捌弐話 攻撃は恐れからくるもの
さてと、千代とラネットが千代の母親のところへいった以上、俺達はどうしようか。
千代を大事なところまで送り届けた……はずだ。千代のわがままで、この先は二人で行くんだ。ついてはいけない。
とはいえここは敵地であることに違いはない。何をしないわけにもう行かないんだよな。
さて、どうしようか?
「ヒャッハー。とにかく、どこかに隠れているか?」
「そうね、私たちが先に黒千代ちゃんのお母さんに会っても仕方がないし、死霊族だって安全とは言い切れないしね」
「ヒャッハー! そういうと悪いことが当たりそうだけどな」
「縁起でも悪いことを言うな」
とはいっても、向こうへ行った千代やラネットが絶対に安全とは限らない。せめてすぐに駆け付けられるようにはしたいんだが……
「もういっそのこと白髪ねぎが女装してクロチーについていけばいいじゃん。要は男だと知られなければいいだろ」
「なんでだよ。意味不明なことを言うな」
「ヒャッハー? いいアイデアだと思うけどな」
「だいたい、女装もなにも服がないだろうが」
「ヒャッハー! 大丈夫。お昼ちゃんから借りれば万事解決!」
「なんでだよ! 昼江の問題が増えるんだけど!?」
「えー? まあ、白零君がまんざらじゃないなら、あたしはかまわないけど?」
「こら! お前らくだらないこと言ってるんじゃない」
ここに来てなんでこいつら気分が緩んでいるんだよ……
「まったくだ、愚かにもほどがある。わざわざ谷底に向かって足を進めるなんてな」
「!」
誰だ?
ふいに声をかけられて、俺達が振り向いた。
そこには、全身にうろこを持ち、赤とも青ともつかない大理石模様の人型がそこにいた。
この人は確か、千代の母親を死霊族に連れ戻した……
「アナスタ……ええと…………」
「アナスターシャよ。一応、死霊族でこの聖堂に住んでいる」
そうだ。千代の母親はそう呼んでいたんだ。
しかし、外で見た死霊族って体を奪い合ってちぐはぐな形になっていたけど、この人はどこか不思議な感じがする。
なんというか、混ざり込んでいるけど溶け込んではいないこう……不均一な感じの……
いや、そんなことはどうでもいい。この人は今なんて言ったんだ。
「昼江、ヘルメス。気を付けろ」
「言われなくても、わかっているよ」
「ヒャッハー、まあ当然だな」
あのやる気のなさそうなフラッツという死霊族はとにかく、この人はまだいろいろと読めない。
敵対してもおかしくはないが、いったいどう出るのか……
そう思ってはいるが、向こうは特に身構えたりはせず、あくまでも冷静だ。
「そんなに警戒する必要はない。少なくとも私は進んでする必要はない」
「え?」
「しかし、あなたが死霊族の領内に入ってきたなんて……どうしてこう、ナナハの思い通りになるのかしら」
「!」
死霊族の女は、まるでこれから起きることをわかっていて、憐れむように俺達を見ている。
なんだ……何かをする気……いや、何かが起こるのをわかっているのか?
嫌な予感が……する!
「せめて、外の雑魚たちに吸い尽くされた方が、まだ幸せな死に方だったのに、な」
「白零君! 伏せて!」
「!?」
夜、まさか!
ピシュン!
「なっ!?」
「ヒャッハー!」
今のは、音が抑えられていたけど、発砲音……!?
それに、俺がとっさに伏せたら、頭の上に何かが通って……
「ヒャッハー! 白髪ねぎ! 右後ろの柱の影だ!」
「誰だ!」
って、誰だじゃないだろ!
こんなことする人なんて、一人だけで十分だ……!
「殺したと、思ったはずでしたが……そちらの娘さんはなかなか鋭い観察眼をお持ちのようで……」
だけど、何でここにいるんだ!
千代の母親!
「どういうことだ。千代は、あんたに会いに行くって、この扉の中に入って……」
「当然、お迎えに参ります。愛しい娘ですから。ですがその前に……」
消音機が付いた銃口を、俺の顔に躊躇なく向ける。
「私から千代を奪い取るあなたがたを、殺めなければなりません」
「なんで、だよ……!」
いや、母親が男というだけで俺を憎んでいるのはわかっていた。
けどな……!
