19 フィナーレの約束
老師の居る指令室を出て、別な建物へ向かう。
いったん、上層階に上がって建物の奥まで進み、隣のビルに移る。
建物が密集しているのと、建築中の足場が残されているので、それを橋渡しして、地上に降りることなくビルを行き来できるようにしているのだ。
他のビルを経由して、どんどん奥の建物に向かって行く。
ある程度、遠くまで逃げたところでひと息つく。
と、その時、上空で眩い閃光が飛び散った。
ゆっくり落下してくる火花が周囲を照らす。
彼女が「あ! 花火!」と、嬉しそうに窓枠から身を乗り出す。
「いや。花火じゃないよ。あれは多分、照明弾だ」
「なんだ。つまんない」
そう口を尖らせる彼女を見て思い出した。
「ああ、そういや花火を見たいって言ってたよな」
どこに行きたいかを尋ねた時に、確かそんなリクエストをされた。
彼女が頷く。
「うん。映像はいっぱい見たけど、なんか物足りない。どうしてもナマで見てみたいの」
「ああ。分かるような気がする」
どんな綺麗な光景を動画や画像で見たって、実際に体感してみないことには感じられないものはあると思う。
機器なしにネットワーク情報に触れることが出来る彼女でも、実際の体験には及ばないことが分かっているのだろう。
彼女は、シャツの裾を摘まんで引っ張ってくる。
「ねぇ……最後は本物の花火を見ようよ」
「最後? ああ……最後、ね」
その意味を、しみじみと考える。
このままボタンを押し続けると人類は滅亡する。
この先は1回押すごとに300万人、1800万人と最低でも6倍ずつ死んでいく。
大地震、大津波、隕石の衝突、太陽フレア、ポールシフト、核戦争。
何が起こるかは予測不能だ。
仮にその途中で自分が死んでボタンが押せなくなっても、時間切れでこの世界は消滅する。
―― 既にこの世界は詰んでいる。
もし、別な世界線、分岐する前の世界に残っていたら、どうなっていただろう?
少し、そんなことが過った。
彼女は身体を寄せながら言う。
「この世界で二人だけ残ったら、花火を打ち上げようね」
「できるかな。職人でもないのに」
「だいじょうぶよ。今はプログラムで制御してることが多いみたい」
なるほど。それなら彼女の得意分野だ。
「最後に花火ね……」と、変な笑いが出た。
人の姿だけが消え失せたディストピアに残された二人。
その男女二人が最後にやることが打ち上げ花火?
すると彼女は心を読んだみたいで囁く。
「……キスぐらいなら、いいよ」
「な、……なんだよそれ」
「したくないの?」
「い、いや。そういうわけじゃないけど……恥ずかしいだろ」
彼女は急におでこを肩口にくっつけてきた。
「ロマンチックでいいじゃない。そんなフィナーレがあっても」
「フィナーレね。けど、この状況で生き残れるのか?」
そもそも、なぜバチカンが命を狙ってくるのか分からない。
もしかしたら、自分がこのボタンを押すことが終末に繋がると信じているのかもしれない。
弱気になりそうなところを彼女に「しっかりしなさいよ!」と、カツを入れられる。
「わたしが生き残らせるから!」
そんな彼女の力強い宣言に気圧される。
「お、おう……」
「約束するよ。あなたを守る。最後の瞬間まで」
「そ、そっか。じゃあ、それまでよろしく」
「その代わり約束して。フィナーレは花火を見ながらって」
「約束……いいよ。わかった」
ずいぶん、花火に執着するなぁと不思議に思いつつ、小さく身震いした。
終わりの瞬間が、そう遠くないことはヒシヒシと感じていたからだ。
しかし。それに抗う気は、まるで無かった。
―― なるようにしかならない。
爆発音はまだ断続的に続いている。
不思議なもので、とんでもない爆音でも慣れてしまうらしい。
彼女と並んで窓の外を眺めていた。
そこに割と近距離で閃光が拡がった。
照明弾が、『バリバリバリッ』という爆音を放つ何かを照らした。
彼女が驚く。
「ハインド!? Miー24(ミル24)ですって?」
前方に現れたのは戦闘ヘリだった。
その距離、数十メートル。
だが、その悪魔のような存在感と圧力は何だ?
