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ここに至った時点で、既に勝敗は決していた。
アイリスの勝利は揺らがない。
故に、アイリスは死力を尽くす。
拮抗が続いていた。
だが、互角ではない。
打ち合いを重ねる毎に、アイリスの攻撃は鋭さを増していく。
磨かれ、研がれ、澄んでいく。
高みへと昇華していく。
「愉しいぞ」
「私もです」
交錯する刃。
無限にも感じられる時間の中で、繰り返される一瞬の攻防。
アイリスが戦いの中で成長していく一方で、ソウマの在り方は変わらない。
それは武芸において、ソウマが遥か高みにあることの証明に他ならなかった。
師が技を伝え導くかの如く、言葉の通り、ソウマはアイリスに手を合わせていた。
「どうやら、ここまでのようだ」
アイリスは後ろに跳び、距離をつくると、構えを解いた。
それから、ため息をつくように呟いた。
その言葉は戦術ではない。
事実、アイリスは限界だった。
技が新たな境地へと至る一方で、儀仗を握る腕からは力が失われていった。
意思に身体がついてこない。
「時と場所を変えて、また手合わせをしましょう」
「これは戯れに過ぎぬ。
故に、全て忘れると?
卿の口からは、悉く甘い言葉が紡がれる。
そうしたいが、そうはならぬ。運命がそれを許さぬのだ」
「運命?」
「卿に勝てぬことも、卿が余を殺さぬことも解っておった。
ならばどうする?」
アイリスは、愉しそうに首を傾げ、睥睨する。
状況を支配する者として、高らかに謳う。
「愚かなことです」
ソウマは、アイリスが死を選ぼうとしていることを悟り、容赦なく言葉を放った。
「そも選択の余地はない。
余の身体は、既に限界だ。
自刃せずとも、命脈はすぐに尽き果てるだろう。
これは因果だ。
御し得ぬ力を、身に宿せば、そうもなる。
代々の皇帝が短命であるのは、この呪いのおかげよ」
アイリスは、確かめるように胸に手を置く。
苦しみに喘ぐように、心臓は乱れた鼓動を刻んでいた。
「あなたが死んでどうなるというのですか?」
「そういえば、まだ話していなかったな」
アイリスは、クノスに視線をやり、やれやれとため息をつき、そして、言葉を接いだ。
「例えば、帝国は地球を滅ぼそうとしていた。
考えていたわけではない。
現に実行しようとしていた」
ソウマの表情がにわかに曇る。
アイリスは構わず続ける。
「卿が鎮圧した反乱の話ではない。
それよりも以前のことだ。
指導者らが協議した上で、帝国は国家として、それを決めた。
言うまでもなく、余も、それを知っていた」
儀仗を握る手が知らず、力を帯びる。
アイリスは賛同してはいない。
だが、口にはしない。
異を唱えていなければ同罪である。
言い繕う資格などない。
「卿が、クノスと出会ったこと、それこそが証左だ。
審判官とは、惑星文明を滅ぼすことを決裁し、その責を一身に負う呪われた官位よ。
国家の穢れを、一人の臣民に転嫁することなど、論理も倫理も破綻している。
道を違えている。
だが、誰も、正そうとはしなかった。
誰も、抗おうとはしなかった。
クノスを除いてはな」
アイリスは、慈しむように誇るように、クノスを語る。
なすべきをなさなかった自身を蔑むように。
「クノスは敢えて、審判官になることを望み、それをして地球へと降りた。
帝国を糾し、正すために、何かを探そうとした。
運命を変えるために、彼方の惑星へ一人身を投じた。
だから、現在がある。
クノスにとって、卿との出会いが、どれだけ救いであったか、想像できまい」
「帝国は、踏み留まったのでしょう?」
「それは結果論だ。
地球には卿がいた。
我らを止める力を持つ存在がいた。
だが、そうでなければ、地球人類文明は滅びていた。
帝国によって、滅ぼされていたのだ」
そうなる筈であった。
あり得た世界にアイリスは思いを馳せる。
「想像せよ。
夜明けと共に、或いは、夜の帳と共に、前触れもなく訪れる滅び。
空は赤く染まり、大地は裂け、星は砕ける。
紡がれてきた歴史が、愛してきた人々が、灼かれていく。
そんな、世界の終わりを」
アイリスが語るのは、全くの幻ではなく、また、不自然な話でもない。
地球上においても、文明は文明によって、滅ぼされてきた。
「赦せるか? 余は赦せぬ。
宇宙を彷徨いながら、星々を滅ぼしていく呪われた存在。
それが我が帝国だ。
帝国は、怖れ続け、狂気に苛まれ、忌むべき事象へと成り代わった」
アイリスは、そして、宣言する。
「故に、帝国は終わらなければならぬ。
全ては帝国が新生するため。
皇帝たる余が全ての罪を背負い逝くことで、それは成就する」
「貴方は賢君として、臣民に慕われていると聞き及んでいます。
そんな貴方を手に掛けた者を帝国の臣民は許すのでしょうか?」
「既に、代々の皇帝が隠匿してきた帝国の罪は、放流され拡散を続けている。
この期に及んで、余の権威を信じ続ける者はおらぬだろう」
「そうであっても」
「余とて、遊びではない。
全てを賭し、全てに備え、この一戦に臨んでおる」
否定を遮るように、或いは、なだめるように、アイリスは言葉を接ぐ。
「武闘派のガルギードは、卿を高く評価している。
皇帝派の長たるアインズマルガは、余の信奉者ではあるが、それでも娘であるティアスを殺そうとすれば考えも変わるだろう。
中庸派は、既になく。
伝統派は、銀の血を持つお前を否定できない。
そして、臣民は、卿の力を知っている」
心残りはない。
アイリスには、確信があった。
「帝国の罪は、余の死をもっても償いきれるものではない。
それでも、どうか、帝国を――」
アイリスは、告げようとした。
全ては、成就する。
その筈であった。
だが、それは成されない。
「――なんだ、これは!?」
衝動が、衝撃が、少女を揺さぶる。
アイリスは、額を抑え、身体を悶えさせる。
儚い願いを砕くもの。
それは折り重ねられた呪いであった。




