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漆漆話 愛も過ぎればなんというか……

『千代……』

『ねぇ……千代…………』


 いつものように、お母様は言います。


『千代。あなただけは……どうか綺麗なままでいて……』

『千代。男には近づかないで。絶対に心を許さないで』

『千代。あなたは私が護るから……』


 いつものように、大事なことを私に言い聞かせています。

 大事なことですから、そのために必要な銃器の使い方も教えてくれます。


『千代、お買い物にいくわよ』


 お母様は普段はとても優しいです。

 私を一人にしないように、外を出るときもずっと一緒に連れて行ってくれます。

 難しいことも、わからないことも、学ぶことも、全部お母様が教えてくれます。


 でも……

 ほかの人では当たり前な“お父様”のことを訊くと、お母様はとても怖い顔で怒ります。


『千代。あなたに父親なんていない!』

『父親なんて呼びたくない! “あの男”は……私を利用して家と名前を手に入れようとした! 逃げようとしても、汚い手を使って私を辱めた!』

『こんな醜い傷を残して……!』

『しかも、あなたを身ごもると、父は私を“殺して”家から追い出した!』

『許さない……許さない、許さない、許さない!』


 とてもたくさん、“お父様”と……血縁上ですが“お爺様”のことを怒ります。

 そうして、よくわからないことを叫んで部屋の中のものを壊してしまいます。

 私はそんなお母様が怖くなって、早く元に戻ってほしいと、お母様を抱きしめてずっとお母様を呼び続けます。

 そして……一緒に傷ついて、お母様がだんだん落ち着くと、


『千代……ごめんなさい……ごめんなさい…………』

『おねがい千代……あなただけは、そばにいて……』


 悲しそうに、そう言います。

 そんな日がずっと続いていました。

 でも、一回だけお母様がこんなことを言ってました。

 お母様が死んじゃう、ほんの少し前です。


『いい、千代……』

『もしも……もしも私が死んであなたの前からいなくなって一人になったときは……』


 たった一回ですけど、今でもはっきりと覚えています。


『あなたが綺麗なまま……死んでほしい』


 いつもお薬を飲んで、いつも銃器を撫でて、いつも恨み言を言って……

 それで……


『ごめんなさい、嘘よ。死んだら腐ってしまうから、やっぱり生きてほしい』


 いつも、いつも哀しそうなお母様でした。

 そして、とても寂しそうに泣いているようでした。

 だから……


『千代』

『千代……』

『千代…………』


 もし私から、お母様がいなくなったら……

 私も死んだら、喜んでくれるでしょうか?



          2



 お母様がまたいなくなって、少し時間が経ちました。

 あの後、私と零ちゃんは、ソフィさんのお家でお休みになりました。

 零ちゃんがソフィさんに事情を話した後、ソフィさんが「でしたら、私の家がそぐそばにありますよぉ~」と仰ってました。

 煉瓦で作られた質素なところで、二階部分を貸してもらっています。


 私がいるこの部屋は、私一人だけです。零ちゃんは別の部屋で休んでいますし、ソフィさんは報告したいことがあるようなので今はいません。

 外はほんのり明るいですけど、カーテンを閉めていて部屋は真っ暗です。

 空が見えない地下ですと、昼も夜もわかりませんが、土精族のーむさんはそれを感覚で分かっているらしいです。ソフィさん曰く、もう時間が夜らしく、私も零ちゃんもソフィさんのご厚意に甘えて一休みさせていただきましたが……


