第1章-2:アイデアの発想 This and that
「さあ、まずは意見出しから始めましょう!」
心春が立ち上がると、快適さとスタイルを兼ね備えたデザインの制服が際立った――ブラウスのV字の襟と袖口、動きやすいプリーツ入りのスカートは、淡い水色を基調としたスマートファブリック製の温度調節が可能な生地で、それぞれプラチナ糸のストライプが施されている。
胸元を飾るリボンの結び目には、頭脳を象徴する校章の上品なチャームがあしらわれている。
この制服は公式な行事での着用が義務付けられているものの、実験や創作など多様な活動が行われる性質上、私服も許可されていることを補足として付け加えておく。
とは言え、私服を選ぶ手間を考えると、やはり制服姿の生徒が多いのだが。
心春は教室の端のキャビネットから、いそいそと正方形の付箋――ポスト・イットを取り出した。
『何を発明するか』という最重要事項に対する答えを、これを使って見つけ出そうというわけだ。
それはブレインストーミングと呼ばれる、思考を自由に飛ばし、互いに刺激を与え合いながら、最も斬新なアイデアを生み出すための方法。
彼女たちは、これから始める発明について、思いつく限りのアイデアをポスト・イットに書き出していく。
「『文学的なAI作家』なんてどうかなっ?」
さっそく芙文が赤いポスト・イットに書き出し、壁に貼り付けた。
彼女は目を輝かせながら続ける。
「AIが自分で物語を考えて、人間の作家と同じように感動的な物語を書くんだよっ。いろんな文体やジャンルにも挑戦できるし、読者の好みに合わせてカスタマイズも可能だよねっ」
芙文のアイデアは、科学的な自然言語処理技術と数学的な統計モデルを用いて、小説や詩を自動生成するAI作家の開発だ。文学と心理学の知識が、作品のスタイルや感情表現に役立つだろう。
「未来のベストセラーは、AIが書くかもしれませんね。仕事を取られてもいいんですか?」
理化は皮肉めいた、茶化すような笑みを顔に浮かべて尋ねた。
「AIはあたしたちの創造性を刺激して、もっと革新的な作品を生み出す助けになるはず――仕事を取られるというよりは、一緒に成長する機会になると思うよっ!」
芙文は動じない。
仕事が無くなるとは露ほども考えていない堂々たる自信は、さすがの天才といったところだ。
しかし、理化は芙文の案に疑問を呈する。
「面白いですが、すでに似たようなものが存在しているのでは?」
「もう、ブレインストーミングでは、否定は厳禁よ。先入観に囚われないで、意見をたくさん出すことが大事なんだから」
心春が口を尖らせると、理化は肩をすくめて新しい案を披露する。
「それは失礼しました。では、こんなのはどうですか? 『コンピュータプログラムの自己学習アルゴリズム』です」
理化は緑のポスト・イットを壁に追加し、アルゴリズムに対する教科書のような説明を加える。
「このアルゴリズムは、ユーザーの行動パターンを学習し、それに基づいて自分自身を改善していくんです。例えば、ユーザーがよく使う機能にはよりアクセスしやすくなるようにインターフェースが自動で調整されたり、エラーが発生したときにはその原因を自分で分析して、次に同じ問題が起こらないようにプログラムを修正することができます。これにより、プログラムは常に最適化され、ユーザーにとってより使いやすく、効率的なものになっていくわけです」
理化のアイデアは、科学的なアプローチと数学的なモデルを組み合わせた機械学習アルゴリズムの実現だ。文学も、アルゴリズムの説明やドキュメント化に活かすことができる。
「それこそ、既存のものがいろいろあるけれど。新しいものを作るなら、ちゃんと差別化できないといけないわよね……あ」
心春は自身が咎めたばかりの否定的な言葉をついつい口に出しそうになり、理化に軽く睨まれながら口を押さえた。
たとえプライベートであっても、心理学のプロフェッショナルとしての意識が染みついているためか、普段は相手の言葉を一切否定しない彼女だが、心理学の研究に関わる問題となると話は別だ。
