ラザロの晩餐:参
平日の夜だというのに『Vena tangenda est.』は開店直後から客入りが良かった。
しかも殆どが人間の客である。
吸血鬼の溜まり場として店を開いた筈だが、20年の間に客層が変わったのだろうか?
「いらっしゃいませ。ご注文とお会計は、都度レジカウンターにて承りますよ」
髑髏メイクの戒留が客を席に案内しながら料理を運び、カウンターの一角では黒鴉が注文を受けて厨房の一夜へオーダーを通している。レジ隣のカクテルブースでは、モフモフの電気羊ドリーが所狭しと吊るされたボトルから的確な分量の酒をグラスに注いで黒鴉に渡す。客のさばき方も堂に入ったものだ。
新たにドアベルを鳴らした女性の二人客に、黒鴉がにこやかに応対する。
「いらっしゃいませ…おや、またいらしてくださったんですね。本日はショット入れますか?」
「勿論!」
意気揚々と答える巻き髪の若い女性の肩を、少し年上のボブカットが叩く。
「ちょっと! ショット1杯1万とかボッタクリでしょ…高すぎるわよ!」
「違うんですよ、先輩! これは私達が自分で飲むんじゃなくて、この人たちに飲ませるの!」
「はぁ…?」
めちゃくちゃ怪訝な顔をするボブカットに、黒鴉が改めて説明する。
「本日はブラッディショット・デーです。テキーラベースの当店オリジナルカクテル「ブラッディショット」を酒豪たちがどれだけ飲めるかを競う…まあ、イベントデーですね」
客の参加は勿論大歓迎だが、常連たちの真の目的はマスターとシェフの一騎打ち。
桁違いのウワバミ二人が煽り合いながらショットを飲み続けるのが何故か客に大ウケし、今では定休日前の定番イベントとなったのである。
「それって…もしかして、シェフも厨房から出てきて飲んでくれるの!?」
ボブカットの目の色が変わる。巻き髪が得意そうに鼻を鳴らした。
「先輩、お店の動画見てからずっと『シェフにスパチャしたい!』って言ってたから、コレ絶対楽しいと思ったんですよ!」
「そ、そういう話なら私もショット入れるわ。10杯ぐらいで足りるかしら?」
いそいそとブランド財布から万札を出そうとするボブカットに、黒鴉が苦笑する。
「申し訳ございません、御一人様3ショットまでって制限かけさせて頂いてるんですよ。でないと、お客様の財布と俺たちの肝臓が死ぬので」
黒鴉の言葉に「やだ~!」とひとしきり笑って、二人は6ショットと自分達で飲む分のカクテル、つまみにポップコーンシュリンプとサラダを注文し、席に案内されていった。
「いつ見ても思うんですが、黒鴉さんは商魂たくましいですね……」
カウンターより少し奥、店内をぐるりと見渡せるものの動線の関係で客が座りにくいボックス席に、悠はアズラエルと向い合わせで座っている。
一応、VIP席扱いだが、20年前には黒鴉がサボって酒を飲んでいた席である。
アズラエルは瞬きもせず琥珀がかった金色の瞳で悠を見つめたままPB錠をポリポリと齧っている。
「アズラエルさんも金色の瞳だったんですね」
黒いカクテルの向こうで揺らめく金色の瞳を思い出そうとした時、レースで覆われたアズラエルの指先が悠の額を突く。
「災厄の匂いがするぞ」
「す、すみません……」
人間の客がこんなに沢山居るのだ。昨日のような水柱が出現したら店内はパニックになるに違いない。
悠は大人しくスマホを眺めて時間を潰すことにした。
23時半近くなると、戒留がメニュー表を持ってラストオーダーの確認に回る。
殆どの客は飲み物だけカウンターに追加注文に赴き、自分の席に戻るとソワソワと時計を眺めている。
0時ジャスト、厨房からコックコート姿の一夜が現れ、黒鴉がマイクを手に取った。
「皆様、大変お待たせいたしました。ブラッディショット、始まりますよ!」
黒鴉が簡単なルールを説明する。
要は、客が金を出した分のショットグラスにテキーラを注ぎ、PB錠を溶かす。
それを一番多く飲めた者が勝ち、という至極単純なショット・ファイトである。
「ショットを注ぐのはこの道20年の大ベテラン。最近、少々充電機の調子が悪い電気羊のドリーが、一滴の誤差もなく公平かつ無慈悲にテキーラを注ぎます」