 もう、大丈夫です。

 この部屋に入って、ほんの少ししか座っていません。ですが、もうお暇は十分いただきました。

 銃はあります。防護和服もあります。もう、戸惑いはしません。

 お母様と、話がしたいです。会っていろんなことを話したいです。


 できれば……私一人で行きたいです。

 また会えたことには驚きましたが、やはりお母様はお母様のままです。

 もしまた会っても、お母様は零ちゃんにまた銃を向けてしまいます。


『千代。男は……』


 ……それだけは、いけません。

 どうしてもお母様は零ちゃんのことを許してはくれません。零ちゃんがどんな人でも、男であることには変わりません。

 それに……


『クロチー。そうそうこれだけは言っておきたいんだけど、結局の所お前って母親の考えに反したの? もうやってられねえって、そう不満を感じていたの?』


 キノサキさんに言われたことが、不意に思い出します。


 お母様への不満は……正直、まだわかりません。ですが、少し考えて思うところがあります。


 お母様がまだ生きていた、あの時。私はお母様の言葉に比べる“他”など知りませんでした。だから私はお母様の考えが正しいと、そう信じていました。


 でも、お母様の言葉に疑問を感じたのは、お母様が死んだその後のことです。

 お母様が仰っていた男という人に、疑問を感じ始めたから。

 孤独や不安が安らぐような、そんな気持ちをある男の人に感じたから、

 だから……


「待て、千代」

「あっ……」


 部屋から出ると、真っ先に声をかけられました。

 ……やっぱり、気づかれました。零ちゃんにはかないません。

 部屋から出たばかりではなく、廊下で待っていた様子ですから…… 


「お前にしては珍しいな。俺に内緒でこっそり外に出るなんて」

「零ちゃん……」

「そんなに思いつめた顔を見るのは久しぶりだな。気分転換するんなら付き合ってもいいけど……」


 話していることは軽い感じです。

 でも表情は……真剣なままです。


「お前……どこに行くつもりだ?」


 はっきりとそのまま聞いてきます。

 零ちゃんに……嘘はつけません。


「お母様に、会いに行きます」

「……一人ではだめだ。死霊族アンデッドなんてよくわからないところ、何が待っているのか知らないぞ」


 やっぱり……零ちゃんは簡単に許してくれません。

 わかっています。零ちゃんもお母様に対していろいろと思うことがあります。

 私のこともありますけど、土精族のーむさんを苦しめていたことも、紛れもない事実ですから、


「正直、あの人がお前のことを知ってしまった以上、何があっても追いかけるはずだ。俺の考えが正しければ、もう月の口に用はないだろうし、どこまでも千代を追いかけてくるだろう。だから、放っておいていいわけじゃないのはわかる。だから……」


 零ちゃんが少しだけ私に近づいてきます。

 私が逃げないためでしょうか、零ちゃんの顔がはっきりと見えます。


「俺も行く。お前ひとりで行かせはしない。死霊族アンデッドなんてまだわからないところに、一人で行っていいわけないだろ。だから……」

「だめ……そんなのだめだよ……」

「……え?」


 私ひとりじゃなきゃいけないのではありません。

 零ちゃんだから……ダメなんです。


「お母様は何が何でも零ちゃんを……ううん、男の人を許さないの。だから、お母様が零ちゃんをみたら、また零ちゃんを殺すつもりで銃を向けてしまうの。それは……嫌です」

「いや、だめだ。お前だけ行かせるわけにはいかない。確かにさっきのあの母親は問答無用で俺に撃ってくるし、お前の話を聞いてくれないことがあったけど、それでもお前ひとりで行っていいわけじゃない。お前だけなら安全だなんて理由はない」


 零ちゃんが言ってることは間違っていません。一人より二人で行くことがいいことはよくわかります。


「零ちゃんは、お母様の恐さを知らない。いくら零ちゃんでも、お母様に会わせることはできないよ……」

「……意固地になるんじゃないよ、お前らしくない。どうしてそこまでお前ひとりで行きたがるんだ」

 

 でも、どうしても零ちゃんとお母様を会わせるわけにはいかないのです。

 だから……


「……どうしても、どいてくれないんだね」

「どうしてだ千代。確かにお前の母親に銃を向けられたときはびっくりしたし撃たれかけたけど、別にそう簡単に死ぬつもりはないって……」

「そうじゃ……そうじゃないの!」

「!」


 零ちゃんが見たのは……お母様のほんの一部分です!


「お母様は……何より男の人を憎んでいるの! お父様のことを口にしただけでも部屋が一つ壊れるし、外出から帰ると、男の人を見たからと真っ先に口元を押さえてお手洗いに駆け付けるし、新聞で悪いことをした男の人の部分には銃で穴が開きますし……」

「おい。それもう病院で治療した方がいいんじゃないか?」

「そのせいで……お母様は死んじゃったかもしれないの!」

「…………」


 どうしてお母様が死んじゃったのか、いまでもはっきりとわかりません。

 でも……お母様が男の人を恨んでいるから……それが原因じゃないかと、思います。

 だから、零ちゃんも、そしてお母様も、会わせたくはないのです。


「……だから、お母様は絶対に零ちゃんを許さない。男って理由だけで零ちゃんに銃を向けるのは嫌なの……それに、零ちゃんがお母様を傷つけてしまうかもしれないって思うと……」

「千代……」

「お母様が苦しむのも、零ちゃんが苦しむのも、どっちも嫌だから……!」

「そうか…………それは、すまなかった」


 お母様が零ちゃんに銃の向けるのは、嫌です……

 でも、それで零ちゃんとお母様が傷つけあうことはもっと嫌だから……


「……じゃあ、約束するか?」

「約束?」

「千代が母親のところに行くまで俺も一緒についていく。最後に母親に会うのはお前だけだし、話が落ち着くまでは外で控える。もし千代の母親と会ってしまい、俺に銃を向けることがあっても、俺は絶対に反撃しない。まあ、防いだり避けたりはするかもしれないけど、絶対に手は出さない。いや……なんなら、この時だけは俺がお前の用心棒になる」

「え?」


 零ちゃんが……私の用心棒に?


