2.きっかけ
昨夜、家の前で拾った全裸ベルトの少女。
翌日の昼休みにスマホの画像を見ながら考えた。
自室を撮影した画像に、彼女の姿は無い。
「やっぱ、幻覚なのかな……」
何度試しても彼女を撮影することはできなかった。
それに部屋に入ってきた母親にも彼女の姿は見えていなかった。
息子が裸の少女を連れ込んでいるのに、母のリアクションは薄かった。
「お風呂、入るなら入っちゃって」
それだけ言って母はドアを閉めた。
ベッドの上にはまるで気付いていなかった。
彼女は自分にしか見えていない?
今のところ、そうとしか考えられない。
じっと手のひらを見る。
そして、触感を脳内再生してみる。
「実体はあった……はず」
そこに隣席の林が絡んできた。
「なあ、お前だったら押す? 三億円ボタン!」
隣で何やら盛り上がっているのは気付いていた。
だが、急に話を振られても困る。
「なんだ? それ」と、尋ねる。
林が呆れながら説明する。
「なんだよ! 聞いてなったのかよ。三億円、貰えるけど、代わりに一生、豚肉が食えないボタン。目の前にあったら押せるかって話!」
イケメン工藤がニヤニヤしながら言う。
「三億円だぜ? けど、死ぬまでトンカツもチャーシューも食えないのは地獄だな」
久保は巨体を揺らせて笑う。
「食べ物系はズルいって! デメリットがデカすぎ!」
林は前提を変える。
「んじゃあさ。代わりに誰か知らないオッサンが南極に飛ばされるってのは?」
久保は手を叩いて笑う。
「そりゃ押すっしょ! てか、余裕で連打するわ」
内面もイケメンな工藤は苦笑する。
「酷いなァ。もし、そのオッサンが知り合いだったらどうすんだよ?」
だが、身体と同じでメンタルも太い久保は意に介さない。
「全然、平気。俺にデメリットなきゃ、OKよ!」
林がからかう。
「じゃあさ、俺たち3人の誰かが全裸で南極に瞬間移動させられるとしたら? お前、それでも押すのかよ?」
すると久保は澄まし顔で言う。
「押すよ。んで、1億かけて救出に行く。残った2億を山分けで良くない?」
「おおーっ!」「頭、良っ!」と、工藤と林が感心する。
なんでもない男子高校生のバカ話。
だが、それはあまりにもタイムリーすぎる話題だった。
―― 押しただけでお金が手に入るボタン。
横目で3人を見て軽くため息をつく。
イケメン工藤が心配する。
「どうした? 今朝からずっと元気ねぇじゃん」
相談することも考えた。
だが、こいつらに昨夜の話をするのは時期尚早だ。
家に連れて行って実物を見せれば信じてもらえるかもしれない。
けど、昨日の母と同じように何も見えなかったら?
「頭おかしい」と言われておしまいだ。
せめてスマホの画像で、あの子の姿を見せることができれば……。
結局、彼女と意思疎通はできず、部屋に置いてきてしまった。
食事やトイレは大丈夫なのか?
まさか、あの格好で外に出てしまったりしないか?
そわそわムズムズして、午後の授業は平常心で居られなかった。
なので、放課後は林たちの誘いを断って帰宅を急ぐことにした。
* * *
林の原付に乗っけてもらったのが間違いだった。
赤信号で停止中の車と事故ってしまったのだ。
それに、車の持ち主が問題だった。
「あ? 修理代、50万な?」
ボサボサ頭の金髪ヤンキーに、そう凄まれても文句は言えなかった。
確かに接触したのはこちら側だ。
けど、酷くぶつかったわけでもなく、車の後ろを引っ搔いた程度だ。
幾らなんでも50万は、ボッタくりだ。
なのに、この糞ダサ・ヤンキーに文句が言えない。
「あ? おめぇら高校生だから、50にしてやったんだぞ? マジ、感謝な?」
ヤンキーの金髪は伸び放題で、根元の黒毛が汚らしい。
濃密な『もみあげ』の黒が汚さに拍車をかけている。
正直、もっとも嫌いな種類の連中だ。
反吐が出る。
けど、目の前でオラつかれると、目を合わせるのが躊躇われる。
クソダサヤンキーは宣言する。
「明日のこの時間までな? ぜってぇ用意しろよ?」
なんでいちいち疑問形なのか分からない。
変に語尾のイントネーションを上げるからそう聞こえてしまうだけなのかもしれないが。
林は、すっかり委縮している。
それを見ながら悪いことをしたな、と思う。
だが、同時に良い機会かもしれないという考えが過った。
昨日の夜の話。
―― 押しただけでお金が手に入るボタン。
アレを試してみよう……。
* * *
部屋に戻ると、ベッドの上で彼女は大人しくしていた。
まるで紳士の為の精巧な人形のように動かない。
何を考えているか分からない表情で、哲学に思いを馳せているように見える。
目は開いているが、相変わらず意思疎通ができない。
なんとか自分のTシャツを着せているので、昨日みたいに目のやり場に困ることはなかったが、恒常的なバツの悪さは拭えない。
「お腹空かない? トイレとか大丈夫?」
その質問も「ル?」と、小さく首を傾げるだけ。
まるで、無垢な幼女が、きょとんとしているようだ。
もし、この子が幻影とか、この世のものでないとかなら分かる。
幽霊に居候される話なら読んだことがある。
他には宇宙人のターゲットにされた、異世界の住人が救世主として迎えに来た、など色んなシチュエーションが考えられる。
夢オチなんて可能性もゼロではない。
おかしくなってしまったのは自分の方かもしれないのだ。
「そうだ。取り急ぎ、お金が要るんだった」
一応、「お願いしていい?」と、お伺いを立てる。
「フュィ?」と、彼女がニッコリするのでOKと判断した。
昨夜、押しかけてきたドラキュラみたいな男の言葉を思い出す。
確か、金額を3回言ってから、ボタンを押す……。
「おなか……ごめんよ」
頭から被せたTシャツの裾をそっとめくる。
白い肌が眩しすぎて直視できない。
太いチャンピオンベルトの金属感だけが、唯一の良心のように見えた。
ベルト中央のバックル。赤いボタン。
早押しボタンみたいに大きなボタンだ。
なるべく、ボタンにのみ視線を集中して覚悟を決める。
「ご、ご、50万、50万、50万……」
そして、(えいやっ!)で、ボタンを押した。