第7話 夏休みまであと20日
無理やり話をそらしちゃったけど、カンナは特に突っ込んでこなかった。
「夏休みまであと20日だね」
吊革に両手をかけて私の向かいに立っているカンナは、そんなことを言って楽しそうにしている。
「夏休み、楽しみなの?」
私も夏休みは楽しみだけど聞いてみる。
「楽しみ! まっ、ほとんど部活でつぶれるだろうけど、学校はないしね」
前髪をいじりながら喋るカンナ。
「譲子さんも休みは部活?」
「うん、7月から部活も毎日になるしね」
「えっ、じゃあ今日から放課後は部活?」
「うん」
私は、水泳部――っと言っても、うちの高校のプールは屋外だから7月から9月の間しか入れないんだよね。だから、毎日部活があるのはその3ヵ月だけで、それ以外の期間は週に1回、市のプールに練習に行くの。
今日から7月でプールも解放されるから、部活も毎日になるんだ。
まぁ、7月の初めは気温によって入れない日もあるから、朝練はほとんどないんだけど。
「カンナは、今日も朝練なんでしょ?」
「うん、大会まで2週間ちょっとだから。放課後の部活も長引くと思うから……しばらく一緒に帰れないねって言おうと思ってたけど譲子さんも部活じゃどっちにしろ無理だったね」
カンナは首を傾げて残念そうに言う。
「うん。しばらく、帰りは別々かな?」
私もそう言って苦笑する。
「あーあ、しばらく一緒に帰れないのか……、あっ、夏休みになったらますます会える日減っちゃうじゃん!」
そう言って、しょんぼりするカンナ。
「そうだね。お互い部活があっても、始まる時間は違うだろうから」
カンナのテニス部は午前9時から午後6時くらいまでびっちり練習するらしい。私の水泳部は10時から12時くらいで終わると思う。
「夏休みは、同じ電車ってわけにはいかないね」
私がそう言うと、カンナはますます不満そうに頬を膨らませる。
ふふっ。
そんな顔をするカンナは子供っぽくて可愛くて、ついつい笑ってしまった。
「ひどいな……譲子さん、笑うなんて」
そう言ってふてくされた顔も、なんだか可愛いんだ。
国府台駅に着き、電車を降りながら言う。
「夏休みまでまだ20日もあるし、いっぱい一緒に帰れるよ」
なぐさめるように言う、すると。
階段を下っている間、黙りこんでいたカンナが私を横目で見て、ぽつんと艶っぽい声で言う。
「20日したら、会えなくなっちゃうのか……」
そんな寂しそうな声を出されると、どうしていいか分からなくなってしまう。私が口をつぐんでいると。
「あっ、そうだ! 夏休みの土日は部活ないから、譲子さん遊ぼうよっ!」
突然思いついたように、カンナが言う。
普段、カンナは土日も部活があって休みの日に会ったことは一度もない。でも、さすがに夏休みの土日は部活もお休みみたい。
「うん、いいけど……」
カンナが瞳をキラキラとさせて嬉しそうに言うものだから、何にも考えずに即答してしまった。
「やった! 譲子さんとデートだ!」
そしたらカンナがデートだなんて言うものだから――びっくり!
ええー、デート!?
「えっ――」
バサッ。
あまりにびっくりしすぎて、手に持っていた定期を落としてしまった。
私は改札を出てすぐのところで立ち止まる。
「譲子さん、どこか行きたいとこある?」
カンナは私が立ち止まっていることには気づかず、てくてく歩きながら話を続けていた。
「あれ? 譲子さん?」
駅の建物を出たところまで行ってようやく私が隣にいないことに気付いたカンナが、小走りに戻ってきて私の顔を覗き込む。
自慢じゃないけど私は今まで、誰かと付き合ったこともなければ、“デート”すらしたことがない。
だからいきなり“デート”とか言われると、その単語だけでドギマギしてしまうじゃないかっ。
言う、言うぞ!
