表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラザロの晩餐  作者: 神印
1/5

ラザロの晩餐:壱

挿絵(By みてみん)


 ラザロの晩餐



 その日、杉本悠(すぎもと ゆう)は上機嫌で夜明け前の街を闊歩していた。普段見慣れた筈の街の灯りすら妙に輝いて見える。

 吸血鬼に転化してからも出不精で人見知りな悠が声を掛けてきた初対面の相手と飲み明かす事などまず無いのだが、今回は珍しく楽しい一時を過ごせたのだ。

 思わず鼻歌を歌いながらスキップしたくなる気持ちを抑え、目的のゴシックバー『Vena tangenda est. (ヴェナ・タンゲンダ・エスト)』へと急ぐ。

 ラテン語で「脈は手で触れてみなければ判らない」という意味だと言ったのは、店のマスターを任せている黒鴉(クロス)

「まあ、百聞は一見にしかず。と似たような意味でしょうかねぇ。好奇心が抑えられないオーナーにはぴったりでしょう?」

 癖のある黒髪に金色の瞳の小柄な胡散臭い男は、今日もニヤニヤと笑いながら仕事をサボって高い酒を飲んでいるに違いない。

 抜き打ち監査と称して閉店間際の店に押しかけ、黒鴉が慌てる所でも見てやろう。

 酔いが残っているのか何度か道を違えそうになりながらも、悠は店の看板を見付け、地下へ続く細い階段を降りる。

 扉にはCLOSEDの札が掛けられているが、酒気で少し乱れた呼吸を整えてから思い切って扉を開けた。

 カランカランカラン……と乾いたドアベルが鳴り響き、赤と黒を基調とした薄暗い店内でカウンターテーブルを拭いていた黒髪の男が顔を上げる。

「すみません、もう閉店なんです…よ?」

「あれ…? 黒鴉さんが仕事してる?」

 カウンター越しに白シャツの上にハーネスを付け、黒のラバー手袋をしている黒鴉とばっちり目が合う。

 黒鴉の方も、勢いよく扉を開けて入ってきた男を見た。

 よれたシャツとスラックスの上に白衣を羽織り、長く艷やかな黒髪を無造作に結わえた痩せ気味の眼鏡の男。

 恐ろしく整った顔をしているのに身なりを全く気にしないその姿は、紛れもなく『Vena tangenda est.』のオーナー杉本悠である。

「…オーナー? 今まで何をしていたんですか?」

 予想外の質問返しに悠はゆるく首を傾げる。黒鴉はカウンターを出て店の扉に鍵を掛けてから、改めて繰り返した。

「今の今まで連絡も全くなしで。20年間も、一体何をしていたんですか?」

「……え?」

 黒鴉はカウンターの隅に置かれていた薄い板状の携帯端末を手に取り、悠が見易いように掲げる。

 やけに鮮明な液晶画面には、悠が知ってる日付の20年後…「2023年10月31日」と表示されていた。


 悠が黒鴉に渡された端末を呆然と眺めている内に、地下を掃除していた赤髪髑髏メイクのボーイと厨房を片付けていた金髪コーンロウ+ミラーグラスのシェフが顔を出す。

「くっ 黒鴉さん! 知らない人が居るなら先に言って下さいよ!」

 極度の人見知りである悠は、自分より背が低い黒鴉の背に隠れるように屈み込むが、髑髏ボーイが「悠さん!?」と叫ぶ方が早かった。

「え!? 悠さんだよね? 今まで何処に居たの? てか、無事だったんだね!」

「え、っと…どちら様でしょう?」

 目の周りと鼻を黒く塗りつぶした顔でグイグイ来る髑髏ボーイにミラーグラスのシェフがおしぼりを投げる。

「取り敢えずそのメイク落とせ」

「わかったよ、一夜(かずや)

