1 酒
朝、起きて早々に酒を飲みたいと思った。
なので宿屋の女将に頼んで、衛兵の宿舎に使いを出してもらった。女将の娘が元気に路地を駆けていくのを見送ると、荷物を簡単にまとめ、髪をくるくるといじって気持ちばかり寝癖を直し、宿屋の前に置かれた椅子に座る。
ほどなくしてエロー君がやってきた。
柔弱だが整った顔には、幾分怪訝そうな気配がある。
「どうしたんですか、先生。急ぎの御用ということで」
「うん、ちょっとね。酒を飲みたいと思ってね」
「はあ」
何を言っているんだという内心を押し隠したような「はあ」には、少しうしろめたさを感じるが、酒に向けた物語は動き出しているので、そのまま走ることにした。
「酒を飲むには、風呂に入る必要があるだろう?」
「あるんですか?」
「もちろん。風呂に入らずに飲む酒と、入った後に飲む酒のどちらかが美味いか、君は少年とはいえ、まさか分からないとは言わんだろうね」
「先生の仰ろうとしている意味は、なんとなくですが、わかる気がします」
「そうだろう、そうだろう。そして風呂に入るには一仕事する必要があるだろう」
「あるんですか?」
「もちろん。ひと汗かいた後の風呂と、そうでない風呂。どちらが心地よいかは言うまでもないだろう」
「はあ」
いよいよエロー君の顔が渋面に変わってきた。
しかし、ここでこちらが折れるわけにはいかない。当方にも酒飲みとしての矜持がある。後方に進軍などという言葉遊びに逃げるつもりはない。
「つまりだ、エロー君。私が酒を飲むためには風呂が必要で、風呂を浴びるには一仕事が必要で、仕事をするには荷物持ちが必要なのだよ」
「つまり、冒険者ギルドの適当な依頼を片付けるため、下男として呼ばれたということでしょうか」
エロー君の顔には、不満というか諦観というか、その種の良くない表情か張り付いている。
「そう卑下するものではないよ。君とて剣の道を志しているのだろう? こういった経験が、いずれ大成につながるものさ」
「そうでしょうか」
「そういうものさ。そこでだ、エロー君。君、今日は非番か? 未熟とはいえ、君には一介の衛兵としてこの街を守る責務があるだろう? さすがの私も、その重責を放り出せとは言わない。その程度の分別はあるつもりだ」
「使いが来た時に、非番の願いをして出てきました」
当日その場で断れる程度の役目しか与えられていないことに一種の憐憫を覚えるが、口にはしない。それで満足ならば、この少年にとって幸せな事に違いはないのだ。
「じゃあまずは金の無心に行こう」
「はあ。手持ちがないわけではないでしょうし、一仕事もするというのに、なぜですか」
「酒も風呂も必要に駆られてやるものじゃない。ならば贅沢をする義務があるというものだ。だから借金をするのだよ」
「ははあ」
いよいよ呆れ顔のエロー君に荷物を任せると、剣だけを差し、まずはとある貴族の邸宅へと向かった。
以前に盗賊に襲われていた子女を助けてやったことで縁ができた。金はあるがお役目はない道楽者で、時折私が物語などを書いて渡してやると、えらく喜ぶ。
先日は、死刑を告げられた男が、とある事情で親友を質に残してその場を離れるも、戻って死刑になるためにひた走る物語を書いてやった。やたら興奮して読み、しまいには袋一杯の金貨をくれた。他人のふんどしで得た金で飲む酒は、美味かった。
そんなことだから、さして気を使うことなく借金を申し込める。
「子爵様、金をかしてもらえませんか?」
初手に要望を持って来て置く。後で相手を驚かせないための配慮だ。私は大人だから、こういう気の利いたことができる。
「何か急な入用でも?」
「ちょっと酒を飲もうと思うのです」
「大きな宴会でもするのかしら? まさか政治に興味が出たとは言わないだろうね」
「いえ、一人で気ままに飲みますが、いい酒を飲みたいと思ったので」
「そうか、それなら仕方ないね」
