍の中におびき寄せて壊滅させていた。
今回の出兵でも、何か隠された意図を持ってはいないだろうか?
「確かにのぉ……」
俺の懸念にエリアン卿も深く頷く。
「エリアン卿が言われるように、自国の貴族たちを黙らせるためのパフォーマンスは必要です。でもそれだけのために、わざわざ兵力を消耗させるとはどうしても思えない。帝国は市民の力も強い国ですから」
「ふむ。ではウィンズベル卿は今回の帝国の出兵の裏に、何か別の目的があると?」
「そう考えたほうが自然でしょう。そうでなければ、幾らグラナダの元領主たちの不満が大きいと言っても、帝国最高意思決定機関の一つ、二十四都市の代表者が集う二十四人評議会が、無駄な犠牲を出すこの作戦の実行許可を出すとは思えません」
「では、ウィンズベル卿は帝国にどのような思惑があるとお考えなのですか?」
「そこまでは私にも……」
口を挟んできたディアナ嬢の質問に詰まっていると。
突然、ビリビリと空気を震わせる轟音が辺りを包んだ。
「戦端が開かれたようじゃ」
これ幸いとディアナ嬢から目を話し、眼下で始まった戦いへ目を移す。
丘の上まで聞こえて来る兵士たちの勇ましいときの声。
断続的に鳴り響く大砲の音。そして銃声。
大砲の着弾で巻き上がった土埃が戦場を覆っていく。
「……様! 領主様!」
耳元で叫ばれて振り向いてみれば、顔を紅潮させたケイン。
興奮しているのか?
「俺たちも行かなくていいの!? 早く味方を助けに行こうよ!」
「だーめ。あのな……俺たちは後方待機だから、命令があるまでここにいればいいんだよ」
アリスはともかく、そもそも訓練もしていない子どもたちを前線に連れて行くつもりは最初から無い。
今回の彼らの役割はここで観戦することだ。
この年頃の男の子なら珍しくないけれど(女の子もいるけど)、どうもケインは戦場で戦う騎士、兵士をかっこいいと捉えているようだ。
握り締めた銃が気持ちを昂ぶらせているのかもしれない。
「そうだよ、ケイン兄。あたしたちが行った所で、きっと味方の邪魔になるだけだよ。でも、領主様。領主様だったら前に代官様をやっつけたときのような強力な魔法が使えるんでしょ? それなのにどうして領主様は戦わないの?」
双子なのにミーシャのほうがよほど落ち着いているな。
ミーシャは帝国の本陣を指差す。
「領主様があそこに直接魔法を叩き込んじゃえばいいんじゃないの?」
「それはただ単に、あそこまで届かないんじゃないのか?」
「いや……ケインの言うとおり魔法の射程内にないのは確かだけど、魔法で本陣を狙わないのには理由があるんだよ」
「それって……あの……何か白い膜みたいなものが空を覆っているのと関係ありますか?
黙って戦場を見ていたクレアが自身無さそうな表情でそう言ってきた。
でも、正解。
俺が黙ってクレアの頭を撫でると、クレアははにかむような笑みを浮かべてうつむいた。
誉められたことがわかったのだろう。
ちょうどいい。
ただ観戦しているだけというのも、特に戦場に出たくてウズウズしているケインにはつまらないだろう。
簡単な授業といきますか。
「敵味方、両軍の本陣を視てみなさい」
「ほんとだ……クレアちゃんの言った通り、なんか白い膜みたいなものが本陣の上を覆ってる」
「結界だ。あれで魔法は完全に遮断できるんだよ。もっとも大砲の弾のような物体は素通りするんだけど」
戦場での魔法士の役割は蹂躙制圧追撃戦。またはそれらを受けた際の防衛戦。
大砲と小銃で城塞の壁や敵陣地を破壊、結界を生み出している魔法装置を壊した後に魔法士を投入するのが常道。
つまり終局の場面だ。
それ以外では魔法士一人でも小隊並みの火力を出せることから、結界に護られていない敵の補給経路を叩くといった搦め手に使われる場合が多い。
ただ、この戦場では魔法士の俺に出番は無いだろう。
エリアン卿の予測通りなら、ある程度戦ったら双方が軍を引いて、どこかで手打ちの話し合いが持たれるはずだ。
ただその軍を引いた時こそ、きっと俺たちの仕事が待っている。
「焦らなくても仕事はちゃんとあるから。今はおとなしくここで観戦しているんだ」
そう言って子どもたちを窘める。
もっとも、その仕事も碌な仕事じゃない。
戦場に妙に憧れを持っているケインもきっと、その時に戦争の現実というものを目にするはずだった。