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「ぐっ! こんなものまで!」
原初の記憶がアイリスの意思を蝕んでいく。
怒り、嘆き、叫び。
抗うことのできない絶望があった。
全てを無に帰す闇が世界を侵食していく光景。
それは遺伝子に刻みこまれた絶対の恐怖。
「あ、ああああああああ!」
儀仗がこぼれ、高い音が虚しく響く。
アイリスは、両の手で自身の頭を掴み、身体を反らせ、天を仰ぎ、叫んだ。
ベールが外れ、隠されていた相貌が顕になる。
やがて、意識は失われ、そして、皇帝は覚醒めた。
「自己診断。定義確認。環境構築」
瞳に輝きはない。
紡がれる言の葉に感情はない。
ただ、機能を全うする者として、そこに顕現した。
「報告:解析が終わりました」
「何が起きている?」
ソウマは、ソラの声に耳を傾けながら、クノスとティアスに離れるように促す。
アイリスの身から限りなく零れ続ける銀の血が空間を満たしていく。
床は凪いだ湖の如き鏡となり、静かに湧いた大小の球は重力を無視して停滞する。
水銀は、蔦が這うように柱や壁をかけ昇り、枝は天地を繋げ、幾何学的な檻が連なっていく。
一つの世界が構築されていく。
「皇帝の身体には胚が埋め込まれています」
「胚?」
「我々が行っている意識対話を実現するための触媒と定義して下さい。
遺産を覚醒し、制御するための生体端末をつくりだそうとしていたのだと推測します。
状況を鑑みるに、実現には至っていません。
一方で、皇帝の身体機能が拡張されるという結果がもたらされました」
「ああ、そこまでは想定内だ」
「皇帝の身体には、胚と共に、胚の制御機構が埋め込まれています。
胚の侵食と暴走を抑制するためのものですが、そこには皇帝を支配するための論理が組み込まれていたようです。
いわば、皇帝の専横に備えた安全装置です。
皇帝の自我を凍結し、その上で、規定の動作を実行させる原始的なものです。
現時点においては、機能は果たされていると言えます。
一方で、この状況が全て想定され得るものであったかは疑問です」
「胚の暴走か」
「肯定と否定。
胚は解き放たれました。
これは想定外の事象であると考えられます。
しかし、制御は失われていません。
胚は安定しているようです」
ソウマは、状況を整理し、確認する。
「アイリスの意識は失われ、身体は操られている。
それに起因してか、胚が覚醒してしまった。
覚醒した胚は暴走せず、操り人形となった皇帝に力を貸している」
「そのように、説明を差し上げたつもりです」
「問題は、操られたアイリスだが」
ソウマは、アイリスを視た。
アイリスもまた、ソウマを視ていた。
視線が交錯し、そして、判決が下る。
「対象を審議。
背理因子と裁定」
「なるほど、自明ではあるか」
ソウマは、アイリスに向き直る。
もとより、対峙する以外の道はない。
「制御機構を破壊したら、どうなる?」
「制御機構を破壊した場合、励起状態の胚が暴走し、皇帝の身体と共に自壊すると推測されます」
「胚を破壊したら?」
「胚は既に皇帝の身体と同義です」
「なるほど、どうすればいい?」
「どうしたいのですか?」
ソウマは迷いなく理想を求め、ソラは呆れるように確かめた。
「アイリスを救う」
「わかりました。では、解を提示しましょう」
ソラは、感情なく解答した。




