ハッピーエンド?
視察から戻ってきた殿下は、王族のお仕事に行ったり、執筆のため書斎にこもったり、日によっては執務室でお仕事をされたり、資料を探しに王立図書館に行かれたりしている。
ここから出られないあたしは、家庭教師の先生から学んだり、学んだり、学んだり。時にはアレクシアさんがやってきて、社交やマナーの訓練をさせられたり、語学や楽器演奏の成果を披露させられたりしている。
今の生活は、それなりに楽しい。学ぶことは楽しいし、できるようになることも嬉しい。
アレクシアさんが来てくれると、それも楽しい。
殿下との暮らしは、だいぶ慣れた。一緒に食事をすることも、ティータイムも。時には一緒に庭の散歩をし、ダンスの練習に付き合ってもらうこともある。殿下と会話をすることも、慣れた。殿下の近くに座ることも、慣れてきた。
慣れてきたら、楽しいと思うことが増えた。殿下と一緒にいて嬉しいと思うことも、増えた。
そんなある日の夜、食後のハーブティーとデザートをいただきながら。
殿下の書かれている推理小説、おもしろくて全部読みましたなんて話をしていたら。恋愛ありの推理小説も好きですとつい口に出してしまったら、なぜかこんなことに。
「ええ!?話すんですか!?」
「うん、話して。」
「あの、ちょっと思いついただけで、ホントに思い付きで?」
「いいから話して。」
「……例えば。
騎士と令嬢の組み合わせで。
可憐なご令嬢は好奇心旺盛で、ちょっとした事に気づいちゃうんです。
そして事件に巻き込まれ、あれよあれよという間にピンチにおちいっちゃう。
閉じ込められるとか、命の危険にさらされるとか。
それを助けるため、騎士がカッコよく活躍するんです。そして令嬢を助けるために事件を調べていくんです。
一人でも調べますけど、令嬢も一緒がいいですね。
そんな中、令嬢に再び危険が迫ります。間一髪で騎士が助けるんですが、その時令嬢は事件を解決するヒントに気づいちゃうんです。
そう、事件に気づくのも令嬢だけど、事件を解決するヒントに気づくのも令嬢ってことです。
そして、そのヒントでもって真相にたどりついた騎士が、カッコよく推理ショーを行います!」
殿下の手にはすでにペン、さらさらとメモを取っている。
「ほかには?」
「もっとですか!?」
「いいから話して。」
「……普通の探偵ものに比べると、ちょっと変則的なんですけど。
メインキャラクターは、メイドと私立探偵です。
直観で犯人が分かっちゃうメイド、それをもとに推理しトリックを見破る探偵。
メイドさんは、探偵事務所に依頼しに来た人が犯人ですとか、調査のため探偵に同行してお屋敷の何人かに会ったら即、この屋敷の主人が犯人ですとか、当てちゃうんです。ちなみにこのメイドさんは、冷静で仕事をそつなくこなし、顔色ひとつ変えず、あ、今の人犯人です、って言う性格です。
探偵は当然、そんな馬鹿なとか、そんなことあるわけないとか言いますが。なんだかんだ言いつつも、メイドさんの言葉を気にしているんですね。そして捜査していくうちに、メイドさんが言ったことが本当だと分かっていく。ちなみにこの探偵は、頭もいいんですけど、行動力があって、人から話を聞きだすのも上手だし、推理ショーとか見せ場に強いタイプです。でも、メイドさんには頭が上がらないんですよ。
話数が進むと、もう探偵は最初からメイドに、誰が犯人?なんて聞いたりして。それをメイドさんが、たまにはご自分で推理されたらどうですか、なんて言いつつも犯人を教えてあげる。そんなやり取りがあっても、楽しい!
時には、メイドのほうが危険だと気づいた犯人から、メイドさんが狙われて、閉じ込められちゃったり。それを探偵がいつにない必死さで助けに行くんですよ。こういう展開は美味しい!
