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ラザロの晩餐  作者: 神印
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ラザロの晩餐:終

 ドアベルをけたたましく鳴らし、靴音も荒々しく店内に踏み込んだ黒服の二人組は、自らが貴族から成る「評議会」からの使者である事を端的に告げる。

「これはこれは…高貴なる血族方のお使いが、こんな場末の溜り場に斯様な用件でございましょうか?」

 すかさず対応したのは、ギャルソンエプロン姿の黒鴉。

 軽く目を伏せ胸に手を当て、下僕特有の遜った様子で深々と頭を下げる黒鴉に、黒服の男はフンと軽く鼻を鳴らして捲くし立てる。

「早急にオーナーである杉本悠氏に取り次ぎたまえ」

「オーナーでしたら…、今そこに」

 黒鴉が黒手袋の手のひらで示した先には、床に工具や計器類を直置きしてドリーのメンテをしている白衣姿の悠が居た。

「あ、あの……僕、何かしましたか?」

 怯えた表情の悠に、黒服の男は抱えていたノートPCを開いてSNSの例の画像を見せる。

「こちらに写っているのは、貴殿で間違いはないか?」

「はい…僕と、そこに居る従僕の黒鴉さんです……」

「日没前のまだ明るい時間に外出しているように見受けられるが、相違はないか?」

 悠は小さく頷く。

「え、えっと……長年研究してきた血族専用の日焼け止めの試作品が完成したので、ちょっとだけ効果を試そうかと……思って……」

 小さくなっていく悠の語尾に黒服の男たちの目の色が変わる。

「我々がデイウォーカーになれる日焼け止めを開発したというのかね!? 一体どんな方法で!?」

「鉛です」

 悠の言葉に、男たちの動きがピタリと止まる。

「鉛は毒性がネックなんですけど、元々宇宙服や放射線遮蔽材として使われるほど比重が高く透過率が低いんです。なので鉛の粉末を僕が開発した溶剤に溶かして全身に隙間なく均一に塗りたくり、髪には粉そのものを振りかけて…」

 眼鏡越しの瞳を輝かせて早口で説明し始める悠に、インカムを付けた黒服が片膝を付いて悠の肩に手を置く。

「杉本氏、貴殿の血族に対する貢献と献身には敬意はを払うが、そういった検証を自身で行ってはいけない。貴殿になにかあった時、欧州に戻った高貴なる血親殿がどれだけ悲しまれることか…」

 そして、ドリーのメンテナンスを手伝っていた一夜とモフモフをブラッシングしていた戒留を一瞥する。

「勝手の良い子飼いを使い潰したくないという理由であれば、今後は是非とも評議会に連絡して欲しい。すぐにでも被検体用の若い吸血鬼を用意して差し上げよう」

 とんでもない物言いに、悠は口の端を引き攣らせながらも、なんとか「ありがとうございます」と答えた。

 鉛をふんだんに使った日焼け止めのデータは、後日、改めて評議会に提出することを約束すると、黒服の男たちは満足そうに頷いて帰っていった。

「どうやら上手くいきましたね」

 黒鴉に微笑まれ、悠は大きく息を吐きだす。

「鉛の日焼け止め、実際に研究した事があって良かったです…」

「研究はしてたんですね。実用化はしなかったんですか?」

「毒性がネックだったのは事実なんですけど、どう頑張っても全身に満遍なく塗るのが自分一人では出来なくて……」

 悔しさを滲ませる悠の言葉に、黒鴉は金色の目を丸くする。

「それはまた、随分とオーナーらしい理由でしたねぇ」


 メンテが終了し、戒留が念入りにブラッシングしていたモフモフを被せると、ドリーの動きは格段に良くなった。

「制作者のメンテは違うな。俺じゃここまで直せなかった」

 ひと仕事終えて電子タバコを咥える一夜に、悠は工具の機械油を拭いながら笑い返す。

「僕からしたら……20年間も直しながらドリーを使い続けてくれてた事に感謝しかないです」

 そんな会話の途中、悠の白衣のポケットに入れておいたスマホが着信音を鳴らす。

「うわっっ!? 黒鴉さん! 電話ですよ!!!」

 大慌ててスマホを押し付けると、黒鴉はスピーカーモードにして通話を開始する。

「はい、はい。ええ、Dr.ノマーもお元気そうで何よりです。はい、オーナーは昨日無事に帰還致しました」

 電話の向こうの相手は「評議会」から連絡を受けたと言って悠の無事を喜び、鉛の日焼け止めに付いて2~3点質問する。

『そうよねぇ、塗布剤の日焼け止めとして実用化するには鉛の毒性がネックだわ。むしろ、そこまでするなら繊維に染み込ませて完全紫外線防護服でも作った方が、まだ使い勝手が良いのではなくて?』

