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第6章-3:総合的な挑戦 Bright horizons

「ない!」

 と、それに最初に気付いたのは芙文だった。

 研究室に入り、開口一番に「今日もよろしくね」と感情方程式物語に挨拶しようとしたが、昨日置いていたはずの作業台の上に無かったのだ。

「え? 昨日パーティーを始めるまでは確かにありましたよね? いろいろ騒いでいるうちに、器具に紛れちゃったんでしょうか?」

「パーティーの間もあったよっ! 無事かどうか心配で、十秒に一回は見てたもん」

 芙文は勢い込んで言ったが、しかし消えてしまったのは事実である。


 四人は研究室を見回した。

 昨日片付けたとは言え、それは作業台周りが以前の状態よりは幾らかましになった程度であり、室内にはまだまだ資料やら設計図やらが無秩序に山を成し、電子部品に実験器具が一つのオブジェのように積み重なって、乱雑だった。

 そんな中に、コンパクトな手のひらサイズのデバイスが紛れ込んだのだとしたら、一目で見つけるのは不可能であるに違いない。


 かくして四人はそれから小一時間、遺失物探しのため、研究室の大掃除をすることになった。

「やはり、怠惰は罪です……」

 と理化はぶつくさ言いながら。

 それこそ埃を纏った本棚の影から、忘れ去られた引き出しの奥まで――部屋の隅々を整頓しながら探し回った。


 しかし、結論を言えば、それでも感情方程式物語は見つからなかった。

 こうなると、彼女たちにも焦りが見えてくる。

「誰かに盗まれたんじゃ……」

「おかしいですね。この部屋に入れるのは私たちと、管理側だけなのに」

 心春が不安を口にしたが、理化は誰かが盗んだという意見には懐疑的だった。


 この研究室は、カード認証システムである――ドアは電気錠で施錠され、使用の許可を得た者だけがその期間登録され、学生証をリーダーにかざすことで開錠できるのだ。

 教員陣ですら、部屋に入ることは許されていない。入ることができるとしたら、この四人と、学園の管理者のみである。


「これは密室殺人事件ならぬ、密室窃盗事件かなっ!?」

 芙文はパソコンの中身を調べながら言った。

 研究データは無事に残っていることを確認し、ひとまずは胸をなでおろす。

「うちの生徒なら、このセキュリティの破り方を見抜いてもおかしくはないんじゃないか?」

 数多が名探偵のように推理してみせたが、理化はこれに異議を唱える。

「いえ、どれだけの天才がいたとしても、学園のセキュリティシステムは到底突破できないくらいに厳重ですよ」

 その口ぶりには、過去に挑戦しようとしたことがあるかのような含みがあったが、三人は気にしないことにした。

「それに、誰かが悪意を持って盗んだなら、資料やデータを一緒に取っていかなかったのは妙ね」


 しかし、これだけ探しても見つからないということは、やはりこの部屋には無いということだ。

 そしてこれは、研究データがすべて手元に残っているから大丈夫だとか、また作り直せばいいだとか、そんな問題ではないのは明白だった。

 感情方程式物語は、前代未聞の、あまりにも画期的な発明だ。

 彼女たちの見立てでは、これは誇張でもなんでもなく、冗談抜きに、億単位の金が動く発明だった。もしも盗まれたのだとしたら、さらには内部構造が解析され、我が物顔で研究成果を発表されてしまったら堪ったものではない。


「どうしよう……」

 しょんぼりと肩を落とす芙文を見て、数多が立ち上がった。

「仮にもし、僕ら以外の誰かがこの部屋に入ったのだとしたら、そのログが残っているはずだ。管理室に聞きに行ってみよう」

 四人は顔を見合わせて頷き、研究室を飛び出した。


 廊下へ出ると、教室のドアの隙間からは放課後のクラブ活動の音が漏れ聞こえ、友人同士の笑い声も響いている。

「急げ!」

 と、一番前を走る数多が振り返りもせずに叫んだ。

 その声に後押しされるように他の三人も速度を上げる。

 風が彼女たちのスカートをなびかせ、髪を後ろに押し流す。

 他の生徒たちにぶつからないよう注意を払いながら、まるで時間と競争をしているかのように、彼女たちは一心不乱に進んだ。

 いつも目にしている学園の風景も、未来がかかっている今は知らない景色のように感じられた。

 エレベーターを待つ余裕もなく、焦燥感に駆られながら階段を一気に駆け下りた先に、管理室の扉は現れた。

 切らした息を落ち着けて数多がドアをノックすると、電気錠が解除される音が微かに聞こえ、自動ドアがゆっくりスライドした。


 中から出迎えたのは、明るい黄色のボディがチャーミングな、角の丸い四角形の顔と短くて丸い手足を持つ、まるで絵本から飛び出してきたかのように愛らしいフォルムの、学園のマスコットロボット、ピコちゃんだった。


 そして、ピコちゃんの小さな手には、なんと彼女たちが探していた感情方程式物語のデバイスが握られていた。


「それは……!」

 意外な犯人に四人は混乱し、目を見張った。「なぜ?」という疑問が空中に浮かぶが、ピコちゃんはLEDスクリーンの顔でにこにこ笑い、「ピコピコ!」と楽しそうにデバイスを扱っている――誤解を避けるために正確に表現するなら、彼は笑っているのではない。プログラムに従い、楽しい感情を模倣しているだけである。


「ピコピコ! 遊ぼうピコ!」

 明るく話すピコちゃんの行動に悪意は感じられず、彼は新しいおもちゃを見つけた子どものように無邪気だった。

 その可愛らしい姿に彼女たちは心を和ませ、焦りや憤りはすっかり消え去ってしまった。


「これはわたしたちのものなの。どうしてこれをピコちゃんが?」

 心春は目線を合わせるように、ピコちゃんの前にしゃがんで優しく尋ねた。

 すると、まずいことをしてしまったと気が付いたのか、ピコちゃんは大きな雨粒のような青い涙を光らせる。

「ピコピコ! ごめんなさい。ボク、盗むつもりじゃなかったんです。感情を学びたかったんだピコ」

「感情を学ぶって、ロボットが?  それはそれで面白い試みだねっ!」

 芙文は驚いてピコちゃんを見た。

「ロボットの感情データは登録していませんから……エラーになってしまうのでは?」

「ピコピコ! その通りピコ。ボクには反応しなかったピコ。でも、この子と友だちになれて、とっても楽しかったピコ!」

 生真面目に質問する理化に対してもピコちゃんは笑顔で答え、「もうしませんピコ」と四人へデバイスを返した。


 当然ながら、この学園は重要な研究や極秘の開発で溢れている。

 ピコちゃんは機密情報の守り手として学園の管理者に選ばれ、小さな体で学園を自由に歩き回り、それらを見守ってきた。

 今まで彼は決して禁じられた果実に手を出すことなく、その信頼に応えてきた。

 それが、彼がこの自由を享受できる理由だった。


 結局、ピコちゃんは感情を理解することができなかったが――彼が感情方程式物語を手にしたということは、感情という新しい世界への好奇心が芽生えたということだ。

 彼女たちがまだ気付いていないその小さな変化は、ロボットが感情を理解し始める、そう遠くない未来への予兆かもしれない。


 感情方程式物語は、人と機械の関係を変える一歩となる可能性をも秘めているのかもしれなかった。

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