もちろん探偵は助け出したメイドさんを前に、ヨレっとした服装で心底ほっとしつつも「僕の優秀さがわかったかな?」とか言ってカッコつけます。対するメイドさんは、一見いつもと変わりなく一礼。でも内心は怖かったうえ、カッコよく助けに来てくれた探偵にドキドキなんです。でも二人ともそれ以上会話をしないものだから、読者がやきもきするという。
メイドさんは、実は精霊の血筋とか、あるいは加護があるとか、ついでに没落令嬢というワケありで。探偵は、実は貴族なのに庶民のフリをしているとか。
精霊という方面からも話をふくらませられますし。メイドと探偵がお互いを気にしつつも、身分違いに悩むなんて、恋愛も盛り上がりそう!」
そんなあたしの戯言を聞いていた殿下が、真顔でおっしゃるには。
「エリカ、書いてみたら?」
「書けませんよ!こんな作品あったら、読みたいなあっていうのを、言ってるだけですから。」
「私が書いたら、エリカは読むの?」
「読みます、読みます、読みますので、ぜひ!!」
そんな日々の中で、婚礼衣装のまずはデザインを選びましょうの日がやって来た。王妃殿下付きの女官さんも、お目付け役として来てくれるということだけど。もちろんあたしは、アレクシアさんにヘルプをお願いした。
アレクシアさんは、好きなものを選んだらよろしいわと言いつつも、あたしにそういうのは似合わないとか、この3枚のデザイン画ならどれでもOKとか、生地や色、ドレスの細部や、小物類についてもアドバイスをしてくれた。
何というか、あたしにもわかるほど的確だった。思わず、
「さすが才媛と名高い侯爵令嬢。」
と口走ってしまったら、アレクシアさんにじろりと睨まれた。
「あなた、わたくしのことを何だと思っていらしたの?」
……もちろん、さすが才媛と名高い侯爵令嬢だと思っていましたとも。
その夜のこと。冷えるのでと暖炉には火が入っていて、あたしと殿下はソファに並んで座っていた。
「そう、今日は婚礼の衣装を?」
「アレクシアさんのアドバイスがなければ、とうてい決められなかったと思います、本当に。
だって、何か、いろいろあるんですよ、すごくいろいろ。」
「私はそのうち跡継ぎのいない公爵家に臣籍降下ということになるけど、それでも今はまだ殿下と呼ばれる状態で、それなりの規模の式になるからね。」
……どうしよう。どうしようとか考えてもどうにもならないけど、どうしよう!
殿下が、アルがあたしの様子に苦笑して、そっと髪をなでてくれた。
「私はそれよりも、エリカの気持ちの方が問題だと思っているよ。」
「あたしの、気持ちですか?」
「エリカは第三王子と別れてすぐ、私と婚約ということになったから。」
「あ、第三王子殿下のこと、すっかり忘れてました。」
「……第三王子も気の毒に。」
「……ふられたの、あたしですけど。」
「それでもエリカは、好きだったのだろう?」
「好きというか、あこがれというか。第三王子殿下がいつもより少し気を抜いて、少し笑いかけてくれたら、それで良かったので。」
「ほかには?」
「いえ特には。特別な人の近くにいるためには、私も特別にできなくちゃと思ってたくらいで。」
「手紙が欲しいとか、プレゼントが欲しいとか、もっと一緒にいる時間が欲しいとか、そういうのは?」
「そんな、庶民のあたしがおこがましいっていうか。」
「……婚約とか、結婚をしたいとか、そういうのは?」
「ありません、あるわけありません。」
暖炉の火がぱちぱちと音を立てた。
「エリカ、私との結婚は取りやめられない。」
「はい、分かっています。」
「私は政略結婚についてある程度覚悟を決めていたけれど、エリカは違う。
エリカは今、つらくない?」
殿下が、アルが本気で聞いてくれていた。
ふと、アレクシアさんの言葉を思い出した。確かに王妃様は、縁結びの女神様に違いない。
「アルにはつらそうに見えますか?」
「あまり見えない。」
「はい。ここでの毎日は楽しいです。嬉しいことも多いです。
アルと推理小説の話ができるのも、とても楽しいから。」
あたしの答えを聞いてアルが笑った、たぶんあたしだけに見せる笑顔で。
「少し、私の話をしてもいい?」
「はい!」
アルがこんなことをいうのは珍しいので意気込んで答えたら。
「頑張って聞かなくても良いから、聞き流してくれてもいいぐらいだから。」
「はい。」
暖炉の炎が揺れる。アルはそれを見つめて話し始めた。
「私は王弟殿下などと呼ばれているけれど。
王太子がすでにいる以上、求められているのは、そこそこ役に立ちつつも、決して目立ってはならない役柄だ。
私の毎日がつまらない、というわけではないよ。推理小説を書くことも許されているしね。
ただ、私は中途半端で、独り外れた位置にいる、そういつも思っていたんだ。
でも君が来てから、日々が鮮やかに感じる。毎日が満たされている。
君がここにいてくれる、それだけで。」
アルがあたしを見る。アルの横顔を炎が照らす。
「“エリカ”の花言葉を知っている?」
思いもよらないことを聞かれて、首をふった。
「“エリカ”はヒース、ヘザーとも呼ばれている、荒野に咲く植物だ。
花言葉は、孤独。」
暖炉の火がぱちっと跳ねた。
それは数年前、本当は転生と言っていいものかどうかもわからないけど。
ある日突然、あたしはエリカだった。
それなのに、エリカとしての記憶はなかった。
転生前の記憶はふわふわとしてつかみどころがなく、あるとはわかるけど、あやふやで。
分からないけれど、本当に何もかもが分からない状態だったけど、エリカとして暮らしてみるしかなかった。
そして、誰も疑わなかった。
エリカとなったあたしは、何も分からないあたしは、周りから浮くことを、糾弾されることすらあるかもしれないと、ひたすらびくびくしていた。
けれど、祖父となった人も、祖母となった人も、友人だという女の子も、知り合いの街の人も、あたしに対して普通だった。そんなのエリカじゃない、ということもなく。かといって、いつものエリカだということなどもなく。
あたしがどんな行動をしても、おどおどしても、失敗しても、何か突拍子もないことを言っても、周りはただそれをそれとして受け入れた。
それを、ああ良かったと言うことができたなら、ラッキーと言うことができたなら……!
