第十五話
「領主様、領主様」
うう……頭が痛い。
まぶたが重い。
もう少し、寝かせておいてくれよ……。
「領主様、起きてください。もうお昼ですよ?」
聞き慣れた声、クレアの声か。
「もう昼……昼なのか」
窓から差し込む光は随分と明るく、日がかなり高く昇っていることを教えてくれる。
「領主様、何か急ぎだっていう手紙が届いていました」
「手紙……?」
俺に手紙を寄越すような人なんて、宮廷魔法士長のマイセン様以外にいないんだけど。何か急ぎの用事を頼んだりした覚えはない。
あれ? 差出人はマイセン様じゃない。グラナダ総督府のものだ。
ひとまずベッドから降りて机へ向かい、ナイフで手紙の封印を外す。
そして眠気が一気に覚めた。
グラナダのリムディア王国と神聖ローレンシア帝国の国境に帝国軍が集結。至急、近隣の諸侯は兵を招集、戦支度をして総督府へ参集するようにとの要請書だった。
「クレア、すぐにリアーノへ村長に来てもらうように伝えてくれ」
「は、はい」
俺の様子を見てただ事では無いと悟ったのか、クレアは急いでリアーノの元へ小走りに向かった。
くそ……戦争になるのか。
ほどなくして、リアーノが村長を伴って俺の部屋へとやって来る。
「せ、戦争になるのですか!?」
村長は帝国軍が国境付近に集結しているという話を聞くと、一気に青ざめた。
「それで、兵を招集してローリンゲンにある総督府へ参集せよとの事ですが、旦那様はどうされるおつもりですか?」
リアーノは長年の商いで経験を積んできたせいか、冷静さを保ったままで俺の方針を尋ねる。
「村の男たちを徴兵されるなら、彼らの装備、武器、弾薬、糧食などにかかる経費を至急計算しなければなりません」
「いや……今回の招集、私とアリスだけで総督府へ行こうと考えている」
「男衆を連れて行かないので?」
村長の問いに頷く。
「うん。私の事を領主様って言ってるけどさ、この村の領主になってまだ三ヶ月も経ってないんだ。そんなまだ希薄な関係で、皆が素直に私の指揮の下で戦えるとは思えない」
「いえ、そんな、領主様。我々は……」
「ああ、いや、誤解しないでくれ。レルシェ村の人たちが、ちゃんと私の事を領主として見てくれている事はわかっているよ」
山賊へ俺を差し出す事だってできたはずなのに、そうしないで俺のことを信頼してくれたんだ。
それは一応、俺のことを領主として認めてくれているんだと思っている。
「ただ、リムディアの貴族である私が言うのもなんだけど、この戦いで君たちが私の下で戦い、万が一リムディアが敗戦した時、村の者たちの立場がないだろう? 一年前まではレルシェ村は帝国領だったんだから」
「はあ、それは……確かに」
帝国が負けたからリムディアに尻尾を振り、リムディアが負けたから、再び帝国へ尻尾を振る。まだ、リムディアの支配が数年以上続いたとかなら話はわかるが、たかだか一年前に支配者が替わったばかりという状況で何度も陣営を鞍替えしていては、あまり良い評判は得られないだろう。
それが例え弱者である農民の生きる術とは言っても。
「だから、この戦いは私とアリスの二人だけで行く。ただ、もしも私がこの村へ戻れないことがあっても、村長にはリアーノ夫妻、メイドたちへの配慮をお願いしておきたい」