 おしぼりを受け取り、顔に当てて「あ゛~」とおっさん臭い声を出しながら髑髏メイクを拭き取った青年の丹精な顔は悠も良く知っていた。店の常連だった二人組の片割れだ。

戒留(かいる)さん…? じゃあ、あのヤクザみたいなシェフは……一夜さん?」

「ヤクザは余計だ」

 ミラーグラスを外した男の顔は、確かに悠の見覚えのある顔だった。

「吃驚しましたよ…。お二人とも、全く違う外見で……」

 驚きのあまり黒鴉の肩を掴んだままへたり込みそうになる悠の首根っこを掴み、一夜はソファ席を顎で示す。

「お前には聞きたい事が山ほどあるからな。取り敢えず、座ってもらおうか」


 +


 三人曰く、悠は20年ほど前に突然行方不明になり、今の今まで音信不通が続いていたという。

 相手が黒鴉だけなら「またまた~、そんな嘘には騙されませんよ?」と返す所だが、戒留はまだしも一夜はそういったくだらない悪戯に加担するようなタイプではない。

 何より黒鴉に借りたこの薄い板状の携帯端末。スマートフォンと言うらしいが、側面にしかボタンらしき物がなく数字キーもないのにどうやって電話を掛けるのかと聞けば、この液晶画面全体がタッチパネルだという。


『Vena tangenda est.です。本日は夏野菜のラタトゥイユを作って頂きましょう。当店では新鮮な素材を使うのがコツですが、ご家庭なら冷蔵庫の残り野菜でも構いません』

 小さな液晶画面には、眼の前に座る三人が並んで…というより、手際よく料理する一夜の周りで黒鴉と戒留がゆるい会話を続けている。

『僕さぁ…ズッキーニ初めて食べた時にビックリしたんだよね。見た目はでかいキュウリなのに味が水っぽいカボチャじゃん? 脳がバグらない?』

 野菜を水洗いしていた髑髏メイクの戒留に、黒鴉がツッコミを入れる。

『あなたの頭がバグってるのは何時もの事じゃないんですか?』

『マスター酷い!』

『夏野菜は皮ごと使うからな。丁寧に洗え』

『イェッサー…』

 一夜にも突っ込まれ、戒留は唇を尖らしながらジャブジャブと野菜を洗っている。

 コメント欄をみれば「マスター辛辣w」「頑張れ髑髏ボーイ!」「極道シェフで草」などで埋まっている。なかなかの盛況っぷりだ。

『1cm角のサイコロ切りにした夏野菜をオリーブオイルで炒める時のポイントは、オリーブオイルをケチらない事。特に茄子は油を吸いますからね、思ってる倍入れても大丈夫です』

 殆ど喋らない無口なシェフの代わりに黒鴉が説明し続ける。

 この動画は店の宣伝も兼ねているらしく、最後に出来上がったラタトゥイユをカリカリに焼いたフランスパンに乗せて黒鴉が試食するシーンが入る。

『夏季限定メニュー、夏野菜のラタトゥイユは九月末までのご提供です。是非食べに来てね~』

 材料を書いたボードを抱えてにこやかに手をふる戒留、もぐもぐと口を動かしている黒鴉、厨房で背を向けて鍋を磨いている一夜を映した動画は、ヘヴィメタル調にアレンジされた「おもちゃの兵隊のマーチ」をBGMに『Vena tangenda est.』の看板を映して終わる。かなり本格的な作りで悠は最後まで見てしまった。


