第40話 零れるのは、涙
告白をするタイミングを計っていたら、花火大会も中盤に差し掛かっていた。花火が終わる前には、話を切りださなければいけないと思うと、宵闇を照らす大輪の華がどんなに綺麗だろうと、見とれる事も出来ずにほとんど花火は視界に入っていなかった。
唐突に――
シャツの裾を掴まれて、その手が慌てたように引っ込められる。なんとなく見上げていただけの夜空から、肩が触れ合うほど近くに立つ譲子さんに視線を移す。
「ん? どうしたの、譲子さん?」
「えっ……と……」
首をかしげて尋ねると、譲子さんの顔に戸惑いが浮かび口ごもる。
俺から醸し出される緊張感が譲子さんにも伝わってしまったのかと思って、ばつが悪くて苦笑する。
「譲子さん――」
自然と譲子さんの手に手を触れる。譲子さんの手はひんやりと冷たくて。
「俺に……何か言うことでもある?」
まっすぐに譲子さんを見据え、真面目な顔で尋ねる。俺よりも先に、譲子さんが話を切りだすのも――それはそれで良いかもしれない。
もし、御堂さんと付き合うことになって、俺とはもうこんな風に出かけることが出来ないと言われたら、笑顔で受け入れられそうな気がする。
へたに俺の気持ちを打ち明けて、譲子さんを困らせるよりはいいかもしれない――そう思ったのに。
「ど……うして、そんなこと聞くの?」
譲子さんがぎゅっと唇をかみしめて、消え入りそうな声で言うから、身につまされて、言葉が出なくて――
言葉にする代わりに、一瞬、握っている手に力を込める。勇気を奮い立たせて言葉に乗せる。
視線を夜空に戻し、ふっと笑う。その笑顔は皮肉気だったかもしれない。でも、そんな風に笑わないと、切なすぎて泣いてしまいそうだったから――
「ねぇ、譲子さん。俺が譲子さんを好きって――知ってた?」
その言葉に、ぴくりと揺れた譲子さんの手。俺はその手を優しく包み直し、夜空に視線を向けたまま言葉を続ける。
「一目惚れだったんだ。譲子さんに話しかける前、譲子さんが俺に気づく前から、俺は譲子さんと話してみたくて、どんな声なのか――とか、どんな風に笑うのか――とか、すごく気になって」
そこで言葉を切って、視線を地面に落とす。
「譲子さんは御堂さんの事が好きなの? 譲子さんの気持ちはどこにあるの?」
そう言った俺の声はフィナーレの花火の音にかき消され、譲子さんに聞こえていなかったことを悟る。
地面から金色の火花が幾筋も立ち昇り、ナイアガラの滝のように神々しく光を放って流れていく。
ドドドドド…………ドドンッ。
最後の一発が打ちあがり、残響と歓声が一気に高鳴り、割れんばかりの拍手が辺りにこだまする。
ざわざわと名残惜しげに会場を後にし始める人々の中、俺は微動だに出来ず立ちつくす。
「カンナ――?」
繋いだ手を揺らし、心配そうに見上げる譲子さんに名前を呼ばれ、譲子さんに視線を向ける。心を笑顔に隠して、精一杯笑ったつもりだ。
「譲子さん……」
それなのに、口から出てきた声は自分でも情けなく感じるほどか細い。ちゃんと自分の手で幕を閉じなければと思い、言葉を絞り出す。
「好きだ――」
そんな単純な言葉しか言えない自分が情けなくなる。だけど重荷にはなりたくなくて、自分の心を打ち明けるように、言葉に刻む。
少しの沈黙。温もりの伝わる繋いだ手に力を込める。不覚にも涙が零れそうになる――
「ごめん……こんな風に言うつもりじゃなかったんだ。ごめん……付き合ってほしいとか、そんなことは言わない。ただ、俺だけを見てほしいんだ。譲子さんの1番になりたいんだ……」
俺の今の気持ちを精一杯伝える。
譲子さんはずっと黙って俺の話を聞いてくれて、必死に首を振り、繋いだ手にもう一方の手を重ねて、俺の気持ちを受け止めてくれようとしていた。だから――
「ごめんなさい……私の一番は、カンナにあげられない――」
その言葉が、どんなに痛く胸に刺さっても、受け入れる覚悟は出来ていた。だけど――
そんなに俺も強くないんだ。分かっていた答えでも、譲子さんの口から直接聞かされると、衝撃は酷くて、足元が崩れたようにふらつく。
情けない顔を見られたくなくて譲子さんから顔をそむけ、繋いだ手を無我夢中で剥がしていた。
俺の行動に、譲子さんが胸を痛めて戸惑っているのを感じても、取り繕う空元気も出ないくらい動揺して、言葉でも態度でも何も出来なくて。
桜の季節に見つけた俺の宝物――
ずっと見守って、見続けて――やっと近づいたと思ったら、風に舞う花びらのように手のひらをすり抜けていってしまった。遥か彼方に、掴むことの出来ない場所に――
俺と譲子さんの距離はたったの2歩なのに、すごく遠くに感じて、身動きが取れない。
どのくらい、その場に立っていただろうか。
2人の間に流れる気まずい沈黙を破るように譲子さんに1歩近づき、苦笑する。
「そろそろ、帰ろうか……?」
譲子さんの体調があまり優れない事を思い出して、いつまでも海風に当たるこの場所にいるのはダメだと思って帰る提案をする。
たとえ、お互いの気持ちの行き着くところが違っても、友達だと言った気持ちに嘘はなくて。自然に振る舞ったつもりだった。今できる精一杯の笑顔を向けたつもりだ。
「まだ人混みがすごいから。迷子になったら困るから……」
そう言ってからそっと譲子さんの指先に指先で触れて、駅に向かって歩き出した。
※
月曜日、寝坊していつもよりかなり遅い電車に乗り込んだ。