黒鴉の口上通り、ドリーが一滴の狂いもなくテキーラ30mlをショットグラスに注いでいく。
そこにPB錠を1錠落とせば、真紅に染まったブラッディショットの完成だ。
「さあ、我こそはと思う酒豪の方は前へ! というか、皆さんに飲んで貰わないと俺たちも困ります」
マイクを持って参加者を募る黒鴉の肩を、一夜は軽く小突く。
「おい、今日なんか数多くねぇか? これ何ショットあんだよ?」
「なんと本日、ついに50ショットの大台に乗りましてね……」
乾いた笑いを浮かべる黒鴉に一夜は額を押さえてため息を吐く。
「20ぐらいで打ち止めろよ。何のためにレジに居たんだお前は」
そんな二人の会話もマイクはバッチリ拾っているし、戒留はショットグラスが並んだテーブルの周りに青いビニルシートを敷いてバケツを用意している。大酒飲みを自負する客が手を上げて、10人ほどでテーブルを囲む。
「塩、ライム、チェイサー等の制限はありません。お好きな形で飲んで頂いて結構! ただし、飲み切った事を証明する為に口を開けてアピールして頂きます。ギブアップならば足元のバケツをお使いください」
手にしたマイクを渡そうと振り返った黒鴉は、笑顔で手を上げている戒留を見た。
「今日は僕も参加する!」
店内がザワつく。
「髑髏くん、やめときなよ~」
「そうそう、マスターとシェフに任せときなって」
客からもやんわり止められるが、戒留はグッとサムズアップ。
「今日はなんかイケそうな気がするんだよ! やらせてよ!」
「あ~、まあ…いいですけど。無理ならちゃんとバケツに出すんですよ?」
渋い顔の黒鴉から許可を貰い、戒留も笑顔でテーブルに並んだショットグラスを手に取った。
「それでは皆さん、ご一緒に。“Cheers” (チアーズ!)」
黒鴉の号令と共に、参加者が一斉にショットグラスを煽る。
タン!と小気味良い音を立ててグラスを置き、口を開けて見せる黒鴉と一夜。その横で、戒留はハムスターのように頬を膨らませている。
左右に視線を泳がせた後…口を開けると、だぱーっと溢れた中身がバケツに落ちた。
「言わんこっちゃない…」
「無茶しやがって」
戒留に釣られて参加者1人がバケツに酒を吐き出す。
ギブアップした参加者には水を持たせて席に戻し、次の乾杯と共にショットを煽る。
何回か繰り返すと、テーブルに残ったのは黒鴉と一夜だけになっていた。
ショットグラスは、まだ10杯ほど残っている。
「ハッ! 今日こそ吠え面をかかせてやりますよ…!」
チェイサーの水を飲み干し、口元を黒手袋で拭った黒鴉に、齧ったライムをバケツに投げ捨てた一夜が笑う。
「お前こそ後で泣きを見ることになるぞ。始まる前、レジの影でヘパ◯ーゼ飲んでたの見てたからな!」
「あなただって厨房から出てくる前にこっそり◯コンの力とか飲んでたじゃあないですか!」
客席からドッと笑いが巻き起こる。が、その笑いも黒鴉が前髪を掻き上げながら唇を舐め、一夜が自分の襟元をくつろげた頃には消えていた。
悠から見ると、黒鴉も一夜も少々癖のある顔つきをしている。
単純な造形美で言えば、眼の前のアズラエルや髑髏メイクを落とした戒留の方がずっと人目を引く端正な顔立ちをしているだろう。
だが、小柄な黒鴉と長身である程度ガタイの良い一夜はあらゆる面で対極的でありながら、一つだけ共通点があった。
「エッろ……」
思わず呟きそうになった悠は慌てて自分の口を両手で押さえる。
店内の客を見れば、乾杯の度に充満する強い酒気とダダ漏れの色気にすっかり魅了されているようだ。
「ほら、甘い甘~い破滅の匂いがするだろう?」
何故かドヤ顔のアズラエルに悠は頷くしか無かった。
最後のショットグラスを置いた直後、一夜がテーブルに突っ伏し「ギブ…」と呟いた事で、黒鴉の勝利が確定した。
「…ッ シャアッ! 勝った…!!」
思わずガッツポーズを取る姿に拍手が沸き起こるが、黒鴉はそのままたたらを踏んでカウンターに凭れ掛かる。
「本日は御来店ありがとうございました…明日は店休となっておりますので…またのお越しをお待ちしております……」
