第1話 出会いは電車で
学校からの帰りの電車の中。
6月になり、日差しがでると暑いけど夕方はまだまだ涼しくて、電車の中は冷房がかかっていてその風が直接肌にあたると寒い。私は鞄の中から本を取り出すついでに白いカーディガンを取り出して羽織る。
たった17分しか乗らない電車だけど毎日乗る電車は退屈で、本を読んで時間を潰す――それが私の習慣になっていた。
いま読んでいる本は、最近はまっているライトノベルで主人公の姫が憧れの王子様に会いに旅に出る話。昨日の帰りに寄った本屋で新刊が出ているのを見つけて買って、夕食後読み始めたら続きが気になって止まらなくて……夜中まで読んでもうページは半分も残っていない。朝も電車の中で読んでいたけど、ちょうどいいところで駅に着いちゃってすごく続きが気になっている。
でも、昨日遅くまで起きていたせいで眠気が押し寄せてくる。小刻みに揺れる電車の揺れも気持良くて、本を読んでいるのに瞼が重くなってくる。
ドアの横のわずかな隙間に寄りかかり、取り出した本を読み始めたんだけど。
うとうと……
瞼が落ち、ふっと意識が飛んだ時――
バサッ!
カーブで電車が大きく揺れ、手に持っていた本が落ちてしまった。
本を落とした事以上に立ったまま寝てしまった事が恥ずかしくて、慌てて本を拾おうと、腰を折って電車の床に落ちた本を拾おうとしたんだけど――
伸ばした手の向こうから私よりも大きい誰かの手がすっと出てきて本を拾って渡してくれた。
床を見下ろした視界から本が消え、そこに濃紺のズボンが見える。
「大丈夫?」
甘く耳に響く声に視線を上げると、そこには学ランの男の子が立っていて、私の落とした本を手に持っていて差し出す。
「ありがとう」
私は本を受け取りながら、視線を男の子の手元から首元に移す。そこに光る金色の校章はSの文字が彫られていて、うちの高校の隣にある私立里見高校の学生だと分かる。
ついでにちらりと胸元に視線を向けると、『1-2』と書かれたバッチが付けられている。
「どういたしまして。あっ、このシリーズ面白いよね。俺も好き」
じぃーと制服を見ていた私は、その声にぱっと顔を上げる。本のタイトルを見て笑った男の子は短く切りそろえられた艶やかな黒髪、私よりほんの少しだけ背が高く、男の子にしては大きな瞳は澄み、通った鼻筋、形の良い唇――とても綺麗な男の子だった。
ふわりと笑った顔は人懐っこく、初めて話すというのに警戒心がなくなってしまう。
万人受けしそうな顔立ち――それが第一印象だった。
「あっ、ごめん。話すの初めてなのに、俺べらべら喋って……」
「えっ、そんなことないよ……」
男の子を観察していて黙っていたのを警戒していると勘違いしたのか、首を触りながら視線を落とした男の子に、私は慌てて返事をする。
じろじろと観察していたのがなんか後ろめたくて、私はぱっと男の子から視線をそらした。だから――
「実は、さ……君の事、朝、いつも電車で見かけてて話してみたいなってずっと思ってたんだ」
急にそんなことを言われてビックリしちゃった。
「えっ……? 同じ電車……」
「うん、同じ電車の同じ車両」
男の子は満面の笑顔でそう言った。
「ぜんぜん気づかなかった……」
本当にぜんぜん気づいていなかったから、私はその言葉をぽつりと漏らす。
話しかけられて初対面だと思っていたもの。
「いつも真剣に本読んでるよね?」
そう言って、だから気づいてないと思ってたよ、と苦笑する男の子。
「本、好きだから。このシリーズも面白いのに、友達には子供っぽいって言われちゃって。この本好きな人がいて嬉しい」
私はもともと本が大好きで、通学の時もだいたい車内では本を読んでいる。彼がそのことを知っているということは、本当に朝、同じ電車に乗っているのだろう。
私なんか読書に夢中で、同じ電車にどんな人が乗っているかなんて気にしたことも、考えたこともなかったのに。
「俺、里見高1年の菊池 カンナ。よろしく」
そう言って手を差し出され、私は慌ててその手を握り返す。
「えっと、私は国府台南高校2年、桜庭 譲子です」
軽く会釈する私の前で、男の子は目を大きく見開いて私を見下ろした。
「えっ、年上? 同じ学年だと思ってた……」
うーん……
私はさっき胸元にある『1-2』のバッチを見て、菊池君が1年2組――つまり1年生だということは分かっていたけど、まさか同い年に見られていたとは思わず苦笑する。
それから、菊池君の降りる海神駅に着くまでの数分、簡単にお互いの自己紹介をして別れた。
※
次の日。
朝ごはんも食べ終わって、学校に行く準備も完璧で、私はダイニングチェアに座ってぼーとテレビを眺める。
