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ラザロの晩餐  作者: 神印
2/5

ラザロの晩餐:弐

「また随分厄介なモノに魅入られたな、まあ、今更驚かねぇがよ」

「すみません…」

 水浸しになった店内をモップがけしている一夜に、雑巾を絞ろうと悪戦苦闘している悠が項垂れる。

「てか、これ清掃業者呼ばないと無理じゃない? 店内めっちゃ磯臭いよ?」

 バケツに溜まった水を捨てて来た戒留の言葉に、仮眠室でシャワーを浴び着替えてきた黒鴉(クロス)が濡れた髪をバスタオルで拭きながら金色の目を細めて人差し指と親指で丸を作る。

「清掃業者呼ぶくらいなら俺がやりますよ。対価次第ですけど」

 悠はスラックスのポケットから財布を取り出した。

「今、手持ちが少ないんですけど…3万ぐらいで出来ますか?」

「もう一声欲しい所ですねぇ」

「じゃあ、3万2千円で」

 悠は財布から出した万札3枚と二千円札を黒鴉に手渡す。

「久々に見ましたよ、二千円札…」

「もしかして、もう使えなかったりします?」

「いえいえ、滅多に見かけないながらも現行券扱いですね」

 受け取った札の端を黒手袋に覆われた人差し指の指先でスッとなぞると黒いタールのような液体が一滴落ち、店内に飛び散っていた海水に混ざり合う。次の瞬間、水が意志を持ったかのように一斉に厨房の排水溝を目指して流れていく。

「この磯臭いのもどうにかなります?」

「ミネラル分が残らなければ、恐らく気にならない程度だと思いますよ」

 ゴボゴボと濁った音を立てながら全ての水が排水口に流れ落ちると、確かに店内に充満していた磯臭さも気にならなくなった。

「相変わらずでたらめな能力ですね……」

 黒鴉は対価によって物理法則に介入する事ができる悪魔憑き、ハーフブリードである。

 悪魔には七つの大罪を関した7人の王が存在し、悪魔憑きはその配下。黒鴉は貪欲のマモン配下の為、魂よりも金品を欲する。

 だからこそ、呪われた魂を持つ吸血鬼である悠と友好的で有効な雇用契約を結べているとも言えた。

「今回は本当に黒鴉さんは関わってないんですか?」

「俺が関わってたら20年も店番してませんよ? そもそも、契約途中で突然行方不明にならないで頂きたいですねぇ」

 軽く肩をすくめて見せる黒鴉の言葉に、悠の記憶は過去へと遡る。


 +++


 名家の生まれながらも病弱で家族から疎まれ、健康で優秀な弟が生まれてから居ないものとして扱われていた悠の手を取ったのは人ならざるものだった。

 孤独だった悠に囁かれた「永遠の愛」という甘い言葉は、いとも容易く悠の心と理性を溶かした。

 溺れるように身も血も心も全てを捧げ、血族として生まれ変わった結果……。


 薄っすらと目を開けると、其処は廃墟だった。

 やけに埃っぽいベッドから這い出し、サイドテーブルの上に置かれた眼鏡を手探りで探す。

 レンズの埃を指先で拭ってから掛け直すが、置かれた状況が理解できず、悠は周囲を見回した。

 恐らく豪奢なレースでベッドを覆っていたであろう天蓋の残骸、天井や壁も半ば崩れて薄明かりが差し込んでいる。

 まるで、時に置いていかれたようだと思った時、ザリザリ…と耳障りな音を立てながら寝室の重い扉が開いた。

「…おやおや、ようやくお目覚めですか?」

 悠は声がする方を振り返った。瞬間、視界がぐるりと廻り眩暈を堪えながら目を凝らす。

 ホコリが積もった床特有のくぐもった足音を鳴らしながらベッドに近付いてくる小柄な男は、悠の血親に使えていた従僕の一人…の筈だ。いつも黒のエナメル手袋をしていたのを覚えている。

