第九話
「この歳になって新たな仕事を始める事ができる。そう思いますと腕がなりますな、旦那様」
「よろしく頼みます」
村に引っ越すための準備をするというリアーノ夫妻と別れ、今日はローリンゲンにそのまま一泊する。
最初はまるで人が来なくて、もう総督府から紹介してもらおうかとも思い始めていたけど、良い人を雇うことができて良かったと思う。
商人だったリアーノさんなら帳簿などに明るいだろうから非常に助かる。厨房や細かい雑用はイザベラ夫人とクレアがいれば大丈夫。手が足りないところをアリスに補ってもらおう。
「俺は明日、総督府に行ってくるから」
使用人の雇用で総督府の世話にはならなかったが、ローリンゲンまで足を伸ばしておいてリッツハイム総督へ挨拶に伺わないわけにはいかない。
「私たちも一緒に行きますぅ?」
「いや、ただの挨拶だから俺一人だけでいいだろう。アリスとクレアは町の観光でもしてるといいよ」
「やったぁ!」
本音を言うと俺もローリンゲンの町を見て回りたいんだよ。
リムディア王国と神聖ローレンシア帝国の国境に位置していた町だけあって、市壁も高く砦化している町だが、平和時には両国の交易で賑わっていた都市だ。戦後半年も経ていないのに、もう商人たちが戻ってきている。
町の直ぐ傍を流れるシェン川を海に向かって下った先にはロカという大きな港町があって、商人たちはそこから異国の物資や技術も運び込んでくるらしい。だから見たこともない異国の文化や物も散見できるのだそうだ。
「クレアちゃん、どこか見たい所あるぅ?」
「え? えっと……私、その町って初めてで……」
「あはは、そっかそっかぁ。じゃあ、色々と見て回っちゃお?」
「俺もさっさと挨拶すませて町を回りてぇ……」
楽しげにローリンゲンの町を見て回る計画を立ててる二人が、本当にうらやましい……。
◇◆◇◆◇
翌朝。
総督府では朝夜関係なく役人たちが働いているが、まだ朝靄が煙る刻限だったからか、以前来たときのように商人たちが面会や何かの手続きのために並んでいるようなことは無かった。
もっとも並んでいても一応自分は諸侯の一人。
廊下で待たされる商人たちと違って、先に客室へは通しては貰えるんだけどね。
ただ、客室に通された後で順番待ちはきちんとさせられているかもしれないけど、廊下で待っているよりはまあマシだろう。
ちなみにまだようやく明るくなってきた頃合いに総督府を尋ねたのは、リッツハイム総督への挨拶という面倒くさい仕事をさっさと終わらせて町を見物したかったからだ。
早朝ゆえに総督に直接挨拶はできないかもしれないが、自分が総督府を訪ねたという事実だけが残っていれば良いのである。
さっさと総督府を後にして、町の書籍商にでも行って本でも漁りたいというのが本音だった。
前回の訪問で自分の顔を覚えていてくれたのか、門の警備兵はすぐに総督府の中の一室へと通してくれた。
そしてさほど待たされることもなく、前に来た時にリッツハイム総督から紹介されたハリー・シンク秘書官がやって来た。
朝早いのに彼はもうこんな時間から働いているのかと、ちょっと感心する。
「これは騎士爵閣下。ご無沙汰をしています」
「朝早くから唐突の訪問、申し訳ない。閣下は不在なのかな?」
「生憎と。三日前より総督府を留守としております。何か火急の用件でもございましたか?」
「いえ、ローリンゲンの町まで来たので、閣下に挨拶でも思っただけなんだ」
「左様でございましたか。閣下のお気遣い、総督閣下がお戻りになられた際には必ずお伝えいたします」
そう言うと、シンク秘書官は胸に手を当てて丁寧に頭を下げた。
リッツハイム総督は留守らしい。これは幸運だった。
総督府をさっさとお暇したいという本音とは別に、総督は辺境伯という大貴族でいかにも貴族でございますという感じの雰囲気があるから、あまり長時間一緒にいて楽しいと思えるような相手じゃないのだ。
総督が留守ならば、総督府に長居する理由はどこにもない。当初の目論見通り町の書籍商にでも出かけて本でも物色するか。それから昼頃にでもアリスとクレアに合流でもして食事でもしよう。
「留守ならば仕方ない。出直すことにするよ」
「ああ、騎士爵閣下。閣下にはこの後、何かご予定はございますか?」
さっさと総督府を後にしようとした自分をシンク秘書官が呼び止めた。
「いや、特にないけど」
「それは丁度よろしゅうございました。ぜひとも騎士爵閣下に紹介したい方がいらっしゃるのです」
しまった。用事があると答えたほうが良かったかな。
