第1話(the heads)後編
「こんちは。灯路に聞いたらここだって言うから」
昨日の暴言を忘れたかのように、笑顔でそう言ったのはティアスだった。
彼女の後ろでは新島が苦笑いしてる。
いつものように、いつものスタバで愛里を待つ長い時間。誰か一緒にいれば喋ってるけど、一人の時は大抵譜面を読んでることが多い。
新島も、いつもというわけではないけれど、仲はよいのでここで話をすることもある。
「昨日の譜面、読んでくれてるんだね」
オレの手元を見て微笑む。思わず手で伏せてしまったが、もう遅い。
「……別に。ついでだよ。大体、あんた、何のつもりでこんなもの?」
いかんいかん。落ち着いて、冷静に喋ろうと思っているのだが……。口からどうしても暴言がっ……。
彼女一人ならまだ良いけど、新島が隣にいるってのがな。
「だって、すっごい真剣にこっちを見ててくれたじゃない、昨日。だから、好きなのかと思って」
席は4つ。彼女は極当たり前のようにオレの左隣に座った。……近いよ。
「ティアス、なんか飲む?ついでだから買ってくるけど」
「あ、ホットカフェミスト、ディカフェでトールね。よろしく☆」
愛里と同じのかよ。って、何でこんな小さなことに反応してんだオレは。乙女かよ。
大体、ここは愛里の席だし、愛里だってこんな近くには座んねーっつーの!向かいだよ、フツーは。
「何でディカフェ?」
あえて目をそらしながら話してるのに、彼女はオレとの距離をさらに縮め、でっかい目で下から覗き込むようにオレの顔を見つめた。
「いつもコーヒー飲み過ぎちゃうから。カフェインの摂取過多でしょ。日本はディカフェ少なくて困るんだ」
彼女の返事に、少しだけ困ってしまった。どうしても愛里と比べてしまう。
彼女はこんなにも愛里と違うのに、同じことばっかり言うのだ。
ここで焦ったら、みっともないだけだ。
「君と同じこと言った女がその内ここに来るよ。オレはその人待ってんだけど」
無理矢理笑顔を作って、覗き込む彼女と目を合わせた。
一瞬、彼女が目をそらしたのに、オレは満足した。
「ふーん。それって、昨日一緒にいた人?賢木先生と沢田先生がなんか言ってたなあ……。確か、佐藤さん?」
「そう。何、君も一緒に飲んでたの?うちの父と、賢木先生と」
「ううん。帰ったよ。灯路も一緒だったし、沢田先生も「今日中には帰る!」って叫んでたし」
そういえば、朝はしっかり帰ってきてて、シジミのみそ汁とか作ってたな。
「私は、あなたのことが知りたくて来たんだけど」
「……オレ?つまんないとか言ってたくせに」
「あなた自身は面白そうよ?灯路の話を聞いても、御浜の話を聞いても」
……なんか、不審な名前が出たな。
「ってか、何で昨日の今日で御浜と、オレの話なんかしてんだよ!」
「んー……メル友?今日のお昼くらいまでで、20通くらいしたかな?今日もこれから会う予定だし」
「何じゃそりゃ?!いつのまに?!」
「そんなこと言われても。御浜が会いたいって言うんだもん。私も別に御浜のこと、嫌いじゃないし。あの子は一緒にいると楽しそうだし」
いや、まあ、御浜はこの女のこと相当気に入ってたみたいだから、良いことだけどさ。
それにしても、意外と手が早いな、御浜……。今までそう言うことがなかったから、たんに奥手なのかと思ってたけど、対象がいなかっただけなのか。押しまくってんな。
しかし、20通は、普通会ったばかりなら退くと思うけど、この女も相当変わってるよな。
それとも、女の方もまんざらじゃないっつーことか?
