1 真弓の場合
「はい? ちょっと太郎くん? どこに居るって? 西大寺? それ、京都じゃなくて奈良でしょう!」
友あり、遠方より来る。
突然の電話に、松尾真弓はかなり驚いていた。
北海道は札幌に住んでいる友人、滑来太郎。大学の頃からの友人だが、今ではツイッターやメールのみの付き合いとなっている。その彼が今、京都に来ているの言うのだ。
しかも、現在の居場所が「さいだいじ」だと。西大寺といえば……京都から近鉄電車に乗って奈良に行く途中にある駅だ。それ以外の「さいだいじ」を、真弓は知らない。
だから、突然の太郎からの電話。「今、京都なんだ。さいだいじまで来たんだけど、会える?」の意味が解らない。
真弓に会いに来たのなら、何故奈良に向かったのだろう? それとも、奈良を案内して欲しいという事か? いやいや、案内出来るほど、こっちは奈良には詳しくないし。
……そもそも、仕事中だし。
『だから、前に真弓さんが言っていただろ? 最寄りの駅が、京都駅から一駅の「西大路」駅だって』
成程、そういう意味か。
ようやっと要領を得た真弓が、頷いた。
「やっと解った。それ、『にしおおじ』って読むの。メールでのやり取りじゃ、解らないよね……」
太郎とは、北海道の大学で、知り合った。
結局、真弓は地元に戻っての就職を選んだが、いっときは本気で研究室に残って、そこに永住することも考えていた。
太郎と会う事が出来れば、それ以来と言う事になる。
「それより、太郎くんはどうして京都に? 仕事?」
電話口で、太郎がふふんと笑ったようだ。少し、気持ち悪い。
『J○東海のコマーシャル、知ってる?』
真弓としては、見た事はあまりないけれど……知ってることは知っている。
「そうだ、京都へ行こう」。有名なフレーズだ。
「え? まさか、それで京都に来たの?」
まさか。そんなことで、北海道から?
『札幌では、やってないんだよね、あのCM』
「そうなんだ? あ、私もあまり見た事ないけど」
前に見たのは、南禅寺かどこかの秋の景色だったな。伏見稲荷の赤鳥居は……「京阪乗る人おけいはん」だったか。
などと、地元の人間にしか解らないであろうコマーシャルを思い浮かべる、真弓。
『知ってる? 東京から、新幹線とホテルがセットになったお得プランがあったんだけどさ』
「へえ、そうなんだ」
「京都へ」行く事がない真弓が、そんなことは知るはずもない。あえて言えば、「トーキョーブックマーク」の京都バージョンがあるんだ、ぐらいの感想。
だが。
『真弓さんの所に泊まるから、別にホテルは良いかなって、思ったんだけど』
電話口からの言葉に、思考が停止する。
「は?」
『だから、今、えっと、西大路だっけ? そこに来てるから、迎えに来て。そんでもって、泊めて』
変わらない、へらっとした言葉に、携帯を持つ手が震えた。
「……ばかもの」
『え? 何?』
「泊めるわけ、ないやろうが! て言うか、仕事中じゃ!」
『……なんで?』
「当たり前やん。平日やん!」
『じゃなくて、なんで泊めてくれないの?』
「はぁ?」
知らず、語尾が上がる。
「なんで、家にケダモノを上げなあかんねん」
また、電話口でくすりと笑われた、気配。
「今、笑った?」
『久しぶりに聞いたなぁ。真弓さんの関西弁』
すこしだけ、どきんとする。
太郎と真弓は、別に特に仲が良かったわけではない。大学時代に、ちょっとしたきっかけでアドレス交換をした、それだけの仲が、ずるずると続いているだけ。
今は、ツイッターとかラインとか、そういう繋がり。
そう。細くても、長く繋がっていたら、楽しい。そんな相手だと思っている。
だが、大学時代の滑来太郎くんは、もう浮いた噂が立ちまくりで……女の子と見れば、必ず口説くのだという悪名が轟いていた。
本人曰く、「ストライクゾーンは地面と同じ。どこかに必ずに引っかかる」だの「女の子を見れば、まず口説かなければ失礼だろう?」だの……言いたい放題というやつだ。
そのくせ。
真弓にとって、「それ」は今でも心のどこかで引っかかっている。
あの男、よりによってこの私の事を、口説きやがらなかった。いや、別に守備範囲外ですし。どうでも良いのですけど。
『そう言われると思ったから、ちゃんとホテル取っといた。正解だったな。で、真弓さん。明日は……』
「明日も、仕事! 平日だから」
そこまで言ってから、反省する。
相手は、わざわざ北海道から「そうだ、京都へ行こう」をしてくれた人。京都人なら、ちゃんと受け入れてあげなければ、罰が当たる。
「そう言えば、太郎くん、仕事は?」
『連休をもらったんだ。だから、会えないかなと思って』
そういう事なら。
「じゃ、今夜会おうか。今、西大路だよね? だったら、そのへん何もないから、京都駅まで戻った方が良いよ。それか、市バスで祇園とか四条河原町とかに行って見たらどうかな? どこかについたら連絡頂戴。仕事、5時に終わる筈だから」
『了解。じゃあ、お仕事がんばって』
通話が途切れてからも、何となく浮かれて居る事を、真弓は自覚していた。
人騒がせな、訪問者。
それを出来るだけ快く受け入れてあげよう。
それこそが、京女の心意気だと。