「それにしても、こんなに薄くて固くて鮮明なタッチパネルが開発されてるなんて……」

「そういや20年前のタッチパネルって、なんか表面が柔らかかったですねぇ」

「3DSとかがそういうタイプだったね~」

 タプタプと指先でタッチパネルを叩いて居ると、隣りに座りなおした戒留が指先で画面をスッと撫でる。

「これ、フリック入力って言うの。慣れればテンキーをタップするより入力早くなるよ」

「うわ…これ考えた人、天才じゃないですか!?」

「実用化したのはスティーブ・ジョブズだけど、発明したのは日本人らしいよ」

「スティーブ・ジョブズって、あのiMacのスティーブ・ジョブズです?」

「そう、あのジョブズ。もう亡くなっちゃったけど」

「え!? ジョブズ亡くなったんですか!? 人類の損失じゃないですか!?」

 そんな会話を続ける悠を眺めていた一夜は、勝手にお高いボトルを開けてロックグラスに注いでいる黒鴉を見る。

「どう思う?」

「嘘をついてるようには見えませんねぇ。まあ、オーナーなら研究に没頭しすぎて気づいたら20年ぐらい経っていた、とか有り得そうですけど、消息不明になるというのが解せません。しかも、まるでタイムスリップでもしたかのような有様で」

 実際、悠の白衣のポケットにはわずかに充電が残ったままのガラケーが入っていたのだ。

「…で? オーナーは今まで何処にいらしたんで?」

 カラカラとグラスの中の氷を揺らしながらの黒鴉に「それ店のお酒ですよね?」とツッコミを入れてから、悠は店に来るまでの出来事を説明した。

 ナイトミュージアムで声を掛けられた相手と意気投合し、誘われるまま海が見えるタワマンの高層階で語り合いながら飲み明かした事。相手は主に民俗学を研究している研究者とのことだった。

「今は全国各地の八百比丘尼伝説を調べているという話でした。彼の部屋でオリジナル・カクテルを頂いたんです。黒に近いお酒なんですけど、光に翳すと群青色に輝いてとても綺麗で…」

 そこまで聞いて、黒鴉は眉根を寄せた。

「カクテルが飲めたんですか? オーナーが?」

「飲みました。ちょっとアルコール強めでしたけど、塩気があってとても美味しかったんですよ」

 そこまで言って、悠も気がついてしまった。

 そう、飲めたのだ。血液しか飲めない吸血鬼である自分が、カクテルを。飲めたのだ。

「え、なんで…? 僕、何を飲んだんですか?」

 悠は思わず問い掛けるが、黒鴉は肩をすくめる。

「それを俺に聞かれても困りますが。何らかの血液が混ざってた…と思うのが自然ではありますねぇ」

「悠さん、相手の顔とか名前とか覚えてる?」

 戒留に尋ねられ、悠は顔を輝かせる。

「それは勿論! 確か…えっと……あれ?」

 思い出そうとすればするほど、記憶に靄がかかったようになり相手の顔も名前も思い出せない。

 その靄の中で、黒いカクテルとその向こうで輝く金色の瞳だけは忘れていなかった。

「金色の瞳ですか。俺と同じような?」

 黒鴉の言葉に、その瞳をじっと覗き込んでから悠は首を横に振る。

「黒鴉さんの瞳とは、ちょっと違うんですよね…。こう…瞳孔が横長で四角くて」

「四角?」

 次の瞬間、突然現れた巨大な水柱が黒鴉を飲み込んだ。

「え…? 黒鴉さん……?」

 呆然とする悠の目の前、竜巻のような濁流の中、黒鴉の口からゴボリと大量の空気が吐き出される。

 眼の前で溺れようとしてる黒鴉に、悠は慌てて手を伸ばそうとして水流に弾かれた。

「嫌です! 死んじゃ駄目です黒鴉さん!!!」

「悠さん落ち着いて!」

 取り乱す悠を戒留が羽交い締めにした瞬間、水柱に腕を突っ込んだ一夜が溺れる黒鴉を力任せに引っ張り出す。

 同時に、水柱は支えを失ったように重力に従って落下し、店内を水浸しにした。

「ゲホッ ゴホッ…オーナー、貴方、何に魅入られたんです…か?」

 咳き込みながら顔を上げる黒鴉の首と一夜の腕には、海洋生物特有の吸盤痕が残っていた。


 ++

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