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11 海と彼女と名前のこと

 この景色は、しょぼ過ぎた。

 3時間もかけて電車を乗り継いで来たのに。


 10月、それも平日の昼間の砂浜は、良く言えば貸し切りで、正確には寒々《さむざむ》とした光景だった。

 まあ、シーズンを外れた海水浴場なんて、こんなもんだ。


 海と砂浜。

 お休み中の海水浴場。引っ繰り返されたボート。


 はじめのうちは珍しそうに観察していた彼女だが、その横顔は、すっかり飽きてしまったように見える。


 まあ、考え事をするにはピッタリのシチュエーションではある。


 電車の中でも考え続けていたが、これ以上ボタンを押すのは止めようと決めた。


 正直、外国の知らない人たちが何人亡くなろうと、そこまでのダメージは無い。


 だけど、次にボタンを押す代償として事故か災害が起こるのは日本かもしれない。

 そして、その中に知っている人間が含まれるかもしれない。


 犠牲者の人数は、出した金額の1万分の1。

 つまり、人の命が1万円の価値に換算されるということだ。


「いつまで有効なのかな、これ。現金か金の延べ棒に換えて持っておくか」


 残高は約6670万。

 十分すぎる額だと思う。


 そして次に押す時は最低でも前回の金額の6倍でなくてはならない。

 ということは……9億?


 流石に、それだけあれば一生、安泰なはず。


「でも……9万人、死ぬ」


 波打ち際にしゃがみ込んでいる彼女の後姿を眺めながら、砂浜の適当な箇所に腰を下ろす。


 寒すぎはしないが、風はそれなり。


 今の気分を紛らわすためにスマホで検索した寂しい時に聞く海に関連する曲を聞いていた。


 知らない曲。

 検索すると40年ぐらい前の歌だ。


 悪くない。てか、普通に神曲じゃね?


 すると彼女が立ち上がってこっちを見た。

「ほんとだ。これ。いい曲だね」


 いや。彼女はイヤホンをしていないが?


 すると、彼女の口から音楽が流れ始めた。

 まるでスピーカーだ。


 いつの間にスマホと連動したんだろう。


「そういうところで機械に寄せていくわけか」


 彼女が歌うのを止める。というか音量を下げた。

 そして言う。

「ていうか、ここ。すっごく、つまんないね!」


「は?」


 誰のせいで学校をさぼって、こんなところに来るハメになったと?


 彼女は口を尖らせる。

「海って、きれいな青じゃないよね」


「そりゃ、熱帯魚がいるような綺麗な海じゃないさ」


「じゃあ、連れてってよ」


「いや、金はあるけど……嫌だよ。面倒くさい」


「なんでよ。ケチ。ナマケモノ!」


「怠け者? そっちこそ、部屋で一日中、ダラダラしてるじゃねえか」


「それは外に連れて行ってくれないからでしょ! サービスわるっ!」


「ちょっ! 言ってくれるよな! 居候いそうろうのくせに」


「退屈なんですけどー! 我慢してるんですぅ」


 なんだろう。このメスガキ。

 可愛い顔して可愛くない。


 その時、『サァァッ』と地表を撫でるように、突然、雨が降ってきた。


 思わず「晴れてるのに?」と、空を見上げる。


 天気雨だ。


 彼女は大はしゃぎ。

「なにこれ? 面白い!」


 このままでは、びしょ濡れになってしまう。

 彼女は異世界の存在なので平気なのかもしれないが。


「マジでついてねぇ! 風邪ひくじゃねえか!」


 その時、彼女と目が合った。


 ―― あれ? こんな顔だっけ?


 初めて目を合わせて話したような気がした。

 これまで会話はできていたものの、面と向かって本音をぶつけ合うのは初めてだ。


 彼女も、きょとんとして、こっちを見つめている。


 雨脚あまあしが急速に衰える中、どちらからともなく笑いだした。


 ずぶ濡れの自分とは対照的に彼女は一滴も水に侵されていない。

 藤川妹の服は現実世界の物体なのに、まったく濡れていない。


 もともと天気なところに降った雨は、ゲリラ的ないたずらをして逃げうせたようだ。


 今更いまさらながら名前を聞いていなかったことを思い出した。


「そうだ。君の名は?」


 しかし、彼女は笑みを浮かべたまま首を傾げる。


 質問の意味が理解できなかったのか、名前の概念がないのか?

