2 ケイちゃんの思惑
四条河原町。
厳密には「碁盤の目」と呼ばれる道路網が引かれた京都市内で、東西を横断する「四条通り」と南北を縦断する「河原町通り」の交差点の事だが――その交差点あたりが、京都市内では有名な繁華街として知られている。
京都らしさを残した、繁華街と呼ぶべきだろう。
商業地帯なのに、看板の大きさや色彩に激しく制限があり、青くないロー○ンや、赤くないマク◆ナル◆の看板は有名だ。
言いたい事は、解る。「京都」という古びた、それでいてその古びたものを愛したい人の熱い思いがどこかにあり。
それに感動する人の心があり。
だから、訪れる人があり。
ギラギラしたネオンや、高い建物、派手な色彩は景観を損ねる。そんなことは解っている。
解っているし、景観を損ねているつもりもない。
「だが」と、彼は思うのだ。
町屋を改造して、京都風の写真スタジオを経営する人間が、街の景観のどこを損ねた?
――立て看板らしい。
三か月前に作ったばかりの立て看板は、そういう理由で、今は店内に置かれている。閑古鳥が鳴いているのは、きっとそのせいだと、彼は思っている。
京都だから、修学旅行生を始め、観光客が多い。
そんな観光客目当ての商売が多いのも、仕方がない。
だから、見える所ばかり綺麗にして、アラを隠して。
ちょっと路地に入れば、古い町はかなり汚い。
繁華街なんか、そんなものだ。京都だって、他所と変わらない。いや歴史が古い分、更に陰湿だと、彼は思っている。
新規開拓者ばかり目の仇にして、嫌がらせをしているようにしか見えないのは――ひがみだろうか?
彼――上島 敬太。彼を知る人は、気安く「ケイ」と呼ぶ。
「写真スタジオKey」の経営者で、一応主任カメラマン。ひとりだけの会社とか、笑うな。繁忙期は、派遣とバイトで溢れている。
修学旅行の学生相手に、安い商売をする気など、さらさらない。
班別行動で、修学旅行MAPを片手に汗だくで歩き回る、小遣い程度しか持たない学生なんぞに、何の興味もない。彼が相手にするのは、もっと上質の観光客。あるいは、馬鹿なくせに自分を主張したがる新成人や卒業生。
そう、心のどこかに「変身願望」があり、気の利いた自分の写真を有難がる、ポケットを沢山持っていそうな輩。
「成人式」や「卒業式」は書き入れ時だが、それ以外は観光客で稼ぐしかない。
「着物で半日観光。町屋風スタジオでの写真撮影付き」。ワンショット数千円のところ……ま、細かくは言うまい。
そんな商売をしているケイにとって、作ったばかりの看板の撤去はかなり痛い。町屋風建物外観も、スタジオの一部なので、ガラス張りのウインドーを大きく取れなかったのも、敗因の一部だ。
ここが写真スタジオであることを、一見客は、気づかない。
四条河原町界隈で、店を持つのは、並大抵の事ではない。京都一の繁華街は、地価が半端ではないのだ。
だが、このような商売は、その繁華街でなければ成り立たない。客を呼び込んでナンボ、である。
だから、この、修学旅行シーズンをケイは憎む。
道を行くやつ、どいつもこいつも客じゃない、状態だ。
と。
防犯カメラ越しに外を歩く観光客だの買い物客だのを見ていたら、ひとりの男が店の前で立ち止まった。
修学旅行生ではない。一般客の、男。
かれが凝視する所には、ケイが今年の成人式に映した写真が並んでいる。新成人たちが、華やかな衣装を纏って、映画の主人公気取りでポーズを決めている、写真。
特に、楽しそうな写真を選んで、被写体の許可を取って飾っている。そうそう、「店頭に飾って良いですか?」は、常套句だが、その度に被写体たちはとても嬉しそうな顔をする。いっぱしのモデル気分なのだろう。
そう。飾ってあるのは、そんな「上客」の写真ばかり。
誇らしげに笑う、上物の着物を着た、馬鹿な女の写真。
それを、興味深そうに眺める男に、興味が湧いた。
町屋風の格子戸を、開ける。
「写真に、興味がお有りですか?」
とっておきの笑みを浮かべながら、声をかける。
写真に見入っていた男が、ケイを振り返った。
普通に、何処にでもいる男、なのだが。
どくん。
ケイの胸が、高鳴る。
好み、と、いうか。
いや、普通に「好み」どころではない。もう、心臓ばくばくしている。
着痩せするタイプなのだろう。
胸筋とか、喉仏とか、たまらない。
ひ、と、め、ぼ、れ。
じっと、そこに居る普通だけど普通じゃない男に魅入られるケイに。
「ああ、写真、好きなんです」
男が、答える。
少しハスキーなその声が、更にそそる。
「そ、そうですか。どの写真がお気に召されましたか?」
いやもう、どの写真でも良い。
とりあえず、貴方、どこの誰ですか?
彼女、居るんですか? ゲイとか、認めていらっしゃいますか?
……好きになっちゃ、駄目ですか?
聞けるわけがない。
昼と夜とで、別の顔を持つ、ケイ。
夜の事は、忘れよう。今は昼だ、スタジオのオーナーだと、自分に言い聞かせる。
「どれも」
男が告げた。
「愛が、ないなって。だから、気になって」
苦笑まじりの、男の言葉に、ケイは固まる。
『君の写真には、愛がないね』それは、カメラマンを志望していた頃、出版社で言われた言葉だった。
写真に対する愛なら、溢れている。
何故、それが解らない?
俺の写真を理解できない程、お前らは馬鹿なんだ。
だったら、もっと馬鹿な奴を相手にしてやるよ。
そう。自分を一番愛する奴らを、さ。
このスタジオを作る、きっかけはそれだった。
そして、自分の一番大切な時間を写真に収めたい人間は、とても沢山居た。
だから、成功した。
今は閑古鳥が鳴いているが、また、シーズンになれば盛り返す。
当たり前だ。この俺が、綺麗に着飾った瞬間を撮っているんだ。
「一番綺麗な瞬間を、逃してるかなぁって。多分、このカメラマンは被写体の事、愛してないでしょ?」
くすりと笑う、その顔が、そそられる。
だが、プロとして、負けるわけには行かない。
「被写体が、一番望むシーンを撮るのがカメラマンの基本だと思いますけど?」
「そうかな?」と、小首をかしげる仕草も、なんだか艶っぽいのは気のせいか?
「せっかく着飾ってるんだから、やっぱり、一番かわいい顔を撮ってあげたいな、僕なら」
そう言って笑う青年に、ケイは確かに……かなり不愉快に思いながら――欲情していた。