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奴らとんでもないものを盗んでいきました。…老女のハートです。


 ある晴れた日の夕方。

 信号の無い横断歩道の前に、大きく重そうな旅行鞄と今時珍しい巾着を持った着物のおばあさんが立っていました。

 彼女は横断歩道を渡るタイミングが掴めず、オロオロと立ち往生しているようです。

 そんなおばあさんの姿を見かねて背後から近づく一つの影がありました。




◇タッちゃんの場合



「手伝おう。」


 思わず艶声をあげたくなるような色っぽい重低音ボイスで一言そう告げると、タッちゃんはごく自然な動作でおばあさんの鞄を自らのゴツくもしなやかな右手に持ち上げました。

 突然の事に驚いて、おばあさんは背の高い彼を見上げます。

 雄々しいツノ、厳しさと愛情深さをたたえた緑の瞳、壮大な大地を連想させる焦げ茶の毛皮。

 その顔を確認した直後、「まぁ」という感嘆の声と共に彼女の頬がバラ色に染まりました。

 タッちゃんの男らしい凛々しさと垂れ流しのフェロモンに、無意識に頬へと手を置きポウっと見惚れるおばあさん。

 そんな彼女に対し、彼は微笑ましそうに目を細めながら空いている左手をすっと差し出します。


「差し支え無ければ、手を。

 ……あぁ。連れ合いに悪いと言うことなら無理強いはしない。」


 彼の気遣い溢れる発言に、おばあさんは自分の胸が年甲斐も無く高鳴っていくのを感じました。

 それは少し恥ずかしくもありましたが、とはいえ、そんな程度の事で無駄に年を取っていない彼女がこのように素晴らしいチャンスをみすみす逃すはずもありません。

 老人とは思えない素早さでタッちゃんの手をしっかり掴んで、おばあさんはにっこりと満面の笑みを浮かべました。


「夫の事なら大丈夫よ。ありがとう、素敵なお兄さん。」


 さすがは欲望都市シルバーバレーの頂点に立つ男といったところでしょうか。

 そう言ったおばあさんは、もうすっかり女の顔をしていました。

 おじいさん、草葉の陰から涙目です。


 タッちゃんは自分の左腕が彼女の支えになるように軽く曲げて、それはそれはスマートにエスコートしてみせます。

 歩き始めた彼の足は、おばあさんに合わせてとてもゆっくり動いていました。

 それから、特に何かが起きる事も無く二人はつつながく横断歩道を渡り終えます。


 おばあさんはタッちゃんから自分の手が離されるのを名残惜しげに眺めた後、彼の目を見つめながらお礼の言葉を述べました。


「とても助かったわ。どうもありがとう。

 貴方さえ良ければ、これからでもお礼をさせてもらいたいのだけど。」 

「……悪いが、仕事だ。それに、礼をされるほどの事はしていない。」

「謙虚なのねぇ。ちなみにどんなお仕事を?」


 問われて、タッちゃんは口で答える代わりに紫色をしたスーツの内側から慣れた手つきで名刺を取り出しました。

 受け取った名刺に目を通して、おばあさんは驚いたように声を上げます。


「……まぁ、ホストクラブ?」

「そういう訳だ。アンタのような人間はあまり関わらない方がいい。」


 淡々と告げられるタッちゃんの言葉。

 だと言うのに、おばあさんは彼を見上げ至極楽しげに笑いかけました。


「あらっ、初めて会った貴方に私がどんな人間かお分かりになって?