総督府の秘書官がわざわざ呼び止めたので、何か領地のことに関わる話があるのかと思ったのだが、人を紹介されるとは考えなかった。
総督府の要人である彼が紹介する人物となれば、ある程度地位のある人物に違いない。
せっかく総督への挨拶を免れたというのに……。
「ささ、こちらでございます」
シンク秘書官に案内されて、総督府の二階へと通された。
案内された部屋は、自分が最初に通された部屋よりも広い部屋。
ここは、貴賓客を招いて会食にでも使用する部屋なのかな? 大理石で作られた重厚感のある大きなテーブルが部屋の真ん中に置かれ、テーブルの上には金で作られた燭台と陶器の花瓶に見事な花が活けられている。またテーブルには細緻な細工が施された椅子が並べられていた。
部屋の中には一人、先客がいる。
歳の頃は自分と同じくらい。二十代半ばといったところ。
金色の見事な髪に青い目。すっとした鼻梁。椅子に座っているため正確な所はわからないが、身長も高そうで女にきっとモテるだろう事は見て取れる。
くそぅ……絵に描いたような貴公子ってやつだ。
しかも痩身だが痩せすぎというわけではなく、肩や胸板などを見るにしっかりと筋肉もついていそうで、何となく腹が立つ。
「おくつろぎのところ、失礼致します。ロンドベル伯爵閣下。こちらはアーティア・ヴァン・ウィンズベル騎士爵閣下でございます。騎士爵閣下、ディアス・ヴァン・ロンドベル伯爵閣下でございます」
「ロンドベル伯爵閣下。お目にかかれて光栄にございます」
伯爵閣下ね。
通されている部屋から見ても分かる通り、騎士爵程度の貴族の自分とは格が違う上級の貴族だ。
胸に手を当てて、丁寧に一礼する。
ロンドベル伯爵が治める領地は、シェン川をリムディア側へ下ったロカという港町近辺。レルシェ村を通る山道を進み、山を越えた先の土地でもある。
当然、リムディア王国内でも強い権勢を誇る有力な諸侯なんだけど、当主がまさか自分と同い年くらいの青年だとは思わなかった。
ロンドベル伯爵はコーヒーのカップをソーサーに戻すと、にこやかな笑顔を浮かべて自分に対面の席を勧めた。
「君があの……。グラナダの会戦で功を挙げて諸侯となったと聞いたよ。朝食はもうお済みかな? 君がよければコーヒーでも一緒にどうかな?」
「ありがたく」
伯爵のお招きを断れるはずもない。
すぐに自分と、さらにシンク秘書官にも熱いコーヒーが運ばれてきた。
コーヒーの豊かな香りが鼻をくすぐる。良い豆を使っているな。ローリンゲンには良いコーヒー豆を扱う商人がいるようだ。後でどの店で購入しているのか、シンク秘書官に聞いておこう。
口をつけると苦味と酸味が絶妙に調和して口の中に広がる。
美味い。
「実は騎士爵閣下にもいらしていただいたわけは、最近ローリンゲン周辺からロンドベル伯爵閣下の治めるロカにかけて、凶悪な山賊団が出没していることをお知らせしようと思ったのです」
「山賊?」
自分がそう聞き返すと、シンク秘書官に代わってロンドベル伯爵が口を開いた。
「ふむ。領主に着任したばかりのウィンズベル卿の耳には、まだ入っていないのかもしれないね。以前からローリンゲンと我がロカを往来する商隊を襲う山賊はそれなりにいたのだが、最近は小さな村や町を襲撃しては略奪を繰り返す賊が出没しているんだ。そのやり口が非道でね。老人子どもは皆殺しにして家々に火を付け、若い娘は暴行して人買いに売り飛ばしている」
話を聞いて自分は思わず眉をしかめてしまった。
「どうやらグラナダ地方に本拠を持っているらしく、リッツハイム総督にも賊への対策をお願いしに来たのだよ」
「総督閣下は今、山賊団への対応に奔走されておられます」
「なるほど」
グラナダでリムディア王国と神聖ローレンシア帝国が戦争したのは、わずか半年前の事。
敗戦で離散した帝国兵や傭兵たちが、そうした山賊団を組んでいるのかもしれない。
「山賊団の規模はどのくらいなのです?」
「痕跡から百人程度だろうと推測している」
「どうも土地をよく熟知しているらしく、総督府軍も手を焼いております」
シンク秘書官がため息を吐く。
「ウィンズベル卿の所領は、主要街道から外れているとはいえ、その事が逆に山賊団にとって襲撃しやすい利点にもなる。山を隔てて我が領にも接していて、被害の多発している地域と極めて近い。十分警戒されたほうが良いんじゃないかな?」
十分警戒しろと言われてもね。うちの領地には兵力なんてものは無いんだよ。
大領と呼べるロンドベル伯爵の軍や、総督府の軍が手を焼くような山賊を相手に、小さな土地の領主である自分がどう警戒したらいいんだ?
