第42話 幸せの花を咲かせよう
あの日――
カンナの大会が終わるのを待って、駅前のマックに一緒に行った。2階の窓側の席に横に並んで座り、暮れかかる夕闇の中、駅に出入りする人々を眺めながら、カンナがぽつぽつと話し始めた。
「譲子さんに――一目惚れだったんだ。そんなこと初めてで戸惑って、初めて話した時は本当に緊張していて、でも話せた喜びで胸が一杯だった。話したことがないなら話せばいいんだし、お互いの事を知らないなら知ればいい――そんな始まり方があってもいいはずだろ?」
そう言ったカンナは、私の方を見てくすりと甘い笑みを浮かべるから、私は静かに頷いた。
「御堂さんと初めて会った時、譲子さんの気持ちになんとなく気づいてた。自分と同じような感情が譲子さんの中にもあって、その先には御堂さんがいるって。不安で胸が押しつぶされそうで、遊園地の時も、海の時も、気が気じゃなかった――」
カンナが、私の中の御堂君の気持ちに気づいていたなんて知らなくて瞠目する。なんか罪悪感がこみあげて、身じろぎし肩をすぼめる。
「あの、私と御堂君は――っ!」
中学の頃の事、今の御堂君との関係をすべて打ち明けようとして開いた口を、カンナの優しい瞳が遮る。
「2人の事は、夕貴さんから聞いて知っているよ。だから、譲子さんは御堂さんのことがまだ好きなんじゃないかって思って、おまけに寝姿山で御堂さんが告白するの聞いちゃって」
「えっ!?」
まさか、告白されたところを見られてたとは思わなくて、かぁーっと顔が赤くなる。誤魔化すようにストローを咥えたんだけど、チューっと飲み物がなくて空の音を響かせる。
誤魔化そうとした行動で恥をかいて誤魔化しきれなくて俯き、ちらっと横目にカンナを見ると、目元を和ませて見られていて、ぎゅーっと胸が締め付けられる。
そんな顔、反則だよ――っ!
「だから、御堂さんと譲子さんは付き合いだしたんだって思った」
「えっ、違っ――」
そんな誤解をされていたとは思わなくて、必死に首を左右に振る。
「花火大会の日告白したのは、振られる覚悟だったんだ。譲子さんの1番が御堂さんだってのは分かっていて、だけど譲れない気持ちが合って――風邪で倒れた日、譲子さんが帰ろうとした俺の手を握ってくれて、それが嬉しくて離せなくて。だけど譲子さんは御堂さんと付き合ってるから諦めないといけないんだって悩んでた時に、留学生に決定したって聞かされたんだ」
御堂君とは付き合っていない――って言おうとしたんだけど、カンナに分かってるって目で言われて安心して、黙ってカンナの話の続きを聞いた。
「迷ったよ、ってか留学の希望出してたことなんかすっかり忘れてたしね。でも、賭けてみたいんだ、自分の可能性に。将来かならず役に立つからとか、将来のためとかじゃなくて、今できることに、未来の可能性に賭けてみたいんだ。だから、譲子さんへの気持ちとは別に留学することを決めて――花火大会に誘った」
そこで言葉を切ったカンナを見て、恐る恐る口を開く。今度は、私の番。
「あの……私は……。1番をカンナにあげられないって言ったのは、自分の気持ちがよく分かってなくて。中学の時、私は御堂君と1番仲がいいと思っていて、でもそうじゃないって知ってショックで、忘れようと思ってもどうやったら忘れられるのか分からないくらい想いがこもってて――大切な言葉だった。だからそれを自分が口にして、もし間違ってて、傷つく――自分が怖かった」
涙声になる。震える唇で呼吸を整えて、しゃんと背筋を伸ばす。
「まっすぐにぶつかってくるカンナや御堂君の誠意に答えられなかったのは私が弱いからで、自分が傷つくことにばかり恐れていた。でも――夏休みが明けて、カンナが電車に乗ってこなくて、当たり前になっていた日常にカンナの姿が欠けて寂しくて、カンナが側にいない日常なんて考えられなかった――」
膝の上に置いた私の手の上にカンナが手を乗せ、優しく微笑むから、ふっと笑みが漏れる。続きを言う勇気が湧く。
「でも、カンナが留学するって聞いて、私とは会ってもくれなくなって、もう友達でいるのも嫌になったのかと思って心が折れて――だから、今自分に出来ることを頑張って、少しでも自分に自信を持てたらカンナに会いに行こうって」
「駿介から聞いたよ、譲子さんも昨日今日って大会だったんだってね」
駿介――? 誰の事か分からなくて首をかしげると、カンナが意地悪な笑みを浮かべて熊本の事、って教えてくれた。ああ、熊本君の下の名前、駿介って言うんだ。
つまり、沙世ちゃん、熊本君経由で聞いたって訳ね。
「うん……」
私は頷いて、頬がうずうずして――笑みが漏れる。
