7.学習するボタン
正直、彼女とコミュニケーションを取ることは諦めていた。
この世のモノではないこと。
「ル」とか「リ」とかしか口にできないこと。
赤ん坊ぐらい無垢で、アンドロイド並みに反応が薄いこと。
彼女の本体は、ベルトと一体化したボタン。
あのドラキュラ青年もそう言っていた。
「いま、『大丈夫』って……言ったよな?」
すると彼女は「うん」と、素直に頷いた。
「なんで急に? 今まで全然……」
そこで彼女が本を手にしているのに気付いた。
それは……昼間に林が読みかけていたラノベか?
彼女は少し困ったような顔をする。
「元気、なさそう。だから心配」
「ま、まさか……本を読んで学習した?」
そうとしか考えられない。
戸惑っていると、彼女がもう一度、眉を寄せて尋ねる。
「だいじょうぶ?」
「い、いや。うん。大丈夫だから」
内心、焦った。
知能は……知能はどれぐらいなんだろう?
彼女の見た目は十代真ん中ぐらい。
けど、童顔なので十代前半という可能性もある。
そもそも、この世のモノではないんだから、妖精みたいに年齢があってないようなものかもしれない。
「このままだと、この家を出ていかなきゃならないんだ。だから今度は大金……いや、前の2回も大金だったよな」
父親がFXで作った借金2400万。
これをボタンで出すことは出来るはずだが……どうやって渡す?
だいたい、2400万円なんて大金、見たことは無い。
「どのみち俺には見えないんだった……」
動画やフィクションで見る大金は、しょせん非現実的なものだ。
そう考えると、彼女のボタンを押して得られるお金は、それと似たようなものだ。
「じゃあ、ボタンを借りるよ。出してくれるかな?」
彼女は少し考える素振りを見せる。
だが、すぐに顔を上げてニッコリ笑う。
女の子座りから少し膝を立てて、Tシャツの裾をたくし上げる。
相変わらず白い肌と細い腰だ。
陶器のように美しく、月明かりのように淡い。
そこに巻かれるチャンピオンベルトの金属感は、あまりに異質だ。
「2400万、2400万、2400万……」
祈るように声を振り絞り、ボタンを押す。
これで3度目だ。
『ピンポーン』と、呑気な音が鳴る。
それは人の姿が消え失せた一軒家の呼び鈴みたいに聞こえた。
「何も見えないのに、どうっやって金を渡すんだろ?」
さすがにこの金額だと、片手で渡すものではない。
そこで聞き覚えのある声。
「金額を言えばいい。それで譲渡する意思を示す言葉を口にするだけだ」
これで何度目だろう。
ドラキュラのような青年は、今日も澄まし顔で不法侵入してきた。
詮索しても無駄だと分かり切っているので素直に疑問を口にした。
「それだけで、お金を払ったことになるんですか? 足りなかった場合は?」
「足りない分は与えることができない」
「残高は? どうやって確かめれば良いんですか?」
「それなら手の平を見たまえ。金額をイメージするといい」
言われるままに右手を見る。
すると赤黒い文字が浮かんできた。
ダイイング・メッセージのっようにグロい。
「うげっ!」
色が色なので手の平が傷つけられたのかと勘違いした。
とりあえず数字を読む。
「25……ゼロが6個? いち、じゅう、ひゃく……」
2500万!
なるほど! これなら分かり易い!
「あれ? でも、さっき頼んだのは……あ、100万円使ってなかったからか」
林に渡したのは200万。前日に出したのは300万。
計算は合う。
とりあえず、親父に2400万を渡すとするか。
相変わらず大金を手にした実感はないが、やるだけやってみよう……。
* * *
昼休みにイケメン工藤が居なかったので、どうしてかを尋ねると林が答えた。
「カンパを集めてるんだってさ」
「カンパ? 何の?」
久保がヤキソバパンを片手に肩を竦める。
「2組の藤川って女の子。彼女の父親の会社が負債を抱えてるんだと」
「は? なんだそれ。関係なくね? それともあいつ、その子と付き合ってるとか?」
林は、やれやれと首を振る。
「違うみたいよ。純粋に助けたいみたい。クラウドファンディングもやってるって」
意味が分からない。
というか大人の社会の金の話なんて、高校生の自分達にとっては別世界のことだ。
久保は、たった3口でヤキソバパンを口に収納すると、モグモグしながら眉を顰めた。
そして小声で話す。
「彼女のお父さんが連帯保証人になってたらしくてな。8000万以上の支払いが滞ってるとか? それで会社を売り払ってもかなりの額の借金ができてしまうって話だ」
金額がバクっている、と以前の自分ならそう感じただろう。
だが、昨夜、FXで借金を作った父親に2400万円を渡したばかりだ。
一瞬、それぐらのお金なら……と考えてから後悔した。
なんで、自分がそんな知らない人間を救済しなければならない?
工藤は昼飯も食わずに、各クラスを回りながらカンパを募っていたそうだ。
昼休み終了前に教室に戻ってきた工藤に尋ねる。
「お前、なんで付き合ってもない子のために、そんなに一生懸命なんだ?」
すると工藤は顔を寄せてきた。
「藤川さんって美人だろ? 2つ下の妹さんもいる。可愛い女の子が親の借金のために……な? 分かるだろ? そんなの理不尽だ」
工藤の言っていることは分かる。
とはいえ、親の借金の為に身体を売る女の子なんて、まったく他所の出来事のようだ。
「そうだな……」としか返事できなかった。
いっそのこと無力だったら、こんな話に胸を痛めることは無かったかもしれない。
中途半端に能力を持ってしまったせいでモヤモヤした。
* * *
帰宅して部屋に入るなり、ベッドの上で彼女が顔を上げた。
「おかえり~」
まるで家族を出迎えるように彼女は明るい表情で、その言葉を口にした。
「え!?」
なんか、昨夜より、はっきり喋ってないか?
それに表情が……ある!
どういうことだ?
そう思ってベッドの上に目が留まった。
次いで本棚に目を移す。
「まさか、ラノベを読みまくって学習してるとか?」
彼女はベットの端に腰かけて、足をブラブラさせる。
「ね、外に行きたい」
「え? あ! ええっ!?」
彼女は試すような顔つきでおねだりする。
「連れてってよ。だめ?」
いや、まともに彼女の顔を見れない。
というか、急に喋るとか、人間らしいリアクションをするとか……ずるい。
―― これは大変なことになったぞ!