彼女は話題を変えるようにコホンと咳払いをして、黄色いポスト・イットを壁に添えた。
「わたしが考えたのは『心理学的なストレス管理アプリ』。ユーザーがストレスを感じたときに、すぐに対応できるような機能を備えているといいわね。音楽や瞑想ガイドをつければ、ユーザーのリラックスを助けることができるし、ストレスの原因を記録して追跡すれば、ユーザーが自分のストレス傾向を理解するのに役立つはずだわ」
心春のアイデアは、科学的なストレスのメカニズムを説明して、ストレスの予測や軽減方法を提案するアプリだ。文学的な側面を取り入れれば、心に響く引用や詩を使った心理的なサポートも可能になるだろう。
「だめだめ。数学の要素が全然ないじゃないか」
今度は数多が首を横に振る番だった。
せっかく共同発明をするというのに、自分の専門知識を活かせないのならば彼女も黙ってはいられない。
「あら、それなら、ストレス軽減のための数学的なパズルやゲームも組み込めばいいじゃない」
心春が言うが、数多はわずかに眉を曇らせて反論する。
「いやいや、そんな取って付けたような、おまけみたいな要素じゃなくてさ。ちゃんと各分野が深く絡み合ってる感じのがいいんだよね」
彼女は青いポスト・イットを隣に並べ、提案する。
「この『数学的な音楽生成アルゴリズム』ならそれを解決できるよ。数学的なパターンと科学的なシーケンスを使って、独自のメロディーやリズムを生み出すアルゴリズムさ。例えば、フィボナッチ数列や円周率の数字を音階に変換して、予測不可能ながらも調和のとれた音楽を作り出すんだ。このアルゴリズムをさらに発展させれば、ユーザーが入力した数式に基づいてカスタマイズされた曲を生成することも可能かもしれないよ。それに、心理学的なアプローチでリスナーの感情に訴えるテーマを分析すれば、音楽の深みを増すことができるし、文学的な要素を取り入れて、エモーショナルな歌詞も創作できる。すべての分野が融合して、全く新しい形のアートを創造できるんじゃないかな?」
数多のアイデアは、数学的なパターン認識と科学的な音楽理論で、新しい音楽を生成するアルゴリズムだ。心理学によって音楽のテーマを分析し、文学は歌詞の創作に影響するのだという。
「着眼点は良いかもっ! でも、ちょっと利用範囲が限定的な気がするなっ。せっかく創るんだもん。世界中に広がるストーリーがいいなあ」
しかし、数多の練りに練られた案も、芙文に却下されてしまった。
どうやら彼女の物語に嵌らなかったようだ。
数多は少し落胆した様子を見せたが、すぐに立ち直り、
「それもそうか……。もっと実用的なアイデアを考えないとね」
と前向きに答えた。
壁を染めるカラフルなアイデアたちは、どれも目を見張るものばかりが並んでいる。
だが、彼女たちの議論は難航していた。
あることを極めたいとき、その専門分野に限定せず、幅広い知識を身につけることで深い理解が得られる、という説がある。
事実、バイオ化学は生物学と化学の融合であるし、神経科学は生物学と心理学、物理学に数学が結びついた研究だ。文学においても、サイエンスフィクションや歴史小説といったジャンルの存在が、これを実証していると言っていいだろう。
しかしながら、心理学と数学と科学と文学という組み合わせは、どこを見渡しても見当たらない、異例中の異例だ。
様々な合同研究が盛んなこの学園でもそれは同様で、つまり、彼女たちがこれから為そうとしているのは前代未聞のプロジェクトなのである。
そう考えれば、彼女たちの議論が難航するのも当然のこと。
それでも、その場の空気は決して重くはない。
むしろ、彼女たちは異なる分野の境界を超えた新たな知見への夢を搔き立てている。
誰もが自分の専門分野に熱い情熱を持ち、そのすべてを注ぎ込めるような、未だかつて誰も見たことのない、有益かつ斬新な創造物を渇望しているのだ。
「じゃあ、この案とこの案を合わせて……感情を可視化できるようなものを作るっていうのはどう?」心春は視点を変えて提案する。
「それは新しい! ……って言いたいところだけど、声や表情から感情を推測する技術は、これまたすでにあるみたいだ。もっと数学的な美しさが必要だよ」数多は技術アーカイブを確認する。