「走って!」と、彼女に手を引っ張られる。
強力なライトを向けられる。
部屋を飛び出して廊下を右に曲がった時、背後で『バババンッ!』と、雷のような轟音が響いた。
腹の底が揺さぶられるような轟音だ。
「30ミリ機関砲よ! 当たったら肉片になるわ!」
「ひょえええ!」
長い真っすぐな廊下を全速力で走る。
右手はガラス壁で仕切られたオフィス。
左手は見晴らし重視の大きな窓が並ぶ。
だが、これは外からも丸見え……マズい!
嫌な予感は良く当たる。
左手後方から出現したサーチライトが、舐めるように通り過ぎた後、続けて轟音が追いかけてきた。
手抜き工事の壁が薄いのか、機関砲の威力がえげつないのか、左側の壁は粉々に吹き飛ばされてしまう。
まるで高圧洗浄機がしつこい汚れを剥がしていくCMのようだ。
彼女に「危ない!」と、突き飛ばされて派手に転ぶ。
それを掠めるように何かが過ぎ去って右側のガラスを破壊した。
あのまま走っていたら当たっていたかもしれない。
彼女は言う。
「掠っただけでもアウトだからね」
「みたいだな」と、冷静さを気取るが、足がガクガク震えてしまう。
「このまま突っ切って反対側に出るわよ。隣のビルに移れれば良いんだけど」
オフィスを抜けようとする彼女を追いかける。
流石に建物の奥なら機関砲を喰らう可能性は低い。
うまくいけば、相手が見失ってくれるかもしれない。
オフィスといっても、机すら入っていない部屋は一度も使われた形跡が無い。
つくづく、罪深い都市だと思う。
「こんな立派なものを作っても、使う人間が居ないんじゃなぁ……」
そう言うと彼女が振り返りもせずに答える。
「だから困ってるんじゃないの?」
建物の反対側に回り、周囲を観察する。
姿勢を低くして窓際に接近して、隣のビルとの距離を測る。
彼女が窓から身を乗り出す。
「3つ上のフロアに渡れそうな箇所があるわ」
彼女の姿は敵には見えないはずなので偵察にはもってこいだ。
彼女は続ける。
「ちょっと待ってね。今、動かして繋げるから……」
「動かすって? クレーンか何か?」
「ううん。足場よ。適当な長さの板をこうして……こうする」
「なにやってんだ?」
「だから、橋を作ってるの」
「え? 機械じゃなくても操れるのか?」
「そうよ。さっき押したボタンの効果」
「なんだそれ? 動かない物体でも動かせる能力が開花したのか……」
機械や機器を操る次の段階の能力。
テレキネシスというか、もはやゲームの超能力というか、ますます人間離れしている。
「静かに階段を上がるわよ」
「分かった。けど、兵が降下してきたらひとたまりもないな」
「だいじょうぶよ。守るって約束したでしょ」
「まあ、今の君なら何とでもできそうだけどな」
非常階段を慎重に上がって、周囲を警戒する。
目的のフロアに到着して彼女が耳を澄ませる仕草を見せる。
「だいじょうぶ。人は居ないわ」
「なんで分かる?」
「超音波で索敵したの」
「ますます人間離れしてるな……」
「ほら、見て。さっき作った橋。出来立てのホヤホヤよ」
「そういうものもホヤホヤというものかな」
「気を付けて渡らないと。幅は5メートルぐらいだけど油断しないでね。ビル風が出てるから」
と、その時、彼女が「危ない!」と、飛びついてきた。
『バーン!』と、近くで爆発音がして耳が聞こえなくなった。
爆風? 熱風? なんか細かい物がいっぱい飛んできたぞ?
彼女が何か叫んでいる。
聞こえないけど分かる。
彼女が身体を揺すっている。
感覚は無いけどそんな気がする。
彼女が涙を流して……。
顔に温かい液体が垂れてきたという触感。
でも、それは気のせいかもしれない……。
考えられる原因はただひとつ。
あの武装ヘリがミサイルを撃ち込んできたに違いない。
だが、キーンという耳鳴りが小さくなると同時に、意識が遠のいた。