 だが、視界が霞んで男の顔が良く見えない。

「どうやら随分強力な認識阻害の呪いが掛けられているようですねぇ。まあ、俺には関係ありませんが」

 小柄な男はベッドの傍らまで来ると、上体を起こしている悠に指輪と一枚のメッセージカードを握らせる。

 指輪は紋章が掘られたシグネチャリングになっており、メッセージカードには簡潔に悠の巣立ちを祝う言葉が書かれていた。

 男はエナメル手袋に覆われた手で乾いた拍手をする。

「貴方が目覚めたら渡すよう言われていたものです。これにて、俺はお役御免」

 眩暈が酷い。まるで泥の中で溺れるように藻掻きながらも、悠は踵を返そうとする男の手首を掴んだ。

「説明を……説明をしてください、黒鴉さん!」

 その瞬間、ざぁっと霞が消えて視界が晴れる。

 眼の前に、金色の目を丸くした黒髪の小柄な男が立っていた。


「説明、ですか。どこから説明致しましょうか?」

 思い切り掴んだ手首を擦りながら軽く肩をすくめる黒鴉を、まじまじと見つめる。

 確かに、黒鴉には見覚えがある。だが、悠が見慣れた喪服を思わせる黒スーツ姿ではなく、ベルトの沢山付いた黒のエナメル・コートで身体を覆っている。

「その格好は…?」

「契約が切れましたので、本来の姿に戻りました」

「契約…?」

「ええ、俺は吸血鬼の従僕ではありません。俺は…本当は悪魔なんですよ」

 金色の瞳を細め、黒鴉は笑った。

「悪魔…。悪魔が何故、吸血鬼の従僕に?」

「給料が良かったから、ですねぇ」

 黒鴉はあっさりと答える。

「悪魔への給料って…魂ですか?」

「吸血鬼の魂は既に呪われてるので対価にはならないですねぇ。俺は文字通り「金」で雇われておりましたよ」

 エナメルの手袋で覆われた親指と人差し指で輪を作り、金色の瞳で悠を見る。

「こう見えて、俺は吸血鬼の世界にも色々詳しいですよ。如何です? 契約しますか?」

 黒鴉の言葉に、悠はベッドの傍に置かれたサイドテーブルの引き出しを乱雑に開ける。古ぼけて立て付けが悪くなって居たが、開いた引き出しには多少埃を被っているものの宝石を散りばめたアンティークの装飾品が詰まっていた。

 一番大きい宝石が付いた首飾りを掴んで黒鴉に押し付ける。

「当面の契約代はこれでお願いします!」

「良いんですか? これ、思い出の品でしょう?」

 確かに、あの人は僕を飾るのが好きだった。だが、今傍に居ない。



 そう、わかってしまった。僕は……また捨てられたのだ。



 思えば血親と別れたあの時も、悠が最初に出会ったのは黒鴉だった。

「僕、本当に20年間も行方不明だったんですか?」

「ええ。吸血鬼なら数ヶ月から数年ぐらい音信不通になる事は侭ありますから、あまり気にしては居なかったんですが。流石にオーナーのように若い吸血鬼が20年も行方知れずというのは参りましたね」

 全然参った様子もなく、飄々と受け答えする黒鴉に悠は軽くため息をつく。

「正直な所……黒鴉さんが20年も僕を待っててくれた事の方が意外です」

「契約ですからねぇ」

 笑いながらちゃっかり新しいグラスを出して高い酒を注ぎ直している黒鴉に小言を言おうかと思ったが、止めた。


 ++++


 店の階下にあるいくつかの仮眠室。

 ここは悠が『Vena tangenda est.』を開く時、夜明け前に帰りそびれた吸血鬼の臨時シェルターとして用意したもの。

 小さな部屋にはパイプベッドと洗面台、簡易シャワーブースしかないが、開店当初から階段から一番近いところを黒鴉が自室代わりにしているのは知っていた。

 夕刻、日の入りと共に一番奥の仮眠室で目を覚ました悠は、黒鴉から借りたスマホで日付を確認する。

 2023年10月31日。

 たった一晩飲み明かしてから店に顔を出したつもりが20年間行方不明だったと言われたものの、今でもまだ実感が伴わない。

 とはいえ、悠が知っているガラケーからみたら飛躍的に進化しているスマホで検索した世界は、確かに悠が知る世界とは異なっていた。

「そもそも、こんな風に手のひらサイズの携帯端末で動画が見れる時代が来るなんて……」

 検索によるとYoutubeの動画サービスは2005年からサービス開始されたので、悠が知らないのも無理はない。

 スマホで動画を眺めているだけで20年ぐらいならあっという間に経ちそうだ…と思いながら、悠はモソモソとベッドから這い出る。気づけば、既に起床から2時間近く経っていた。

 適当に寝癖を撫でつけて後ろでひとまとめに結わえると店へ顔を出す。

 店内では黒鴉、一夜、戒留の三人が開店前の準備をしている所だった。

 黒鴉が手にしたデキャンタから赤褐色の液体をグラスに注いでいる。微かに漂う鉄錆の匂いに悠は思わず口を押さえて呻く。

「く、黒鴉さん……それ、なんですか?」

「本日処理されたばかりの豚の血ですよ。ブラッドソーセージを作る為に食肉処理場から仕入れてるんですが、まあ、吸血鬼の方々の食餌にも利用できますからねぇ」

「豚……?」

 思わず床にへたり込む悠を見て、黒鴉は軽く肩をすくめる。

「もしかして、人から搾り取った血液だとでも思いましたか?」

 図星を刺されて悠は唇を尖らせる。黒鴉からグラスを受け取った一夜が中身を一気に煽ってからため息混じりに呟いた。

「そんな簡単に人の血が手に入ったら苦労しねぇよ」

 そして、自分の親指の腹を噛み切って、もう一つのグラスに血を数滴垂らす。

 そのグラスは戒留が受け取って飲み干した。

「戒留さんは……まだ、血族の血しか飲めないんですか?」

「これでも幾分ましになったんだよ。悠さんが開発した濃縮血液錠剤タブレットもあるしね」

 20年前、悠が豚の血から作った濃縮血液錠剤。通称PB錠。

 1日3錠を水などと一緒に服用すると吸血鬼特有の血の渇きが緩和される事が確認されている。

 ただし、完全に渇きを抑えるまでには到らず、タブレットを服用中でも最低週一回は鮮血を補給する必要があるが、毎晩吸血が必要な状況に比べれば利便性が高く、豚の血やタブレットの形状に抵抗が無い若い吸血鬼の間では愛用者も多い。