でも、あたしには、そうは思えなかった。
あたしはただ、ひとりぼっちだった。
あたしはエリカであり、エリカでなく、よく分からない状況に放り込まれた何かだった。
どうしようもなくて、どうしようもなくて、ただ、どうしようもなく。
だから、せめて、あたしは楽しいことを見つけてみることにした。
熱いくらいに、暖炉の炎が揺れている。
アルがじっとあたしを見ている。
「エリカは孤独を知っている。
だからかな。エリカは私の孤独を、ただそのままに受けとめてくれている、そう感じるんだ。
エリカのそばにいると、とても居心地がいい。
一生、手放すことなどできそうにないくらいに。」
ふっと、アルのヘイゼルの瞳がやわらかくなり、その手がゆっくりとあたしの頬に触れた。
「政略結婚どうし楽しく暮らしたいというなら、それに応じる覚悟が私にはある。
エリカはどう?」
アルの手が触れている頬が、熱い。
「あたしも、アルと楽しく暮らしたい。」
答えを聞いてアルが笑った、あたしだけに見せる笑顔で。
あたしは、あたしだけの特別が欲しかった。それがあれば寂しさが少しやわらぐ、そんな気がするから。
「エリカ。」
アルの声が耳元で聞こえた。と思ったら、あたしの唇にアルの……。
一瞬、気が遠くなった。
そんなあたしに、アルの心配そうな声がかけられる。
「嫌だった?」
「……違います、違います、違いますので。」
殿下に観察されている。
「本当に?」
「本当です、本当です。ちょっと心臓が驚きすぎて、魂が飛び出そうになるだけで。」
「なら、練習しようか。」
「それは、もうちょっと先でいいというか、ゆっくりでいいというか、後回しにしたいといか!」
「結婚式には誓いの口づけがあるけれど?」
「そ、その頃には何とか?」
「……。念のため聞いておきたいけれど、第三王子とこういうことは?」
「……してませんって。」
「口づけは?」
「だから、してませんって。」
「……エリカと一緒にいて口づけたくならないとは、第三王子はずいぶんと忍耐力のある。」
聞こえてますからね。その言い方だと、アルがあたしとキスしたいみたいに聞こえますけどね!?
「エリカ、とりあえず練習しよう。」
……最初に戻った。
「エリカからこちらに来て。私はここに座って待っているから。」
……ハードル上がりすぎじゃない!?
