第2話 エレステ・アレキサンダード
「う…ん…」
気がつくと、私はベッドで横になっていた。ぼんやりとした視界の中で、ルプさんが心配そうに私のそばに座っていた。
「ここは?」
私の声に気づいたルプさんがベッドに近寄る。
「申し訳ありません!!!お嬢様!!!驚かせてしまいました…」
ルプさんは床にへたり込み、ポロポロと涙を流した。
「死んでしまうかと…ずっと顔色も青ざめていましたし…」
掛ける言葉が見つからなかったけれど、何とか当たり障りのない言葉を選んだ。
「大丈夫だよ、ルプさん。こちらこそ心配させてごめんなさい…」
「ルプ…さん?」
ルプさんは不思議そうな表情を浮かべたが、次の瞬間、何かに気づいたように立ち上がり、急いで部屋の隅に移動した。
間もなく、部屋の扉が勢いよく開き、高価そうな衣装をまとった、金色の髪に青色の目をした初老の紳士が入室してきた。
その紳士は鍛え抜かれた大きな体格をしている。
「エレステ!!!倒れたと聞いたが、もう起き上がっても良いのか?」
紳士はベッドに腰掛けると、私を抱き寄せて背中を擦り始める。
突然のことで驚いていると…
「父上、あまり力を込めると姉上のお身体に障るのでは?」
声の方に目をやると、年頃は14歳くらいの薄紫色の髪に青色の瞳をした少年が、部屋の入り口から入ってきた。
「姉上は、王家に嫁ぐ大切なお身体です。乱暴に扱ってはいけません。」
少年が紳士に諭す。
「そうか、すまなかったな。」
紳士は少し拗ねたように言うと、私を優しく解放した。
「姉上、お医者様の話では貧血とのことでした。
ブライト第2王子様にもお伝えしてありますので、近くご連絡があるかと。」
少年が私に話しかけているが、正直それどころではない。
とにかく状況を整理したい。
「ご、ごめんなさい…ちょっとまだ具合が悪くて…」
「おお、そうか。可愛いエレステ、ゆっくり休んでおくれ。」
紳士は私の頭を撫でると、立ち上がりルプさんの方に視線を向けた。
「ルプ、エレステを頼んだよ。」
「お任せください。」
ルプさんは頭を下げた。
「姉上、お休みなさい。」
紳士が部屋を出ていくと、続いて少年も部屋を離れた。
「ふぅ…」
緊張が解け、深く息を吐くと、少しずつ思考がクリアになっていく。
紳士は私を「エレステ」と呼んでいた。
あの紳士も少年もルプさんも、初めて会う人たち。
もしかして、人違いされてる?
しばらく部屋に静けさが漂った後、ルプさんがうつむきながら話し出した。
「お嬢様…先程は申し訳ありませんでした。
私を疑うのは仕方ありません。
明日には荷物をまとめて出ていきますので…」
全てが急展開過ぎて何も分からない。
だけど、私が倒れて涙を流していたルプさんは、きっと悪い人ではないと直感で感じた。
瞳の色や形の変化を私に見られ気にしているルプさん、今の状況が全く分からない私。
二人の利害を一致させるには、この方法しか思い付かない。
「あの…私は誰なんでしょう…」
「!!?」
ルプさんは、声にならない悲鳴をあげた。
「お嬢様!!!いったい何故!!!すぐに旦那様をお呼び…」
「待って!!!」
ルプさんの声を遮るように声を上げると、彼女は背中を緊張させて立ち止まった。
「起きてから…記憶がないの…」
彼女を落ち着かせるように、ゆっくり話し始めた。
「ベッドで目覚めてから、記憶がないの。
だから、自分が誰かも、あの紳士や少年が誰かも分からないの…全てが…」
私は記憶喪失を装うことにした。
「お願い、私の力になって…」
すがるようにルプさんを見つめる。
「お嬢様、まさか本当に…」
沈黙が続いたあと、ルプさんがベッドの横に座り話し始めた。
「お嬢様のお名前は、エレステ・アレキサンダード様です。」
エレステ…アレキサンダード…
どこかで聞き覚えのある名前…
「先程の紳士は?」
ルプさんが続けて答えた。
「私たちの主人であり、この土地の領主のロベルト・アレキサンダード様です。お嬢様のお父様です。」
お父様…
「えっと、それじゃあ、さっきの少年は?」
「メイヤー・アレキサンダード様です。
ロベルト様の亡くなった妹君のお子様で、2年前に養子として迎えられました。」
少しずつ自分の置かれている状況が分かってきた。
どうやら私は異世界へ飛ばされたようだ。
それと同時に嫌な予感が頭をよぎる。
エレステ・アレキサンダード…ふと顔を窓際に向けると、そこには深紅の薔薇のような赤い髪に、切れ長で大きな紫の瞳の美しい少女が映っていた。
誰だろう…でも、間違いなく見覚えがある。
自分の頬にかかった髪を耳に掛けようとすると、その少女も同じように動く。
「もしかして、わた…し?」
「お、お嬢様…本当に、ご主人様を…」
窓に映るルプさんの姿を見て我に返ると、急いで取り繕った。
「大丈夫!一気に思い出そうとして疲れてしまったみたい!もう休むわ!明日には思い出すかもしれないし!」
ルプさんが私を心配そうに見つめる。
「そうだ!みんなに心配させたくないから、私の記憶が戻るまでこの事は誰にも言わないで欲しいの!
そして、記憶を思い出すまで今後も力になってくれない?」
彼女を安心させるように明るい口調で伝えた。
「…わかりました。」
不安そうにルプさんが答えた。
「そうだ!あなたの名前も教えてくれない?」
瞳のことを忘れているふりをしなければならないことを思い出し、重ねて尋ねた。
「ルプです、お嬢様。」
ルプさんは依然として不安そうだ。
「ありがとう!ルプさ…」
私がそう言い掛けると、ルプさんが遮るように言った。
「ルプです、お嬢様!
使用人は名前だけでお呼びくださいね!」
何かを吹っ切るように、ルプが可愛い笑顔を向ける。
ルプの笑顔が見れて安心した私は、その笑顔の意味にも気づかず、
今自分の置かれている状況を受け止めるだけで精一杯になっていた。