うーん……相手が御浜だと思うと、なんか変な気分だ。
「御浜が、沢田くんのこと気にしてたから。仲いいんだなって思って」
「仲いいっつーか……まあ、隣にいても構わないってくらいだけど」
「そうなの?まあ、そんなもんなのかな。でも、御浜の話であなたに興味を持ったのは確かだよ」
「何言ったんだよ、あいつ……」
「沢田先生の息子さんだって聞いてびっくりしたけど」
新島が二人分のドリンクを持ってオレの向かいに座る。
ティアスがドリンクを受け取りながら、笑顔でお礼を言った。
「沢田の父さん、かっこいいよな。優しいお兄さんだけど、いざってとき頼れるって言うか、しっかりしてるって言うか。まあこんなでかい子供がいるから当たり前なんだけど、若いからかっこよく見えるっつーか。オヤジっぽさゼロだしな。ティアスもああいうの好みじゃんね?フケ専だし」
「灯路……フケ専て、言葉が悪すぎ!ちょっと年上の人のが好みなだけよ。沢田先生はかっこよかったけど、あの人がかっこいいのは、子供がいるからよ?」
「そうなの?……不倫願望?」
「だーかーら、そう言うのじゃないってば」
「知ってるって。ティアスはブラコンだから」
「だから!もうやめてよ、沢田くんの前で恥ずかしいし!」
なんか変な単語いっぱい出てきたし。
「フケ専なの?年下王子様系さわやか美少年(近所のおばさん談)は恋愛対象外?」
「は?沢田くん、何言ってんの?」
こころなしか、顔が赤い。
「いや、判んないなら良い。てか、うちの親父はぶっちゃけかなりモテルよ?」
「だから、そうじゃないって。聞いてた?」
やっぱり顔が赤い。
ちゃんと聞いてたって。親父をかっこいいとか、いい男とか言う女は結構いるけど、「子供がいるところが」って言ったのは多分初めてだ。ダシにされたことは数知れないけど。
「ブラコンなんだ?」
おっと、いかん。うっかり顔がにやけてしまう。なんか弱みを掴んだ気がするぞ。
「……違うもん」
なんだ。可愛いじゃん、この女。俯いて照れちゃって。拗ねてやんの。
「まあ、ここんちの兄ちゃん、苦労してるからな。年も離れてるし。性格は歪んでるけど、結構すごい男だよ。だから、ちょっと男選びの基準がずれちゃっただけだよな?」
「……やっぱ、ずれてるかな?あの人、相当よね」
「うん、相当だよ?」
新島は自分でまいた種を刈り取るように、さりげなくフォローに入った。
「あれ、ティアス!何でここにいるの?待ち合わせは……」
何故か店に現れた御浜は、そう言いながら、空いているオレの右隣の席に座り、携帯で時間を確認した。
別に御浜とも待ち合わせなんかしてないけど、コイツがいろんなことを突然行うのはいつものことだ。
「うん。まだ時間あるから。沢田くんの様子を見に来たの」
「そう。奇遇だね。俺もちょっと早く学校終わったから、テツの様子見に来たんだ」
何でだ……。
何でオレがお前らに様子を伺われなくちゃ行けないんだっつーの……。
「これ、昨日の楽譜?」
まったく、ティアスも御浜も、めざとい。手で隠してたのに。
そろそろ愛里が来るころだ。ついでだし、しまっておこう。
多分、愛里がこれを見たら、不機嫌な顔をするだろうから。
「……愛里が来るまで、時間があったからだよ」
「また、弾いてオレに聞かせてよ。それで、ティアスが一緒に歌えばいい。きっと、賢木先生の時よりすごくなるよ」
「お前ね、芸大の先生と比較して、何言ってんの?」
「なるよ」
そう言って、御浜は笑う。
新島は少し苦笑いしていたけど、誰も彼の言葉を否定はしなかった。茶化すことすら。
オレだけかな?御浜の言葉に力を感じているのは。
ティアス達の様子を見る限り、そうじゃないと思いたい。
「かもね」
「うへー、沢田、自信過剰」
何でオレだとそう言う話になるんだよ。
「そういやさ、佐藤さんて、いつ頃くるの?」
「さあ……今日は遅いほうかな?」
御浜に言われ、思わず携帯を見た。連絡はない。
まあ、酷いときは全く連絡なしで3時間くらい待たせるしな。
「ティアス、昨日メールした本さ、今から見に行こうか。ここ、上に本屋があるから。今日、夜は用事があるって言ってたろ?」
「うん。……灯路も……」
御浜と一緒に立ち上がるティアスが、新島に視線をくれる。
何だろ、どういうつもりなのかな、この女。
「後で行くわ。オレ、もうおっさんだから、ゆっくりさせてくれ。コーヒー残ってるし」
彼女はオレをちらっと見る。視線がぶつかったとき、思わず目を背けてしまった。
それは彼女も一緒で、もうオレを見ることなく、御浜の後ろについて行った。
「何だよ、御浜に気い使ってくれた?わざわざ」
「いや、オレ、邪魔かなー?と思ってさ。ティアスがついてこい、っつーから来たんだけど」
意外。あの女がついて来いっつったんだ。メールの話を聞いた後だから、変な感じだな。
新島は空のカップを弄びながら、オレの顔を見ずに話を続ける。
「てかさ、よく判んないけど、白神ってさっき気を遣ったよな?お前になのか、ティアスになのか知らないけど」
「ああ、愛里のこと?」
「そ、佐藤さんの性格じゃ、ティアスと合わないのは明白じゃん?昨日もかなり睨んでたし、そうでなくても怒らせてたし。佐藤さんほどじゃないけど、ティアスも性格きっついから、衝突すんの目に見えてるし。女同士はえぐいからな……」
確かに。そんな怖い状況に立たされるのは嫌だ。もしかしてその礼ってコト?
