第3話 誤解
「えっと……私と菊池君って友達……だよね?」
「うん、友達だね?」
私の突然の質問に、菊池君は不思議そうにこちらを見ながらも即答する。
「昨日、話したばっかりだけど俺は友達だと思ってるよ」
だっ、だよね~!
はぁ……
さっきまで、一人で悶々と考えていたのが馬鹿みたい。
「俺は友達だと思ってるし譲子さんは年上なんだからさ、俺のことカンナ――って名前で呼んでほしいな」
安堵の息をついて胸を撫で下ろしていたのも束の間……新たな菊池君の攻撃に私はうっ……と言葉を詰まらせた。
「えっ……名前で?」
そう言えば、菊池君は今朝会った時にはすでに私の事を名前で呼んでたな。友達とは名前で呼びあうのが普通なのかな?
「友達はみんなカンナって呼んでるし、ねっ!」
そう言って上から覗き込んでくる。
ちっ、近いんですけど、顔がぁっっ!
菊池君の透き通るような綺麗な瞳にまっすぐ見つめられると、目をそらせないっていうか逆らえなくなっちゃう。
「わっ……分かったから! 名前で呼ぶから、ちょっと離れてっ」
私は顔をそらし、菊池君の胸に両手を突っ張って距離を取ろうとする。
お願いだから、そんなに見ないでぇ~!
「カンナって呼んでくれるまで、離さないよ」
てんぱってしどろもどろになっている私をくすりと笑った菊池君は、両手を私の腰にまわし優しく引き寄せ、横を向いた私の前に顔を覗かせる。
きらりと光る瞳と目があって――
「……カ、ンナ……っ」
仰ぎ見た菊池君は嬉しそうに白い歯をのぞかせてにかりと笑う。
私はもう顔を合わせているのが恥ずかしくって、下を向いて両手で顔を覆う。
なんですか、この密着度は……
友達にこんなことするなんて、反則じゃないですか……
あんな艶っぽい目で見つめられたら――好きになっちゃっても文句言えないよ……
「もう、からかうのはやめて」
とん、っとカンナの胸を叩いて、後ろを向く。
なんか、ホントに今日は疲れる日だなぁ……
カンナに気づかれない様に、ため息をつくと。
「あれ? 譲子さん、怒っちゃった?」
後ろを向いたままの私に、慌ててカンナが誤ってくる。
「ごめん! ごめん!」
ちらっと肩越しに振り返ると、両手を顔の前で合わせてペコペコ頭を下げているカンナ。その様子はなんとも可愛い。
普段は人懐っこい子犬みたいなのに、急に男の子の顔になる時があるから心臓に悪いよ。
※
月曜日の朝。
地元駅の大神宮下駅の改札を通った時に知っている後ろ姿を見かけて、私は駆けより挨拶する。
「おはよう、御堂君」
振り返った御堂君が、一瞬、目を見張ったのに気がついて胸がざわつく。普通に挨拶出来てなかったかな……
だけど、御堂君は静かな口調で挨拶を返してくれた。
「桜庭、おはよ」
「いつもこの時間の電車に乗ってるの?」
朝の駅で御堂君に会うのは珍しくて、階段を並んで登りながら尋ねる。
「今週、週番だからいつもより早く来た」
欠伸をしながら御堂君が言う。
「そうなんだ、私はいつもこの時間だよ」
階段を登りきってホームに着くと、電車が来るまでまだ少し時間があるようだった。同じ学校に行くのに、そのまま別れるのも変な感じがして、私はホームの前を指しながら御堂君に聞いてみる。
「ホームの一番前まで行ってもいいかな?」
「ああ」
私が歩く後ろを、ゆっくりと御堂君がついてくる。ホームを歩いている間、何か喋らなきゃと思いながらも何を話したらいいか思いつかなくて黙ったまま歩き、ホームの端に着いた時、ちょうど電車が来て一緒に電車に乗り込む。
席が空いているといいなと思ったけど、1人分ずつなら空いているのに2人分並んで座れる席はなくて、仕方なく座席の前に並んで立つ。
右隣に立つ御堂君をちらっと見て、それから勇気を振り絞って話しかける。