花火大会の日におやすみメールをしてから、譲子さんとはメールも電話もしていない。避けた訳ではなくて、自分の気持ちを整理するために、少し距離を置こうと思ったんだ。
次に会った時、譲子さんと笑顔で話せるように――
それなのに。
国府台駅で、視線の先に譲子さんと御堂さんの後ろ姿を見つけて、心穏やかでいられなくなった。
『譲子さんは御堂さんの事が好きなの? それなら、俺は自分の気持ちを消す努力をするよ。譲子さんには笑っていて欲しいから、隣にいるのが俺じゃなくても……いいんだ……』
そう言ったのは自分なのに、目の前で2人が仲良く歩く姿を見てしまうと焦燥に駆られる。
やっぱり、譲子さんと御堂さんは付き合っているんだ――そう思う一方で。
ついこの間まで譲子さんの隣にいたのは俺なのに――と思わずにはいられなくて、やり場のない苛立ちに身が焦がれる。
そんな時に譲子さんからメールが着たから、苛立つ気持ちのまま素っ気なく返してしまった。
『To:譲子さん
subject:おはよー。
本文:寝坊して今学校に着いたとこ……
ごめん、今日は部活のミーティングがあって何時に終わるか分からないから、
写真はまた今度でもいい?』
書いた内容に嘘はない。そこに、いつもだったら含ませない俺の暗い気持ちを滲ませる。
会いたくないんだ――
譲子さんにはしばらく、会えない――
落ち込んだ気分で夏休み明け初日を終える。
テンションが高いのは先生だけで、生徒は休み明けにいきなり6時間授業じゃもたないって、なんで先生は気づいてくれないんだろうか。
ただでさえへこんでいるのに、リーダーの先生は俺が留学生に選ばれたからか、嬉々とした顔でしつこく当ててくるし、最悪だ。
「なんだ、カンナ? 機嫌悪いな?」
帰りのホームルームが終わって部活に行く準備をしていると、駿介が俺の机に腰かけてにたにたした顔で聞いてくる。
機嫌悪いって分かってるなら、そんな顔で話しかけるなよな。心の中で思いながら。
「べつに、なんでもねーよ」
って言ったのに。
「朝、寝坊して譲子さんに会えなかったから元気がないだけだろ」
ちゃっかり話を聞いていたのか、河原が通り過ぎながら言う。その言葉が図星だけに、苛立ちが募る。だけど、駿介達に当たるのは八つ当たりだって分かっているから、大きく深呼吸して立ち上がる。
「ほんとに、なんでもないから……」
テニスラケットの入った鞄と学生鞄を肩から下げ、教室の出入り口に向かう。
「早くしないと、遅れちまうぜ」
河原はすでに廊下の先を歩いていて、まだ教室にいる駿介を急かして歩き始める。
苛立つのは、譲子さんに会わないとメールした自分自身に。週末に大会があるからその練習で遅くなるからっていう正当な理由があるけど、本当に会いたければ、どうにでもできるんだ。
それなのに、それをしない、逃げている自分が嫌になる。だけど――
あと1ヵ月で俺は譲子さんの傍から離れることになる。それならもう、このまま会わない方が俺の気持ちが荒立つ事もなく、譲子さんを想う気持ちをなかったことにできるかもしれない。
だから、朝の電車の時間をずらし、俺からは一切メールも電話もしなかった。
※
5日経ち、金曜日。明日に大会を控え、早く部活に行きたかったのに、こういう日に限って呼び出されるんだ。
留学生の懇親会――つまり、今年選ばれた留学生同士の顔合わせとスケジュール確認など。どうせなら大会終わった後の来週にしてくれって思うけど、留学は10月からで、9月末には前期期末試験を控えていて、先生たちは大忙しなのだから、仕方がない。
重要そうな話が終わり、生徒や行きの付き添いの先生が話しているから、部活に行くといって抜け出す。
もっと早く抜け出したかったが、なんだかんだ引きとめられて2時間も経っている。練習着で懇親会に出ていたから、部室に寄らないで直でテニスコートに、アップの代わりに走って向かう。
コートに着いて部長に挨拶して隅で準備運動をしていると、模擬試合をしていた駿介が汗まみれで俺に駆けよってくる。その顔があまりに暑苦しくて、俺は眉根を寄せて身を引く。
「カンナ! 留学生に決まったって本当かよ!?」
留学生の発表は来週の集会でのはずで、駿介が知っていることに訝しみ、河原がしれっとした顔でこっちを見ているのに気がついて舌打ちをする。
河原の1つ年上の兄さんも今年の留学生に決定している。そこから俺が留学生だと漏れたらしい。
「なんで、黙ってたんだよ……俺達、友達だろう?」
駿介は剣を露わにして叫び、俺の胸ぐらをつかむ。
俺は言葉に詰まって地面に視線を落とす。
「譲子さんはこのこと知ってるのかよ!?」
そう言った駿介が、何かに思い至ったように顔を顰める。
「最近、様子がおかしかったのはこれが原因で譲子さんとギクシャクしてたのか――」
一人ごちる駿介。俺は駿介を一瞥し、吐き捨てるように言う。
「友達だからって、なんでも話さないといけないのか――?」
留学するって決まって、悩んだ――それは譲子さんのことも含まれるけど、親友と離れ離れになることだって、寂しくないわけではない。
決断するのに、俺がどんなに悩んだか知らない癖に――
新しい環境に飛び込むことに、恐れていない訳じゃない。
俺は堪らなくなってラケットを持って走りだす。
悩んだ末に決めた事だから――背中を押してほしかったんだ。頑張れって言って欲しかったんだ。