昨日も思ったけど、新島って、こういう所スゴイっつか、えらいっつか……。今まであんまり気にしてなかったけど。
「なんかさ、ティアスの保護者みたいだな」
時計仕掛けのオレンジのテーマが流れる。渋い着メロ。さすがにオレはその選択はしないな。
「わりい、ちょっと出させて。はいはい、なんすか、お兄さん?ティアスですか?いや、オレ、知らないなあ。うちの親とか連絡しました?……ああ、そりゃそうですよねえ。オレも聞いてないですもん」
そう言ったところで、新島は電話を切った。
明らかに相手が途中で切った、って感じだけど。
「……ついさっきまで目の前にいたじゃん、ティアス。相手誰よ?」
「ティアスの義理の兄ちゃん。まあた、うっさい上に自己チューなんだわこれが。電話も勝手に切るし」
「……兄貴かよ」
さっきさんざん二人でずれてるだの、歪んでるだの言ってた、あの兄貴ね。どんなヤツだろ。
「教えてやればいいじゃん。てか、家出?」
「似たようなもんだよ。居場所ばれるといけないから、うちの親とかにももちろん内緒。アイツ、めちゃくちゃだよ?」
メチャクチャっつーか、クソ度胸はありそうだけど。
「ベルギーにいたのに、わざわざ兄貴の元から出てきて、なんでこんな片田舎に」
「さあ、あんまり詳しく聞いてないから知らん。横浜に兄ちゃんのマンションがあるから、そこに行くって言って飛行機代だけ借りて日本に来て、東京から『ながら』でわざわざここまで来たからほとんど金なし。いきなり携帯にかかってきて、どうしようって言われてな」
「どうしようって言われて、どうしたんだ?お前んちの両親とか知らないんだろ?」
「ああ、それは何とかしてる。携帯も昨日持たせたし」
「……何とかって……。てか、何でそこまですんの?いくら従姉妹だからって。もしかして」
新島って、ティアスのこと好きなんじゃ……。てことは、御浜の存在って、邪魔じゃない?
「いや、ないない。あの女、ガキだし。可愛いけど、年上だけど、妹みたいなモンって言うか……まあ、アイツには借りもあるし」
「借り……?」
「そ。だから、別に白神がティアスのこと落とそうと落とすまいと、どっちでも良いって。そう言うことだろ?」
「いや、落とすかなあ。ああいうのと無縁の男だからな、御浜って。まあ、本気なら、うまく行けばいいかと思うけど」
「……ああ、そう。オレさ、別にどうでも良いけどさ」
「何だよ」
「もし、……もしもだよ?ティアスの意志が違うところにあったら、オレはそれを尊重するよ」
遠回しに言ってるつもりかもしれんけど、それって、今の時点でティアスは御浜のことそうでもないってコト?幸先不安だな。
「お互いのことだろ?」
「こう言うのは環境もあるって。タイミングとかね。沢田はそう言うことなかった?」
入口に、愛里の姿が見えた。
「なさそうだな。沢田って基本的に『待つ』タイプだしね。オレ、そろそろ行くわ」
「ティアスの所?まだ30分もたってない」
「いや、一応、連絡あるまでは待つさ。あいつ、白神のこと、まんざらでもないみたいだし」
今度はオレに気を遣ったってわけね。
ご丁寧に、テーブルに残ってた3人分のカップをまとめて持っていった。
それにしても……どっちだよ。あの女は御浜に気があるのかないのか、はっきりしろって。
結局、その後何も言わずに、新島と入れ替わりで愛里が来た。
「テツ、今、新島くんいたけど、ここにいたの?……テツ?」
「……あ、悪い、愛里。ちょっと考えごとしてた。なんだっけ?」
「だから、新島くんよ」
もしかしたら、嫌な気分だったかな?アイツ。
何であんな根ほり葉ほり聞いてるかね、オレって。ティアスがどこに住んでようが、どうやってきてようが、関係ないじゃん。
あんな女、どうだって良いじゃん。
正直、練習には身が入らなかった。
今日は大学ではなく、愛里の家でのレッスンになったのもあるかもしれない。
大学で、他の人が出入りしてる環境の方が、ずっと良い。
でも、ちゃんと指が動いた。
それだけでも、何だか助かったような気がした。
愛里が……オレが指を動かせないって知ったら、どんな顔をするだろう……いや、してくれるだろう。
想像できない。
まっすぐ、家に帰る気にもならなかった。
愛里の家は、大学に近いけれど、オレの家からはちょっと距離がある。だから、いつも帰りは送ってくれる(8時過ぎるとバスがないし)
でも、今日はまだバスのある時間だったから、オレは彼女の気遣いを断って、一人で帰った。
そのまま、終点である地下鉄の駅前で降りた。
もうすぐ万博が始まるとかで、工事をしてるし、店が減っていた駅前だが、残っていた本屋に入って立ち読みした。
でも、すぐ閉店時間になり、ふらふら歩いて、コンビニに入る。
……いま気付いたけど、なんか、この無駄にふらふらしてる感じって……!
