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ラザロの晩餐  作者: 神印
4/5

ラザロの晩餐:肆

「それはもう、直接聞いたほうがよろしいのでは?」

 黒鴉(クロス)の言葉に悠が顔を上げるとアズラエルがスッと店内の一角を指差す。

 先程まで悠とアズラエルが座っていた通称VIP席に人影が揺らぐ。

 夜が凝縮されたような長い黒髪は、さざ波のように店内の照明を反射する。ゆっくりと立ち上がった男は天井に頭が付くほどの長身で、長い髪の隙間からは金色の瞳が…四角い瞳孔が悠を見下ろしている。

 ヒュッと喉から掠れた声にならない音が漏れる。

 これはとても恐ろしいモノだと、悠の中に残った理性が全力で警鐘を鳴らしている。

 怪異が悠に向かって手を伸ばしている。長い指は人にはありえない数の関節があり、悠を掴もうとゆっくりと手を広げ…

 刹那、悠と怪異の間に割り込んだアズラエルが果物ナイフで怪異を切りつけた。

 パン…と乾いた音を立て、怪異は風船のように割れる。

「…な、なんですか? 今のは……」

 床にへたり込んだ悠に、黒鴉は真っ二つに切られた札を見せる。

「知り合いから対価に頂いた召喚符です。薄々気付いてはいましたが、とんでもないものを呼び寄せましたね」

 黒鴉曰く、あの怪異は恐らく上位的存在の一種だろう…とのことだった。

「上位的存在…?」

「神というにはあまりにも禍々しく、悪魔と呼ぶにはあまりにも度し難い。根源的な絶対的恐怖の存在、とでも言っておきましょうか」

「神でも…悪魔でもないモノ? そんなモノが何故、僕に……?」

 床に座り込んだまま頭を抱える悠の肩を黒鴉が叩く。

「いやいや、それはこっちの台詞ですよ。件の相手とはナイトミュージアムで出会ったという話でしたが、もう少し詳しく話してください」

 だが悠の記憶は曖昧で、昨晩聞いた以上の情報は得られなかった。

 仕方がないので各々調べるか…という話になった所で、アズラエルは「災厄の匂いがしたらまた来る」と言い残し、夜の街へと消えた。

「そういえばさ~、八百比丘尼伝説ってどんな話なの?」

 自分のスマホを弄りながらの戒留(かいる)に、悠はこめかみを指で押しながら答える。

「日本全国に散らばる民間伝承…昔話の一種です。人魚の肉を食べてしまった少女が不老不死になり、尼となって全国各地を八百年間放浪しながら人々の救済に務めたという…」

「なんかゲームで見かけたことあるかも? 各地を放浪したから全国に話が残っているの?」

「というより…地域差もありますが各地に「少女が人魚の肉を食べた」という話が残っているんです」

 八百比丘尼発祥の伝承は、それこそ海沿いの地域なら無い方が珍しい程だ。

「そういえば、とある地方の伝承では人魚の肉を食べた者は千年の命を得るそうです。八百歳になった時点で国主の病弱な子供に残り二百年の命を譲って入滅したという伝説が…」

「どうやって寿命を譲ったの? てか、寿命って譲れるモンなの?」

 戒留の素朴な疑問に、悠も考え込む。黒鴉がグラスに氷を移しながら笑う。

「病弱な子供に寿命を譲り渡した…とか言ってますけど、実際には捌いて食べさせたんじゃないですか?」

「捌いたって、何を…?」

 黒鴉は金色の目を細めて笑っている。言うまでもない、という顔だ。

「眼の前に不老不死の妙薬とも言える人魚の肉を口にした尼僧が居るんですよ? その血肉にも多少なりとも効能が宿るかもしれない…と思う人間が居たとしても、俺は驚きませんがねぇ」