 あのドラキュラ青年が言っていたように『物』だから?


「だから。名前だよ。名前。ひょっとして無いの?」 


 すると彼女は口を開いた。

「アトロポス」


「あとろ? あとろ、ぽす」


 なんだ。外国人か?

 いや、異世界の存在だから、そんなもんか……。


 戸惑っていると彼女が手を伸ばしてきた。

「ねえ、じゃあ、エッチなことする?」


「は? え? な! こ、ここで? 今?」


 彼女は不思議そうに言う。

「だって、服、濡れちゃったんでしょ? 脱げば?」


「いや、だからといって、なぜそうなる!?」


「あれ? そういうの好きなんじゃないの?」

 彼女の知識の大半は、あの本棚に依存している。


「ばばば、馬鹿! そ、それはだな。フィクションの世界であって……」


 冗談じゃない。

 彼女の姿は誰にも見えないのだ。


 自分だけその気になって下半身を出してしまったら通報されてしまう!

 この辺りは完全に無人というわけではないからだ。


「いや、とにかく帰ろう。アポロトス。あれ? アプリトスだっけ?」


 彼女は子供っぽく頬を膨らませる。

「アトロポス。覚えられないなら『アトさん』でも『ポスちゃん』でも良いよ」


「そう言われてもだな。なんか呼びにくいのは変わらん」


「なによ。だったら『師匠』か『先生』で良いよ」


「誰が師匠だよ……」


 ゲンナリしながらも、内心、彼女の変化を嬉しく思った。

 なんか普通に会話できてる。


 常識が無い、というか知識や価値観が偏っているのは、おいおい修正していけば良いだろう。


 とにかく、濡れた服が冷たかったので、駅に向かうことにした。


    *    *    *


 商店街風のシャッター通りを抜けて、最寄り駅まで歩いた。


 途中で3人とすれ違ったが、うち2人は外国人だった。

 2人とも牧師だか司祭だかの恰好をしていた。

 この先に教会あるのかもしれない。


 無人改札の小さな駅で、時刻表を見上げる。


「お。ツイてるぞ。あと10分ぐらい待てばいい」


 基本、1時間に1本の路線なので、長く待つことを覚悟していた。


「これなら余裕で帰れるな」


 待合室のベンチに腰かけて、通学用の鞄を横に置く。

 普段は飲まない缶コーヒーの温かさにホッとする。


 そのうち、踏切が鳴る音がして、そちらの方向から二両編成の電車が近付いてきた。


 電車を待っている間も彼女は周囲をウロウロしている。


「おい。電車が来たぞ」


 彼女に声を掛けて電車の到着を待つ。


 無人改札から誰かが入ってくる。

 と同時に、ひとつしかないホームの端っこに人影が現れた。


 なんだろうと思いながら到着した電車に乗り込む。


 降りる人を待つ。

 乗客は2、3人だ。


 と、その時、背中に『ゴッ』と、固い何かがぶつかった。


「なんだ?」と、振り返ろうとすると棒のようなもので押された。


「動クナ!」と、背後で誰かが低い声を放つ。


「え? なにこれ?」


 戸惑っていると、急に電車が動き出した。

 ドアは開いたまま、自分は片足を車両に乗っけたままだ。


『ズォオオ』と、電車が割と必死に加速する。


 慌てて「あばばば!」と、手すりを掴む。


「シット! 止マレ!」と、背後にいた男が俺の右足にすがりついてきた。


 引き上げるべきか、見捨てるべきか一瞬、迷った。

 けど、捨てることにした。


「離せっ!」と、足を乱暴に振って、電車と並走する男を振りほどく。


 電車の加速が、段々シャレにならないレベルになってきた。


「ちょ、落ちる、落ちるって!」


 制御されていないのか? この路線は!


 何とか全身を車両内部に収めてから駅の方向を見ようとする。

 そこに『ガキン!』と、金属の衝突音が目の前に生じた。


 駅の方面から『パンッ!』『バンッ!』と、破裂音が連発した。


「嘘だろ!? 撃たれてる?」


 危なくて顔を出せないが、銃声と思われる音はしばらく続いた。


 暴走気味に走り続ける電車の床に座り込んで茫然としてしまった。


「な、何が起こってるんだ……」


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