「愚かだけど、あなたはそれをわかってここにきたじゃないか?」
「そうだとしても……ここまで…………!」
実の娘よりも、俺らの方を優先するのか……!
この人は、どれほど俺達のことを……
「あなたたちは、私から千代を奪う。たった一人の愛しい娘を、あなたが奪ったのです。これ以上あの子が汚されていくなど、私には耐えきれません」
「…………」
なんて目を、しているんだ。
俺のことなんかまったく見ていない。俺のことを、男というフィルター越しでしか見ていない。
違う。
これは憎しみだけで片付けられる話じゃない。
これは……
「あきらめろ人間。ナナハはずっとこうだ。この世界に迷い込んでからずっとこのまま生きてきたんだ」
戦慄する横で、どうしようもないように死霊族の女性がため息をついている。
何も知らない俺達を非難するように。
「貴様にはわからないだろ。たった一人にしか縋れない人間が、その唯一を奪われている事実に耐えられないことを」
「…………」
そうか……そうなんだな。まったく、考えればわかることだろ。
この人は結局、千代が自分から離れて俺のところにいるのが許せないんだな。
だったら…………
「よ……昼江。鉈を二本貸せ」
「白零君?」
「悪いようには使わない。頼む」
夜は疑わしく俺を見るも、すぐに察したのかそれ以上余計なことは訊かず、静かに鉈を投げ渡してくれた。
いや、投げるんじゃないよ。受け取るけど。
「ありがとう。それと、この人の狙いが俺だが、流れ弾が当たったら困る。ヘルメスと一緒に離れていろ」
「白零君は、どうするつもりなの」
「俺のやることは最初から決まっている。けど、絶対に手出しはするな」
「……わかったわ白零君。好きにしてちょうだい」
「ヒャッハー? それでいいの」
「いいの、行くよ」
俺の言葉に静かにうなずいた夜は、ヘルメスと一緒にこの場から離れ、念のために柱の陰に隠れていった。まったく、あいつは話が早くて助かる。それに、千代の母親も俺だけを見ていて、昼江を殺す気がないのは幸運だ。
後は俺の、やり方次第。
「戯け者ですね。そんな刃物で私を殺すつもりですか?」
「そういうあんたはもう俺を殺そうと、もう引き金に指をかけているじゃないか」
「男など、それも人殺しの物を握った手で、私の娘に触れていたなんて考えると……」
千代の母親の言葉から、熱が失っていく。
そこから先の言葉は続かなかった。
またも、躊躇なく俺の額に向けて銃口から音と弾が飛び出てきたのだ。
2
「これは……どういうことですか! どうしてこんなことに……!」
「ごめんなさい。君たちをはめたかったわけじゃないけど、ナナハさん本当におっかないから……」
……一歩も、動けません。
扉を抜けた先に、お母様はいませんでした。その代わり、体は人なのになぜか動物の犬みたいな顔の人がいました。
その人に、いきなり見えない壁みたいなものを出され、閉じ込められてしまい……
「あと、ここから先は一応聖者様のところだから、番人としても通させるわけにはいかないので」
「ど、どういうことですか……フラッツさんは嘘をついていたと……」
お母様は、この先にいないというのですか?
それじゃあどうしてフラッツさんはあんなことを……
「いいえ、さっきまでナナハさんがこの部屋にいたのは間違いないよ。けど、ナナハさんがこんな行動に出たのはついさっきで、ナナハさんの考えに気づいたのもついさっき。フラッツさんだけは知らないまま、案内しちゃったんだね。本当に驚いたよ。いくら実の娘が母親に会いたがるからって、こんな死霊族の領内を通るんだから……」
目の前の犬の人が、気まずそうに目を逸らしています。進んでやりたかったことではないようですが……
犬の人が沈黙が嫌なようで、なんとか話そうとしています。
「え、えっと……それと紹介し忘れたね。僕はフラッツさんやアナスさんと同じ番人の一人、サシャだよ。よろしくね。まあ、この状況で、よろしくも何もないけど……」
「それではお母様は……いまどこに…………」
お母様はこの先にはいないと、この人は仰っていました。
ということは……
「それは……あー、聞かない方がいいと思うんだけど……」
「…………まさか!?」
零ちゃんが……危ない!
