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守都艦隊旗艦の艦橋に、再び常ならざる事態が生じたのは、件の宣戦布告から、地球時間で一時間ほど後のことであった。
招集された参謀本部は、万全の迎撃態勢を整えるべく情報収集に努めていた。
「旗下分艦隊の八十四パーセントが指定座標に集結。防御陣の形成は堅調に推移」
「非戦闘艦艇の退避に一部遅れ。ネットワーク障害による通信断絶に依るものと推測。復旧を急がせています」
「敵艦に動きなし。出現した座標に留まり、沈黙を続けています」
旗下艦隊の集結状況、非戦闘艦艇の退避状況、敵勢力の監視状況など、
艦橋は、無数の情報が飛び交う坩堝となっていた。
「て、帝都より署名通信です」
喧騒を鎮める前触れをもたらしたのは、通信士の一人であった。
その声は、喉は、唇は、震えていた。
署名通信は、特に重要な情報を優先的に伝えるために利用される特別な通信手段である。
帝国内において、一定以上の地位や権限を持つ者のみが送信を許される。
そのため、送信者を表すサインが本文以上の意味を持つこともある。
「サインは?」
通信士の様子に気づいた、シャルケは声を投げる。
署名通信のサインは、本来は質すまでもなく、伝えられるべき情報であった。
艦隊の司令塔となる旗艦に配属される士官は、将来を有望視される優秀な者ばかりであり、
署名を伝え忘れるような初歩的な失敗をするとは考えられない。
つまり、通信士を動揺させ得るものが、そこにはあり、それが何であるかを、シャルケは既に察していた。
皇帝の威光は、あらゆる権限に優先する。
それを証明するように、通信士の応答を待たず、映像通信は一方的に繋げられた。
艦橋の中央に展開された情報窓に、艦橋に詰めていた士官たちは例外なく釘付けとなった。
そこには帝国の最高権力者の姿があった。
「総員、平伏!」
シャルケの号令に背中を叩かれるかのように、呆然としていた士官らは我に返り、顔を伏せた。
「ふむ、どうやら邪魔をしたようだな」
「部下の無礼をお許し下さい。
このような場所で、陛下の恩寵を賜るなど前例がなく」
「よい、わかっておる」
「陛下の寛容に深く感謝いたします。
ただ、これが御心にそぐわぬ悪例とならぬか、憂慮する次第で御座います」
帝国の常識において、現在の状況は、ありえないことであった。
皇帝の言葉は、皇帝府を通じて、広く一方的に伝えられることが常である。
それが守都艦隊旗艦であっても、対象の限定を原則とする署名通信が送られることは、例外であった。
その上、署名通信のサインには、皇帝府ではなく、皇帝の名が刻まれており、
さらに、書面でもなく、代読でもなく、録画でもなく、相互の映像通信が繋がれ、
そこに皇帝の姿が在るなど、正に、例外中の例外でしかない。
「帝国が、その在り処を宇宙に求めて幾星霜。
長い凪の中で揺られていた我らが、ついに辿りついた新たな時局だ。
過去に倣ってなどはおられぬし、未来に心を砕く暇もなかろう。
許せよ」
「差し出がましいことを申しました。」
「だが、そうさな。
これが慣例ともなれば、卿らとしては、さぞ迷惑であろうな」
「そのような、陛下からお言葉を下賜されるなど、この上ない名誉。
士気も上がりましょう」
それはシャルケの本心からの言葉であった。
皇帝の威光以上に、重視すべきことはない。
行動計画に多少の遅延が生じることなど、天秤にかけるまでもなかった。
「とかく、状況が状況だ。
伝えるべきを伝え、後は任せるとしよう」
帝国の態勢が整うまで、戦端が開くことはない。
さらに言えば、態勢を整えたところで、何が変わるでもない。
アイリスは、そう考えていた。
そのため、焦りはなく、だからこそ、こうして話をしている。
しかし、妨げとなっていることは、否定できない。
顔を上げて、手を動かせと告げたところで、士官たちは惑うだけであり、
アイリスの姿が失われるまで、この状況が続くであろうことは、想像ができていた。
「告げる。その全力を持って、帝国の平穏を脅かす侵犯者を迎え撃て」
言うまでもないことではあるが、命じておくことには意味があった。
これにより責任の所在が、帝国の皇帝にあると明確になる。
「必ずや、この命にかえましても」
「その言や嬉しいぞ。
だが、徒に犠牲を強いることは、背信と同義であると心に刻め。
卿の身も例外ではない」
「憂慮にお応えし、人命を尊ぶことをお約束いたします」
「苦労をかける」
「陛下の臣であることは、私の誇りです」
「数の理はある。
だが、侮ってかかれる相手ではない。
奴は強い」
「何か、ご存知なのですか?」
「そうだな、言葉と刃を交えた」
「なんと」
「どのような奇策を弄してくるのか解らぬ。
いや、それすらもないのやもしれぬ。
いずれにせよ、無理が通る相手ではない。
無理を通すべき相手ではない」
「それほどとは」
シャルケは、一瞬、表情を曇らせる。
アイリスが、伝えんとしていることを察したからである。
「この戦いにのみ囚われるな。
先の未来を見据え、帝国の威光を示せ。
以上だ」
「御心のままに」
シャルケは、胸に手を当て、皇帝を正視する。
それは不敬の謗りを免れない行いであったが、敢えて、そうした。
その意志を強く示すように。
アイリスは、応えるように小さく頷き、そして、通信は途切れた。
「さて、こんなものか」
通信を切ると、アイリスは、ため息をついた。
「シャルケ司令は、優秀な方です。
陛下の意向を汲んでくれるでしょう」
クノスが、そっと声をかけ、その労が報われることを願う。
「とはいえ、余とて、どうなるかは想像がつかん。
こちらにできることは、秩序を保ち、被害を抑えることくらいだ」
「あとは、ソウマを信じるしかないということですね」
「そうなるな。もどかしいことだが」
如何にして、この想定外の状況を利用するか。
アイリスの頭は、そのために、思考と試行を繰り返していた。
「とりあえずは、この情報を芽吹かせるか」
アイリスは、一枚の文書画像を呼び出し、情報窓に展開する。
「それは一体? 」
「卿も知っておろう? これは帝国を殺す毒だ」
清廉を謳う帝国の正義を否定するもの。
帝国臣民にも、地球人類にも、決して知られてはならない悪の証明。
「お待ち下さい!」
気づいたクノスは制止するが、アイリスは意に介さない。
愉しそうに口元を歪めながら、共有を実行する。
誰あろう、帝国の皇帝によって解き放たれたそれは、情報の海に静かに浸透をはじめた。