「領主様の村の者たちへの気持ち、感服いたしました。おまかせくだされ」
「では、旦那様。テベス氏には旦那様とアリス様の装備、糧食等の支度品を発注でよろしいですね?」
「急ぎで頼む」
「かしこまりました」
◇◆◇◆◇
「というわけだ。アリス、俺とお前だけで総督府のリムディア軍に合流するぞ」
「私と隊長ぉだけ……、また戦争になるんですかぁ?」
「帝国軍がどのくらいの規模で集結しているのか、総督府で聞かないことにはわからないんだ」
国境を挟んでにらみ合いで終わるのか、小競り合いに発展するのか、全軍をぶつけ合う会戦となるのか。
「でも、隊長ぉと私だけって……兵士を招集して来いって手紙には書かれていたのでしょう? 二人だけだと怒られないかなぁ?」
「俺は宮廷魔法士の肩書を持つ魔法士だ。一人で百人の兵士分に計算できると言い訳はできるだろ」
「そうかなぁ……?」
どのみち主力は総督府にいる正規軍で、俺たち諸侯率いる民兵は後方で物資の護衛などが任務。第一、グラナダをリムディアの領土として一年満たないのだ。そんな所の領主に兵力など求めていないだろう。
諸侯に参戦を要請したのは、形だけのものと見て間違いない。
「だから、今回は前みたいに俺たちが前線に出ることはないはず。心配することはないさ」
◇◆◇◆◇
「急な話でしたが、昨日が祭りで良かったですよ。残っていた食糧を回すことができましたので」
「ありがとう。無理を言ったが助かった」
「いえいえ、ご武運を」
翌日の早朝にはテベスが必要な物資を準備してくれていた。主に米を中心とした食糧と、米で作られた酒である。冬の備えもあるので無理をせずにとは言っておいたのだが、祭りで残った芋や根菜類、それに燃料となる薪の束、それに毛布なども大量に積まれている。
「薪は……冬の備えは間に合うのか?」
「まあ……大丈夫ですよ。無理をしない程度で載せてあります」
「そうか」
「隊長ぉ! 前に山賊からかっぱらった帝国製の小銃と弾薬も持っていきますぅ?」
「必要ないだろ? どうせ俺たちの銃に口径合わない……いや、まあ予備用に二丁と弾薬を持っていっておくか」
「帝国製のほうがぁ、リムディアの小銃よりもぉ精度が高い気がするんですよねぇ」
「そうなのか?」
「本当にわずかな差なんですけどぉ」
アリスがそう言うなら、そうなんだろうな。俺には違いがよくわからんけど。
「帝国製の銃は持っていった弾を使い切ったら終わりだ。総督府から弾薬支給してもらえるだろうから、リムディア製の持っていっておけ」
「はーい」
荷台に小銃を持ってアリスが乗り込むのを確認すると、俺は馬車の御者台へ座った。
「では、留守中を頼む」
「お気をつけて、旦那様」
「御武運をお祈りいたします、ご主人様」
村の入口でリアーノとイザベラを先頭に、メイドたちが一斉に頭を下げる。
彼らの見送りを背に俺はレルシェ村を出発し、角を曲がって姿が見えなくなったところで。
「ああ、首がきっつ……」
軍の将校服の襟元を緩めていた。
一応、領主としての威厳を見せるため、見栄を張っていたのだ。
「隊長ぉ、軍を退役してから太ったんじゃないですかぁ?」
「う、そう言うお前はどうなんだよ?」
「私も胸がきつくて……」
って、その胸はまだ育ってるのか!
