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「これが笑わずにおられようか」
アイリスは、戦域の監視映像を仰ぎ、はしたなく笑っていた。
守都艦隊が制御を奪われ、天烏を迎え入れるかの如く、回廊を形成していく。
その様子は、壮大かつ、幻想的であり、心に触れるものであった。
それは、アイリスにとって、理想的な光景であり、また愚かさの証明でもあった。
「犠牲が出なかったことは、喜ばしいことです」
アイリスと共に、戦況を見守っていたクノスが静かに応えた。
意識して、澄ましてはいるが、それでも綻びは隠せない。
「包囲を突破することは、わかっていた。
だが、一隻の被害も、一人の犠牲も出さずに、事をなすとはな。
余の秤は小さすぎたということだ」
「我々の常識の外にある存在です。
そういうものとして、受け入れる他ないのでしょう」
天烏がなした全ては、帝国にとっては奇蹟でしかない。
だが、それを創造したものにとっては超常的なものではなく、
理論と法則に基づき実現された技術によるものである。
対峙するものの間に技術格差があれば、そうなってしまうということに過ぎない。
仮に、地球人類の艦艇と帝国の艦艇が対峙すれば、立場を逆転した状況が再現されるだろう。
「そうさな。
重力下での白兵戦、宇宙空間での機動戦、未遂となったが艦艇同士の砲撃戦も考えていた。
だが、全ては無意味であった」
「順を追って、戦力を測ろうとしたのは、
帝国の犠牲を最小限に抑えるためですね」
「然り、卿からの報告がもたらされた時、
余は、予感した、いや、確信したのだ。
敵わぬことを悟り、叶えるために思索した」
「私の報告が陛下にまで及ぶとは、考えてもいませんでした」
「これは異なことを。
卿が審判官として、地球に降りると進言した時に、
それが認められるように手を回したのは、他ならぬ余であるぞ?
報告を心待ちにしていたに決まっておろう」
クノスは、少なからず、衝撃を受けた。
確かに、振り返れば、地球に審判官を派遣するという上申が、積極的に受け入れられた感触はなかった。
既に大勢は決しており、判断が覆ることはないと考えられていたからである。
それでも、要望が叶ったのは、帝国の良心によるものだと、クノスは信じていた。
「卿が完膚なきまでに叩きのめされたと知り、心が躍った」
「力が及びませんでした」
「畏まる必要はない。
この状況は、卿が望み、余が望んだものだ」
アイリスは、負けることを望んでいたと、認めてみせる。
「戦力を把握し、それに相応しい、しかし、必要最小限の戦力をぶつけ、敗北する。
その犠牲をもって、地球が帝国と交渉する資格があることを、
指導者に知らしめ、世論を誘導し、平和条約を締結する機運を高める」
クノスは、アイリスの計略を要約し、確かめる。
「概ね、そういうことだ。
戦いを避けて、友好を強行しても、反発を招き、混乱の上に破綻することは想像に難くない。
帝国の成り立ちを鑑みれば、戦わずして和平などありえないのだろう。
それは、先の暴走からも窺える。
相手を認めざるを得ない状況に迫られなければ、帝国は立ち向かうことなく逃げ続ける」
そこで、アイリスは大きなため息をついた。
それは徒労だけではなく、安堵からくるものでもあった。
「と、そのように考えて、落とし所を模索しておったのだがな。
徒労であった。
ソウマは、余の望みをたやすく叶えてみせた。
思惑に気づいていたのだろうな。
その上で、気遣いをする必要がないことを証明してくれた。
後の禍根を残さずに、地球が脅威であることを、帝国に知らしめた。
少しやり過ぎな感はあるが、ともかく、感服する他ない。
それでこそ余の、帝国の最後の敵として、相対するに相応しい」
クノスは、はっとした。
それが、どういう意味を持つのかは、わからない。
意味などないのかもしれない。
アイリスは、帝国を案じていることに疑いはない。
だが、それでも、まだ何かを隠しているように感じられた。
そして、それは、思い過ごしではなかった。
「何を、なさるおつもりですか?」
クノスは、アイリスの前に一枚の情報窓が展開していることに気づいた。
閲覧が制限され、そこに示される情報をデコードすることができない。
直視すれば、吸い込まれてしまいそうな闇。
空間を穿つが如くあるそれに、クノスは、言いようのない不安を覚えた。
「なに、そろそろ、余が敵であることを思い出してもらわぬとな」