「母親が話を聞いてくれないなら、話を聞いてくれるまでお前はしゃべり続けろ。もし向こうが強硬手段に出るつもりなら、俺がお前を護り続ける。手を出す必要はない。向こうが聞いてくれるまで、お前は言い続けろ」


 いいか、と零ちゃんが前置きをして言います。


「千代。子どもが母親に会いたいこと自体、なんにも悪くない。止める気なんかないし、周囲が反対してもその意思は尊重したい。けど……お前の母親について、お前にもわからないことがある。なんで死んだはずの母親がこの世界にいるのか、それに死霊族アンデッドと何の関係があるのか、まだ謎も残っている。だから……」


 零ちゃんが真剣に……でも少しだけ心配そうな顔で私を見ています。

 この顔は……いつも私のことを慮る時にする顔です。


「お前が母親のことを思っていることはわかるし、俺のことも大事にしていることはよくわかっている。でも、だからと言って一人で行かないでくれ。人のこと言えたもんじゃないけど、一人じゃ心配する」

「でも零ちゃん……何回も一人で無茶を……」

「頼む千代、それ以上は言わないでくれ。逆の立場になると、結構こたえるってわかったんだから」


 零ちゃんは気難しそうに少しだけ視線を逸らしています。

 でもすぐに私の方へ真っすぐ見て、


「とにかくだ。途中までは何が何でも一緒に行かせろ。母親のところまで送り迎えするだけでいい。あとはお前と母親で積もる話でも……」

「……零ちゃん?」


 いきなり静かになってどうしたのでしょうか……


「……千代、頼みがある」

「なに?」

「もし、お前の母親が落ち着いたら俺にもその人と話をさせてくれないか」

「え?」


 零ちゃんが、お母様に話したい事が……?


「もちろん、その母親が落ち着いた時でいい。俺もあの人にいろいろと話したいことがある

「零ちゃん、話って?」

「なにもさっきのことで文句を言うつもりじゃない。俺も、無関係じゃいられないことだからな」

「?」


 なんだか零ちゃん……気まずそうにして話しません。

 一回せき込みをすると、気持ちを切り替えていきます。


「そうなると、少々回り道だけどいろいろと準備する必要があるな」

「準備って?」

「決まってるだろ」


 零ちゃんはこちらへ振り向いて、何かを思い出しては震えるように言います。


「勝手に突っ走ったらまた誰かに怒られるってことだ」



          3



 ところ変わり、死霊族アンデッド領内、大きな聖堂の内部。

 時刻は夜。月の光は建物に届かず、代わりに橙色の火を灯した蝋燭が、明暗を曖昧に聖堂内を照らしている。

 その本堂からやや離れた地下室。扉についた格子の向こうには、蝋燭一本のみで照らされた部屋が見える。

 部屋にあるのは簡素な机と椅子とベッド。

 ベッド脇には大量に鈍色を放つ銃火器。

 そして、ベッドの上に、蹲る和服姿の女性が一人。

 蝋燭の明かりに照らされ、壁際に大きな人影が写る。


「ううぅ……千代…………千代…………っ!」


 彼女は、彼岸花の刺繍が施された黒い和服を肌蹴て、ひどく体中を掻き毟ってはうめき声をあげている。

 手の爪先には血が付着しており、さらには剥がれた皮膚の一部がこびりついている。

 そして、目に見える速度で消えて治る肌に、また新しく引っ掻き傷が残る。

 呼吸は乱れ、瞳孔は震え、歯がカチカチと音を鳴らす。


 己自信を傷つける行為を、彼女は躊躇わない。

 痛み以上に、行為なしでは抑えられぬほどの感情が彼女を支配しかねないからだ。


「男が……また男が……奪う…………!」


 呪いの言葉が放たれる。

 理屈も理由も条理もない。

 ただ記憶の、感情の底から燃え上がる、説明しがたい何かが沸き上がる。


「さんざん傷つけて……家を奪って……今度は娘まで…………!」


 肌蹴た和服の内側には、掻き毟られたばかりの傷だらけの肌が見える。

 その傷だらけにまぎれて刃物で切られたような古傷が指先に触れると、より一層彼女の内側から粘ついたものが湧き上がってくる。


「許しません……私から千代を、奪う……あの男が…………!」


 相手は、娘が“零ちゃん”と呼ぶ、あの真白く女々しい男。

 たとえ娘がどう騙されようと彼を許しはしない。

 奪い取られたなら、奪い返すだけだ。


「待っていて千代……必ず……必ず……」


 乱れていた呼吸が、静まる。

 震えていた瞳が、納まる

 掻き毟っていた指が、止まる。

 指先の血塗れも、体中に走る痛みも、傷の修復に伴うかゆみもすべて無視して。

 一切血に染まらない彼岸花の刺繍が入った黒い和服を着衣し、脇に積まれた銃火器と和傘をつかみ取る。


「私が、助けてあげるから……」


 彼女の顔に、もう粘ついた黒い感情は浮かび上がらない。

 今彼女にあるのは、最愛の娘に会える喜びとそこから救い出す使命感。

 そのことを思い、彼女は一つ笑みを浮かべた。

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