 また、血の味がするサプリメントとして、ゴス趣味や血液嗜好症のある人間の間でもマニアックな人気がある。

「オーナーが行方知れずになった後、PB錠の安定供給の為に尽力したのが彼ですよ。今は小規模ながら食肉処理場とサプリメント工場の経営者でもあります」

「戒留さんの為にそこまでしたんですか!?」

 一夜は軽く咳をしてから首をふる。

「戒留だけじゃねぇ、若い血族にとってPB錠は無いと困るモンなんだよ。ま、実際に金を出したのは黒鴉なんで、こうやって諸々手伝わされてるんだがな」

 一夜が属する派閥は若い吸血鬼の保護に尽力している。吸血鬼は完全なヒエラルキー社会で「始祖の血にどれだけ近いか」でその身分が決まる。ごく少数の貴族エルダーが戯れに若い吸血鬼を殺しても罪にすら問われない。

 そんな理不尽に反発する一夜たちのような派閥も存在するのだ。とはいえ、キャッシュな性格の黒鴉が金を出した…という事実に、悠は目を丸くする。

「俺は儲け話なら出し惜しみしませんよ。吸血鬼相手の商売ならヴァンパイアハンターの討伐でもない限り客が途切れることもない。むしろ、血の渇きで見境なく人間を襲う吸血鬼が居なくなればハンターがしゃしゃり出てくる理由もなくなりますからねぇ」

 黒鴉は黒手袋に覆われた手で顎を撫でながら、勝てる賭けならベットしない方が損だと嗤った。

「ところで、おかわりは如何ですか?」

「僕…まだ頂いていません、よ!?」

 デキャンタを掲げる黒鴉に、悠は首を傾げようとした。

 刹那、背後から頭をガッと鷲掴みにされる。

「……死の匂いがする…私と同じ…死と災厄の匂いが……」

 悠の頭を両手で掴み、覆いかぶさるような格好で頭の匂いを嗅ぐ相手を、必死に目線だけ動かして見る。

 背後から覆いかぶさられているので顔は良く見えないが、ボロ布を身に纏い、ボサボサの髪を振り乱した老婆のように見えた。

「くろ…黒鴉さん! 助け……っ」

 ワタワタと手を伸ばして黒鴉に助けを求めるより、謎の老婆を一夜が引き剥がす方が早かった。

 戒留が老婆の腕を引く。

「もう、アズさんてばその格好でお店に来たら駄目だってば! ちゃんと着替えて来て!」

「おかわり…」

 デキャンタを掲げ、黒鴉は胡散臭いほど爽やかに微笑んだ。

「ちゃんと着替えてきたら残りは全部差し上げますよ」

 戒留に背を押されながら、老婆は仮眠室のある階下の階段を降りていった。

「び、びっくりした…あの老婆も血族ですか?」

「オーナーも良く知ってる方だと思いますよ。

 数分後、老婆のかわりに編み上げのブーツを履き、ゴスドレスを身に纏ったブルネットの美女が戻ってくる。

「着替えた。おかわり」

 黒レースの手袋をした手に、黒鴉はデキャンタを手渡す。美女はデキャンタを受け取るとそのまま一気に煽って飲み干した。

「アズさん…もしかして、アズラエルさんですか?」

「そうだ」

 悠はおっかなびっくり口の周りを豚の血で汚した美女の顔をおしぼりで拭う。

 確かに、アズラエルも店の常連吸血鬼の一人だった。

 戦闘特化に「調整」された所為で、一夜や戒留のように人に紛れるのが不得手だったのは覚えている。

「彼女には店の用心棒をお願いしているんですよ」

 黒鴉の言葉に悠は首を傾げる。

「……一夜さんが居れば大丈夫じゃないですか?」

 確かにアズラエルは迫力のある美女だが、一夜の外見はヤクザそのものである。下手な客なら裸足で逃げ出すことだろう。

「一夜は駄目だ。破滅の匂いはするが死の匂いがしない」

「俺じゃ血族や武装したハンターの相手はできねぇだろ…って、待て。今なんか聞き捨てならん単語が聞こえたぞ」

「一夜と黒鴉からは甘い破滅の匂いがする。匂いに溺れた客が今宵も大勢押し寄せる」

 アズラエルは無表情で言い切り、一夜は指先で眉間を押さえ、黒鴉は軽く肩を竦めてみせた。


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