第21話 コバルトブルー
「私、熊本君、ねらっちゃおうかな」
昨日の掃除の時、沙世ちゃんが僅かに頬を染めてそう言った。
「えっ、沙世ちゃん、熊本君の事好きなの?」
さんざん同じような質問を他人にされて辟易していたはずなのに、思わずそんなことを聞いてしまった自分の口に慌てて手を当てる。
沙世ちゃんは顎に人差し指を当てて首をかしげる。
「うーん、まだ好きってほどでもないけど。顔はタイプだし、バスの中で話した時、すごく楽しかったんだよね」
「いーじゃん、いーじゃん。夏だし、海だし、恋に盛り上がっていいんじゃないのぉ~」
そう言った夕貴は、沙世ちゃん越しに私をじぃーと見た。
※
伊豆2日目は午前中を掃除の続きをして、昼食後、海に行くことになっていた。
「昨日も思ったけど、叔母さん、料理上手だね」
「おいしぃ~」
ほんとに美味しくて、ぱくぱく食べちゃって体重が増えそうで怖いくらい。
大掃除と言っても埃がすごいとかクモの巣がすごいとかそんなことはなくて、その手伝いの代わりに別荘にタダで泊めてもらってこんなに美味しいご飯までご馳走して貰えるなんて、良くしてもらいすぎてるなぁ。
「君達が手伝ってくれたおかげであっという間に掃除が終わって助かったよ。私と妻は午後から出かけるけど、好きに使ってくれていいからね。本当にありがとう」
昼食を食べ終わってから部屋に戻って、海に行く準備をする。
部屋割は1階の和室を叔父さんと叔母さんが使い、2階の左側の一番広い部屋が女子、右側の部屋を中野と御堂君、カンナと河原君と熊本君でそれぞれ使うことになった。
部屋の隅に畳んだ布団が重ねて置かれ、中央にそれぞれが荷物を広げて水着に着替えだす。
夕貴と沙世ちゃんがさくさく着替える横で、私は鞄の中から水着の入った袋を取り出し、その中身を見てごくりと唾を飲み込み、身を強張らせる。
あー、この時が来てしまった……
なんだか沙世ちゃんにいいように丸めこまれて買ってしまったけど、いざ着るとなると恥ずかしよぉ……
これはもう、着るしかないよね――そう思ってずぼっと袋の中に手を突っ込んだ時。
「なにしてるの、譲子?」
黒のボーダーのビキニにすでに着替え終わった夕貴が後ろから覗きこんできて、すっとんきょうな声を上げてしまう。
「ひゃっ」
肩をびくりと震わせた瞬間、手に掴んでいた水着が袋から落ちる。
「何びっくりしてるの?」
「なっ、なんでもないよ。私もすぐに着替える」
棚の上に大きなスタンド鏡を置いて、熱心に化粧を直している沙世ちゃんが鏡越しに、んっ? と眉根を寄せて振り返る。
「ちょっと、譲。まさか、その水着に着替える気!?」
「えっ、なに、譲子。競泳水着なの?」
眉をひそめる二人が見ている私の手元には、黒色の地にグレーと水色のラインが入っている競泳水着。
「えっと……」
「この間本八幡で見ていた花柄の水着は!? 買わなかったの?」
驚きの声を上げながら沙世ちゃんは私に近づき、手元の袋を覗きこむ。
「あっ……なんだ、ちゃんと買ったんじゃない」
言いながら勝手に袋の中からラベンダー色の小花柄の水着を取り出す。
私はため息をつき、沙世ちゃんの手から水着を取り上げる。
「ちゃんとバイトして買ったよ……」
そうして、渋々、はじめての遊泳水着に着替え始めた。
1階のリビングに降りて行くとすでに男子は水着に着替え終わり、ソファーに腰かけたり床に座ったりして寛いでいた。
「おまたせ~」
お化粧もバッチリに気合いの入った沙世ちゃんが片手を上げて言い、ぞろぞろと玄関に向かう。玄関を出て鍵を閉めた夕貴に、中野が脇から何かを取り出して言う。
「夕貴、叔父さんと叔母さんは出かけちゃったよ。これ、パラソルとレジャーシートとアイスボックス使っていいって出してくれたよ」