うう、考えたくない。
何、町中さまよってんだ。マジか自分?
せめて、さまようなら、着替えてくればよかった……てか、その前に、さまよってる場合じゃねえだろ。
コートを着てるから、学生服は隠せるとして……このいかにも学校指定のバッグはヤバイだろ、この時間。
大体、オレが家に帰らない理由がわかんねえ!なんでこんな所でふらふらしてんだ。ピアノが弾けないからか?!
……って、答えでてるし。
もういいや。家に帰ろう。ピアノの前にいなきゃ良いわけだし。それに携帯もなってた気がするし……
着信履歴が15件て!まだ11時なんですけど。別に行方不明になったわけでもないし。何だよ、誰だこれ?
もしかして愛里?
期待する自分の妄想力が悲しくなるな。御浜8件、真4件、新島2件、オヤジが1件……。御浜、電話しすぎだろ。それに真や新島からって珍しい。
そう思ってたら、コンビニの前で御浜から着信。少し躊躇したけど、取らないのもな。
『テツ。レッスン終わった?もう家に帰ってる?』
あれ?家にいないから電話してきたかと思ったけど、この様子だと御浜も家にいないな。
「いや、駅前のローソンにいるけど。お前こそどこにいるんだよ」
『真と新島くんと一緒に、駅前のクラブにいる。テツも呼ぼうと思って何度も電話したんだけど』
何、そのメンバーでクラブって。てか、それでこんな何度も……。
なんか、予想が出来たぞ。
「もしかして、ティアスが出るから?」
『そう。よく判ったね。テツもおいでよ。なんか、知り合いのコネで歌わせてもらえるって言って、喜んでた。ブルースだって言ってたけど』
「一人で歌うの?」
『なんか、その知り合いの人のバンドがいて、特別プログラムって扱いで一曲だけ歌うって』
なんだそりゃ。
そんなむちゃくちゃな話、あるかよ。
その知り合いのコネってヤツは、相当強力だな。また、愛里が聞いたら関係ない話なのに怒りそうだ。
『場所が判らないなら、そこまで行くよ。もうすぐ始まるから……』
「あー、良いよ。オレ、もう帰るから」
『いや、一緒に聞こう』
いきなり、後ろから腕を捕まれる。
「御浜……!」
「何、制服のまま?ちょっとまずいかなあ?」
心臓止まるかと思った。
道理で、周りが静かなわけだ。地下鉄も止まり、飲み屋も少ない駅前の深夜は、ほとんど人がいない。
「せっかくここにいるんだから、ちょっと覗くだけでもよくない?この近くだし」
「いや、オレ、こんな格好だし」
「一曲だけだよ」
オレの腕も掴んだまま、強引に引っ張っていく。
「やだって!何でそんな無理矢理……オレは別にあんな女の歌なんか……」
ここまで拒絶してんのに、無視かよ。
なに考えてんだ?
