9.ドワーフ
ティムたちがグラッパを試飲していると、ワイナリーで働いているドワーフたちがこちらに近付いてきた。
「人間がなにをしに来やがった?」
ドワーフが言い放った言葉で、両者の間に緊張が走る。
「あら、こんにちは。このグラッパと言うお酒、なかなかイケるわね。あなたたちドワーフが作ったんでしょ。クリアで刺激的な味わいのなかにフルーティーな葡萄の香りがはっきり残っている。さすが、ドワーフの蒸留酒造りの技術は素晴らしいわね」
「お、おう」
笑みを浮かべたエリカがドワーフたちに話しかけると、その場の緊張した空気が一気に緩んだ。
相手の懐に飛び込む交渉事に関しては、傭兵団でエリカの右に出る者はいない。
「グラッパはかなり強いお酒ね。アルコール度数は60度くらいかしら? 爽快感があるし葡萄の香りの余韻も残るから、食後酒なんかにぴったりかもしれないわね」
「おお、分かってるじゃねーか。姉さん、イケる口だね」
「まあね。世界中を旅して、いろんな場所のお酒を飲んで来たからね。そのなかでも、このグラッパは飛び切りの部類よ。これだけアルコール度数の高いお酒は滅多にないわね」
「姉さんは商人か何かかい?」
「ええ、似たようなものね。扱っている商品はお酒だけじゃないけど」
「今日は商談に来たのか。だが安くは売れねーぜ。お世話になってるオメー様には儲けて頂かないといけねーからな」
「そうね。グラッパにはそれだけの価値があるわ。私たちもグラッパを安売りする気はない」
いつの間にか、エリカが会話の主導権を握っていた。
「ジョスタン、この人たちはお前たちドワーフに話があるそうだ」
オメーがドワーフのリーダー格らしいジョスタンに告げた。
これで、漸く本題に入れるのだ。
「なんだって? 俺たちにボヴァリー男爵の下で働けって言うのか? ふざけんじゃねえ!」
さんざん差別され、無慈悲に解雇されたジョスタンの怒りは当然予想出来ていたことだった。
「いいえ、逆よ。あなたたちドワーフに領都のワイナリーを買い取って貰って、ボヴァリー男爵領のワイナリー事業を主導して貰いたいのよ。この村のワイナリーでは小さすぎるわ。グラッパは確実に売れる。その価値がある。手広く商売して、オメーさんやあなたたちに儲けて欲しいのよ」
エリカは笑みを絶やさぬまま、詐欺師のような言葉を並べて見せた。
「領都のワイナリーを買い取るだって? 俺たちにそんな金がある訳ねえだろ。オメー様だって、、、」
「ああ、もちろん私にもそんな金はないよ、、、」
オメーは話の先行きが分からず戸惑っているようだった。
「ええ、元手については私たちの方で何とかするわ。不可能を可能にするのが私たちの商売の流儀なの」
身内のティムが聞いていても、もはや、エリカの話は詐欺だとしか思えなかった。
「なあ、俺たち騙されてるんじゃないか?」
話を聞いていたドワーフのひとりが、ジョスタンに忠告する。
「ああそうだな。あんた、俺たちはそんな甘言には騙されないぜ。ドワーフの世界には『ただほど高いものは無い』って格言があるんだ。元手無しに商売を始められるなんて有り得ねえ話だ。気が付いたらいつの間にか借金奴隷に落とされてるとか、そう言ったカラクリだろ」
ドワーフたちの反応は当然のものだろう。
「いいえ、そんなことは無いと約束するわ。でも、初対面の人間が突然こんな話を持ち掛けても、あなたたちに信用されないことも分かるわ。あなたたちはドワーフのギルドの会員でしょ。じゃあ、ベネッチェにある、あなたたちの工房ギルドが元手の一部を出資することになったら、私たちの話を信用して貰えるかしら?」
「そりゃ、工房ギルドが出資するならな。だが、工房ギルドがこんな胡散臭い話に金を出す訳がねえだろ」
ドワーフたちはエリカの話を信用していなかった。