フラフラと手を振るマスターとテーブルに突っ伏したままのシェフ。最初の乾杯で床に転がったままのボーイ…となかなか惨憺たる有様ではあるが、客たちの顔は何故か満足げだった。
特に、巻き髪とボブカットの二人組は何度も振り返りつつ最後に扉の前でもう一回振り返ってから店を出た。
すべての客が退店した後、席を立ったアズラエルが入り口の扉に掛けられていた札をCLOSEDにひっくり返して鍵をかけると、酔い潰れていたはずの三人がおもむろに起き出す。
「ふー、やっと終わったね~」
「流石に50は入れすぎだろ。万が一、客が急性アルコール中毒で倒れたら面倒な事になるだろうが」
「グラス洗うのも面倒ですし、上限30にしますか…」
テキパキとショットグラスを流し台に移し、床からビニルシートを剥がしてバケツを片付ける。
「まあ、これなら数日間休業したとしても不審に思われることはないでしょう」
大量のショットグラスを洗いながらの黒鴉に、悠は素朴な疑問を投げかける。
「あの……飲み比べの勝ち負けって、どうやって決めたんですか?」
「オーナーが起きてくる前にジャンケンで決めておきました」
悪魔である黒鴉と吸血鬼である一夜は酒に酔うことはない。ようは最初から最後まで八百長である。
「最初はナンパ目的で女性に無理やり強い酒を飲まそうとしている迷惑客の代わりに俺が飲んでたんですよ。そのうち、最初から俺に飲ませるために強い酒を注文する客が増えてしまい、ショットの単価を引き上げたんですが…」
明らかに一人の人間が飲みきれる筈がない数のショットが並び、一夜が厨房から出て飲むのを手伝った。のが事の発端らしい。そこでショット自体を禁止せず単価を上げてイベントに仕立ててしまった辺りが黒鴉らしい。
戒留が下戸設定なのは店員全員がウワバミだと流石に怪しまれる為、イベント直前にドリーが酒を注ぐのは薬入りの酒を飲ませようとする厄介客を排除するためだという。
「思った以上に良く考えられてますね…」
「試行錯誤の末、ですけどねぇ」
++++++
店内の清掃が終わり、カクテルブースのドリーを充電設備のあるバックヤードに押し込んだ頃には時計の針は午前2時を指していた。
「ところでオーナー。昨晩から何も口にしていないようですが、大丈夫ですか?」
「…え?」
悠が目覚めて店内に顔を出した時、一夜と戒留は豚の血を飲んでいたし、デキャンタに残った分はアズラエルが全て飲んだ。黒鴉はレジの合間に厨房から持ってきた賄いを摘んでいたのを見ているし、アズラエルは悠の目の前でPB錠を齧っていた。悠は自分の喉をさすりながら呟く。
「渇きを…感じない?」
吸血鬼にとって血の渇きは耐え難い苦痛をもたらす。古今東西、吸血鬼が血の渇きに耐えきれず愛しい者を食い殺す話など数えだしたらキリがない。そこまで凄惨な事にならずとも、血の匂いに釣られて吸血衝動を抑えるのに苦心した事は悠にもある。
「ふむ。オーナー、コレってなんだかわかりますか?」
美容系YouTuberが化粧品を見せる時と同じように手を翳しながら黒鴉はハンディライトを見せる。
「ライト…ですよね?
黒鴉は頷いてカチリとスイッチを入れる。薄紫色の丸い光がテーブルに落ちる。
「ちょっと爪の先を照らしてもらえますか?」
「? コレでいいですか?」
凝った手入れなどしていないながらも、爪が鈍く光を反射する。
「なんですか、これ?」
悠の疑問に答えるより、一夜と戒留が人差し指を光に翳したほうが早かった。
ジュッ…と嫌な音と共にタンパク質が焼け焦げた匂いが広がる。一瞬で焼けただれた二人の爪を見て、悠は目を見開く。
「これ、小さいながらもUVライトなんですよね」
黒鴉の顔と無傷な自分の爪を何度も見返して、悠は呟く。
「え? 僕、もしかして人間に戻ってます……?」
だが、黒鴉は静かに首を横に振った。
「オーナーは水すら飲んでいませんからね。普通の人間は丸一日飲まず食わずで平気な顔して過ごす事なんて出来ないんですよ」
その言葉に、悠は羽織っている白衣の裾をギュッと握りしめる。
「吸血鬼でもなければ人間でもない? じゃあ……僕、一体なんなんですか……?」