第4話 従者の契り
「やっぱり、エレステのまま…なんだ」
ぐっすり休んだせいか、今朝は目覚めが早かった。
もしかしたら異世界転生したことも、現実世界のことも全て嘘だったのではと淡い期待を抱いていたが、そんなに甘くはなかったことを鏡の前で思い知る。
「はああぁ……」
一つ大きな溜め息をつく。
鏡の中には間違いなくエレステ・アレキサンダードの姿が映っていた。
周りを見渡しても、私以外の誰もいない。
コンコン
部屋にノックが響く。
「はい!」
髪すらとかしていないのに、反射的に返事をしてしまった。
すると、扉が開きルプが頭を下げて入ってくる。
「おはよう、ルプ!」
ルプは私を心配そうに見上げた。
「お嬢様、まだ記憶が戻らないのですね」
質問もされていないのに既に正解を答えられてしまい、拍子抜けする。
「ねえ、私の記憶が戻っていないとどうして分かったの?」
ルプは、申し訳なさそうに眉を潜めた。
「…その、お嬢様はルプにご自身から先にお声掛けされないので…」
なるほど、実際のエレステと私じゃキャラが違いすぎるのか…
数々のゲームプレイヤーに深い傷跡を残したエレステだ。
さぞかし冷酷無慈悲な性格をしていたのだろう。
「そうか…ルプも大変だったよね。
以前の私がどんなに酷い性格をしていたとしても、今は大丈夫だよ!」
ルプはキョトンとした表情を向けたが、続けて話した。
「記憶が戻らない限り、私は善人!太鼓判押しちゃう!ルプを傷付けたりしないからね!」
自分の胸をポンと叩きルプに見せつけると、
「ぷっ、あははは!」
ルプは急にお腹を押さえ笑い始めた。
私もつられて大笑いする。
ルプが涙を指で拭いながら言う。
「お嬢様の方から初めてお声をかけてくださって嬉しいのに、笑ってしまい申し訳ありません。」
あまりのキャラ変に、ルプもきっと驚いたのだろう。
「いいのいいの!記憶喪失とはいえ、急に性格が変わったら誰だって笑っちゃうよ!それより、朝から訪ねてくるなんてどうしたの?」
ルプは急に表情を引き締め、ハッとしたように話し始めた。
「朝のお支度です。本日はエルゼン王国のブライト第2王子がいらっしゃいます。」
昨晩、弟のメイヤーくんが何か言っていたような気がする。
しかし、その言葉を思い出す間もなく、ルプはさらに続けた。
「ブライト王子は、お嬢様の正式な婚約者です。」
「こ、婚約者!?私に!?」
今まで、勉強と仕事一筋で、まともな恋愛一つしてこなかった私に、こ、こ、婚約者!?
突然現れた婚約者の存在に動揺する私をよそに、ルプの声は落ち着きを帯び、しかしどこか暗さを感じさせるものになった。
「はい。しかし、この婚約は、エルゼン王国が中立派のアレキサンダード領を取り込むための政略結婚です。」
政略結婚…それならば、感情など関係ないのかもしれない。
私は心を落ち着け、ルプに確認した。
「つまり、この結婚は国のためのものなのね。」
「その通りです。」
ルプの声がさらに暗くなる。
それにしても、ルプは政治事情に詳しいな。
でも、下手に探って彼女を困らすのは止めよう。
今の私にとってルプは秘密を分け合う唯一の味方と呼べる存在なのだから。
時計を確認したルプが、軽やかな口調で言った。
「お嬢様の身支度をする命令をください」
戸惑う私を見て、ルプが説明する。
「使用人は、許可なく主人に触れてはならない契りが交わされています。ですので、お嬢様からのご命令を頂きたいのです。」
命令って言っても…何て言えば…思い付く限りの言葉で命じた。
「ルプ、朝の支度を手伝ってください。」
次の瞬間、ルプの体を不気味な赤紫のオーラが包み込んだ。
オーラはゆっくりと消え、私は言葉を失った。
「…今の、何?」
「従者の契りです。」
ルプは何事もなかったかのように、私の手を取り浴室へと案内した。
「お嬢様のご命令のおかげで、やっと触れることができました。
私たち使用人は、命令がなければアレキサンダード家の方々に触れることは許されないのです。
契りの効果は1時間となります。」
彼女の言葉に不安を感じながらも、私は流されるようにルプの手によって身支度を整えられていった。
「仕上がりました!お嬢様!」
ルプの声に促され、鏡に映る自分の姿を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
ルプによって手入れされた深紅の髪は一段と鮮やかに艶めき、光を受けてほのかに輝いている。
その髪に合わせて選ばれたエメラルドグリーンのドレスの滑らかな生地が、陶器のような白い肌にぴったりと沿い、肩にかかる布地が軽やかに揺れる。
エレステの紫の瞳は、まるで不思議な魔力を帯びているかのように見え、その立ち姿は美しくも危うい存在感を放っている。
「本当に美しいです!これでブライト王子もお喜びになると思います!
いらっしゃるのが待ち遠しいですね!」
ルプは満足げな表情で私の前に立ち、最後の仕上げにと私の唇に赤い紅をさした。
程なくして、屋敷の門が開く音が聞こえた。
石畳を踏みしめる蹄の音が徐々に近づいてくる。
少し緊張しながら窓の外を見ると、立派な馬車が黒馬に引かれてゆっくりと庭へと入ってくるのが見えた。