「ここから出してください! 今すぐお母様のもとへ行かなくては!」
「え! いやいやだめだよ! もし巻き込まれて君が怪我したらそれこそナナハさんに殺される! …………まあ、死霊族だから死なないけど」
「零ちゃんは、お母様を傷つけるつもりはありません! ただ、私がどうしてもお母様とお話がしたくて、死霊族さんのところに来てもお話がしたくて……それなのに、零ちゃんは嫌な顔もしないでそんなわがままに一緒についてきてくれただけで……」
「あー、言いたいことはわかる。それは多分ナナハさんも薄々わかってはいると思うんだけど……いや、わかっているのだろうか?」
それでも犬の人は目を伏せていても、私たちを出してはくれません。
「でも、ナナハさんにとってたぶん、目的とか主義とか、君が望んだとか、男の人が無害だとか全部どうでもいいんじゃないかな? ただ、君という娘がいればそれでよくて、それ以外はどうでもいいから消してしまうだけなんだから……」
「そんな……」
どうしよう……お母様がただおとなしく待ってくれるなんて、どうして思ったのでしょうか。
お母様が、真っ先に零ちゃんを殺そうとするなんて……それほど男の人を憎んでいたなんて……
どうして私は、それをわかっては……
「いいわクロチヨ。こんなのに頼る必要なんてないわ」
「え……?」
ラネットさん?
「勝手に上がり込んだのは私たち。暖かく迎え入れてほしいなんて考えてはいないけど……それでも、こんな騙す形でハクレイ達を傷つけるつもりなら、私にも考えはあるわ」
なんでしょうか。ラネットさんの周りの空気が急に……
「こんなの? あの、君さっきから黙っているけど、できれば余計なことをしないでくれると僕としては嬉しいんだけど……」
「じゃあ、あんたから、クロチヨの母親をここに呼んできてもらえる?」
「いや、それは無理!」
お母様……この人のことも、男として嫌悪しているのですね。
「わかったわ。まったく、さっそく用意した保険を使うことになるなんてね」
「え?」
「は? 君は何を……」
「ちょっと身構えて……伏せなさい!」
「!」
何が来るかはわかりません。でも、ラネットさんがやることはわかります。
私はすぐにラネットさんの言うように体を伏せて……
「え、何をする気なの? まさか……!」
「【暴風千剣】!」
「きゃ……!」
ラネットさんの周りにすごい風が起きています!
台風みたいに激しい風が、目の前の壁を意図的に殴るようにぶつかっています!
それなのに刃物みたいな鋭い音が聞こえてきて。
スパッ! ズパッ!!
「やめろ! この結界は何日も寝ないで作った僕の努力の結晶で!」
「知らないよそんなもの!」
ズバババババババッババババッバババッ!!
すごい……
壁が、みじん切りのように次々と線が入っていて……
そして………!
「こんなところで、こんな大技使うのはさすがに厳しかったけどね……」
「んにゃああああああああああああああああああああああああああッッ!? ぼ、僕の結界をそんなあっさりと……!」
壁が……細切れに壊れて、吹き飛んだようになくなりました。
嘘のように、私たちを遮るものが何もありません。
ラネットさん……すごいです。
「ひどいよ……これじゃあまたナナハさんに怒られる……銃で痛いことされる……!」
「クロチヨ! 今のうちにさっきのところへ戻って!」
「は、はい!」
ラネットさんを残すのは心配ですけど、もう私はすでにさっきのところに戻ろうとしました。
もし、この犬の人の言うようにお母様が零ちゃんのところにいるのなら……
そんなこと、させられません!
「いかないでよ。僕に怖いことさせないで……!」
零ちゃん、お母様、お願い!
争うことだけはやめ―――
「【恐怖感染】」
「ひぃっ!?」
い……あ、れ……?
「どうしたのクロチヨ! 早く行って!」
「あ……え…………?」
『千代、待って……』
お母様の、声……?
ど、どうして……あ、足が……体が……動かない…………!
「怖いことをするのは止めて。君だって、ナナハさんがどれほど怖いかわかっているじゃないか?」
「クロチヨ、どうしたの! クロチヨ!!」
『かわいい千代……いかないで…………』
「ま、待ってください……!」
い、行かなくては……ならないのに……!
足がすくんで……!
「あんた、クロチヨに何をしたの?」
「そんなの、元々ある“恐怖”を極端に増幅させただけだよ」
「恐怖……!?」
お母様の声が……頭から離れません。
『千代、お願い。邪魔しないで……』
やめて、ください!