ようやく領地経営に関して有用な人材を登用した所に、凶悪な山賊団の出没情報を聞いて、俺は自領の警備体制について頭を痛めることになったのだった。
◇◆◇◆◇
ガタガタと揺れながらレルシェ村への山道を馬車が走る。
「この山のどこかに凶悪な山賊がいるって聞いたらぁ、なんかトリハダがたちますねぇ」
客車から御者席へと顔を出したアリスがそう言うと、気味が悪そうな顔で馬車が辛うじて通れる細い山道の左右に茂る森を見回している。
「山賊……怖いです」
客車の中からクレアが小声でつぶやく。
ローリンゲンでこの先必要になるだろうと中古の馬車と馬車を購入したのだが、レルシェ村への山道は凸凹が激しくて、アリスとクレアは頭をぶつけないように手で客車の壁を支えていた。
それにしてもこうも道が悪くては、さっそく車軸が曲がってしまわないか心配だ。
「若い女の子を人買いに売り飛ばしているんですよねぇ? 私やクレアちゃんを狙って襲ってくるかもぉ」
「こんな一日の内に一台通るかどうかといった裏道で、山賊たちが待ち伏せしているとは思えないけどね。クレア、怯えなくても少数ならば俺の魔法とアリスの銃の腕で山賊くらいなら撃退できるから大丈夫だ」
「はい」
それに山賊団も山中の裏道を進む馬車を待ち構えて襲うよりも、主要街道を往来する商隊の馬車を襲ったほうが実入りは大きいだろう。ただ、頻発する山賊の襲撃に備えて商隊も規模を大きくして、雇う護衛の傭兵も増やしたりしているらしいから、最近は領主の居館が無くて守備力の無い山間にある小さな村が襲撃される事が多いと聞いた。
滅多と人が訪れることのない山深くの村での事だから、山賊の襲撃があったと発覚するまでに時間が掛かってしまい、領主の軍が到着した頃には山賊たちは完璧に姿を消してしまっているらしい。
襲われた商隊、村では連れ去られた若い娘を除いて全員皆殺しにする凶悪な連中で、犠牲者から軍用小銃の銃弾が摘出されている事から、やはり先のグラナダ戦争の逃亡兵か傭兵崩れあたりが中心となっているのではないかとシンク秘書官は言っていた。
「山賊団が、総督府軍かロンドベル伯爵軍に討伐されるかするまで、アリスには自警団と一緒に警備にあたってもらうしかないかな」
この辺りで最も規模が大きく組織化された軍隊を持っているのは、この二つの軍だけだ。
自分も含めてその他の諸侯は、騎士爵か男爵程度の少貴族ばかりで兵力と呼べるものはほとんど持っておらず、獣害とせいぜいが少数の山賊から領地守るの精一杯といった規模の兵力しか無いのだ。
「小銃の弾薬がもう少し欲しいなぁ。テベスさんとこぉ、猟銃用の弾薬しか扱ってないのよねぇ……」
「総督府を通じて取り寄せてみるか」
「でもぉ、実際問題私と隊長ぉだけじゃあ、できることに限りがあるよぉ?」
「だよなあ……」
そういえば所領内の通行の安全を図るのも領主の責任になるんだっけ?
頻繁に往来するテベスを始めとして、こんなど田舎のレルシェ村までわざわざ足を運んでくれる行商人たちの安全は確保してあげなければならない。
「やっぱり村の自警団から何人か人を回してもらうしかないか」
とはいえ村の自警団の団員は普段、農夫として畑を耕し山や森に分け入って狩猟をしなくてはならない。特に夏場を迎えたこの季節。作物につく虫や、放置しておくあっというまに生い茂ってしまう雑草の除去などに目が回るほど忙しいだろう。そして秋がやってくれば収穫の時期となって、これから来る長く厳しい冬を迎える準備で更に忙しくなるに違いない。
それだけ仕事を抱えた上で、更に山賊団への警戒まで仕事を抱えることが可能だろうか。
「ケインとミーシャ。あの二人を借りるしかないかな、やっぱり」
城館を掃除した時に手伝いに来てくれた双子。二人ともに十五歳と体力もある歳頃で、父親から狩人として鍛えてもらっているらしい。それにこのあたりの土地勘もある。猟銃はまだ持たせてもらったことがないそうだが、弓矢は扱えると聞いていた。
「うん。あの二人なら年齢も近いから、私もやりやすいかもぉ」
ちょうどクレアに読み書きを教えるついでに、あの二人にも勉強させておきたいと考えていたのだ。
そのついでに、少しでも戦えるように訓練を付けてみようか。
ガッタンガッタンと激しく左右に揺さぶられながら考え込みつつ、馬車の前方に広がる濃い緑を眺める。
それにしても荒れ果てた道だな。村を発展させるなら道の整備もしたいよな……。
その時、ふとある考えを思い付いた。
「魔法……。そうだな、魔法を教えてみるか」