「わっ、気がきく~」
夕貴が持とうと手を伸ばすと、中野が俺が持つと言ってアイスボックスの紐を肩から下げ左手にパラソルを持とうとする。その手を遮り横にいた御堂君が手伝うと言ってパラソルを持って、海に向かって坂を下りに始める。中野が空いた左手に、レジャーシートの入った袋と浮き輪を持とうと手を伸ばしたのを夕貴が遮り、その2つを持つ。
「これは私が持つよ」
そう言って歩きだし、中野が慌てて夕貴の横に並ぶ。
沙世ちゃんは早速、熊本君に話しかけて2人で並んで歩き、その後ろを河原君が歩く。
その光景をぼーっと眺めていた私を、カンナが下から顔を覗きこんでくる。
「譲子さんも行こ?」
「あっ、うん」
カンナは青色ベースにパステルカラーのピンクと黄色の細ラインとネイビーの太ラインの可愛らしいチェック柄のサーフパンツをはいている。
「それ、荷物?」
私が肩にかけている袋を指さしてカンナが尋ねる。
「お財布とタオルと日焼け止めが入ってるの」
「持つよ」
そう言ってさりげない仕草で私の腕から鞄を取り、持ち手を持って肩に担ぐようにする。
「あっ、ありがとう」
「どういたしまして」
にこっと笑って、私の鞄を持ったカンナは半歩先を歩く。しばらく黙ったまま歩き、斜めに振り返ってじぃーっと私の顔を見る。
「譲子さん、泳がないの?」
「えっ?」
「水着、着てないの?」
そんなことを聞くから、私ははたと視線を落として自分の格好を見る。私はグレーの長袖のパーカーを羽織り、その下にはラベンダー色の小花柄のスカートが揺れて見える。ビキニを着てその上に付属の水着地のワンピースとパーカーを羽織っているのだ。足元はビーチサンダル。
「ん? 着てるよ。これ、水着」
どうしてそんなことを聞かれたのか分からなくて首をかしげると。
「あっ、なんだ、水着なのか……服なのかと思った」
ぼそっと言って、カンナが頬を染める。
そっか、服みたいに見えるのか。遊泳水着なんて初めて着るから、そんな風に見えていたなんて思いつきもしなかった。
「水着だよ。せっかく海に来たのに泳がないなんてもったいないもの」
「さすが譲子さん、水泳部だけあるね。電車の中で海が見えてきた時から、目が嬉しそうにキラキラしてたから」
いつのまにか横に並んで歩くカンナが上目使いに私を見る。
わっ――
いつもそうやって見る、カンナの癖だって分かってても、子犬のような瞳を向けられてドギマギし始める。
私はなんだか視線を合わせていられなくて、ぱっと視線をそらして俯いた。
※
海岸に着くと、夏休み中ということもあって海岸は大勢の人で埋め尽くされていた。私達はレジャーシートを広げられる場所を探して歩き、空いている場所にシートを広げて大きなパラソルを立てる。
今日は雲一つない晴天で、空の青と海の青とそのあいだの青がグラデーションになっていてとても綺麗だった。
シートを広げ終わって荷物を置くと、沙世ちゃんが元気に言う。
「さぁー、海に行こー!!」
「でも、誰か、荷物番してないといけないね。交代でする?」
って、冷静に夕貴が言う。
「あっ、私、日焼け止め塗りたいから、最初に荷物番するよ」
手を挙げて言う私を見て、カンナが口を開いて何か言おうとしたのだけど。
「じゃあ、俺も残る」
そう言って御堂君がシートに腰を下ろす。
「晃紘、譲ちゃんお願い」
って、中野。その隣に立つ夕貴はにやにやと私を見てから浮き輪を中野にはめて紐を引っ張って海に向かって歩き出す。
「御堂君、譲をお願いね~」
沙世ちゃんが意味深に言って手を振って海に向かう。
カンナは何か言いたそうにシートの側に立って私達を見ていたけど。
「俺らも行こうぜっ」
そう言った熊本君がカンナの肩を抱いて引っ張るように波打ち際に向かっていってしまった。