「テツ、そんなに嫌がる理由が判んないや。別にティアスのこと嫌いなわけでもないし、怒ってるわけでもないのに。そこまで拒否しなくても良いと思うけど。それに、ホントは聞きたいんじゃないかな?」
御浜の力なんか、すぐに覆せる。彼の腕を逃れるのなんか簡単だけど、そうしようとは思わなかった。
御浜には、理由がある。……多分。
「昨日、あの女の態度、悪かったんだぞ?お前は知らないだろうけど」
「新島くんに聞いた。佐藤さんが怒ってたって。テツにフォローしといてくれって頼まれた」
何もしてない顔してその気遣いは何だ、新島。
「愛里は……怒ってる。今日も、新島の姿を見かけたから、またあの女がうろついてるんじゃないかってカリカリしてた。オレのこと、なんか言われたのが、相当いやだったみたいだし」
でも、それって、自分のことを言われたからだよな。
「そんなの、テツには関係ないし」
確かに、そうなんだけどさ。
愛里のことは、オレには関係ない。
って、何げに酷いこと言ってるって、御浜。それは……へこむよ、オレは。
いつの間にか、裏通りにあるクラブの目の前についていた。御浜はオレの腕を引っ張ったまま、階段を下りていく。
「……大体、あの女は何がしたいんだよ?昨日はロックで、今日はブルース?」
「聞けばいいじゃん。聞いてから文句言えば?彼女みたいに」
チケットは?もしや顏パス?
扉を開けると、ホールはざわついていたが、奥の方に用意された舞台に、ティアスが立っているのが見えた。
「後ろでキーボード弾いてるの、女優の佐伯佳奈子じゃねえ?」
「だれ?佐伯佳奈子って?」
「しらねえの?とし行ってるけど、2時間ドラマとかでてる……。ほら、こないだ深夜の音楽番組でちょっと喋ってた」
なんか、バンドに有名人がいるらしく、ホールからしきりに佐伯佳奈子って名前が聞こえてきた。
「テツ知ってる?佐伯佳奈子って。周りがなんか騒いでるけど」
「うーん、どんな顔か知らんけど、オレが知ってる佐伯佳奈子って女優は、クラシック雑誌にコラムを書いてる」
「その人かなあ……?オレ、あんまりテレビ見ないから判んないんだよね」
本人かどうか知らないが、奥でキーボードを弾いてる年輩の女性は、周りがかすむほど華やかな女だった。
中心に立つ、ティアスを除いては。
昨日とはうって変わって、落ち着いた感じのタイトなブラックドレスだった。
キーボードのソロから、曲が始まった。
「あ、御浜!いたいた。ホントにテッちゃん連れてきたんだ。すげーね」
「あれ?新島くんは?」
「一番前」
「そうなんだ。さすがに、あの人数を割って、今さら前には行けないな……」
彼女の歌は、力強く、心地よかった。
原曲は確かにブルースだった。けれど、アレンジがされていた。
彼女の歌の持つ世界は、まっすぐな一本の光のようで。
アレンジされた曲の持つ疾走感に、彼女の声も昇っていくようで。
ヤバイ……、ちょっと、好きな声かも。
「ティアス、綺麗だと思わない?」
「まあ、舞台映えする子だよね」
「そうじゃなくて、歌ってるところが」
「何、御浜ってそこがよかったわけ?」
「……だから、いまそう言う話をしてるんじゃなくて!」
聞いたら、またオレはこうして彼女に引き込まれてしまうんじゃないかと思って怖かったんだ。
だって、それは愛里を裏切ることにならないか?
彼女が育てたオレのピアノを否定したティアスを、オレが認めるだなんて。
彼女の歌が終わっても、ホールはざわついたままだった。
バンドが舞台からはけてる最中も、音楽が流れ、踊り始める。
「テッちゃん?終わったよ?何ぼーっとしてんの。てか、制服じゃん?!」
「え?あ、真、いたのか」
「ずっといたっての。ティアちゃんに挨拶して帰るけど?」
ティアちゃんて……ああ、ティアスのことか。何なんだよ、その軽い呼び方。
「来るだろ?テツ」
「いや、先に帰るよ」
「なんで?すっごい真剣に聞いてたくせに」
オレはやっぱり、御浜にはかなわないかもしれない。
改めて、そう思う。
舞台のさらに奥に、楽屋が用意されているらしい。真の案内でそこへ向かう。
さっきから、顏パスで入ったり、楽屋まで押し掛けたり……。一体何がどうなってんだ?歌ってたヤツの知り合いだからって、……いや知り合いっつっても、昨日会ったばかりなのに。
「てか、テッちゃんは何で制服なんだよ?どこいたの?」
「それがさー、家にいないで駅前のコンビニにいたんだ。珍しいよね。今日はどっちで練習してたの?」
あー、もう、うっさい。その話題には触れるな!
帰りたくなくてふらふらしてました、なんて言ったら、何言われるかわかんねえ。
黙殺。黙殺するに限る!
