第4章-1:科学的な奇跡 Chase your dreams
彼女は 理論の山を登る探求の登攀者
その力強さで 化学の真理を追求する
彼女は 嵐をも鎮める雷鳴の女王
その輝きは 未知の闇を切り裂き 大地を揺るがす光を放つ
彼女は科学の謎を 瞬時に溶かす燃え盛る炎
彼女の前では 微細な粒子でさえも露わになる
その情熱は 緊縛された科学の扉を 一斉に解き放つ
***
「ですから、まずはキャラクターたちの関係性を示すフローチャートを頭に思い浮かべるわけです」
頭脳プラチナム学園の二年A組の教室で、理化と芙文が椅子を向かい合わせて話していた。
「そうすることで、人間関係を化学反応や物理法則に例えて分析するときに、圧倒的に整理しやすくなるんです」
「ふむふむー。具体的に言うと、どんな感じに分析できるのっ?」
理化が手にしているのは、ポータブルゲーム機。液晶には、大人気乙女ゲームである『桃色メロディ』のゲーム画面が映し出されている。
芙文は、現在執筆中の小説で登場人物の関係性に新しい視点を取り入れるため、理化にレクチャーを受けていた。
研究に明け暮れる理化にとって、乙女ゲームは唯一の癒しだった。
初めこそ他人の目を気にして隠していたのだが、数多に暴露されたこともあり、今では芙文とその内容についても教室で堂々と話すようになっていた。
理化と芙文は不思議と気が合った。
芙文は底抜けに明るい、太陽のような存在だ。
もともとテンションが高めの理化も、その明るさに引き寄せられるように芙文との会話を楽しんでいた。彼女は、自分と同じリズムで話せる友だちができたことを新鮮に、そして嬉しく思っていた。
「はい、私はある仮説を立てました。攻略対象キャラクターとの心の距離を、ニュートンの万有引力の法則になぞらえて計算できるんじゃないかと。その仮説によれば、――ここで、Fはプレイヤーと攻略対象の心の引力、mはそれぞれの心の質量、rは心の距離、Gは恋愛の万有引力定数とします――この法則で、心の距離を縮める方法が分かるんです」
理化は学園で生徒全員に配布されているデジタルデバイスを取り出し、慣れた手つきで式をタイピングした。
「おぉーっ、すごいっ! 理解したような、してないような気がするよっ!」
「理解してないんじゃないですか……。全く、芙文さんにはもっと簡単な化学方程式で示した方が良さそうですね。いいですか? これは、一つの選択肢が、あるキャラクターの心にどのような変化をもたらすかを表す式です。プレイヤーの好意と共感が組み合わさることで、キャラクターの信頼を生み出すという化学反応を引き起こすんです」
理化は化学式を素早くタイピングした。
彼女にとって、キャラクターたちの心は原子や分子が反応するようなもの。
愛情は共有結合で結ばれ、裏切りは反応の触媒となる。
「まあ、この桃色メロディ、通称『桃メロ』は、本当はこんな簡単な式では収まらないんですけどね。会話も描写も、すべてが情緒的で感傷的で……登場人物は全員、私たちと同じように愛や痛みを感じる、生きている存在なんです。これほど科学的好奇心を刺激する作品は他にないってくらい、素晴らしいんですよ」
と、理化は熱を帯びた声で続けた。
「なるほどなるほどっ、この式ならあたしも分かる気がするよっ! さすが天才っ!」
熱く語る理化に賛辞を贈りながらも、芙文はスマートフォンを指で器用になぞり、理化の眼前に突き付けた。
「理化っち、気付いてなさそうかなっ? 気付いてないかぁ。にひひ、この桃メロのシナリオ書いたのは実はあたしだったり! いやあ、お褒めにあずかり光栄だなっ!」
芙文が見せたスマートフォンの画面には、桃メロの公式サイトが開かれている。
そして、そのメインスタッフ欄の上部に、でかでかと『シナリオライター:綾本芙文』の文字があった。
「な、なんですって!? 天才ですかあなたは! いえ、天才通り越して神と言っても過言ではありません!」
理化はあからさまに驚いて、感極まれりといった様子でがくがくと芙文の肩を強く揺さぶった。
天才という誉め言葉の応酬で、もはやコントのようだったが、理化にとっては突然目の前に憧れのアイドルが現れたようなものである――歓喜するのも当然だった。
そんな風に盛り上がっている中、理化の頭上から伸びてきた手がひょいとゲーム機を取り上げた。
「こらこら、君たち。ゲームで遊んでないで、発明の続きだ」
桃色ではなく、静かなレコードプレーヤーから流れるジャズメロディのような声。
数多だった。
「遊んでるって言い方には語弊があります、ありすぎますよ数多さん」
「あははっ、ちっとばかし創作活動で行き詰っちゃってねっ。理化先生に教えてもらってたんだっ」
これは予想外とばかりに、数多が疑問を投げかける。
「ふうん、芙文がスランプなんて珍しいね。にしたって、文学とは対局にありそうな科学の論理から突き詰めなくてもいいだろうに」
「分かってないですねえ、数多さん。文学は経験や感情を言語を通して表現し、科学は実験や論証を通して追及するものです。一見異なるように見えますが、人間の理解を深めるという点では同じビジョンをもつ、補完し合う関係なんですよ」
理化は呆れを含んだ微笑みを浮かべて頭を振った。
それを聞いて嬉しかったのか、芙文もにこにこと追従する。
「そうだよーっ。文学も科学も、どっちも世界を見る窓なんだからねっ」
「私にかかれば、原子から銀河系に至るまで、この世のすべてが研究対象になり得るんです」
理化は得意顔で、びしっと数多を指さした。
「大体、感情っていう途方もなく非論理的な事象を論理的に解明しようとしているのはどこの誰ですか?」
「ん、それは確かに。……まあ、それはそれ、これはこれだ」
と、理化による魂の決め台詞も便利な言葉であっさりと片付け、数多は理化を真似るようにして言った。
「だったらその熱量を発明に注ごう。前回、僕らを急かしたのはどこの誰?」
理化はもう少し、好きなことを語っていられる、芙文との心地良い会話に浸っていたかったが――これには反論の余地を失い、数多の手からゲーム機を奪い返しながら言った。
「分かりましたよ、もう」