「なるほど…。全身くまなく塗るよりも現実的な気がしますね」

『今度、お店に直接顔を出させていただくわ。最近、人間の客が増えてたから、足が遠のいてたのよね……』

 アンニュイなため息に、黒鴉が苦笑する。

「前日までに連絡をくだされば、貸し切りもできますよ」

『あら本当? それなら近々ウチの可愛いマッチョ…もとい、看護師を連れてお邪魔させていただくわ!』

 ビデオ通話でなくともウッキウキの様子が目に見えるようだった。悠は通話が終わったスマホを受け取りながら呟く。

「ノマーさんもお元気そうで良かったです。そういえば、他の常連の皆さんはどうしているんでしょうね?」

 吸血鬼の溜まり場として形だけ酒場の体裁を保っていた20年前の『Vena tangenda est.』は、お世辞にも今のように繁盛していたとは言い難く、常に閑古鳥が鳴いているような有様だった。

 とはいえ、何人かの常連と呼べる吸血鬼は時々顔を出しては好きに寛いだり、朝日から逃れるように転がり込んでは階下の仮眠室で日暮れまでやり過ごしたり…と、思い思いに過ごしていた。

 Dr.ノマーはとある病院の院長をしており、東欧の貴族でありながらも当時は使用期限の切れた輸血パックを店に融通したりしてくれていた。時代が変わった為、そういった不正行為は難しくなってしまったそうではあるのだが。

「他の常連の方々ですか。俺もそこまで詳しく把握しているわけではありませんが、河岸を変えたり娑婆を離れた方も居る…と聞いた事はありますよ」

「へぇ…、海外移住ですかね?」

 黒鴉の含みをもたせた言葉の意味に、悠が気づくことはなかった。

「そういえば、久々に日が出てる間に出歩いたと思うんだけど、どうだった? 楽しかった?」

 戒留に尋ねられ、悠は小さく思い出し笑いをする。

「楽しかったですよ。僕、吸血鬼になる前も誰かと一緒に買い食いしたことなんて無かったですから……」

 元々が病弱だったせいもあり、生家では研究室という名目で離れを充てがわれてから外に出ることも少なかった悠は、陽の光を浴びて外を歩いた記憶のほうが少ない。むしろ、吸血鬼に転化してからの方が外出する機会が増えたほどだ。

「でも、夕日を見ても、そこまで感動しませんでした……」

 そう、悠は元々日中に外に出たいという気持ちが少なかった。必要性があまりなかったとも言う。

 むしろ、一夜のように人に紛れて行動することが多い血族や、戒留のように摂食障害を持つ血族のほうが、吸血鬼としてのデメリットは死活問題ではないだろうか?

 一夜が語った「吸血鬼なら100年も生きれば十分長生きだ」という言葉は、そのデメリットによる生き辛さを端的に表現していると言えた。

「……一夜さん、戒留さん。日光耐性の研究の為、お二人の血液と細胞を少し分けてもらえませんか?」

 悠にとっては数少ない友人とも言える二人の体にメスを入れるのは心苦しいが、その苦しさより自分だけが置いていかれる恐怖のほうが勝った。



 吸血鬼の不死性とは、生命活動を停止した時点で成長とアポトーシスが止まる停滞の呪いでもある。

 貴族の中には素晴らしい才能を持つ若い芸術家やアーティストを好んで転化させる派閥もあるが、本人の望む望まずに関わらず、そういった形で吸血鬼となった芸術家は成長する機会を奪われ苦悩することも多いと聞く。