 その時、悠が忘れていた記憶が一つ、泡のように浮かび上がる。

「人魚の肉を食べた人間は不老不死になるとして、死者に人魚の肉を与えたらどうなると思いますか?」

 悠の唐突な呟きに、一夜(かずや)が怪訝な顔をする。

「ゾンビじゃあるまいし、死体は肉を食わねぇだろ」

「まあ、それはそうなんですけど……死者が蘇生したりしないのかなって」

 悠の疑問に黒鴉が腕を組んで考えこむ。

「食べる、という行為が何処までを示すかによるかもしれませんねぇ…。口に含めば良いのか、嚥下すれば良いのか、はたまた消化してようやく「食べた」事になるのか」

「……血液なら、口に含んで嚥下できる死者が居るんです」

 悠の言葉に一夜が眉根を寄せる。

「俺ら吸血鬼のことか」

 悠は両手の指を組んで頷く。

「吸血鬼は転化した時点で人としての生命活動を停止しています。摂取した血液に含まれる生体エネルギーを糧に生前に近い行動が出来ますが…」

「吸血鬼が日光や聖水などでダメージを受けるのは、既にアンデッドの一種だから。だよね?」

 戒留が深妙な面持ちで続けた。

「じゃあ、悠さんは……人魚の血を飲んだの?」

「人魚が…先程の上位的存在の事だとしたら、僕はその血を飲んでしまったかもしれません」

 唇を噛み締めて俯く悠に、黒鴉がため息混じりに告げる。

「まあ、おおかた予想通りではありますね。で、オーナーはどうします?」

「どうする……とは?」

 顔を上げて首を傾げる悠に、黒鴉は軽く肩を竦める。

「人間に戻れた訳ではありませんが、少なくとも吸血鬼のデメリットは克服されてる可能性が高いですからねぇ。吸血衝動も日光不耐性も無い。今のオーナーなら真っ昼間に教会に入って賛美歌を聞くのも可能かもしれませんよ?」

 目を丸くする悠に、一夜が続ける。

「完全なる不老不死だからな…。まあ、黒鴉が居てよかったんじゃねぇの? 俺らより長生きするだろ」

「いやいや、流石の俺も千年も生きれる自信はないですよ?」

 苦笑する黒鴉。悠は二人を交互に見る。

「え…? 吸血鬼なんだから一夜さんや戒留さんだって…」

「吸血鬼なら100年も生きれば十分長生きなんだよ。お前も知っているだろう?」

 吸血衝動や日光不耐性などの制約が多い吸血鬼は、長く生きるのが難しい。若い吸血鬼なら転化して数年、人としての寿命前に消滅することも十分ありえる。

 一夜は人間社会に溶け込める器用さがある反面、古い吸血鬼たち…貴族から無理難題を吹っかけられる事も多い。

 悠がそうした煩わしさからある程度逃れられているのは、血親が残してくれた貴族の紋章入りのシグネチャリングと「血親から譲り受けた従僕」という建前の黒鴉が居たからだ。

「ぼ…僕の血を飲みませんか!? 多少なりとも効果があるかもしれませんし!」

 襟元のボタンを外しながら慌てて席を立とうとする悠の白衣を引いた黒鴉は、首を横に振る。

「落ち着いてください。まずはオーナーが本当に不老不死になっているかの確認が先では?」

「そ、そうでした…。僕、本当に日光耐性付いてるんでしょうか?」

「こればっかりは実際に確認してみないことには。明日の昼、一緒に買物にでも行きますか?」

 冗談半分のつもりだった黒鴉は、両手を握りしめて「是非お願いします!」と迫る悠の勢いに負けた。


 ++++++


 大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。

 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。

                                    ヨハネによる福音書 第11章



 2023年11月1日、午後16時

 かなり日が陰っては来たものの念の為と黒鴉が用意してくれたSPF100+の日焼け止めを塗りたくり、UVカット帽子と手袋、マスクまで装着して悠は店の扉を開ける。

 階段の先では、念には念を入れた黒鴉が黒い日傘を差して待っている。

「異変を感じたらすぐに階段を降りて下さいね」

「わかってます…!」

 吸血鬼が日が出ている間に感じる、あの呪いのような眠気は感じない。

 一歩一歩、確かめるように階段を登りながら、悠は茜色に染まるビルと空を見上げる。

 純粋な眩しさは感じるが、刺すような痛みはない。

 階段を登り切り、悠はゆっくりと西日を見る。

 二十数年ぶりに自分の目で見る日光は、悠を拒絶することなく照らしていた。

「もっと…感動するものだと思っていました。昔、映画でみた吸血鬼みたいに涙を流すぐらい……」

「今の時代、夜でも十分明るいですからね。オーナーは陽の光にそこまで焦がれる事もなかったのでしょう」

「せっかくなので散歩でもしますか?」という黒鴉の誘いに従い、悠は黒鴉と並んで夕暮れ時の街を歩く。

 店に来る時は酔っていたので道を違えたのかと思っていたが、良く見れば街の様子が随分変わっている。

 店舗が入れ替わっているだけではない。ビルが建て替えられていたり道そのものが変わっていたりする。

 なかでも、悠が一番驚いたのはビルの壁面を使った巨大な3Dビジョン。

「動画を見た時はフェイクを疑ってたんですが……。本当に20年経ってたんですね」

 ある意味、夕日よりも感動した悠は黒鴉を振り返り、その手に持ったクリーム盛り盛りキラキラのドリンクに目を奪われた。いや、ドリンクなのだろうか? 一応ストローが刺さってはいるが、実はパフェなのかもしれない。