「声や表情以外の方法を試すとしても、科学的な根拠が必要です。ただの感情の波形では、実用性がありません!」理化はデータシートを指さす。
「物語としても、もっとドラマが必要だねっ! 感情だけじゃなくて、その背後にあるストーリーを描きたいよ!」芙文が夢を見るように熱く語った。
新しいアイデアを思いつくのは難しい。
既存の考え方から完全に脱却するのはさらに困難だ。
しかし、天才たちがタッグを組むからには、一切妥協は許されない。
それは必須条件なのである。
そして、発明すること自体が目的になってもいけない。彼女たちが心の底から望むものでなくては。
「ううん、ただ感情を推測するだけじゃなくて……その先の……」
心春の頭には考えがよぎっているものの、言葉にならなかった。
いや、言葉にできなかったのだ。
その先は彼女の専門外であり、仲間の協力が必要だった。
教室の窓からは、校庭で繰り広げられるクラブ活動の賑やかな様子が見える。
この学園では、学問の追求に加えて、スポーツや芸術のクラブ活動も活発だ。
数多は白熱する議論に耳を傾けながら、ふと外を眺めた。
サッカー部の選手たちがボールを追いかけ、コーラス部の奏でるハーモニーが風に乗って聞こえてくる。
数多は一見無秩序に見える選手たちの動きが、実はそれぞれ数学的なパターンに従っているのではないかと考え始める。
彼女は日常のあらゆる動きを数式で捉えようとする癖があった――だからこそ、無意識のうちに数式を組み立てて実践し、自身もスポーツや歌が得意だった。
ボールの軌道、選手たちの走行ルート、声から生まれる音楽のリズム。そして生徒たちの表情の微妙な変化までもが、何らかの数式で表現できる気がするのだ。
待てよ、と数多は思った。感情が声や表情から計れるのなら。
「数学は、目に見えないものまで見せてくれる――もしかしたら、感情も数式で表せるかもしれない」
その閃きは、ほとんど独り言に近い呟きだったが、他の三人の耳にも届き、彼女たちの興味を引いた。
「本当!?」
心春は嬉しそうに身を乗り出した。そして理化と芙文に目配せする。
「その数式を使って、科学と文学を上手く結びつけた何かができるかしら?」
「数式で表せると言うのなら、科学的に解明できないことはないでしょう。数式の化学物質を分析して、それを物語に組み込むことができます!」
「ドラマの匂いがプンプンするねっ! その感情の背後にある物語は、きっと世界に羽ばたくストーリーになるよ! まるで、スマートフォンの地図アプリが突然全ての国境を消去したみたいにっ!」
心春の問いに、理化と芙文は興奮気味に答えた。
ついに、四人は一つのアイデアに辿り着く。
「感情を数式で表し、それを科学的に分析して、物語として世界に伝える。これだ!」
その名も『感情方程式物語』。
自分の感情を読み取り、感情が数式で表され、科学的な分析を通じて深層の意味が解明され、最後にはその感情に基づいた物語が生成されるというものである。
最終的には、この発明を一つのデバイスとして具現化するのが目的だ。
このデバイスは、ユーザーが自己理解を深める手助けをすると同時に、自分の感情を新しい視点から見る方法を提供するだろう。
「うふふ。みんなが自分の感情をもっと理解できるようになるわ」心春は嬉しそうに頬を上げる。
「これはエレガントな証明になりそうだ」数多は満足げに頷く。
「エウレカ! この発明は、心理学と数学と科学と文学の完璧な融合です!」理化は鼻息を荒くする。
「数式舞う
心の謎に
物語
心の中の秘密を解く感情の方程式――それはまるで、未知の島を発見する羅針盤みたいっ!
そして、そのすべてを物語にするのがあたしの役目だねっ!」芙文がノートの新しいページを開いた。
こうして彼女たちは、全員が納得する内容の発明に辿り着いた。
感情を数式で表し、科学的に分析し、物語として世界に伝える、感情方程式物語。
彼女たちの頭脳とインスピレーションと共に、新たな発明が生まれようとしていた。