 うふふ。私、貴方の事とても気に入ったの。今度、必ずお店に伺わせてもらうわ。」


 一歩も引きそうにない彼女の様子を見て、タッちゃんは諦めたようにため息を吐きます。

 そして、肩をすくめながら苦笑い気味にこう言いました。


「……参った。アンタは良い女だな。」


 微笑みあうタッちゃんとおばあさん。

 こうしてまた一人、彼は熱心な常連客を増やしたのでした。




◇リッちゃんの場合



「テメェの体力も把握してねぇのかよ、ばーさん。

 そーいうのを年寄りの冷や水っつーんだ、阿呆。」


 唐突に吐き捨てられた暴言に、おばあさんはギョッとして声の聞こえた方へと振り返ります。

 その先には一見してガラの悪そうな、大きく引き締まった体躯を持つリザードマンが立っていました。


「オラ、荷物貸せ。」


 おばあさんが口を開く暇も無く、リッちゃんはひったくるような乱暴な動作で彼女の手から重い鞄を奪います。

 そして、彼はそのまま一人で横断歩道へと出て行きました。


「えっ。……あ、あのっ?」


 戸惑うおばあさん。

 声をかけられたリッちゃんは足を止め、面倒臭そうに身体を反転させました。

 その顔は怪訝に歪められており、彼女は少しばかり恐怖に身を竦ませます。

 そんなおばあさんの様子に気がつかないのか、表情そのまま不機嫌丸出しの低い声を発するリッちゃん。


「…んだよ、渡りたいんじゃねぇのか?

 この俺様が待ってやってんだ、さっさと来ねぇと置いてくぞ。」


 耳に届いたセリフにようやく彼の意図を察したおばあさんは、ホッと胸を撫で下ろしました。

 やり方はともかく、単に親切心からの行動だと分かったからです。

 そうとなれば、彼女はいそいそと横断歩道の上を歩き始めます。


 ようやく追いついた彼に視線を合わせて、おばあさんは苦笑しつつ言いました。


「すみませんねぇ。」

「別についでだ。っつーか、ばーさん。そういうのウゼェから止めろ。」


 尾を地面にピシャリと一発打ちつけつつ素っ気なく返したリッちゃん。

 しかし、彼はおばあさんの前方を先ほどよりも目に見えて遅いスピードで歩き出します。

 ツンデレという概念のない老人相手にあまり褒められた態度ではありませんが、何となく彼が恥ずかしがり屋なんだなという事を察したおばあさんは微笑ましそうに目の前の大きな背を見つめるのでした。


 渡り終わった先で荷物を返してもらったおばあさんは、深々と頭を下げながらお礼の言葉を紡ぎます。


「どうも、親切にしていただいて……。」

「ウルセェ、止めろっつったのが聞こえなかったか?

 ……まぁいい。俺様はもう行くからな。」


 そう宣言しグルリと彼女に背を向けるリッちゃん。

 おばあさんは慌てて彼の上着の裾を掴みました。


「あ、待って。何かお礼をさせてちょうだい。」


 そんな彼女に対し、振り向きもせずに彼はこう言い放ちます。


「年寄りにタカる趣味はねぇよ。」

「でもっ。」


 さらに言い募ろうとするおばあさんへ軽く目を向けたリッちゃんは、小さく眉間に皺を寄せ苛立たしげにチッと舌打ちしました。

 彼女の縋るような瞳に、少しばかり怯んでしまったからです。


「じゃあ、ばーさん。テメェ一人でここに来てみろ。

 来れたら礼でも何でも好きにさせてやる。」


 ピンっと指で何かをはじくリッちゃん。

 見事におばあさんの手に乗ったそれは、彼がレジェンズで使っている名刺でした。


「……ホスト…クラ…ブ。」

「じゃあな。」


 名刺を読み上げ呆然とするおばあさんに構わず、リッちゃんはその場からさっさと立ち去ってしまいます。

 彼は、こんな上品な身なりの大人しそうなおばあさんがレジェンズになど来れる訳が無いとタカをくくっていたのです。


 しかし、こののち予想に反して常連にまでなってしまった彼女に、いつも通りの偉そうな態度で接しつつも、心の内で貴重な老後の蓄えを使わせる羽目になってしまったと罪悪感を覚えてしまうリッちゃんでした。




◇スケルンの場合



「へーいっ、そこなお嬢さん!おっ困りーぃ?」


 突然かけられた陽気な声にキョロキョロと辺りを見回すおばあさん。

 今にもチェキラとでも言い出しそうなポーズを決めて、スケルンが彼女の視界に勢い良く飛び込んで来ました。

 ギョッと軽く身を引くおばあさんを余所に、彼はいつものマシンガントークを開始します。


「なになに、ここ渡りたいの?って、見りゃ分かるかーっ。あっはっは。

 オッケ。任せて任せてっ。オレってば、超たよりになる男だかんね。

 常連のお姫さんたちもキャースケルーンってなもんよ!