まあ、当然である。
「エリカさん、私にも話が見えてこないのですが、具体的に説明して貰えませんか?」
しびれを切らしたオメーが会話に割り込んで来た。
「それでは具体的に説明しますね。私たちは、ボヴァリー男爵家に対する額面5億ドルト、評価額1億1千万ドルトの債権を持っています。その借金のかたとしてワイナリー事業の権益の70%をボヴァリー男爵家から譲り受けます。私たちとしても回収した借金を現金化する必要がありますので、40%の権益をベネッチェの工房ギルドに売却します」
「なるほど、分かります」
「この結果、ワイナリー事業の権益の30%をボヴァリー男爵家が持ち、同じく30%を私たちが持ち、40%を工房ギルドが持つことになります。三者ともに権益は過半数に達しませんので、どこか二者が組まないとワイナリー事業は成り立ちません。そして、2/3の権益が必要となる重要な行為については、工房ギルドが反対するだけで実行出来なくなります。これによって、ドワーフたちの権利を守る仕組みを作るつもりです」
「なるほど、そういう仕組みを作るということだったんですね。それで、この取引でボヴァリー男爵家の借金はすべて返せるのでしょうか?」
オメーは、この取引でボヴァリー男爵家の借金をチャラに出来ると思っているらしい。
「残念ですが無理ですね。ワイナリー事業の現在の時価評価額は1億ドルト程度です。そのうちの70%ですから、私たちが回収出来るのは7千万ドルト。すぐ現金化出来るのは4千万ドルトのみです」
「じゃあ、なぜ? この取引の意味は何なのですか?」
「そこでグラッパです。ドワーフたちの高度な技術が必要になるのです。ドワーフの技術を導入しワイナリー事業を再生することで、現状1億ドルトのワイナリー事業は、2億、3億と事業価値を上げていくことが出来ると、私たちは判断しています。それから、オメーさんにはボヴァリー男爵家に戻って頂いて、ボヴァリー男爵家に残した30%の権益を持って頂きたいのです。そうすることで、オメーさんとドワーフたちとの合意でワイナリー事業を主導することが出来ます」
エリカは取引の全体像と目的をすべて説明し終えた。
「良く分かりました。我々にとっては願っても無い話です。ですが、兄が認めてくれるかどうか?」
オメーはボヴァリー男爵家に戻れるかを心配していた。
「ご心配なく、その点については私たちが認めさせます。ボヴァリー男爵は酒造りに関しては熱意も知識も欠けています。その結果が現状の窮地なのです。弟のオメーさんがワイナリー事業を担当し、それ以外の領地経営をお兄さんが担当して、兄弟でボヴァリー男爵領を盛り立てていくことが、領民の生活を安んじることに繋がると思いますよ。それに、オメーさんたちの参画が無ければ、ワイナリー事業の再生は有り得ませんので、この取引の話は無しです。そうなれば、ボヴァリー男爵は爵位を売るしか無くなるでしょう」
エリカは逡巡しているオメーに止めを刺しに行った。
「オメー様、この商人の話はどうなんだい? 俺たちは騙されて無いのか? 俺たちにはさっぱり分からないんだが」
ここまでの会話を聞いていたジョスタンがオメーに尋ねた。
「うん、この人たちのしようとしていることは、俺たちにとっては悪い話では無い。乗ってみても良いと思うのだが」
「オメー様が良いと言うなら俺たちも構わないよ。俺たちはオメー様のことを信頼しているから」
すかさずエリカが話を引き取った。
「じゃあ、この話を具体的に進めても構わないわね」
「ええ、よろしくお願いします。但し、工房ギルドがこの話に乗ってくれたらという条件付きですけど」
オメーは条件付きで承認した。
これで、ボヴァリー男爵領のワイナリー事業は、再生に向けての一歩を踏み出すことになったのだ。