楽屋の扉前の廊下にティアスと新島がいた。
デニムにセーター、ごつめのジャケットにニット帽。夕方会ったときと同じ、カジュアルな格好だった。さっきのドレスは舞台衣装だったらしい。化粧は落としてないのか、ちょっときついまま。
二人はなにやら争っていたらしいが、傍目からちょこっと見た感じでは、ティアスに新島が言い負かされているように見えた。
「ティアス!よかったよ、今の」
笑顔で彼女に駆け寄る御浜。さらっとそう言うことが言えるんだよな、お前は。
「ありがとう。沢田くんも……来てくれたんだね。どうだった?」
「別に」
「また、聞いてね」
我ながら素っ気ないし、冷たい態度だと思ったのだが、彼女は気にする様子もなく、笑顔でそう言った。
「そういやさ、なんか喧嘩してなかった?二人?」
「いや、大したことじゃないんだけど……。ティアスがよけいな気を遣うから」
「余計じゃないわよ。フツーでしょ?じゃ、私、もう行くから」
「だから、帰ればいいって言ってんだろうが。オレのことなんか気にするなっつーの」
ティアスは黙っていたが、歩みを止めようとしない。それを新島が必死に引き留める。
一体何があったんだか。
「……沢田んち、妹がいたよな、確か。今夜もいる?お父さんは?」
「ああ。いるけど……。オヤジはどうかな?電話があったし。柚乃がどうかした?」
「ティアスのこと、一晩泊めてやってくんない?」
「はあ?」
何をわけの判らんことを!
「いや、ティアスのことさっき話しただろ?で、コイツ、オレに気を遣って今夜は部屋に帰らんって言うんだよ。コイツ、言い出したら聞かないからさ。だからって、この時間にコイツを一人で放り出すのも悪いしさ」
「ちょっと待て、それで何でオレんちなんだよ!」
御浜が……。
「だって、白神の家は父さんと二人暮らしだし、オレん家に連れて帰るとあの凶暴なにーちゃんにばれちまうし。お前んちなら妹いるから間違いも起こらないだろうし、お父さんも顏知ってるからさ」
確かに……。賢木先生のつてで、一緒に飲んでるくらいだしな。どんな紹介をされたかしらんが、オヤジと賢木先生はかなり仲良いし。
って、そうじゃなくて!御浜がこの女に気があるって知ってて、それはどうよ!?いくら柚乃がいたって……。
多分、オヤジも柚乃も何も言わないと思うけど……。
オレはどうなる?高校生男子の家に、こんな……可愛い女……。
「今夜だけで良いから、頼むって!」
「……わかったよ」
新島にここまで頼まれちゃ仕方ない(ホントに保護者みたいだな)。それに、ここで頑なに断る方が、なんか変な気を回してるみたいでよくない気がしてきたし。
御浜がずっと笑顔なのが気になるけど。
「それでいいだろ?ティアス。大丈夫だって、ここんちの妹は確実に可愛いし、この系統の血が入ってるなら」
「それ、何か関係あるの?……ホントに良いのかな、沢田くん?」
「良いよ、別に。泊まってくだけだろ?どうせ家は人の出入りも激しいし。御浜なんか入り浸りだ」
何でオレって、こういう言い方しかできないんだよ……。
「えー、ちゃんと夜には帰ってるよ」
……うん。御浜も気にしてないみたいだし。てか、コイツは俺が愛里のこと好きなの知ってるしな。そんな心配なんかしないか。
「……じゃ、よろしくお願いします」
彼女はオレに向かって、軽く頭を下げる。
こう言うとこ、可愛いんだよ。
「別に」
思わず、顔を背けてしまった。
「テッちゃん、冷たいね。そんなんじゃ、モテないよ?いくら顔がよくても」
「てか沢田って、……うんと、硬派、ってヤツなのかな?」
新島、お前、今ものすごーく言葉を選んだだろ。
「女の子の扱いを知らない、お子さまってコト?」
「いや、そこまで言ってないし。泉は沢田にメチャクチャ言い過ぎだって。でもまあ、女がいるって話も聞いたことないし、女がいるような感じもしないし。古風って言うか」
「新島、テッちゃんにははっきり言った方がいいって。あの人根暗だから、根に持つよ?あれでしょ?女を知ってんのか知らないのか!」
「……知らない、かな?」
「あー、だよねー」
頭痛い……こいつら。好き勝手言いやがって。
「え?テツは中学のとき彼女いたよ?」
「そうなの?意外!その子とはどうなったの?」
ティアスまで……何こんな話題に食いついて。泊めてやんねーぞ、このやろ。
「んっと……2人だっけ?」
「3人だよ」
「そうそう。みんな3ヶ月くらいしか保たなかったけどね」
何で真も新島も不審そうな目で見るかな?オレに女がいたのが何がおかしいんだよ。
「あー、でもなんか予想できる。下手に見かけが良いから、女の子から告られて、興味本位でつき合ってみたものの、結局どうでも良くなっちゃって、やることだけやってポイ捨てしたあげく、彼女に悪い噂とか流されたりしてそう」
「顔が良いからつき合ってみたけど、超つまんない、とか言われてそうだな。そう言うとこ、中坊は酷いからな」
見てきたのか、お前らは!御浜もなんか頷いてるし!
