第28話 掴んだ手のひら 1
8月に入って夕貴さんから電話がかかってきて、海に行かないかと誘われる。
目的は別荘の大掃除だけどすぐ側に海があることを聞いて、行きたくなる。おまけに、メンバーが譲子さん、それに中野さんと御堂さんと聞いたら行かないわけにはいかないだろう?
日程もちょうど部活が休みに入る時で、男友達を2人くらい誘って欲しいと言われて行く返事をする。夕方、部室で帰り支度をしている時の電話だったから、部室に残っていた河原と駿介に声をかけた。
旅行当日、集合場所の船橋駅に来た譲子さんは困ったような驚いた顔をして御堂さんを見ていた。その瞳が揺れているのに気づいて、俺は焦りを感じ始めていた。
電車の中で沙世さんに「ホントは付き合ってるんでしょ?」って聞かれた時、譲子さんが困った顔をしてて口をつぐむから、すごくイライラした。違う――ってはっきり否定されるよりは良かったのかもしれないけど。
譲子さんに苛立って「俺はそういう関係になりたいと思ってる」なんて言ってしまったけど――よく考えてみると、今までかなり積極的にアプローチしてはきたものの、譲子さんに直接好きだと言ったことがなかったと気づく。
きっかけは些細なこと――
最初は同じ電車に乗っている国府台南高生が目に入って、なんとなく興味を惹かれて毎朝観察した。見ているといつも本を読んでて、そのうちなんの本を読んでいるのかな、どんな本が好きなのかなって気になりだしていた。
だからあの日、帰りの電車で彼女を見つけて大きく胸が跳ねた。
こんな言葉は陳腐だが、運命だと思った。
彼女の声を聞きたい。喋ったらどんなだろう。そう思った時には、もう話しかけていた。
今思えば、初めから惚れていたのかもしれない。
話したらもっともっとって欲求が出てきて、一緒に過ごす時間を増やしたくてなって。
彼女が俺の事をただの友達としか見てなくて、そして心の奥には俺じゃない違う人がいるんだと気づいた時も、長期戦でこの恋を頑張ろうと思った。絶対に、俺の方を向かせて見せる――って。
だから、夕貴さんが言ってたように確かに気持ちを言うタイミングを計っていたのもある。
初めて御堂さんと会った時、譲子さんの瞳を見た時から気づいていた。譲子さんは御堂さんの事が好きなんじゃないか――って。
それでも、譲子さんが御堂さんはただのクラスメイトで、俺のが仲がいい友達だって言ってくれたから、出会ったばかりだし、これから俺の事をたくさん知って好きになってもらえばいいと思っていた。
それなのに、あの夜。譲子さんと御堂さんが2人きりでいる現場に遭遇して、いてもたってもいられない自分がいて、気が付いたら譲子さんの傍まで駆けよっていた。
その時は2人きりでいるっていうのは誤解だと分かったけど、御堂さんが譲子さんを見つめる目は俺と同じで、譲子さんを好きなのはすぐに分かった。
遊園地に着いてきたのがなによりの証拠で、でも俺も2人がデートするって知ったら邪魔すると思うから、御堂さんに何か言うことはしなかった。
それとなく夕貴さんに2人の中学の頃の話を聞いて、2人が両思いだったけど付き合わず友達以下の関係になっていたことを知る。
それが最近、以前のような仲良かった頃の関係に戻っていると聞いたら、もうがむしゃらに頑張るしかないじゃないか。
下田駅からバスに乗った時、譲子さんの隣には当然のように御堂さんがいて、俺の立ち入れない思い出話を楽しそうにする2人を横目に見て、譲子さんの存在がすごく遠くに感じた。
海で譲子さんが荷物番に残ると言った時、俺も残るって言いたかったけど、御堂さんに先を越され唇をかみしめた。