「ごめんね、お母さん寝坊しちゃって。お弁当もう少しでできるから、まだ時間は大丈夫かしら?」
後ろのキッチンから顔を覗かせたお母さんがフライパンと菜箸を持って申し訳なさそうに言う。私は振り返って、
「大丈夫だよ、いつも早めに出てるだけだから。1本遅い電車でもぜんぜん間に合うし」
そう言って、またテレビに視線を向ける。
いつも乗っている電車だと、始業のだいたい1時間前には着く。そんなに早く行って何か用事がある訳じゃないんだけど、ギリギリの時間の混んでいる電車が嫌いで、空いている時間帯に行っているだけだから特に焦ったりせず、私はのんびりとお弁当の出来上がるのを待った。
「はい、お待たせ!」
お母さんが台所からパタパタとスリッパの音を響かせてやってきて、お弁当を渡してくれた。私は受け取ったお弁当をソファーに置いていた鞄にしまい、玄関に向かう。
「ありがと。行ってきまーす」
玄関を出て腕時計を見ると、5分だけいつもより家を出るのが遅い。5分なら、急げばいつもの電車に間に合うだろう。
家を出て、自転車をとばして漕ぐ。駅前の大通りを、駅に向かって歩く人や自転車を勢いよく追い越してあっという間に駅に着き、駅前の駐輪場に自転車を止め、改札へと急ぐ。
改札を通るとちょうど電車到着のアナウンスが聞こえ、慌てて階段を駆け上がり階段から一番近い真ん中より後ろ寄りの車両に駆けこんだ。
ギリギリセーフ。
息を切らしながら車内を見渡すと空いている席はなくて、いつも乗っている1番前の車両に向かって歩きだす。
毎朝乗っている車両は、進行方向1番前の車両。学校のある国府台駅の改札に一番近くて、しかもわりと空いてて座れるのである。
電車の時間より早めに駅に着いてホームの1番前まで歩いて電車を待つ。それで電車の中で座って本を読むのがいつものこと。
動きだした車内を人にぶつからないように慎重に歩きながら車両を移動して、2駅過ぎてやっと1番前の車両に着く。
空いている席があったら座って本を読みたいなと思ったけど、私が乗った大神宮下駅の次の船橋駅では人がたくさん乗ってくる。だからほとんどの席が埋まってて、それでもどこか空いていないかと座席の方を見た時、ドアの前に立っている菊池君と目があう。
「おはよ」
菊池君が満面の笑みで挨拶してくる。
「おはよう」
席はどこも空いていないようなので菊池君の傍まで行って挨拶すると、菊池君がほっと息をついた。
「よかったー。昨日、俺が話しかけたのが嫌で、時間ずらされたのかと思った」
首を触りながら苦笑する菊池君の頬は僅かに赤く染まっている。
「まさか、そんな。今日はちょっと家を出るのが遅くなって、改札から一番近い車両に飛び乗っただけだよ」
そう言った私に。
「そっか、よかった」
腰を折って上目づかいに私を覗きこんでくる菊池君は、その後も何度もよかった――って言ってて、その様子が可愛くて笑ってしまった。
「国府台駅はこの車両が改札近くていいよね。国府台南高も国府台で降りるでしょ?」
「うん」
「ここの車両、空いてるしいいよね」
私の通っている国府台南高校と菊池君の通ってる里見高校は、同じ国府台駅から徒歩数分のところにあって、道路を挟んで隣の敷地に建っている。国府台南高校はそこそこのレベルの公立。里見高校はレベルの高い私立。隣同士の高校でもほとんど交流がなくて里見高生のことを意識したことはぜんぜんない。
そういえば駅から学校までの道のり、国府台南高生も里見高生も同じ道を登下校しているけど、いつも始業より少し早めの時間に行っている私は、朝の通学路ではあんまり学生を見かけない。
「あのさ、昨日会ったばかりだけど。もしよかったら、朝一緒に登校してもいいかな?」
そんなことをぼんやり考えていたから、菊池君のいきなりの提案にびっくりして素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ぅ、えっ!?」
あまりに酷い声に、周りにいた人がちらちらとこっちを見て、また視線を戻していく。
「ダメかな?」
小首を傾げて、覗きこんでくる菊池君の瞳は――心なしか、潤んでいる。
『だれか拾ってください』って書いてある段ボールに入った子犬のような瞳で見られたら――嫌だなんて言えるはずがないじゃないっ!
「ううん、いいよ。一緒に行こ……」
それに、同じ車両に乗ってて知り合いなのに一緒に行かない方が――変だよね?
この時はそんな風に考えていて、成り行きで一緒に登校することになった――
この作品は、以前連載した『ここからはじまる物語』の改訂版です。
本文を加筆訂正し、話の流れはほぼ同じですが、後半を変更する予定です。
新しい作品として読んで頂けたら嬉しいです。
※ 改稿は誤字脱字の訂正の範囲です。