私は文句を言おうと、キッと顔を見上げたんだけど――
カンナがあまりにも綺麗な笑顔で私を見ているから、勢いを失ってしまう。
「なんでもない……」
はぁー。
どっとため息をついて、とぼとぼと歩き始める。
カンナの端正な顔を見たら、言いたかったことも言えなくなっちゃったじゃない。
カンナは不思議そうに首をかしげながらも足早に私を追いかけてきて、すぐに横に並ぶ。その顔は満面の笑みで、私は複雑な気持ちに唇をかみしめた。
「23日」
突然そう言われて、びっくりしてカンナを仰ぎみると。
瞬間。
ばちっと私とカンナの目が合って、宝石みたいにキラキラした綺麗な瞳にじぃーっと見つめられて、私はカンナをまじまじと見つめ返してしまった。
あまりにじろじろ見すぎたせいかしら。
私の視線の先で、カンナの顔がカッと赤くなってふいっと視線をそらしたの。
「23日は会える?」
顔をそむけたまま言うカンナ。見ると耳まで真っ赤になってる。
あら、照れちゃって可愛い。
「えっと、その日は中学の同窓会があるから」
同窓会は夕方からだけど、同じ日に予定を2つもこなせるほど私は器用な性格じゃないから。
「できれば、違う日がいいかなって……」
そんな理由で断るのが悪いなって思って、だんだん声が小さくなる。
「了解、予定があるなら仕方ないね。じゃ、24日なら大丈夫?」
「うん、24日は大丈夫」
一度断っているから、即答で答える。
「じゃ、24日会えるの楽しみにしてる」
そう言って、白い歯を見せてにかりと笑うカンナ。
「どこ行くかは、また今度決めよう!」
里見高校の校門までもうすぐのとこで、カンナがそう言い手を振って校門をくぐっていく。私はそのまま少し歩いてから横断歩道を渡って、国府台南高校の校門へと向かった。
教室に入るとまだ誰も来ていなくて、私は机の横に鞄をかけて、一緒に持ってきていたプール道具の入った鞄だけを持って水泳部の部室に向かう。
教室棟を出て体育館に向かう渡り廊下を通って、その途中にある部室棟に向かう。
部室にも誰もいなくて、荷物を置いて渡り廊下に戻り、体育館の中にある体育教官室でプールの鍵を貰って、とりあえず気温と水温を確かめにプールに行ったんだけど、朝はまだプールには入れなさそうだった。
水泳が好きっていうよりも、小さい頃から習っていて泳ぐのが当たり前というか、ただ単に楽しいから、それだけの理由で水泳部に所属している。まあ、いちおメドレー泳げるし、他の人よりは早いとは思うけど、水泳部の中では普通かな。
水に浸かった時の感覚は気持ち良くて、泳いでる時は無我夢中で自分の世界に入り込めるから好きなんだ。
あー、早く泳ぎたいなぁ。
そんなことを考えつつ、頭の片隅でもう一つの事を考えていた。
『あ、奈緒は元気? 奈緒にも同窓会のこと言っといてね』
『いや、最近会ってないからわからない。……奈緒とは別れたんだ』
御堂君――
奈緒――
実はあの日以来、御堂君とは話していない。
今朝、夕貴に頼まれた同窓会のことを御堂君に伝えるってことは――御堂君と話すっていうことは、どうしてもまたあの話をしなくてはならないような気がして、ずっと切り出せないでいた。
教室棟と体育館をつなぐ渡り廊下と部室棟の間にある中庭に腰をおろして渡り廊下の壁に寄りかかりながら、ぼんやりと空を見上げる。
教室に戻って御堂君が登校していたら、話さなくてはならない――
そう思うと教室に向かう足取りが重くて、教室に戻りたくないような気にさえなってくる。
ひたすらボーっとして、始業のチャイムが鳴るのを待っていたんだけど、こんな時に限って、どうして会ってしまうものなのかな。
「桜庭? 何やってるんだ?」
そう声をかけてきたのは他でもない御堂君。
いま一番会いたくなかった人――
「ん……」
私はそう言って俯き、黙りこんでしまった。
御堂君は、奈緒と別れたって言っていた――
そのことについて触れていいのか、私なんかが聞いていいのか、ずっと迷っていた。
だから、私は重い口を開けて声を絞り出す。
「あのね……」