「で、でも腰周りは大丈夫ですもん! 隊長ぉと違って!」
「お、お、俺だって大丈夫だしぃ!? きついのは首周りだけだしぃ!」
ベルトの穴を一つずらしているのは秘密にしておこう。
「おかしいよな。確かに軍の訓練が無いから前よりは運動不足だと思うけど、レルシェ村に来るまでにも長い旅路だったし、それからも結構ローリンゲンまで行き来したり山の中に入ったりと運動はしてるんだぜ?」
「私も運動はしてるんですよぉ?」
「へぇ、いつの間に?」
「隊長が三人に魔法を教えてる時とか、執務してる時ですよぉ。山の中を歩いたりしてたんです。あ、それにこの間、山賊から帝国製の小銃と弾薬がいっぱい手に入ったから、射撃練習をしたりとかぁ……」
そんな事をしていたのか。
「射撃練習をするのはいいが……狩りや山菜を採りに山へ入ってる村の人もいるんだ。誤射とかするなよ?」
「大丈夫ですよぉ。一応、自分で射撃練習の場所は決めてあるんで、フーゴさんには皆にその辺りには近づかないよう伝えてって、お願いしてあるんですぅ」
「そっか、それならいいけど……」
そんな事を喋りながら馬車を走らせ、昼少し過ぎたくらいに隣村へと到着した。
確か、この村の領主はエリアン騎士爵のはず。
エリアン騎士爵も俺と同じように判断を下したのか、村の男たちを徴兵していないようだ。
戦争の話を聞きつけてか、村の者たちの顔色は不安に満ちたものだったが、男たちはレルシェ村と同じように冬支度をしている。
「レルシェのウィンズベル騎士爵である。エリアン卿はもうご出立なされたか?」
「はい、今日の早朝に家中の者を連れてローリンゲンへ向かわれました」
エリアン騎士爵家には我が家と違って代々仕えている家臣がいるらしく、エリアン卿は彼らを率いて出立したらしい。
ふむ、エリアン卿は俺の実家であるウィンズベル二等爵士家と違って、本家は由緒ある貴族の家なのかも知れない。
「そうか。では、戦場で挨拶することにしよう。ところで昼餉をこちらで取りたいのだが、場所はあるか?」
「村の宿で構いませんか?」
「ああ」
「では、そちらに。馬の水と餌もご用意いたしましょう」
「頼む」
俺は御者台から飛び降りると、荷台にいるアリスへ声を掛けた。
「おい、アリス。この村で昼飯にするぞ」
「はーい」
「ああ、腹減った……」
「荷物の隙間に変な姿勢でいたから、身体のあちこちが痛いのよね」
「私はそんなに気になりませんでしたよ」
「そりゃあクレアは身体が小さいもの。こういう時は楽よね」
おい……。
何で、お前らがいるんだ?
「隊長ぉ、早くご飯にしましょ~?」
「ちょっと待てぇ、アリス! 何でケインやミーシャ、それにクレアまで荷台に乗ってるんだ!」
いつの間に乗り込んだ!
そういえば、見送りの中に姿が見えなかった。
朝早かったからケインとミーシャはまだしも、見送りするメイドたちの中にクレアの姿が無いなんて事はあるはずがない。
出発の準備で頭が一杯で、全然気づきもしなかった。
「アリス! 何でこいつらが乗ってることを教えなかった!」
「私も気づいたの、ついさっきなんですよぉ。まさか積み荷の毛布の下に誰か隠れてるなんてぇ、思うわけないじゃないですかぁ……」
「うぐ……」
言われてみれば確かに。
荷台に乗り込んでいて、わざわざ毛布の中を調べてみようなんて、考えるはずもない。
「ほら、でも、息遣いとかゴソゴソしてるとか……」
「あの山道ですよぉ? ガタゴトガタゴトいってるのに、人の息遣いなんて聞こえるはずないじゃありませんかぁ」
「お、おう……」
俺とアリスの会話も結構な大声でやり取りをしていた。
ちょっとやそっと動いたくらい、荷台の揺れで荷物が動いただけだろうと思うかも知れない。
アリスへの追求は諦めた俺は、三人の子どもたちへ目を向ける。
「くそ、アリスはもういい。それでお前たち、何でついてきたんだ? 俺たちはピクニックに行くんじゃない。戦争に行くんだぞ!?」
「わかってるよ。俺たちだって魔法を習ったんだ。村を守るために戦いたい」
