九頭竜川の鮎釣り6
「次回用に持って帰って池で飼いますか」
「何言ってんの。鮎は岩に付いた苔しか食べないのよ。死んじゃうわよ」
結局はいつものように放流した。夏は矢張り日が長い、予定より早く鮎もバテてしまい、土手で止めた車の中で休むことにした。
「これで坂部さんも一人で鮎の取り替えも出来るでしょう」
「それはもう手取り足取りしてもらって身をもって体験しましたから」
「もう〜、足は余計よ。でも一匹釣れたからあたしより凄いんじゃないの。どうしてそんな境地になれたのかおじいちゃんは日々困難な仕事で頭一杯だから釣り竿を握りながら休めるのだけど、坂部さんは今はそんな試練の場じゃないのにね。そこが不思議、何か吹っ切れた物があったからこそ釣れたんだと思うけれど」
そう謂われても腕に伝わったあの胸の感触は云えるもんじゃない。しかし、もし、あれが計算尽くの行動なら彼女のしたたかさが窺われる。しかし隣の運転席にいる彼女は、瞑想に耽るようにフロントガラス越しに空を見ていた。
「これで坂部さんも立派に大場さんの釣りに同行できるわね」
と今日の鮎釣りは成果がなかったが、カッコだけ付けられたのが大きな成果だ。なんと言っても初めの友釣りで、一匹釣ったのだからこれは奇跡に近い。
「でもとても素質があるようには見えないけれど」
となおも心に何かが引っかかっている喋り方だ。
「美紗和さんが言ってくれた無我の境地に徹したお陰ですから」
此処は精一杯に釈明した。
「でもあれは私心のない執着心から切り離されて何もない状態の事を謂うんですけど。本当に無心で鮎を追っかけたの?」
「他に何があるんですか?」
「多分鮎を釣ると謂う執着心から逃れられたから、なんじゃないの。それをハッキリ言えない何て、なんか引っかかるわね」
「だから鮎が引っかかったんですよ」
今日はそう謂う事にしときましょう、と美紗和さんは車を沈む夕日を追うように発進させた。さっきの話じゃないけれど、この言葉に鮎以外に何かが心に引っ掛かればしめたもの。