ノーコメントだ!何も言わない、表情すら変えるもんか!
ここでまだ、真や御浜が愛里のことを口にしないのが救いだけど……。
「へー……」
オレを見上げるティアスから、必死に目をそらす。
何がそんなに面白いんだ、この女は。
「良いから、さっさと帰るぞ。これでも家は門限にはうるさいんだ。さっきだってオヤジから電話があったし」
なぜだか複雑な表情でオレを見つめる彼女。
でも、つっこむわけにも行かず、オレ達はその場で真と新島に別れを告げた。
駅から家はそんなに離れていないので、御浜とティアスと3人で話ながら歩いて家に帰った。
20分くらいの距離だったけど、御浜がいれば、そこまで酷い態度をせずに彼女と話が出来た。
家についたときには、時計の針はもう12時半をさしていた。
玄関の前で御浜と別れ、彼女を家の中に促す。
この時間なら、オヤジも柚乃も大抵起きてるはずだった。
「……あれ?」
台所の電気が消えていたので、不審に思って、電気をつけてテーブルの上を確認する。
……携帯、オヤジから電話があったはず……。
あれ?メールも入ってる。柚乃からだった。
『今日はパパが急な出張で帰ってこれないそうです。テッちゃんと連絡つかないって、怒ってたよ?適当に誤魔化しておいたけど。私も出かけるので、パパにはうまく言っといてね(*^_^*)』
ちょっと待て!
てことは何か?今夜はこの女と二人きりってコト!?
どうしよう。とりあえず、ティアスには事情を説明するしか……。
そうだ、それで帰って貰おう。余計な誤解を生んでも嫌だし。あ、帰るとこはないんだっけ?
「ねえ、誰もいないみたいだけど?」
「えと……悪い、今日、妹もオヤジも出かけてたらしい……。オレも今知った。いや、ホントに、マジで。ほら、メールの履歴、0時になってるし!」
「……そんな必死にならなくても」
わざわざ携帯まで見せてんのに、あっさりしたもんだった。
てか、必死になるっつーの!お前、もしかしてオレを男扱いしてないな?襲われるぞ?
それに、御浜が……。
そうだ!御浜んちに……。
「もう無理よ。御浜の家はお父さんがご高齢で、この時間はもう寝てるって言ってたし。うるさくしたら悪いよ。沢田くんさえよければ、この家に泊めて貰っても良い?沢田先生とかいない方が、逆に気を遣われなくてすむし」
「……あんたがよければ、それで良いけど」
うっわー、冷静だな、おい。一人でおたおたしてるオレが、かっこわるいだろ?
