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ここからはじまる物語 【改訂版】  作者: 滝沢美月
第4章 いつも君だけを見つめて
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第37話  だから、どうか1つだけ


 9月3日、土曜日。新習志野の水泳場に向かう電車の中、携帯の着信履歴がないことを確認してパタンと閉じて鞄にしまい、ため息をつく。

 昨日、部活が終わってからカンナにメールをしたけど、予想外と言うか予想通りというか――返事は来なくて、今確認してみたけどカンナからのメールは来てなかった。

 沙世ちゃんからの情報はおおまかな部分だけで、いつから留学するのかとか具体的な事を知ることは出来なかった。だから私は、直接カンナから話を聞きたくて、『話がしたい』ってメールをしたんだけど、会うとも会わないとも返信は来ない。

 カンナはこのまま私とは会わないで留学するつもりなのだろうか――そう考えて、1つの疑念に変わる。

 花火大会の日、言ったカンナの言葉を思い出す。


『付き合ってほしいとか、そんなことは言わない』


 もしかしたらあの時点で、カンナは自分の留学が確定してることを知ってたのではないか。だからあんな言い方をしたの――?

 ただ、私の気持ちを確認したかっただけのような言葉――

 カンナとの関係を修復しようと必死になってる私だけど、カンナに会って、なんと言えばいいのか分からなかった。

 会って、もしカンナに無視されたら――

 友達以前の関係に戻りたいって言われたら――

 そんな事を想像して、恐ろしさに心がぶるりと震える。

 カンナは、うちよせてはかえる波のように、徐々に私の中で存在を主張して、いつの間にか、なくてはならない存在になっていた。

 この気持ちをカンナに伝えたい。

 御堂君の時みたいに曖昧にしたり、タイミングを見失って自分の気持ちまで見失ってしまう――そんなことにはしたくなくて。

 だけどカンナに会う、あと一歩の勇気が出なくて、私は携帯を握った拳に力を入れて額に近づけ、ぎゅっと目を瞑る。

 だから、どうか1つだけ賭けをさせて――

 今日と明日の水泳大会で、自己ベストのタイムを出せたら――ほんの少し、前に進む強さを持てたら、カンナに会いに行く――って。

 沙世ちゃん経由の熊本君情報で、カンナ達も今日と明日は国府台競技場でテニスの大会があると聞いた。

 テニス大会のある国府台競技場は学校のすぐ側、水泳大会がある新習志野水泳場は学校から1時間の距離。

 時間的に今日は国府台に行くことは出来ない。だから自己ベストを出せたら、明日――

 いつだって、私はカンナからのアクションを待ってて受け身だった。初めて声をかけられ時だって、一緒に登校しようと言われた時だって、デートの時だって。

 だから今度は、私から動こうと思うの。



 前のレースが終わり、召集がかけられ自分のコースに並び、ゴーグルを目の位置に合わせて準備を整える。

 私が出る種目は自由形200Mと400M、予選が今日で決勝が明日。うちの学校の水泳部は人数が少ないから、掛け持ちで2種目出る人が多い。

 これから始まるのが200M予選で、10コース4組、その内上位タイム10人が明日の決勝に進むことができる。

 私の200Mの自己ベストは2分12秒36。

 それを目標に、今日まで頑張ってきたことを、今この瞬間、すべてをかけて泳ぐ。


『位置に着いて――』


 スタートのアナウンスが流れ、会場内が静寂に包まれる。

 プールサイドからスタート台に登って台の端に指先をからめる。


『用意――』


 膝を曲げ腰を折り、伸ばした両手を台につける。緊迫の一瞬。

 パンッ――!

 ピストルの音で、台を蹴り出し宙に舞う。放物線を描いて僅かな水しぶきを上げて水面に潜り込む。それからは必死。

 ただ美しいホームで、腕を掻き、力一杯水を蹴りつける。

 水色と泡とざわめきの世界を、がむしゃらに泳いでいく。あっという間に50Mを泳ぎターンをして折り返す。それを3回繰り返す。

 400Mもそうだけど、200Mはペース配分が大事。自分の力を限界まで出しきって、いかに体力を消耗しないで泳ぎきるか。自分の力をどこまで信じられるかに――懸かっている。

 ザバッ――!

