捌陸話 正しいも間違いもない。大事なものが違うだけ
「あーあ、こりゃ結構まずい事態になったんじゃないか?」
場所は変わって、死霊族領の大聖堂から外れて広い雪原でのこと。
あたり一面純銀の世界は、動かなくなった死霊族の死体と、まき散らされた薬きょうと硝煙に塗れて、灰色の世界へと変わり果てていた。
その中に立つ黒い髪と青い瞳が特徴的な青年は、何を感じ取ったのか、白零たちのいる大聖堂を眺めている。
「このままじゃ折角うまくいきかけたのに、死霊族の始祖に全部持っていかれてしまう。まったく、君が想像以上に厄介すぎるのがいけないんだぞ」
「…………」
青年の右手に何かがぶら下げられている。
それはミリ単位よりも細い糸で丁寧に編み込まれ、光沢のある銀色の輝きを放つものの、鉱物か植物かわからない不思議な銀色の縄だった。
「…………っ…………」
「あー、口も外してくれないかって? ごめんごめん。そんな奇怪な体をしているから噛みつかれると怖いし我慢してね!」
それは、両手足は雁字搦めに縛られ、口にも巻かれ、指一本まともに動かせなくなったガンスロット=キノサキの成れの果てだった。
「…………!」
「なあにその眼光? もしかしてさっきまで撃ち抜いていた死霊族と全然違っていてびっくりした?」
「……! ……!!」
「そんなに睨まないでよ。僕が助けなきゃ君はそれだけじゃすまなかったんだよ」
しかし、縛られたというだけれ、決して無傷ではなかった。
ところどころ外装は剥がれ、穴を穿たれ、さらには片足を反対の方角へへし折られた姿は決して軽傷では済まされない傷だろう。
そしてそれは、青年からつけられた傷ではなく、ゆえにキノサキには暴れる理由がない。
「いくら強力な重火器があるからと言って一方向しか撃てないし、障害物もないし、半不死の死霊族が相手である以上、囲まれてタコ殴りで終わりだよ」
「!!!!! !!!!!」
「もっとも、ミニガンを360度ぶん回して乱射する姿は珍妙通りこして寒気がしたね。こいつを手なずけるとはあの子ったら恐ろしい子っ!」
「?????}
青年の言動に不思議な顔をするキノサキだが、お構いなしに独り言は続く。
「とりあえず、もうほんのちょっとだけ泳がせたけど、少し力の使い方を覚えてきたようだね。いや、なじんできたってところかな? まったく世話が焼けるなあ?」
「?? ??」
「なんでわかるかって? 監視者が教えてくれるからね、逐一」
そう言いつつも表情に少し不安の色を残して聖堂のほうを見つめる。
「とはいえ、これ以上放っておいたら大変なことになりそうだ。ちょっと、おせっかいを焼くことにしますか」
「????」
「どうしてそんなことするかって?」
しゃべれないキノサキの感情を察して、いち早く答えを出す青年。
「かわいい後輩には旅をさせろ。そして本気のピンチに先輩が助太刀するってね?」
そういうと、先ほどの陰鬱な雰囲気はどこ吹く風か、どこかから取り出したフードを被ると。
「ニャニャーン、じゃあ行くかっ!」
銀の縄をもって歩みだした。
「ニャ、君はややこしくなりそうだからそこにいて!」
「!?」
キノサキを置いて。
2
大きな棺の蓋が内側から押し出されていきます。
私も、背中のお母様も全く動けません。
『きみが、ナナハさんの言っていた娘?』
棺の蓋がひとりでに横に動き、やがて棺から床に落ちてしまいました
そして……棺の中から小さい影が姿を現しました。
『不思議……いったいいつ以来のお客さんかな』
「あなたが……聖者様?」
小さい女の子でした。
髪が腰元ぐらいに長く肌と同じく真っ白で、小学生ぐらいに体が小さくて幼い表情をしています。
まるできれいに整えられたお人形みたいです。
それなのに……なんだか不気味に感じられるのはおかしいのでしょうか。
『そう。あなたの疑問に答えるなら私が死霊族のいう聖者様よ』
ですが、間違いはなかったようです。
この人がアナスタシャさんが言っていた聖者様のようです。
とても偉い人なのかと思ったのですが想像とは違いました。
その人はとてもゆっくりした動きで私たちのところへ歩いていきます。
『ねえ……そんなにお母さんを助けたいの?』
「はい! どうしても、お母様とお話したいことがあって聖者様にお願いをしに来ました!」
『ふふ、そうなんだ……』
聖者様は私たちを見てなにか笑みを浮かべてみています。
とても……とても怖い笑みです。目を背けることが怖くなります。
すると、聖者様がゆっくりと右手を私のほうに差し出して……
『あなたの体を私に頂戴』
「え?」
『あなたが私の力を受け入れて、内包してくれればあなたのお母さんを助けてあげる』
どういう、ことでしょうか?