「明かり程度ができるようになっただけじゃないか。それに村を守るって言ったって、攻めてくるのは元々お前たちの祖国だった帝国だ。俺たちリムディアが敗れたって、お前たちにとっては国名が元に戻るだけだろう」
「同じじゃない! 同じじゃないよ!」
俺の言ったことに強く反発したのはミーシャだった。
「前の代官様は私たちから取るものだけ取って何も与えてくれなかった。あたしたちの事、ただ作物を作るだけの道具にしか見てなかったもの」
「ああ、ミーシャの言うとおりだ。領主様だけが俺たちにも勉強や魔法を教えてくれたんだ。代官のフィリップの野郎とは全然違う!」
「いや、俺だって魔法や勉強を教えたのは、領地が発展するのに好都合かなって程度の考えで……」
「あたしたちが魔法が使えるようになれば、数字や文字がわかるようになれば、もっと村は豊かになるってことでしょ?」
「豊かになるかどうかはわからないが……なる可能性は高くなると思ってる」
「あたしたちは、毎日毎日同じ作業をして、出来たものは代官様に献上していた。明日も同じような日々が続くと思ってた。でも、領主様が来てから変わった気がする。今はまだ、何も出来ないけどいつか違う明日を作れる日が来るって思ったの」
そうか、そう思ってくれていたのか。
ミーシャの訴えを聞いて、俺はちょっとグッと来てしまった。
だけどなぁ……。
「そう思ってくれるのは嬉しいが……だからといって」
「だから! 俺たちは領主様の力になりたいんだ!」
いや、気持ちはありがたいけど……、正直足手まといでもある。
これから行く場所は、間違いなく戦争が行われるかもしれない危険な場所なのだ。
この子たちに何かあれば、両親に顔向けができないじゃないか。
「あたしたち、父さんと母さんの許しは貰っています。村長様からも」
「ええ?」
「本当は父さんたちが行きたかったらしいんだけど、領主様の言う通り帝国が勝ったりでもしたら村の立場が困る。だから大人たちは行けないけど、俺たち子どもなら勝手について行っただけだって言い訳ができるって」
「だからあたしとケイン兄でついてきたんです」
「ク、クレアはどうするんだよ。クレアはまだ十二だ。とても連れていけない」
「わ、私は! ……私は、領主様と、アリスさんと、一緒にいたい、です。また家族が、私の知らないところで、いなくなるのは嫌です……」
「そんな事を言ってもな……」
「隊長ぉ、いいんじゃないですかぁ?」
なんと言って説得したものかと考えている俺に、アリスがポリポリと頭をかきながら言って来る。
「多分、この子たちぃ、説得は難しいと思いますよぉ」
「難しいとかそういう問題じゃないだろ。戦場だぞ!? アリスだって見ただろ? あの酷い光景。あんな場所にうちの村の大事な子どもらを連れていけるか!」
「いや、そんな事言っても、無理矢理村に戻したところで勝手についてきちゃいそうなんですものぉ」
アリスがそう言って三人を見ると、子どもたちはウンウンと迷いなく頷いた。
「ほらねぇ。ならぁ、私たちの目が届く場所に置いておいたほうがぁ、安全なんじゃありません? それに隊長ぉの言うとおりならぁ、私たちの配置される場所って後方なんでしょぉ? だったらぁ、戦闘に巻き込まれる事なんてぇありませんよぉ」
「戦場に絶対なんて無いぞ」
「だったらなおさらぁ、勝手についてきちゃわないようにぃ、私たちの目が届く範囲においておいたほうが良いと思いますぅ」
「ああ、もう……っ!」
俺は大きくため息を吐くと、頭をガシガシと掻き毟った。
「わかったよ! ただし! 俺の言う事は絶対厳守! 逃げろと言ったら何があっても逃げろ! いいな!」
「やった! 俺、頑張るよ!」
「ありがとー! 領主様!」
「ありがとうございます!」
「アリス、飯食い終わったらこいつらに帝国製の小銃と弾薬を渡しておけ。弓矢じゃ話にならん。使い方は途中の休憩で教えてやること。いいな!」
「はーい、わかりましたぁ隊長ぉ」
アリスがシュタッと敬礼してみせた。