駿介に引っ張られ渋々海に行った俺は海の青なんか目に入らなくて、砂浜の譲子さんから目が離せなかった。
「気になるなら行ってきたら?」
くすりと夕貴さんに笑われ、俺は駆けだした。
シートの端と端に座る譲子さんと御堂さんの間にはすごい距離があるのに、俺には分からない話をして笑う譲子さんを見て、焦燥感が胸を焦がす。
少しずつ俺の事を意識し始めてくれてるんじゃないかって自信過剰になってたけど、そんな飴細工で出来た自信はすぐにぼろぼろになった。
邪魔したくても近寄ることが出来なくて、奥歯を噛みしめて突っ立っていることしか出来なくて、胸が苦しくなる。
2人が付き合うのも時間の問題かもしれない――だから俺はあがくしかなかった。
残された時間はこの旅行の間しかないように感じて、焦った俺はなるべく譲子さんの近くにいるようにした。でも、譲子さんが御堂さんを好きなら――譲子さんの邪魔はしたくなくて、矛盾した気持ちがぐるぐると胸を渦巻く。
夜のコンビニへの買出しの時、じゃんけんで負けて買出し係になった俺と御堂さんに、譲子さんが一緒に行くと言った時は、背中に冷や汗が伝う。
もしかして、御堂さんと少しでも長く一緒にいたいから――? そんな考えをしてしまった自分はどんどん胸が苦しくなっていく。
邪魔したくない、だけど自分の気持ちに嘘をつくことも出来なくて、コンビニへの行きも帰りも、俺は譲子さんのすぐ横、手が触れそうな距離を保って歩く。
それなのに――
「よく見て」
そう言って歩道から護岸ブロックに降りて行った譲子さんが足を滑らした時、一番近くにいた俺よりも早く――御堂さんが譲子さんを助けた。庇って転んだ御堂さんは肘から大量に血が流れ出て、それを見た譲子さんは、泣きながら御堂さんにすがりついていた。
「ごめんね、私のせいで……っ」
嗚咽の混じる声で言う譲子さんは、御堂さんが自分のせいで怪我したことに心を痛めていた。
だけど俺は――
俺が譲子さんを助けたかったんだ。あんなに側にいて何も出来なかった自分が不甲斐なくて情けなくて、消えてしまいたかった。
御堂さんに肩を貸して別荘の戻り、譲子さんが涙目で手当てすると言ったのを聞いて、俺はそっとバルコニーに出てライトの明かりの届かない端の暗闇に腰を下ろす。
このまま闇に溶けてしまえたらいいのに――
肩膝を立てその上に乗せた腕に顔をうずめる。
こんなに譲子さんを好きになって、譲子さんの幸せを願って身を引くなんて出来ない。だからどうか、想いごと消えてしまえたら楽なのに。
どんなにあがいても振り向いてくれないかもしれない。諦めようと思えば思うほど、好きが溢れて胸が苦しくなる。
想いに蓋を閉じるように瞼を落とした時。
「カンナ、どうしたの?」
そう声をかけてきた譲子さんの顔を見たら切なくて顔をゆがませ、だけど何も悟られない様にふわりと笑う。
「あっ、譲子さん……」
「どうしたの? 花火やらないの?」
隣に座った譲子さんが首をかしげる。
「たくさんやったから、少し休憩」
そばにいたいと願った譲子さんの隣が――いまはこんなに苦しい。胸がはち切れそうで、体中が悲鳴を上げている。
涙腺が緩みそうなのを唇に力を入れて必死にこらえる。
次の瞬間。
「御堂君っ!」
心配そうな声を上げて、譲子さんはすごい勢いで御堂さんに駆けよっていく。
俺は無意識に遠ざかっていく譲子さんの後ろ姿に手を伸ばして、宙を掻く。
1秒前まではすぐ隣にいたのに、今はこんなに存在が遠い。
苦しくて苦しくて、泣けてしまえたら楽なのに――
俺は腕で顔を隠すように俯き、細く息を漏らした。