 おっと。ダベってる暇があったら、早く渡れってんだよなぁ?わり、わり!」

「きゃあっ。」


 彼のトークに圧倒されてポカンと口を開けている隙に、それはもう素早く慣れた手つきでスケルンはおばあさんを姫抱きにしました。

 連れ合いのおじいさんにすらそんな風にされた経験の無い彼女は、思わず取り乱してしまいます。


「なっ、いきなり何をっ…!」


 けれど、スケルンはおばあさんの抗議の声を苦笑気味に受け流し、そそくさと横断歩道を渡り始めました。


「ごめんけど、ちょびーっと我慢してなー。

 あんまりのんびり進むとガラの悪い運転手とかにカラまれっかもしれねーからさぁ。

 そうじゃなくても、やっぱ迷惑になっちまうもんな。ここ結構交通量多いし。

 あっ。いやいや、ぜんぜん全くこれっぽっちも役得とか思ってねーよ、ホント!

 っそーだ。役得で思い出したけど、さっきの悲鳴ちょっと可愛すぎ!もう少しで血迷ってこのまま攫っちゃうトコだったぜー!

 つって、まぁ、実際にはやらないけどな!オレって基本紳士だから!

 てーか、それよりお姫様。ちょっと体重軽過ぎでございますよ?オレ心配になっちゃうじゃん!

 って、うわぁっ。バカ言ってる間に渡り終わっちまったっつーの!

 好きな事をしてる時間ほどすぐ過ぎるっつーけど、あれマジだよなぁー。」


 ベラベラベラベラと飽きもせずにしゃべり続けながら意外と慎重かつ丁寧な足取りでおばあさんを運んでいたスケルンは、ようやく辿り着いた目的地に彼女を降ろします。

 地に足のついたおばあさんは、ホッと小さく安堵の息を吐きました。

 そんな彼女に、スケルンは自分の頭をカリカリ撫でながら心配そうに声をかけます。


「お嬢さん、大丈夫?骨が当たって痛く無かった?

 肉がついてないのって、こういう時に不便だよなー。

 でさ、本当はその荷物とか一緒に持ってってやりたいトコなんだけど……。

 これから仕事で、どうしても遅れらんなくてさ。

 っあー、お嬢さんみてぇな可憐なレディを前に男の務めが果たせねーとかマジ屈辱だわー。」


 唸りながら苦悩のポーズを取るスケルン。

 ほんの少しの間にころころと表情を変える彼を見ていて、おばあさんは段々と可笑しい気分になってきました。


「ふふっ。貴方って、とっても面白い方なのねぇ。」


 初めておばあさんの方からまともに声をかけられて、スケルンはハッと顔を上げます。

 すると、そこには楽しそうに笑う彼女の姿がありました。

 その笑顔に雰囲気をパアッと明るくした彼が再び止まらぬ口を開きます。


「うぉーっ、ナイス・スマイル!やべぇ、これは惚れる、やべぇ!

 左手の指輪が無ければ速攻アピったんだけどなぁーっ、くっそ!

 いっやぁー、お嬢さんみたいな大和撫子タイプの可憐なお嫁さん貰った旦那さんが心底羨ましいわ!」

「あら、お上手なのね。

 でも、あまり年寄りをからかうモノじゃありませんよ。」


 少し困ったような笑顔に変わったおばあさんへ、スケルンが全身全霊で否定にかかりました。


「やーだなぁ、オレ女の子にお世辞は言わない主義だってぇ!

 女神と天女に誓ってもいいね!オレが女の子を褒める時はいつだってザ☆本気だってな!

 あっ、そーだ。今日、最後まで手伝ってあげられなかったお詫びっつーか償いっつーか、とにかく何かしたいからさ。

 良かったら、連絡先とか教えてもらっていい?」

「まぁ、お詫びだなんて……。けど、そうね。

 私も今日のお礼がしたいから、貴方の連絡先が知りたいわ。」


 その後、つつがなく互いの携帯番号を交換した二人が、お礼のお礼やお詫びのお詫びなどという終りの無い健全デートを繰り返すようになり、またレジェンズでのハーレム女性たちの中に度々彼女の姿が見られるようになった、というのはまた別のお話。




◇ドリーの場合



「ねぇねぇ、おばあちゃま。お荷物とっても重そうだねっ、大丈夫?