 水面を切り、壁に手をついた格好で顔を上げる。足は立ち泳ぎの格好で。水深が2Mあるから。

 プールサイドに上がると、側で待っていた近野マネージャーがタオルとパーカーを渡してくれて、ありがとうと言って受け取る。


『只今の結果――』


 アナウンスが流れ、結果が電光掲示板に表示される。第7レーンの私のタイムは2分13秒65。自己ベストには届かなかったけど、今の段階で私のタイムは2位。残りのレース、第4組はベストタイムが1番早い人達で構成されている。4組の中で9位だった人よりもタイムが速ければ決勝に進めて、もう一度自己ベストに挑戦する機会を得ることができる。

 他人のレースだけど、自分の事のように祈る思いで見つめる。

 スターターの声、ピストルの音と水面の軋む音。たった2分間だけど、泳いでいる時よりも長く感じられる時間だった。



  ※



「お疲れ様ー」


 口々に言って、地面に置いていた荷物を持ち上げ、作っていた人の輪からちらちらと人が抜けていく。

 大会1日目が終わり、水泳場の外、駅前で輪になって連絡事項とミーティングを済ませ、高濱(たかはま)部長から解散の合図が出たとこだった。

 空はすっかり青寄りの薄闇に塗られ、西の空の端がうっすらとオレンジ色に光っている。

 私も足元に置いていたスポーツバックを握り肩にかけて歩き出す。


「桜庭さん、お疲れー」


 高濱部長と話していた近野マネージャーが近づいてきて話しかける。


「お疲れ様です、近野先輩」

「400Mは残念だったけど、200M決勝進出おめでとう」

「ありがとうございます」


 そうなんだ。400Mは自己タイムさえ出せず、決勝も行けなかった。200Mは予選で自己ベストは越せなかったけど、タイム8位で決勝に進むことが出来たから、明日、もう一度挑戦することが出来る。

 明日の200M決勝にかけることができる――


「明日は、試合がない人は自由参加だから人数がぐんと減っちゃうけど。明日も頑張りましょうね」

「はいっ」


 私は意気込んで頷いた。

 この調子でいけば、いける――

 絶対なんて言葉は絶対じゃなくて嫌いだけど、根拠のない自信が、その時の私にはふつふつと湧いてきていた。



  ※



『ちょっと、桜庭さん!? 今どこにいるの――!?』


 走りながら出た携帯の向こう側から、近野マネージャーの焦った声が聞こえる。

 水泳大会2日目。私はスポーツバックを肩から斜めにかけて電車を降り、競技場に向かっていた。


「えっと、今は……」


 そこで言葉を切りって口ごもり、視線を空に向ける。

 西の空に沈みゆく太陽が、空を切ないオレンジ色に染めている。


『もう、どこでもいいから、早く戻ってきて! 表彰式が始まっちゃうわよっ!!』



 200Mの決勝、私は第9レーンでスタート台に立つ。数えるほどしか経験のない決勝戦は、予選とは比べ物にならないくらい緊迫感があって、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキと鼓動がうるさい。

 予選では力の8割ほどしかださない人もいて、正直、決勝戦のレースに着いていけるかどうか自信もない。

 だけど――

 私はこの試合に、大切な物を掛けている。

 自分自身との戦い。

 どこかでもういいやって弱音吐いて投げ出して、後ろばかり向いている私にさよならする。進むべき先に待っている自信と勇気を掴むために――


『位置に着いて、用意――』


 スターターの声が予選よりも明確に耳に響く。頭の奥に浸透し、体が戦慄する。

 予選の時よりも緊張しているのに、それを上回って体が研ぎ澄まされている、不思議な感覚だった。

 水に入った瞬間から、自分が自分じゃない様な水に馴染む感覚に夢中で手足を動かした。ただ前に進むだけに――



 泳いでいた自分はよくわからなくて、プールサイドに上がると近野マネージャーと高濱部長が駆けよってきて強く抱きしめられた。


「やった、すごいよ桜庭さんっ!」


 興奮気味のマネージャーにぎゅっと抱きしめられて、目を細め苦笑する。

 マネージャーの喜びようからすると、自己ベストは更新できたのかな……

 いつもだったら手元のストップウォッチで測定したタイムを教えてくれるのに、興奮しすぎてそれすらも忘れている。

 私は200Mを泳ぎ切った疲労感よりも、なんだか心地良い達成感に包まれていて、タイムばかりを気にしていたのが少し恥ずかしくなる。


『只今の結果――』


 場内にアナウンスが響き、電光掲示板に1位からゆっくりと名前が出る。


『1位……成山高校、吉綱夏絵さん……』


 静まり返った場内が歓声と拍手に湧く。アナウンスが2位を読み上げるよりも早く、電光掲示板に名前が出、次いで3位の名前が出て、私は大きく目を見開いた。


『……3位、国府台南高校、桜庭譲子さん……』


 自分の目と耳が信じられなくて呆然としている私に、再びマネージャーが抱きつく。


「おめでとう、桜庭さん! 3位よ、やったぁー!」


 自分の事のように喜んでくれるマネージャー、部長や他の部員、顧問から祝福されて笑みが漏れる。

 タイムは2分09秒98で、予選より4秒近く早くなって自己ベストを大きく大きく上回っていた。4位との差はたった0秒03、5位とも0秒05しか変わらない僅差で3位だった。




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