「彼ら芸術家の輝きは魂を燃やした時の光なの。いくら最高の技術を持った時点で時を止めたとしても、呪われた魂は凍てつき、再び燃やすことがとても難しいのよ……」

 何処か遠くを見つめならがらの呟き。

 Dr.ノマーが用意してくれた最新設備が揃った研究室で、悠は日光耐性の研究を続けている。

 上位的存在との邂逅により、完全な不老不死を手に入れたかもしれない事は、ドクターが店を貸し切った時に正直に打ち明けた。

 白皙の美貌を持つノマーは、ロイド眼鏡の奥で少し困った顔で微笑んだ。

「私をそれだけ信頼してくれるのは素直に嬉しいわ。でも、私も東欧の貴族なのよ? 貴方に宿る不死の秘密を暴こうと細切れにしてしまう可能性は考えなかったのかしら?」

「それは……多少考えました。でも、僕だけで抱えるには大きすぎて……」

 唇を噛み締めて俯く悠に、ノマーはロイド眼鏡を拭きながら頷く。

「評議会からは「日焼け止め」の研究を依頼されているし、私と共同研究という形で研究室を用意してあげる。表向きはあくまで「日焼け止め」の研究よ。約束できるかしら?」

「勿論、約束します!」

 ノマーの協力もあり、1週間ほどで悠の血液から血清を取り出す事に成功。吸血鬼化させたマウスを使い、血清には日光耐性を獲得する効果があることが分かった。

 だが、生きたマウスや死んだマウスに血清を注入しても、何故か等しくゾンビ化してしまう。

「もう少し詳しく調べて見ないことには何とも言えないけれど……、コレは、絶対に評議会には知られてはならないわ。この血清は…そうね、便宜上「ラザロ血清」とでも呼びましょうか」

 機密保持と更に踏み込んだ研究のため、ラザロ血清はノマーが預かる事になった。

「せっかくの研究成果を横取りしちゃったみたいで悪いわね…」

「いえ、そんなことはないです。僕が持ってても持て余すだけなので…むしろ、厄介事を押し付けちゃってすみません」

 悠が研究室を出るのを見送って、ノマーは電子ロックで封鎖されている区画に足を踏み入れる。

 完全防護服の職員が深々と頭を下げるのを軽く手で制し、強化ガラス製の培養槽を見つめる。

 そこには、辛うじて二人分の人間の面影を残す異形がみっしりと詰まっていた。

「カロン、評議会の使者の様子はどうかしら?」

 名前を呼ばれた医者が、青白くやつれた顔で首を横に振る。

 その様子を見て、ノマーはため息を付きながらデスクの受話器を持ち上げた。

「ええ、悠さんは気が付いていないみたいだけどラザロ血清の真の効果は日光耐性なんて可愛いものじゃないわ。この血清は体中に新たな神経細胞を張り巡らせ、その神経系は宿主の脳とは独立して動いているの。まるで、蛸の手足みたいに」

 受話器のカールコードをくるくると指に巻き付けながら続ける。

「悠さんて転化する前は病弱で身体を思い切り動かすような経験をした事がないから分からないのかもしれないけど、今の身体なら人間くらい軽く潰せるだけの力があるはずよ。そうね、独立している神経細胞が宿主の脳に送る情報を選別しているといえばわかりやすいかしら。味覚を感じるのはそのためよ。ええ、ええ、言ってしまえば得体のしれないモノに全身寄生されてるようなものね」


 仮眠室で2台目のスマホを耳に当てて説明を聞いていた黒鴉は、静かに問い掛ける。

「ちなみに、その神経細胞を外科的処置で取り除く事は可能ですか?」

『……無理ね。こんな事は言いたくないけれど……最悪の場合は頚椎を切断することをお薦めするわ。悠さんの尊厳だけは守れるはずよ』


 ++++++++


 悠が何時ものように店へと続く階段を降りようとした所、蚊の泣くような弱々しい鳴き声が聞こえる。

 辺りを見回すと、立て看板の足元にガリガリに痩せこけた黒猫が蹲っている事に気付いた。

 徐々にか細くなる鳴き声に思わずしゃがみ込んで黒猫に手を差し伸べた…つもりだった。

 何処から現れたのか、軟体動物を思わせる肉質の何かが黒猫に覆いかぶさる。

 それは……悠が羽織った白衣の袖から飛び出し、蠢いていた。


 階段を転げ落ちる勢いで店内に転がり込んだ悠は、自分の右腕を押さえて叫ぶ。

「黒鴉さん! これ、これを切り落としてください! 早く!」

「オーナー!?」

 その尋常じゃない様子に店内の視線が集まる事も構わず、必死に自分の右腕を押さえつけようとするが…膨れ上がった白衣から軟体動物を思わせる複数の触腕が店内の客目掛けて襲いかかる。

 一瞬で、店内は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 触腕は宿主の意志などお構いなしに手当たり次第に客を捕食し、その体積を倍々に増やしていく。