 ボク何か役に立てる?」


 きゃるんっと小首を傾げながらおばあさんの顔を下から覗き込むドリー。

 その様子に、おばあさんは「あらまぁ」と微笑ましげに眼を細めました。


「うふふ、優しいのねぇ。

 じゃあ、この横断歩道を渡るのを手伝って貰っても良いかしら?」

「うんっ、分かったっ。」


 無邪気な笑顔で元気いっぱいに返事をしたドリーは、素早くバンザイの恰好を取ったかと思うとその指先から茶色の蔓を伸ばし始めます。

 それがすごい勢いで何かの形を成していく様子を、おばあさんは唖然とした表情で眺めていました。

 彼女はマンドレイクに出会った事も初めてなら、その能力を見る事も初めてだったのです。


 それから、一分と経たない内に彼女の目の前に成人男性サイズの蔓の人形が出来上がりました。

 ドリーの手から伸びる幾筋もの線で繋がった状態の人形は、彼がチョイチョイと指を動かしる事でまるで本物の人間のような動きを見せます。

 その完成度に満足げに頷いたドリーは、クリッと顔をおばあさんの方へと上げて言いました。


「おばあちゃまっ。人形の右腕に荷物をかけてっ。」

「えっ。あっ……え、えぇ。」


 未だ驚きから戻りきっていない彼女は、ドリーに言われるがまま自身の旅行鞄を差し出される人形の腕に通します。

 すると、しっかり荷物の持ち手部分を挟み込んだ人形は、今度は身体を横向きに変え彼女へ左腕を差し出しました。

 唐突なその行動に、どうすれば良いのか分からず困惑するおばあさん。


「ええっと?」

「渡る時に、その左腕を支えにしたら良いよっ。」


 そういう事かと納得した彼女は、恐る恐る人形の腕に手を置きました。

 ガッチリ組まれた蔓は固く、それでいて、意外と滑らかな触り心地です。

 へぇ、と指で蔓の感触を確かめている間に車道の様子をうかがっていたドリーが言いました。


「おばあちゃま、ちょうど車がいなくなったよ。

 今の内に渡っちゃおっ。」


 おばあさんは、彼に促されるままに足を横断歩道へと踏み出します。

 寄る年波には勝てず、彼女の歩みは悲しいほどに遅いものでありましたが、途中でやって来た車も珍しい蔓人形に目が行ってその速度を気にしてはいないようでした。

 おかげで、おばあさんも落ち着いた気分で歩を進めることが出来、反対側の歩道に辿り着いた時にはすっかり感激しているようでした。

 人形をバラし蔓を身の内に収めた彼へ、彼女は心からの笑顔を向けながら優しくお礼の言葉を紡ぎます。


「本当にありがとうね、ボク。とっても、とっても助かったわ。」

「ううん、このくらいお安い御用だよ。

 無事に渡れてよかったね、おばあちゃまっ。」

「……うぅん。何かお礼が出来たら良いんだけど、今はめぼしい物も持っていないわねぇ。」


 軽く巾着や鞄の中身を確認しながら残念そうに呟くおばあさん。

 そんな彼女の様子を見て、ドリーはさも良い事を思いついたと言わんばかりの表情でこう提案しました。


「お礼だったら、おばあちゃまっ。今度、ぜひボクが働いているお店に遊びに来てよ。」

「お店?」

「うんっ。ボク、シルバーバレーのレジェンズってホストクラブで働いてるの。

 はいっ、これボクの名刺。」


 説明しながら頭の葉の隙間から名刺を取り出し手渡すと、おばあさんは「まぁっ!」と大仰に驚いた後、それはそれは真剣な顔をして彼を問い詰め始めます。


「そんなところでお仕事なんて、本当に大丈夫なの?

 もし、無理に働かされているのなら私が相談に乗りますよ。」

「あはっ、やだなぁ。ボクなら大丈夫だよ?

 オーナーだって、同じホストの人たちだって、お客さんだって、みぃんなみんな優しいもん。」

「…………そう。

 それなら良いんだけど……。」


 とは言いつつ、どこか納得のいっていない様子のおばあさん。

 それから数日後。心配になって彼の様子を見にレジェンズを訪れた彼女が、逆に新しい世界の扉を開いてしまうなどと、今のおばあさんには全く知る由もありませんでした。




◇パパンの場合



「あの…、おばあさん。大丈夫ですか?