「本日発売、11月の新作フラペチーノですよ。如何ですか?」

「え? いや、僕は……」

 吸血鬼なので…と遠慮しようとした所で悠も気がつく。

「じゃあ……一口だけ頂きます」

 差し出されたドリンク(?)を啜ってみると、紙のストローが唇に張り付いた後、苺ソースと濃厚なバニラのクリームが舌の上に広がった。

「あっっっっま!」

「ふむ、味もちゃんと分かるみたいですね」

 確かに、吸血鬼に転化してから何を食べても砂か泥のように感じたものだが、今のドリンク(?)の甘さは衝撃を持って悠の味覚を刺激した。

「日光耐性と味覚は確認できましたね。教会にも行ってみますか?」

「でも、教会だと黒鴉さんがダメージ受けるんじゃないんですか?」

「まあ…悪魔ですからね」

 ズゴゴ…と激甘ドリンクを啜っている悪魔と吸血鬼が夕暮れ時とはいえ街を歩いているという状況が可笑しく思えて、悠は小さく吹き出した。

「検証はもう十分です。お店に帰りましょう」

 そう、悠の今の居場所は間違いなく『Vena tangenda est.』なのだ。


 丁度良い機会なので、電気羊ドリーのメンテナンスもしてしまおうと、工具や機材を買い込んで店に戻ると、一夜が渋い顔でスマホを眺めていた。

「随分渋い顔をして、二日酔いですか?」

「吸血鬼が二日酔いになるわけねぇだろ」

 黒鴉がからかうと、ため息混じりにスマホの画面を見せてくる。

 恐らく盗撮だろう、黒鴉が差し出したドリンクを悠が飲んでいる写真が表示される。

「え? これ誰が撮ったんですか?」

「店に来る人間の客だな。ご丁寧に店名のハッシュタグまで入れてやがる」

「はっしゅたぐ?」

 首を傾げる悠に戒留が説明する。

「この写真はSNSで全世界に公開されてるの。多分、お客さんが黒鴉さんをストーキングしてて、悠さんと一緒に歩いてる写真を撮ってアップしたんだと思う」

「ストーキング? 全世界に公開?」

 ザッと血の気が引く。

「こ、困ります! これ消せないんですか?」

「消させる事は可能ですが…一回広まったデータを完全に削除することは難しいですね」

 黒鴉が軽く肩を竦め、一夜が眉間を指で押さえながら告げる。

「まあ、マスターがオーナーと仲睦まじく新作フラペチーノ飲んでるのは然程問題じゃねぇ」

「大問題ですよ!?」と慌てる悠を、一夜は手で制する。

「一番の問題は……吸血鬼であるはずの悠が、日没前に街を歩いてる写真が全世界に出回ったことだ」

 事態の重大さに気が付き、悠は崩れるように床にへたり込む。

「ど、どうしましょう…?」

「オーナーが20年ほど行方知れずだった事をうっすら知っている血族も多いでしょう? 引き籠もって吸血鬼用の超強力な日焼け止めを開発いしていた…とかどうですかね?」

「悪くはないが、悠が飲み食いしてるのはどう説明する?」

「飲み食いと言っても軽く口に含んだだけですからね。世間を欺くためにあえて飲めもしない新作ドリンクを味見するフリをした…で通せませんか?」

「…まあ、それなら筋が通るっちゃ通るな」

 悠が呆然としている間に、黒鴉と一夜は話を詰めていく。

 その間、目の周りを黒く塗りつぶしていた戒留は、黒いマスクを付けて悠の隣にしゃがみ込んだ。

「悠さん、この画面みてピースして。そうそう、そんな感じ」

 帽子を目深に被り、眼鏡とマスクを付けた悠の隣で戒留はキメキメのポーズを取る。

『めっちゃ久しぶりにオーナーが来店したよ!

 マスターと一緒にお買い物してきたんだって!

 僕も誘ってほしかったな!』

 フラッシュで眼鏡のレンズが光り、悠の顔は勿論、年齢や性別までわからない事を確認し、店用のアカウントできっちりとハッシュタグを付けて投稿した。

「はい、これでオッケー!」

 先程見せられたSNSと言うやつに投稿された戒留とのツーショットを見て、悠は思わず叫ぶ。

「なんで投稿しちゃうんですか!? これ、全世界の人々が見てるんですよね!?」

「正確には、全世界から見ることができる…ですね。必ず見るとは限りませんよ」

 黒鴉の言葉に、悠はぐぬぬ…と呻くことしか出来ない。

「取り敢えず、客からみたら俺とデートしていた謎の人物が店のオーナーだということがわかるわけです。悪い手ではありません。どうせならダメ押しで四人の仲良し写真でも載せますか?」

「もう勘弁してください……」

 羞恥に耐えきれなくなった悠が帽子ごと頭を抱えて床に蹲ってしまったので、仲良し写真案は没になった。


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