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侵略者は、水銀の湖を往く。
未来を見据え、歩みを進める。
波紋は折り重なり、生まれては消える。
白銀の杜。
それは、皇帝が創造した結界に他ならない。
あらゆる干渉を否定する断絶の世界。
横溢する全てが視覚であり、触覚であり、知覚である。
故に、既に、世界は敵を認識していた。
二人の視線が交錯する。
皇帝は首を傾げるような仕草を見せ、そして、告げた。
「これより粛清を実行します。
ライブラリ検索。
攻撃方程式を構築。論理統合。
形骸を移行。
――天嵐」
瞬間、敵意が顕現した。
水銀は剣となり、爪となり、槍となり、四方から敵を襲う。
だが、その身を捉えることはない。
軌道予測により、ソウマは既に躱している。
過ぎた刃は、跳ね水の如く、また湖面へと還る。
静謐の攻防。
侵略者は、悠然と歩みを進める。
皇帝は、そこに在り、睥睨する。
音はなく、ただ、二人を別つように、刃が往返する。
一歩、また一歩。
近づく度に、攻撃は、その苛烈さ、繊細さを増していく。
原始的に、或いは、幾何学的に、紡がれる暴力の軌跡。
皇帝は伸ばされた手を払う。
拒絶を示すように、触れ合うことに怯えるように。
それでも、侵略者は歩みを止めない。
「効果を認められず。
高度な力学計算による軌道予測と推定。
ライブラリ検索。
対応を再定義。
攻撃方程式を構築。論理統合。
形骸を移行。
空間を飽和攻撃します。
――落葉」
皇帝は機械的に言葉を音にする。
頭上の銀月が裁断され、螺旋を敷くように無数の針となり、雨となる。
ソウマは、力強く、地を踏み込む。
水面は波打ち、鏡は歪み、大理石が如き地が剥き出しになる。
一瞬、遅れて、床は崩れ、そして、陥没隆起する。
雨は忌避するように、その軌道を歪め、水面へと還る。
天から地へ。地から天へ。
既に、その理は捉えられていた。
水銀は、引き合うことで、その威力を実現している。
故に、地を覆う水銀を除けば、自然と狙いも外れる。
「効果を認められず。
対象の位階を累進。
ライブラリ検索。
対応を再定義。
防御方程式を構築。論理統合。
形骸を移行。
侵攻を抑制します。
――月影」
水銀の流れが撚り集まり、皇帝の周囲を覆っていく。
空間を歪めるようにして、巨大な銀球が現れる。
高密度高質量の流体障壁。
あらゆる干渉を否定する境界。
だが、それでも、止められない。
侵略者は、止まらない。
ソウマは、親指を噛み、腕を振る。
赤い血が舞い、水銀の球へと吸い込まれる。
小さな波紋が打ち、そして、収束する。
一瞬の間があり、そして、球が歪む。
紛れた異物が、いや、純粋物が、秩序を否定する。
引力の均衡は崩壊し、制御は失われる。
銀の月は、沈むように水面へととけた。
「論理障壁第三層まで貫通。
強制干渉を確認。
基幹式に致命的な損傷。
制御を奪還。失敗。
侵食拡大。汚染隔離」
皇帝は、機械的に実行し、機械的に詠唱する。
そこに動揺はなく、対応は最適である。
だが、それでも、遅い。
侵略者の歩みは、揺るぎなく、そして、迷いない。
瞳に映る瞳。
色のない少女の相貌。
ただ唇だけが微かに色づいている。
侵略者は、それを慈しむように覗く。
やがて、二人の距離は失われていた。
ソウマは、そっと手を伸ばし、アイリスを抱き寄せ、唇を重ねる。
アイリスは抵抗しない。
力のない人形の如く、ただ奪われた。
光のない瞳は天を仰ぎ、崩れるように身体を預ける。
一瞬、身体が小さく跳ね、一筋の涙が頬を伝う。
刃が、その胸を刺し貫いていた。