「君は、ナナハさんのこととても怖がっているね。いくら理性で抑えても、やっぱり怖いものは怖いから……行きたがらないんだよ……」
「そんな……クロチヨ!」
『千代……』
『もう大丈夫よ、千代。これからはずっと私がそばにいます』
『だから千代。邪魔をしないで。あなたを汚す者たちを、祓わなければなりません』
『それを邪魔するなら、例え千代でも許しません』
行きたく、ない……!
お母様のところに、行きたくない………!
「生き物が恐怖を抱くのは、全部“死”に帰結するから」
『千代、お願い。私を一人にしないで』
「痛みや病は生物としての死に、嫌われたり怒られたりするのは孤独による精神の死に、生きているから恐怖は存在するんだよ」
『もうこれ以上私から大切なものを奪わないで』
「この子の場合はね、たぶん母親に傷つけられること、母親が傷つくことが怖いんだ。母親を自分の身のように思っているから……母親がなんらかの死に近づくのが怖いからなんだ」
『ずっとここにいて……』
「やめて、ください…………!」
「怯えているね。君に付き合っている人は、いまひどい目に遭っている。だから君に対しても恨んでいるんじゃないかな?」
「ひっ……!」
やめて……
「やめなさい! こんな真似するなら許さないよ!」
「ナナハさんに比べたら、君なんかこわくないよ」
「この……!」
『千代。いい子よ。そのままじっとしてて』
『大丈夫、何も怖いことはない。ほんの少しで終わることよ』
『これが終わったら、もうあなたが怯えるものはなにもない。ずっと一緒よ』
もう、私は……
「クロチヨ!」
パァン!!
「っ!?」
え、あ……?
「どう、落ち着いた?」
今のは、猫だましでしょうか……?
いきなりでしたのでびっくりして……
「しっかりして! あんたは、母親を、ハクレイを護るんでしょ!」
「え…………」
零、ちゃん……
「ハクレイだって馬鹿じゃないわ! こんな危ないところにきて、何の問題もなく物事が終わるだなんて考えていないわ! それでもね、あいつはクロチヨの気持ちを分かったうえで、一緒についてきたのよ! そんなあいつが、クロチヨの母親に簡単に殺されるわけないし、今更クロチヨに対して怒ったりなんかしない!」
ラネットさん……
「でもね、クロチヨ! こんなかなりまずい状況で、ハクレイのことを護れるのはあんたしかいないのよ!」
「零、ちゃん……!」
なにを、していたのでしょうか。
どうして、お母様のことを私は怖がっていたのですか。
私は、お母様とお話をするためにここに来たのです。だから、零ちゃんがあぶないとわかっていて、でも零ちゃんがついてくるって、だからここまで来て……
それなのに、どうしてお母様を怖がらなければならないのですか!
「クロチヨのお母さんがどれくらい怖いか知らないけど、どんなことがあってもあんたは私が護るから! あんたはハクレイのこと、護りに行って!」
「…………はい!」
怖がっている暇はありません。
すぐに、零ちゃんを助けに行って……
「待っててください……」
お母様に、ちゃんとお話をしに行きます!
3
さてと、最初からこんなことになるなんてね。
クロチヨのお母さんって思った以上にアグレッシブね。
「うそ……でしょ…………」
正直、私もクロチヨと一緒に行きたいところだけど、むしろあの母親の前に逆に足を引っ張ったら困るし、
それに、なんとなくだけどこの死霊族、ほったらかしにしちゃいけないって、そう感じるわ。とはいっても……
「全く、火蛇族以上に戦い慣れた犬人族の死霊族が、ずいぶん臆病になっているじゃない」
「待って待って待って! ちょっと待って! なんで! あの娘、そんな簡単に恐怖を克服できるものなの!?」
「そんなわけないでしょ」
そう簡単に克服出来たら、誰だって苦労はしないわ。
「クロチヨがどれくらい母親のこと恐がっているかは知らないけどね……」
けど、それよりもずっとずっと怖いことを、私もクロチヨも、経験したことがあるわ。
「仲間が、大事な人がいなくなる怖さくらい、あの子も私も知っているのよ!」
「……そ、そんなよくわからない理論で、僕の【恐怖感染】を?」
仲間が死ぬのは怖い。
同じ調査班のみんながあの殺し屋のせいでいなくなったことも、
あたしたちをかばって本当に死にそうになったあいつのことも、
だから、仲間がいなくなる恐怖を、私もあの子も……あいつだって知っているわ。
それに……
母親を大切に思っているから怖いってのは私にもわかる。
けどね、あの子にとってハクレイのこともそれ以上に大切だってことよ。
だから火蛇族の里にだって行くし、今だってその母親の所に行こうとしているのよ。
「い、嫌だ……またナナハさんに怒られる……銃で痛いことされる……!」
「……あんたって、死霊族のくせに怖がりなのね」
「当たり前じゃないか! 死霊族だって生きているんだよ!」
死霊族も、生きている?