「御堂君と話すの、すごい久しぶりだよね」
ほんとうに久しぶりで――緊張する。
「そうだな、1年の時はクラス違ったし」
御堂 晃紘君、中学3年間同じクラスだった。高校も同じで、1年の時はクラスが違ったけど、2年の今はクラスメイト。話すのはクラス替えの春以来かな。
話が続かなくて、なんか話題はないか一生懸命考えて昨日のことを思い出す。
「あっ、昨日、中野達と集まったんだよ」
そう言った私を、御堂君が振り返る。
「それでね、今度、同窓会やろうかって話になって」
中野っていうのは、中学3年のクラスメイトで私と御堂君の共通の友人。
「へぇ、おもしろそうじゃん」
「まだ、日にちとかは決まってないんだけど、御堂君も来られそう?」
そこまで言って、自然に話せているかなって思って、ちらっと御堂君を見る。
「バイトじゃない日だったら大丈夫」
吊革につかまりながら正面を向いて笑う御堂君に、しばらく見とれてしまう。
御堂君はクールな感じで、本当に話すのも笑顔を見るのも久しぶりだったから、ついつい、見とれてしまったの。
あまりにじぃーっと私が見ていたから、御堂君と目があってしまい……
わわっ。
誤魔化すように目をそらして言う。
「あ、奈緒は元気? 奈緒にも同窓会のこと言っといてね」
「…………」
息をのむ音が聞こえて、黙り込んだ御堂君をそおっと見上げると、頭を掻いて少し困った顔をしている御堂君。
「いや、最近会ってないから分からない」
沈黙を挟み、小さな掠れた声が続く。
「奈緒とは――別れたんだ」
「えっ?」
御堂君と奈緒が別れた……?
急に言われた言葉が理解できなくて、黙り込む。その時。
「譲子さん? おはよう」
後ろから声をかけられ、ぱっと振り向くと、カンナが首を傾げて立っていた。
考え込んでいた私は、カンナが電車に乗り込んできたことに全然気付いていなかった。
「……あっ、おはよう、カンナ」
ぎこちない挨拶だったかな……
カンナは私の横にいる御堂君を見て軽く頭を下げる。
「ども」
私と御堂君の間には、気まずい空気が流れている。
「じゃ、俺、向こうに行ってるから」
「えっ、御堂君?」
そう言って御堂君は、止める間もなくすうっと隣の車両に向かって歩き出してしまった。
私が呆然とその後ろ姿を見つめていると。
「譲子さんの友達?」
カンナも去っていく御堂君の後ろ姿に視線を向けながら聞いてくる。
私はカンナの方を振り向けなくて、御堂君に視線を向けたまま言う。
「うん。クラスメイトの御堂君」
そう言って俯き、さっきの御堂君の言葉が気になって黙っていると、カンナが感情の読みとれない静かな声で言う。
「邪魔しちゃった?」
ぱっとカンナを仰ぎ見ると、無表情でまだ御堂君の後ろ姿を見ていた。
「えっ、違うよ?」
カンナがなぜそんなことを言うのかなんとなく想像ついて――苦笑いする。
「御堂君とは、駅で偶然会っただけだよ」
なんか言い訳っぽい言い方になっちゃったけど――本当だもの。
「ふ~ん」
自分で自分の言葉に疑念を抱いて困っていた私に、カンナは意味ありげにそう言った。
国府台駅に着いて、私とカンナが歩く少し先に御堂君の後ろ姿を見つけた私はきゅっと唇をかみしめる。
話しながらゆっくり歩いている私達と、サクサク歩く御堂君はどんどん距離が離れていく。
御堂君は、私とカンナのことをなにか勘違いしたのかな?
一緒に行く約束をしていると思って、一人で行っちゃったのかな?
いろいろ想像してみるけど、御堂君がどういうつもりだったのかは分からない。ただ、勘違いされたと思うと、少し胸が痛んだ。
ただの友達だよ――って言いたいけど、もう話す機会もなくて、そんなことは言えないだろうな。