 既に床は蠢く軟体に覆われ見えなくなり、店内に残っているのは黒鴉と一夜、戒留の三人のみ。

「逃げて…逃げてください! 僕から逃げて!」

 悠の懇願と裏腹に、触腕は三人にも容赦なく襲いかかる。一夜が吸血鬼の力に任せて引き裂いてもすぐに再生する。逃げ遅れた戒留が足を掴まれ、そのまま飲み込まれた。

「戒留!」

 一夜が手を伸ばそうとするが、骨を砕く鈍い音が響いて触腕の隙間から血が溢れ出した。

 眼の前の凄惨な光景に一瞬動きが止まった一夜の足元に虚のような穴が空き、バランスを崩してそのまま飲み込まれた直後に擦り潰すような固く鈍い音が響く。

 テーブルを蹴って飛び、かろうじて避けていた黒鴉の足にも触腕が絡まる。

 黒鴉が指を弾くと黒いタールのような液体が一滴飛んで、足に絡んだ触腕を吹き飛ばす。

 だが、四方八方から襲いかかった触腕は、黒鴉の身体を簡単に押し潰し、悠の足元に生首が転がり落ちた。

「ああ、嫌だイヤダイヤダ……黒鴉さん……」

 両手で顔を覆って泣きたいのに、悠の両手は形を変え、全てを飲み込もうと店の扉を引きちぎり、階段を這い上がっていく。

 ふと、店の装飾に使われている鏡が天井に付くほどの異形を映していることに気が付いた。

 夜が凝縮されたような長い黒髪はさざ波のように店内の照明を反射し、長い髪の隙間からは金色の瞳が……四角い瞳孔が鏡越しに悠を見詰めていた。

「地獄でお待ちしていますよ、オーナー」

 何処からか黒鴉の声が聞こえる。

 辺りを見回すと足元に落ちていた血塗れの黒鴉の頭が、金色の目を細めて嗤っている。

「クロ…す…サん……」

 頭を拾おうと屈み込んだ瞬間、店の床が抜けて地獄の業火が吹き上がる。

 触腕が高熱で焼け焦げる隙を付き、背後から飛びかかったアズラエルが一片の迷いもなく悠の首筋に斧を振り下ろした。



 黒猫が「にゃあ」と鳴く。


 海が見えるタワマンの高層階の一室、勧められる侭に黒いカクテルを飲み干した悠の目の前で夜の帳のような男が微笑む。

 逆光で顔はよく見えないが、そのシルエット一つ一つの造形がギリシャ彫刻のように美しい。

「人魚の肉を食べた人間は不老不死になるとして、死者に人魚の肉を与えたらどうなると思うかね?」

 男の問いかけに、悠は酩酊した頭で思考を巡らせる。

「どうやって食べさせるかにもよるかもしれませんが、死者蘇生する…んじゃないでしょうか」

 吸血鬼の転化は、一度は大量に吸血して対象を失血死させてから血を飲ませるという工程を踏む。

「人魚の不死性がどういったモノなのかわかりませんが、細胞を随時活性化させ再生させる類ならば蘇生する可能性は高いと思います」

 八百比丘尼伝説の一種には人魚の肉は生きた人間が食べたという話しか無いが、八百比丘尼が国主の病気の息子に寿命を譲ったという話があった。病が癒えるというのなら、死者が蘇生したとしても可笑しくない。