 僕で良ければ、ぜひお手伝いさせて下さい。」


 そう声をかけて彼女へとそっと手を伸ばしてきたのは、美しい鱗を持つマーマンでした。

 眼鏡の奥の優しげな瞳を目にしたおばあさんは、それが彼の純粋な親切心からの言葉だと分かり、自らの胸の内がほんわり温かくなっていくのを感じます。


「この横断歩道を渡りたいんですよね?

 どうぞ、ご一緒させて下さい。

 あ。渡る間でよろしければ、お荷物お持ちしましょうか?」

「あらあら、まぁまぁ。ご親切にどうもありがとう。

 お言葉に甘えて、お願いしても良いかしら?」

「えぇ、勿論です。」


 微笑むおばあさんからそう頼まれたパパンは、それは嬉しそうに頷きます。

 種族がマーマンである。たったそれだけで、意味なく避けられたり裏を疑われたりすることもあった彼にとって、彼女の態度はとても喜ばしいものでありました。


 右手に荷物を、左手におばあさんの手を取ったパパンはタイミングを見計らい横断歩道へと足を踏み出します。

 当然、その前に彼女に声をかける事も忘れません。


「さぁ、行きましょうか。

 …あぁ、車道に降りる時は段差に気を付けて下さいね。」


 また、それだけに飽き足らず、彼は渡っている間中おばあさんへの細かい気配りを見せます。


「慌てないで。ゆっくりで大丈夫ですよ。」

「いざという時は、僕が必ず貴方を守ってみせますからね。」

「進み方は早くないですか?

 もう少しこちらへ体重をかけてもいいんですよ。」


 さらに、合間にやってきた車に楚々とした動作で会釈するパパン。

 その姿はさながら善人の鏡といった様子です。

 おばあさんは彼の言葉に返事をする裏で、今どきこんなにも心の美しい人がいるものなのねぇとしきりに感心していました。


「あぁ、貴方のおかげでこうして無事に横断歩道を渡る事が出来たわ。ありがとう。

 何かお礼を…と言いたいところだけれど、あいにく持ち合わせが無くて……。

 後日、改めてでも良いかしら。連絡先を教えていただける?」

「とんでもないっ。そんなつもりでお手伝いしたわけじゃあありませんからっ。」


 おばあさんのセリフに慌てて首を横に振るパパン。

 それを微笑ましそうに見つめ頷きながら、彼女は再び口を開きます。


「えぇ、えぇ、もちろん。分かっていますよ。

 お礼をしたいと言うのは、私の我がままなの。

 どうか、老い先短いこの年寄りのお願いを叶えてはいただけないかしら。」


 このように言われてしまえば、心優しいパパンが断れるわけもありません。

 そういう事なら…と彼は懐から一枚の名刺を取り出しました。


「これに僕の携帯電話の番号が書いてあります。

 夜の接客中は出られないかもしれませんが、日中は大丈夫かと思いますのでいつでもご連絡下さい。」

「あらっ、まぁ…。貴方ホストクラブにお勤めなの……?」


 目を見開いて問うてくるおばあさんに、名刺を渡したのは不味かったかなと今さらながら心配になってしまうパパン。

 ホストと聞いて真っ先に悪いイメージが浮かぶ人間は少なくありませんし、年寄りともなればその傾向はことさら顕著です。


「あ……えぇ、そうです。

 でも、僕の働いているレジェンズは値段も良心的ですし、店内も広く清潔で……。」

「あぁ、いえ。珍しいお仕事だったから、ちょっと驚いただけなのよ。」


 しかし、焦り気味に口を開くパパンにおばあさんは予想外の言葉をかけてきました。


「ねぇ。お礼って、直接お仕事先に伺ってもよろしくて?

 私、貴方みたいな方が勤めているっていうこのホストクラブに興味が出たの。」

「えっ?」


 そう告げる彼女の瞳は好奇心いっぱいに輝いており、とても慰めの嘘やその場限りの社交辞令を述べているようには見えません。

 戸惑いながらも頷いた後日。本当にレジェンズへと姿を現したおばあさん。

 帰る頃にはすっかりお店を気に入り、それから彼女が熱心な常連客となるまでにそう時間はかからなかった、というお話です。


スケルンの守備範囲は「ゆりかごから墓場まで」です。

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