聖者様が、私の体を欲している?
「体を……一体どういうことですか?」
『私は死霊族の世界を作り上げた心臓よ』
「心臓?」
『そう』
それは……族長とは違うのでしょうか?
ですが聖者様は先ほどまで棺に入っていました。まるで祀り上げられているように、
『この世界の始まり……月霊と星霊、各種族の始祖……その中で死霊族の始祖の私は、この場所で死んだ。そして私の死体を中心にしてとても大きな、死んだ者が死んだまま動いていける特別な聖域が生まれた』
「それが……死霊族さん?」
『そう……』
聖者様の死体が、死霊族さんを作り上げたのですか?
『でもね。特に意識してないのに、私の体から漏れ出た力が勝手にそういう力を与えただけ。だから死霊族は私のことを勝手に聖者様と呼んだの。その上、番人というものまで現れた。特に望んでもないのに、幻界で死んだ魂が勝手にこの世界に生まれ、そして死霊族になったの。もっとも、よっぽど嫌いな魂は、浄化させたんだけどねでも……』
「そうなのですか……」
聖者様が自分から望んで作り上げたものではないようです。
世界の始まりとか、よくわからない言葉がたくさん入っていましたが、聖者様がどれほどすごいのか漠然とわかりました。
本人はそれを不満そうにしていますが、それでもアナスタシャさんやフラッツさんのように慕っている人がいるのでやはりすごい人です。
『その中でナナハさんは……ひと際強い魂を持っていた』
「お母様が?」
『生前の未練……どうしてもあなたに会いたいという執念が、世界を、次元を超えて私のところまで聞こえたの。だから幻界まで呼び寄せたの』
「それならどうして……今になってこんなことをするのですか」
『あなたに、会いたかったから』
聖者様が欲しかったものが目の前に現れたように、目をキラキラと輝かせて私を見ています。
『私は退屈なの。望んでもいないのにこんな檻に閉じ込めて、勝手に聖者様と呼んで、何一つ何もしてもらえないのがとてもつまらないの。だから、私を外に連れて行ってほしい』
「それは……」
外に連れて行くということは、ここからいなくなるということでしょうか?
「それは、死霊族さんが生きられなくなるということですか?」
『別に全部外に出してほしいわけじゃない。それではあなたたちが持て余してしまうからね。ほんの一部分だけをあなたに持ち出してほしいの』
「一部分とは?」
『心臓よ』
「心臓……!?」
まさか臓器が出てくるとは思いませんでした。
それを受け取るのですか……
『私の心臓を、死霊術であなたの肉体に溶け込ませる。液体と液体が混ざり合うようにね。そうして私の一部をあなたの中に入れれば、あなたが外の世界で感じたことを私も体感できるの』
「そうなると……私はどうなるのですか?」
『大丈夫だよ。ナナハさんだって助ける。ただし、ほんの少し人間から離れることになるけどね』
「それは……」
それはどういうことなのか今一つはっきりしません。
ですが、もう一つだけはっきりしたいことがあります。
なぜ、私でしょうか?
「どうして、私が聖者様から力をお受け取りになるのですか?」
『それはね……あなたのココロをもう少しだけ感じたいの』
「私の、ですか?」
ココロと言ってましたけど、聖者様にはこの部屋にいてもそれがわかるということでしょうか。
聖者様はまるでおいしそうなお菓子を食べたようにうっとりとして言います。
『この聖域にはね、生者たちのココロが感じられるの数は少ないけどいろんなココロを感じた』
その直後にいやなことを思い出したのか苦い顔をして、
『あの野蛮な火蛇族たちはひどかったわ。破壊欲、支配欲、物欲、承認欲求。苦くてまずくて汚くて臭くて……だから雪一面の環境と、死霊族のみんなに協力して追い出してもらったわ。でもね……』
また、思い出すようにうっとりとした顔になります。
『ナナハさんは死霊族だけどすごいココロだったわ。特定の生物に対する恐怖と憎悪。そしてたった一つの肉親に対する愛情と執念。とっても強烈で、目を背けたいのに引き付けられて……だから浄化はしなかったの。そして……あなたたち生者が来た。信頼、不屈、そして何よりもあなたのお母様に会いたいという渇望……だからあなたに興味を持ったの』
「…………」
お母様が今こうして苦しんでいるのは私をこの部屋へ呼び寄せるため。
そして、聖者様は自分の一部を私に受け取ってほしいと言っている。
『それに、死霊族は聖域を離れれば自我を保てなくなる』
「え?」
聖域ってことは……この死霊族領のことですよね?