「死霊族でもね、痛みを感じることもあるし、苦痛だってあるんだよ。いくら死なないからって、そんなの肉体的に死なないってだけじゃないか…………」
「…………」
さて、ここから私にできることは、一つしかないわね。
「念のために聞くけど、私のことも見逃してくれない?」
「そんなの、ダメに決まってるじゃないか……僕は君のこと、許さないよ……!」
そううまくはいかないか……
せめて時間稼ぎぐらいにはなれるといいんだけどね……!
4
痛い……
まったく、銃を体に受けるなんていつ以来だ?
たしか、千代の銃が間違って暴発したことが最後だったな。大したケガじゃないけど、大人げなく、ジャージが破れてしまったことに怒っていたな……
「……アナスタシャさん。これは一体どういうことでしょう」
……痛いな。
右腿の外側が、左わき腹の皮膚が、耳元が、右肩が、とても熱いし、痛い。
それなのに、不思議と頭が静かだ。くだらないことを思い出してしまうほどだ。
「なぜ、私が銃を向けたのにも関わらず、体を撃ち抜かれていたのにも関わらず……」
声に、震えみたいなものがある。
少しずつだけど、銃口に迷いが見え始めている。
「……貴方は、私に手を出さないのですか」
千代の母親が拳銃をこちらに向ける。
俺はすぐに射線から外れるように横へ跳ぶ!
「それとも、いつでも私を殺せるという自信のあらわれですか?」
発砲の後、まったくブレずに銃口を避けたこちらに向けてくる!
この体勢じゃ避けきれない。
集中して向こうの指先をよく見て……
夜から借りた鉈を、銃口に合わせて構える!
キィン!
カァン!
「ぐ……っ!」
二発とも弾いたけど、二発目の弾かれた先が俺の左腕をかすめた!
まだまだうまくいかないな……!
「私を、侮るのもいい加減にしなさい。あなたは、そういう者ではないでしょう?」
弾が切れた銃を、千代の母親は交換せず、後ろの死霊族の女に渡している。そしてすぐに和服の袖口から新しい銃を出している。
その間に死霊族の女は中身を交換している。さっきいから直接手は下していないが、補助だけはしているようだ。
それにしても、弾の交換さえ隙を見せる気がまったくないな。
「……なぜですか」
「ん?」
千代の母親が、本当に理解できないように俺を見ている。
なんというか、疑問の抱き方というか、こう素直に聞いてくるあたり、千代に通じるものがあるな。
「なぜ、今も隙を出している私を、あなたは攻撃しないのですか」
「…………」
早く殺せばいいはずなのに、向こうはコミュニケーションを図っている。
少し変化しているかもしれない。そう思いながらも俺は思うままに答える。
「できるわけないだろ」
さっきからこの人は、俺に対して憎しみを向けているような言動をしている。
それなのに、銃を向けるこの人にはまるで、悲しんでいるように見えてならない。
嫌なものを、恐れているものを、早くいなくなってほしいみたいだ……
「確かに銃を向けられてるし、話は聞いてくれないし、殺意を隠そうともしないけど……」
あいつと約束したこともある。けど、それ以上にこの人に対して、どうしても怒りを抱けない。
だからだろうか。俺自身、この人に絶対に手出しすることができない。
「俺は死なない。たかが銃一本で俺の命を簡単に奪えると思ってるんじゃねえ」
とはいえ、これはかなり厳しい。
どこかの殺し屋みたいに刃物で弾丸を受け止めるなんて真似はできない。
せいぜい射線から外れて、ぎりぎり弾丸を弾けるように鉈を動かすぐらいしかできない。
けど、それだけでいい。
「……なにを言っているのですか。攻撃もなく、ただ避けるばかり。それだけで自分は死なないと思っているのですか」
「そりゃそうだ。だって、それだけであいつは必ず来てくれると信じているからな」
「あいつ?」
あいつ、と言っただけで母親は誰のことかわかったようだ。
それだけで、表情に怒りが浮かんでくるのが分かる。