それから数か月後、第三王子殿下の無茶な妃教育とやらは、結局無駄になってはくれなかった。
講師の方々からは、さわりを学んでいるだけでも進めやすいとか、基礎ができていますよとか、三か月でも良い講師に学ばれましたねとか、そう言われ。そんなこんなで、あたしは着実に妃教育かつ後の公爵夫人教育をされていて、少しずつできることが増えている。
あの頃のことを、学園でのことを少し懐かしく思い出す。
あたしは、あの頃のあたしもキライじゃない。
あたしはあたしで、頑張ってみたんだもの。
聞くところによると、第三王子殿下は隣国で最も学びたかったことを学んで、生き生きとされているらしい。
それに詳しい隣国の姫君との仲が噂されている、らしい。
今日は侯爵令嬢のアレクシアさんが、あたしの経過観察に来ている。
だけど、珍しいことに。
「さてエリカさん、今日はあなたにお聞きしたいこともあって、訪問させていただきましたの。」
とのことで、本当に珍しい。でも、いつもお世話になっているので気合を入れる。
「はい、あたしに答えられることでしたら、何でも、頑張りますので!」
アレクシアさんがあきれたような顔を見せる。
「頑張らなくてもよろしいので、とりあえず教えてくださる?」
「はい、何でしょう!」
「……第三王子殿下の側近の方々についてですわ。」
「懐かしいですね、皆さん、素晴らしい方ばかりで。」
アレクシアさんがふっと小さくため息をついた。
「誰でもいいので選んで結婚するようにと、王妃殿下からご命令がありましたの。」
……それは、それは。侯爵令嬢も大変で。
えっと、えっと。
「確か、侯爵家に、伯爵家に、子爵家に、男爵家のご子息ですよね。
皆さん、それはもうイケメンで、ハイスペックで、人柄も良い方ばかりで。
あたしが困っていたら、皆さん親切に教えてくださったり、助けてくださって。」
アレクシアさんが、じとりと私を見る。
聞きたいのはそんなことじゃないと言いたげだけど。あたしから見てやはり。
「アレクシアの冒険~侯爵令嬢のミステリーな午後~」これはちょっと違うかな。
「令嬢に向きすぎる職業~侯爵令嬢は凄腕探偵!?王宮の謎に白薔薇が舞う~」これはきっと似合う。
「謎解きはダンスの後で~令嬢探偵と執事の大胆にして優雅な一日~」そう、こんな感じで!
ああ読みたい。こんな推理小説があったら、是非読みたい。
というわけで。
「アレクシア様より、ハイスペックな人を求めるのもありですけど。
アレクシア様の素晴らしさをより活かしてくれるような、サポートしてくれるような、そんな人もありかなと、あたしは思いました。
あ、でも、アレクシア様をサポートできる人って、やっぱりハイスペックじゃなきゃ無理ですよね!
たぶんですけれど、第三王子殿下と私のフォローが一番上手だったのは子爵家子息です。ちょっとしたアドバイスとか、ちょっとしたフォローとかよくしてくださってましたから。しかもそれが的確で。
それに第三王子殿下もあたしもどうにもならない状態で、もうフォローもできないと思われていた中で、彼だけがぎりぎりまであきらめずに関わってくださいましたから。
あとはアレクシアさんの好みでしょうか。」
なぜかアレクシアさんが大きくため息をついた。
「参考にさせていただきますわ。」
そんな話を、晩餐の後のくつろぎタイムでアルに話したところ。
「本来ならね、侯爵令嬢のアレクシアに釣り合うのは侯爵家子息しかない。妥協して伯爵家子息。
だけど、そうならないよう、王妃殿下が命令を下されたのだと思うよ。側近の子息四人、誰でもいいから選んで結婚するように。つまり誰を選んでも非難されないような、そういう命令にしたんだ。さすが縁結びの女神様、というところかな。」
あれ、その言い方だとまさか?
「エリカと第三王子の件で、アレクシアは王妃殿下より学園での調査確認を頼まれていてね。そのとき主に協力したのが、子爵家子息と聞いているよ。」
リアル令嬢探偵と執事!ああ、どんな感じだったのか、ぜひお話を聞かせてもらいたい!
と、胸を躍らせたあたしにアルが言った。
「エリカが楽しそうなところ悪いけど、知らせがある。」
……イヤな予感がする。
「光魔法が少し操れるようになったそうだね?」
……やっぱり、イヤな予感がする。
「結婚式で光魔法を披露することになった。
もちろんエリカのレベルに合わせて、簡単で、絶対に失敗しない、なおかつ大変見栄えのするものを。」
……そんなものあるの!?
「そのほか式の準備は、ほとんど決められた様式にのっとってするけれど。
それでも決めることはあるから。エリカは何か希望がある?」
せっかくアルが聞いてくれたので、あたしは言ってみる。
「できれば、もうちょっと控え目がいいなあ、なんて?」
「無理。」
アルの即答に、あたしはうなだれる。
「結婚して1年か2年すれば、跡継ぎのいない公爵家に臣籍降下できる。今より窮屈さは減るよ。
現公爵は早く隠居して領地でのんびりしたいらしいから、私たちが王都の公爵邸に住むことになる。
エリカが過ごしやすいよう、部屋を改装しようか。」
アルの提案に、あたしはちょっと考える。
「あたしが過ごしやすい部屋もほしいですけど。
アルと一緒にくつろげる部屋とか。そこに推理小説や恋愛小説やそれ以外の本もたくさん置けるような図書室とか、あったらいいなあ、なんて?」
「いいよ。そうしよう。」
即答したアルが、ちゅっとあたしの唇にキスをした。
流されヒロイン。
流れ流れて、今、けっこう幸せかも。うん、幸せ。