「ふむ…。では、君の目の前に人魚の肉があるとしよう。食すかね?」

「どうでしょうか……」

 少なくとも、悠は既に人間ではない。

 日光不耐性や血の渇きと言ったデメリットは多いものの、不老不死と言われる存在、吸血鬼だ。

「特に不老不死になりたいとは思いませんが……他者の命を糧にして生きる必要がなくなる、と言われたら食べてしまうかもしれません」

 その答えに、男は手を叩いて笑い出した。低く響く笑い声が空気を震わせる。

「命を奪うことを厭うが故に命を食するというのか。君のその矛盾、どういった結末を迎えるのか視てみたい」

 金色の瞳が悠を見る。深淵を思わせる四角い瞳孔が悠の魂を暴き立てる。

 軟体生物を思わせる無数の触腕が絡みつき、ヒュッと意味のない音が喉から漏れる。

 その時、悠の羽織っていた白衣のポケットから、無造作に輪ゴムで束ねられたPB錠シートが落ちる。

「…これはなんだね?」

 男はシートを拾い上げると1錠取り出し、自身の口に運ぶ。

「なるほど、豚の血を固めたものか。既に十分抗っている……ということか」

 ギリギリと触腕に締め付けられ、悠の意識が徐々に薄れる。

「気が変わった。君の本当の望みを視てみるとしよう」

 男はそのままどろりと溶けると、闇を溶かして固めたような艷やかな黒猫に変化した。




 カランカランカラン……と乾いたドアベルが鳴り響き、赤と黒を基調とした薄暗い店内でカウンターテーブルを拭いていた黒髪の男が顔を上げる。

「すみません、もう閉店なんです…よ?」

「あれ…?」

 カウンター越しに白シャツの上にハーネスを付け、黒のラバー手袋をしている黒鴉とばっちり目が合う。

 黒鴉の方も、勢いよく扉を開けて入ってきた男を見た。

 よれたシャツとスラックスの上に白衣を羽織り、長く艷やかな黒髪を無造作に結わえた痩せ気味の眼鏡の男。

 恐ろしく整った顔をしているのに身なりを全く気にしないその姿は、紛れもなく『Vena tangenda est.』のオーナーである杉本悠である。

「オーナー? 今まで何をしていたんですか?」

 予想外の質問返しに悠はゆるく首を傾げる。黒鴉はカウンターを出て店の扉に鍵を掛けてから、改めて繰り返した。

「今の今まで連絡も全くなしで。20年間も、一体何をしていたんですか?」

「……え?」

 黒鴉はカウンターの隅に置かれていた薄い板状の携帯端末を手に取ろうとして、見当たらないことに気づく。

「おや、確かここに置いておいた筈なんですが…」

 カウンター周辺を探し回る黒鴉。悠は自分の白衣のポケットからスマホを取り出した。

「……黒鴉さんが探しているのは、このスマホですか?」

 見慣れたロック画面には2023年10月31日と表示されている。

「俺、オーナーにスマホ渡しましたっけ?」

 何故悠が持っていたのかは不明だが、パスコードを入力するとロック解除できた。これはやはり黒鴉のスマホだったらしい。

「…で? オーナーは今まで何処にいらしたんで?」

 厨房の仕込みが終わった一夜と階下の掃除を終えた戒留も加わり、悠を囲んで尋問開始である。

 悠はナイトミュージアムで声を掛けられた相手と意気投合し、誘われるまま海が見えるタワマンの高層階で語り合いながら飲み明かした事を説明した。

「彼の部屋でオリジナル・カクテルを頂いたんです。黒に近いお酒なんですけど、光に翳すと群青色に輝いてとても綺麗で…」

 そこまで聞いて、黒鴉は眉根を寄せた。

「カクテルが飲めたんですか? オーナーが?」

「飲みました。ちょっとアルコール強めでしたけど、塩気があってとても美味しかったんですよ」

 そこまで言って、悠は猛烈な吐き気に襲われる。異変を感じとった黒鴉がすかさず掃除用のバケツを差し出すと、悠は胃の中の黒い液体をぶちまけた。

「吸血鬼がカクテルなんか飲めるはずがないでしょうに…」

 黒鴉が呆れながら背中を擦ってくれるものの、据えた磯の匂いと共に吐き気は喉の奥から際限なく迫り上がってくる。

 戒留が念の為と差し出した2つ目のバケツにも波々と吐き出して、悠はようやく落ち着いた。

「酷い目に会いました……」

 ぐったりとソファに寝転がった悠の額に冷たいおしぼりが乗せられる。

「そりゃあ、20年も飲んでればねぇ」

 悠はおしぼりで目元を隠したまま呟く。

「黒鴉さんは、僕が20年間も飲み明かしていたと信じてくれるんですか?」

「リップ・ヴァン・ウィンクルってご存知ですか? アメリカ版浦島太郎みたいな話で、山奥で酒盛りに誘われた木こりが、翌朝まで飲み明かして街に戻ると20年経っていたという話です。まあ、そういう事もあるんでしょう」

 適当に流そうとする黒鴉に悠は言い募る。

「正直な所……黒鴉さんが20年も僕を待っててくれた事の方が意外です」

「契約ですからねぇ」

 軽く肩を竦めて苦笑する黒鴉に、悠は顔を上げる。

「じゃあ……僕が死んだら地獄で待っててくれますか?」

 唐突な質問に、一夜と戒留がなんとも言えない微妙な顔をする。

「まあ、吸血鬼の魂は既に呪われてますから地獄行きは決定事項でしょうが…」

 黒鴉は腕を組んでしばらく考え込んだ後、黒いラバー手袋に覆われた人差し指と親指で丸を作って金色の瞳を細めた。

「報酬次第ですかねぇ」



 END.

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