「……貴方が、あの子の何が分かるというのですか! あの子は、あなたが思うほど強いわけではないのですよ!」
トリガーに、指がかからない。
けど、ここに来て初めて、千代の母親に明確な怒りが見えてくる。
「頼るものもなく、私一人だけであの子を育てていたからわかる。あの子は、私がそばにいなければなにもできない子なのよ! 少しでも私が離れれば泣くし、そばにいなければ何をすればいいのかもわからない! 私の言葉を素直に聞くいい子だったけど、逆に私がいなければ何もできない子だったわ! いくらできることを教えて、身を守る力を与えても、私がいなければあの子は生きていけないのよ!」
「…………」
この人は……怖いんだ。
男が、じゃない。男にまた大切な存在を奪われるのが怖いんだ。
男を憎み続けていたわけじゃない。ずっと求めていた大切な存在を、自分を苦しめていた男にまた奪われることを恐れているんだ。
だから、大切な娘を取り戻す前に、奪われそうになる恐怖を取り除くんだ。
「あの子は、なにもかも信じすぎる! 私がいなくなれば、綺麗なままであり続けることなどできない!
いつか、あの子の無垢さに付け込んで醜い男に汚されるのよ! 一人では何もできないあの子がこれ以上汚されるのは……!」
「……いい加減にしろよ!」
「!」
けど、いい加減聞いてきてイライラしてきた。
こんなにも誰かを信用しないことになった経緯を、俺は知らないし、責められるいわれはないだろう。
でも……
「お前こそ、いい加減本当のあいつを見ろっていてるんだ!」
「なに?」
なんでこの人は、母親なのにたった一つの大事な娘の言葉を聞いてくれないんだ。
どうして、昔の姿しか見ていないんだ!
「なにが男に汚されるだ! なにが一人ではなにもできないだ! 確かに、母親と一緒だったころのあいつのことは知らないけどな、四年も前から付き合っていれば、いろいろとわかることはあるんだ!」
初めは、依存だったかもしれない。
母親という支えを失って、からっぽで何もなくなった自分が新しく縋る相手に、俺を選んだかもしれない。
あの頃のあいつはいつも、俺を理由に、俺を基準に、そうやって生きようとしたんだ。だけどな!
「あんたにわかるのか! たとえ、他人が理由だったとしても、用心棒になるために体を鍛えて、覚えられるものを覚えて、ずっと前へ行こうとした俺をあいつは必死についてきたんだぞ! 俺と同じ用心棒になっても、それは同じだ! 命がけで、痛いことや苦しいことが待っても、俺と一緒だから行こうとしていたんだ! 用心棒としての俺の理想を、あいつは笑うことも馬鹿にすることもなく、一緒についていこうとしたんだ! ついていこうとするためでも、あいつは必死に努力していたんだ!」
あいつは、この幻界に来ても、一言も不安になったり泣き言を言ったりしなかった。あいつは怖いくらい俺のことを信用していたからだ、その俺がたとえ不安になっていても、あいつは崩れることなく支えてくれた。
いや、それだけじゃない。
「一時期、俺と離れ離れになってもあいつはやることはやったんだ! 子どもを守るために殺し屋と戦った! 俺の馬鹿な無茶に付き合おうとした! 危険を覚悟して俺を探して敵地に入り込もうとしたことだってあった!」
段々だけど、あいつの中にも何かが変わっているんだってわかるんだ。
少なくとも、最初のような不安なんて今はどこにもない。
「そして、死んでいたと思っていた母親がここにいるの分かったあいつは、すぐにでもあんたに会いに行こうとしたんだぞ! どんなところかもわからない! しかも俺と争うことを嫌って、俺を置いて一人でも行こうとしたんだぞ! 確かに自分の身の危険を考えないばかげたことかもしれないけどな、それでもあんたに会いたい一心で、無茶を覚悟してここまで来たんだぞ!」
ある意味、この世界に来てよかったんじゃないかと思える。
この世界で出会ったことが、起きたことが、あいつをここまで強くしてくれたって、
困難を乗り越えようと、強くなったって!