「……和室でいい?布団もあるから」
「ありがと。でも、沢田くんのピアノが見たいな?どこにあるの?」
そんな展開になるような気がしてたけど。他に興味がないのか。心配するとかさ。
別に減るもんじゃないので、リビングに彼女をいれ、電気をつけた。
彼女はためらうことなくピアノの前に座った。
「スゴイね、グランドピアノ持ってるんだ」
「母さんのだよ。弾くなよ。もう遅いから。近所迷惑」
「判ってるよ。どうしてそう言う言い方しかできないかなあ?」
「お前だって相当だと思うけど」
「失礼よね。……お母さんは?」
「オレが子供のときに死んだ。音楽の先生だったらしいけど」
「そうなんだ」
彼女はオレを見ることなく、ただ黙ってピアノの前に座ったまま。
会話が続かないので、彼女を置いてキッチンに向かった。
案の定、冷蔵庫にはシュウジが作った夕飯が残っていた。今日はレバニラ炒め(ピーマン混入)だった。一応、柚乃のメモが残ってる。
そういや、何も食べてなかったな。
「こんな時間にご飯?妹さんが作ってくれてるの?沢田先生?」
いつの間にかリビングからこっちに来ていたティアスが、普通にオレの向かいに座った。(隣に座るかと思っていた)
オレが作ったという発想はないのか?!(作らないけど)
「オヤジも妹も作るけど、これはシュウジが作った」
「誰?」
「親父の後輩で御浜の甥で、お向かいさん」
「???え?……うーんと、男の人?いくつなの?」
「10年近く女のいない、悲しい32歳だ」
「わざわざご飯作りに来てくれるの?」
「うーん、それもあるだろうけど、趣味もあるかな?テレビ見て料理作るわりに、あいつんちにレトルトの食材とか調味料とかあるの見たことないし。老酒とかテンメンジャンとかフツーにおいてあるんだぞ」
「スゴイね……」
「……お前、食いたいの?」
ものすっごく物欲しそうな顔してるんですけど。
「食べたい」
ハラ減ってんなら言えっつーの。
仕方ないので、かろうじて炊飯器に残ってるご飯をよそい、箸と作ってあった海苔と卵のスープを用意してやる。
「すごーい、おいしい!」
……よーけ食うなあ……。ほとんど二人分残ってたからよかったものの。まあ、うまそうにしてるから良いけど。シュウジにも言っといてやろう。
あんなきついことを言う女だから、どんなかと思ったけど、笑ってれば可愛い。美味しそうに食べてる姿も。
「ごちそうさま」
綺麗に残さず食べてるし。よっぽどハラ減ってたかな?
「沢田くんの笑った顏、初めて見た」
彼女はそう言って、また笑った。
オレ、今笑ってた?
「オレだって、笑うことくらいあるし……」
あー、ホントだ。なんか顔が緩んでる。何でだ?
「笑ってた方がいいよ。なんか、そうしてる方が話しやすそうに見えるし」
普段は話しにくそうってコトですか?そうですか。
「笑ってたら、ピアノ……楽しくなると思うよ?残念だな、こんな時間じゃなかったら、沢田くんのピアノが聞きたかった」
「つまんないって言ったくせに」
「だって、君がつまんなそうだったから。楽しそうに弾いたら、変わるよ。私は、沢田くんのピアノ、好きだけどな。だから、つまんなそうなのはもったいないって思っただけ」
「……言葉がたりねえよ、お前」
「それは、お互い様よ」
この女は〜!ああ言えばこう言いおってからに!
「コーヒーいれて良い?」
「ああ。コーヒー豆は戸棚だ」
彼女はオレの顔を見ずに席を立ち、人んちだと言うのにコーヒーをいれようとする。わけわかんねえ、この女。
大体、今さっきまた。お前はオレに喧嘩を売っただろうが。
……ホントに、この女は……。
「だーっ!何やってんだ、さっきからおとなしく見てりゃ!コーヒー一杯まともにいれられねえのか!しかもコーヒーメーカーなのに!漫画かお前は!」
コーヒーメーカーにフィルターペーパーも敷かずに、豆も挽かずにいれやがった。こーいうわけの判らんヤツって、ホントにいるんだな。
「コーヒー、いれたことないの?」
「インスタントなら……」
「良いから貸せって、座ってろ」
コーヒー二人分をテーブルに出し、牛乳もご丁寧に温め、ピッチャーにいれ、角砂糖も用意する。
うん、何でオレがこんなコトしてるんだ?
「スゴイね、沢田くん……。美味しいよ、これ」
「当たり前だ。インスタントと一緒にするな。てか、お前、ホントに何も出来ないんじゃないの?一人暮らしだろ?今」
「……まあ、何とかしてます。……何でしょうか、その珍しい生き物を見るような眼差しは?」
「別に……」
「ごめんなさい……」
「何、謝ってんの?」
「怒ってたし」
もしかして、それでコーヒーいれて誤魔化そうとか思ってたんだろうか。
謝るんなら最初から謝れっつーの。
まあ、オレの言い方も悪かったけど。
「別に。オレ、こういう言い方しかできないんだろ?」
「やっぱり怒ってるし。しかも根に持ってるし……」
彼女の頬に、右手を伸ばす。
髪に触れ、耳の後ろ側を軽く指でなでる。
「持ってないって、別に」
「……顔が怒ってるし」
少しだけ、彼女の顔は赤くなっていた。
自分でも、何で彼女に手を伸ばしたかは判らなかったけど、今さら引っ込めることも出来なかった。
「テッちゃん?まだ起きてるの?……って、何してんの?!女の子連れ込んでる!スゴイ!あり得ない!明日、地震!?」
そう言うオチか……!オヤジじゃないだけマシか。
それでも、彼女の頬から手を離さない自分がいた。