「自己ベスト……更新したの。初めて3位になっちゃった……」
決して他の人が遅かった訳ではない。タイムを伸ばして3位になって、確実に自分の中で何かが変わり始めている――
「すごいじゃん! おめでと」
カンナがあまりにもキラキラと瞳を輝かせるから、私もカンナに笑いかける。
「カンナもおめでとう。団体、優勝したんだってね」
「ありがと」
そこで互いに顔を見合わせて、ふっと2人同時に笑顔がこぼれる。
「会いに来てくれてありがとう」
カンナがうっとりするような甘い笑みを浮かべるから、私は座っていた丸椅子をくるりと回してカンナの方を向く。
「私とカンナって友達?」
いつか聞いたセリフを言うと、カンナが透き通るような綺麗な瞳に一瞬鋭い光を宿して、甘く妖艶に笑って頬を寄せる。その仕草があまりに色っぽくて、ドキンっと大きく胸がはねる。
「俺と譲子さんは――彼氏と彼女だよ」
くすっと笑って、不意打ちで頬に軽い口づけをするから――私は心臓が口から飛び出しそうな程驚いて目を白黒させる。
そんな私を隣に座っているカンナがくすくす笑っている。
なんだかカンナって、私が知らない顔をまだまだ持っているようで鳴り響く鼓動に、波乱の予感がして眉根を寄せる。
「譲子さん、そんな顔しないで」
そう言われても警戒しない訳にはいかなくて、身を固くしてカンナから少し距離を取ったんだけど――
「好きだよ、譲子さん」
さりげなく言ったカンナの言葉に、自分でも分かるくらい頬が真っ赤に染まっていく。
※
カンナの留学までの1ヵ月、休みの日はなるべく会う様にして、一緒にいる時間を大事にした。
そして9月30日、カンナがオーストラリアへ旅立つ日。
この日は、来週から始まる後期と昨日で終わった前期を挟む秋休みとして、金曜だけど学校が休みだから、空港までカンナを見送りに来ていた。
「譲子さん――」
荷物をすでに預け終え、斜めがけの手鞄1つの身軽なカンナが私の手を両手で掴んで、それを額にあてて俯く。
「たくさんメールするから」
「うん」
「たくさん、葉書を送るから」
「うん」
「…………」
「体に気をつけてね。ちゃんと勉強してね」
カンナが黙っているから、私は苦笑する。
「カンナなら、すぐに友達いっぱいできるだろうね。向こうでの生活、楽しみだね」
顔を上げたカンナが切なく瞳を揺らしていて、こういう時に笑顔で別れを言えそうなカンナだったから予想外で、言葉に詰まる。
最後じゃないから、ちゃんと笑顔で見送ろうと思ったのに、カンナにそんな顔をされたら、決意が鈍りそうで堪らなくなる。
「譲子さんは俺と離れて平気――?」
この1ヵ月、お互いにそのことに触れないようにしてきた。離れてもお互いの気持ちが変わらない事を信じて、また1年後に再会するのが当たり前のように。
それなのに、カンナがその言葉を口にして、秘めていた想いが溢れて、涙の堤防が決壊する――
「平気だよ――」
平気な訳ない――
カンナは私の言葉を聞いて切なく顔を歪め、それから私の顔を見て動揺する。
きっと、涙で顔がぐしゃぐしゃだったと思うから。
「カンナは、たくさんメールも手紙もくれるんでしょ。それなら、目に見えるところにカンナがいなくても、心は側にいるから。そう、信じているから――いってらっしゃい」
カンナを突き放す言葉じゃなくて、カンナの背中を押す言葉だから、ちゃんと伝わればいいと思う。
繋いでいた手をそっと離し、手の甲で涙を拭う。今日はカンナの笑顔を見ていないことに気づいて、精一杯勇気を奮い起して、とびっきりの笑顔を向ける。
「カンナ――」
カンナの肩がぴくりと揺れて、動揺した表情に緊張感が走る。
「笑って――?」
涙を拭くために離した手を繋ぎ、にっこり笑いかける。
「私はずっとカンナを待ってるよ。カンナの横で、前を向いて歩ける自分でいたいから、カンナがオーストラリアで頑張る間、私も自分で自分を誇れるように精一杯努力する」
水泳大会で手にしたのは銅メダルじゃなくて、ほんの少しの自信と1歩を踏み出す勇気だった。
無理をしているのは伝わってくるけど、カンナがふわりといつもの笑みを浮かべる。
「笑顔は幸せの種。2人でいっぱい笑って時には喧嘩して、仲直りしてまた笑って、幸せの花を咲かせよう――2人で一緒に」
繋いだ手を離さないで――
こうして、電車の中という変な出会い方をした私とカンナは、友達になって、恋をして、付き合い始めて、別々の道を進んでいく。
カンナはオーストラリアで、私は日本で。
だけど、向いている方向は一緒なの。
手を繋いで並んで歩いて行く。
これははじまりの扉を開いただけ。
すべては、ここからはじまる物語――