「そんなあいつの、いったい何が弱いんだ! 危険に立ち向かって、弱い人間を護って、たとえ元々敵でも心配だってする、そんな優しくて意志の強いあいつを、どうして弱いって言えるんだ!」
「…………!?」
い、たたた……怪我しているのに叫びすぎた……!
けど、どうしてもわかってほしいんだ。この人に見てほしいんだ。
今のあいつは、可憐で華奢だろうと、決して弱くはない……
「お母様!」
「やっと来たか!」
頼りになる、相棒だって!
「千代! 俺は無事だ! 俺のことは気にしないでさっさと母親と積もる話でも……」
「お母様! 扉を開けてください! お母様!!」
「なに!?」
扉が、開かないのか……!?
用意周到だな、畜生!
「千代、それ以上こちらに踏み込むことは許しません。すべてが終わり次第、迎えに参ります。それまでは静かに待っているよう……」
「嫌です!」
「!?」
千代の母親が、動揺している。
あそこまではっきりと拒絶したことを言う千代は、俺もなかなか聞かない。実の母親ならなおさらだろ。
「お母様、お願いします。どうか、お話だけでもさせてください! 私も、零ちゃんも、お母様を傷つけるつもりなど全くありません! 私は、どうしても……お母様とお話ししたいことがあります!」
千代……
ここまで強い意志を、あいつは持っている。
母親が恐れるような、儚くて、頼りない存在じゃないんだ。
「千、代…………」
「ナナハ?」
母親が、動揺している……!
ずっと俺を殺すことしかなかったのに、その母親がはっきりと動揺を見せている!
「やっぱりすごいな、千代……!」
「だからお願いです、お母様! 零ちゃんを……零ちゃんを殺さないでください!」
……とはいえ、かなりまずい状況だ。
視界に千代の母親を納めたまま、扉を凝らしてみると分かる。
扉には頑丈そうな鉄製の閂がある。こちら側にかかっている以上、向こうの千代がどうこうできないかもしれない。それに下手をしたらあいつ、自分も傷つく覚悟で爆弾で開けるかもしれない。それだけは避けなきゃならない!
けど、扉と俺を挟むように千代の母親がいる。どうにもならない!
「……千代、あなたはその零ちゃんという存在が、それほど大切なのですね。本当に、あなたは変わってしまわれたのですね」
けど、千代の母親はいま俺から視線を話さず、意識を扉に向けている。
ならば!
「ですが、あなたがそれほど叫ぶのは、失うと分かっているから恐れているのです。いつ裏切るかもわからない、そんな不確実なものにあなたがいてはなりません」
「お母様!」
視線は動かせない。そんなことしたらバレる。
だったら向こうはわかってくれると信じるほかない!
俺は息を思いっきり吸い込む。
「もう目の前で人がいなくなる恐れはありません。永劫、私とともに……!」
「昼江ぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええ!!」
「!?」
悪いけど、ここだけは頼らせてくれ。
千代に、あいつに……何もできないままにさせない!
「頼んだぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!」
「言われなくても。もう準備は終わっているよ!」
「ヒャッハー! 見逃してくれてどうも!」
「!?」
あ……
視線は千代の母親からそらさない。けど、音を聞けばわかる。
どこから助走したのか、とんでもない速さで駆けるヘルメスの座席で、夜が鉈を振り上げ……!
「こういう力仕事は、もうごめんだけどね!」
「まさか、やめ!」
千代の母親は線を俺から夜へ……
「やめろ! 俺から目を逸らすな!」
「!」
向かせはしない!
そのまま走るヘルメスが扉に近づき、夜の振り上げた鉈が下ろされる!
そして……
「ヒャッハー、急ブレーキ!」
鈍い音とともに、二つの金属が
一つは夜の鉈。もう一つは、扉を閉じていた閂の音だ。
よかった……
「はい、一つ貸しよ。白零君」
「そうだな。後は頼んだぞ、千代……」
「ああ…………!」
閂が破壊された扉が開く。
重々しく、ゆっくりと開かれた扉の向こうで……
「お母様が……」
頼れる相棒が、姿を現した。