『ナナハさんはよく土精族の里に下りては困らせてはいたけど、私から離れたせいで正気でいられる時が短くてね。よくアナスタシャさんが連れ戻すのに苦労したの。だけど……私の体の一部と混ざったあなたがそばにいれば、たとえ聖域の外、どこであろうとナナハさんは生きていける。だからもう決めて。私を受け入れてナナハさんを助けるか、それともただの生者のまま別れを告げるのか』
「…………」
生者と死者は交わってはならない。
アナスタシャさんが言ってました。それはあってはならないことだって。
それでも……それでも……
私は、もう少しだけ………
「わかりました。お母様を……」
「……お断りするわ」
「!」
今、背中から声がしました。
そのあとに無理やり背中から降りて、一人で立ち上がります。
それは……
「お母様……」
『ナナハさん……まだ意識を保っているんだね。本当にすごい執着』
「どうでもいいことです。あなた、千代の体に入って何をするつもりですか?」
お母様が……まだ、動いていま。
今にも倒れそうなほど弱り切った様子で、なぜか聖者様を敵視しています。
「お母様、お体は大丈夫なのですか。無理は……」
「いいのよ千代。ただ、この状況を見過ごすことができないだけです」
『何もしないよ。ただ、この娘のココロをもう少しそばで見てみたいだけ』
聖者様は特に警戒する様子はありません。
ただ静かにお母様を見据えています。
『それに、あれだけ娘に会いたがっていたのに、今その好機を自分で捨てるの?』
「その私を体から引きはがしたのはあなたではありませんか? 千代を利用するために」
『否定はしないよ。だって、それだけで終わらせたらまたつまらない日々に戻るじゃない』
聖者様が私に会うためにわざとお母様を殺そうとした?
確かにあの場で何事もなければそれだけで終わります。やり方は乱暴ですし、策にはめられたようです。
ですが、お母様を助けるには聖者様にお願いするしかないのも事実です。
それなのに……
「どうしてですか、お母様! 聖者様のお願いを聞けば私も、お母様も一緒にいられます。お話だってまだいっぱいできますのに!」
「もう、そんな必要は……ありません」
「え?」
その必要はない?
どういうことですか?
困惑する私にかまわずお母様が続けます。
「私にとって千代は……娘は……生きる希望でした」
希望……
確かにあの頃の私はお母様しか知りませんでした。
「男に汚され、家族に見捨てられ、何もかもなくした私にとってこの子だけが私のたった一つの光でした。だからこそ……私のようになってほしくはありません」
「そんなことありません。お母様の一体何が悪いのですか? 諦めたことを言わないでください」
「いいえ、千代……私にはあなたしかいませんでした。だから、あなたもあたしだけいれば、それだけでいいとずっとそう思っていました。ですか…………」
お母様の目がまっすぐ私に向けられています。
なにもかも諦めたような、そんな色をしています。
「もう、私の知っている千代はここにいないのですね。私と違って、一人で考え、戦って、その上あなたにはもう頼れる人たちがいるのですね」
「お母様、違います」
「私は……もう醜くなった私には何もありません。それなのに私のためにあなたが自身を汚すことを私は……!」
「違います! そんなことありません!」
私は、お母様が思っているほど強くはありません!
お母様を置いて先に行くことなんてできません!
そんな、自分がもう手遅れのように、諦めないでください!
「私は……私はただ、ずっと探していました。零ちゃんがいて、青江さんがいて、ラネットさんや昼江さん、友達がいっぱいいて……でも、やっぱりお母様のことを忘れられるわけがありません!」
「千代……」
「ずっと、探していました。本当は死んでなんかなくて。本当はいつか会えるって。ずっと信じていたんです。だから……」
もう、いやです。
訳が分からないまま、目の前でいなくなってほしくはありません。
「だから……もういなくならないでください。お母様!!」
「千代……」
お願い、します……!
もうこれ以上失いたくありません。なにも、失いたくは……
「千代。ありがとう……私は……あなたの……あなたのお母様で幸せでした……」
「お母様……」
「だからもう、お別れよ」
「…………?」
お別れ……?
どうして…………
「聖者様。私はもう十分です。早く浄化なりなんなり好きにしなさい」
『つまり、私のお願いは聞かずもうお別れでいいってこと』
「はい」
「いけません、お母様!」
いやです。そんなの嫌です!
行かないでください! 私の前から、いなくならないで…………!
「まったく、母娘そろって頑固者だな」
「え?」
今の声は……
「いっただろ千代。俺も千代の母親と話したいことがあるし、お前ら母娘の邪魔もさせない。だから……」
『ほう……来たか』
お母様も、聖者様も、後ろの扉のほうへ意識を向けています。
その向こうから聞こえる声は……間違いありません。
「俺も混ぜろ」
「零ちゃん……!」
零ちゃんが扉を開けて中に……
「申し訳ありません。聖者様」
「え……?」
アナスタシャさんも、入って来ました?
どうして……