こんな具合で金を手に入れると、次は冒険者ギルドに歩いた。
「報酬はどうでもいい。なるべく汗をかくのがいい。街からは近すぎず遠すぎず、昼過ぎに帰って来れるくらい。今日は天気もいいし、歩いていきたい。それで見繕ってくれ」
エロー君に頼むと、「はあ」と気のない返事をして口入れ屋の一つに入っていった。冒険者ギルドと言っても大きな一つの建物があるわけではない。いろんな仕事を取りまとめる顔役がいて、その顔役たちが緩く連帯しているに過ぎない。
だから建物の修築や手入れの仕事を多く抱える者たちは建築ギルドとなるし、木材の運搬や仕入れの話になってくると林業ギルドとなる。
私の得意は剣や槍なので、必然、そういった口入れ屋が多く集まっている冒険者ギルドと呼ばれる界隈を訪うことになる。
エロー君を待つべく、その辺の露店に席でも見つけようとしたが、いつもと違って今日はどこもいっぱいだ。寂れた露店の端にようやく空席を見つけ、パンに肉を挟んだもの頼んで齧る。
存外に旨かった。気分がよくなって思わず店主に話しかけてしまった。
「美味い。親父さん、どこかで修行したろう?」
「いえ、そんな大層な。こいつはおまけですよ」
野菜の酢漬けが一皿ついた。
「ところで親父さん、なんだか今日は人が多いね」
「この数日は増えてますね。山鼠の時期だからですかねえ」
どうやら出産期の山大鼠の群れが多く来ているらしい。路上に耳を傾ければ、今こそ狩り時だと、若い冒険者が張り切っている。
こいつら、馬鹿か阿呆なのかもしれない。
狩りやすい鼠が多くいるとか、たったそれしきのことで、普段来てない冒険者ギルドに駆け込むとはなんと情けない。よし、10匹も狩ってやるぞと意気込む姿は見苦しくて見ていられない。
だいたい、害があるというなら猪や鹿の方だろう。奴らが増えると、作物や家畜に害が出る。手ごわさで言えば、山林を徘徊している山狼などもいる。
通の私から言わせてもらえば、今時分の狩りどころは山狼だ。
山狼もちょうど出産の時期を迎えている。大人の山狼は手ごわいし群れを作らないが、子狼は違う。経験の浅い子狼が群れているわけだから、まさに狩り時だ。
しかしこいつらは子供と言えど強い。素人には難しいだろう。
まあ素人は鼠でも狩って満足してるがよいさ。
「鼠に躍起になるなんて、情けない。そうだろう、親父さん」
「そうですねえ。まあ、駆け出しのひよっこには、いい経験でしょう」
そうこうしているうちにエロー君が戻ってきた。
「よい依頼はあったかな」
「はい。山鼠の討伐を受けてきました」
エロー君が受領済みの依頼書を見せてくる。
屋台の親父が鼻白んだ目を向けてくるが、こうなっては仕方がないので腰を上げた。
大体、狼はそれほど数も多くないし、人への害も大きくない。それに狼が減りすぎれば鹿や猪が増えて、草木に害が出る。その方が、かえって困る。狼も使いようなのだ。
ところが鼠どもときたら、そうはいかない。山芋や香魚を食い荒らすし、病気も持ってくる。放っておいては美食家としての在り方に関わる。
それにこいつらは小さくすばしっこい上に、案外強い。
ここは私が出張る価値もあるだろう。
そうして近くの森まで歩いてくると、賑やかに鼠を狩る若い冒険者たちから少し離れて陣取った。
エロー君に用意させた短槍で藪を薙いで、下草や枝を掃う。鼠どもが驚いて出てくるのを待っているのだが、なかなか出てこない。
そのうちに林の下草刈りが本業のようになってきた。いっそ林産屋に鞍替えしようか。
三丈もあるリバニ杉などはそこらに生えているが、街では結構な値で取引されるのを見たことがある。鼠狩りよりよっぽど人の役にも立ちそうだし、実入りも良いかもしれない。こうして地道な作業で汗をかくのも、後の風呂を思えば悪くない。
ただし虫が多いのが難点だ。これをどうにかしないと、早晩嫌になるだろう。
そんな算段をしていると俄かに騒がしくなった。
「なんだい、エロー君。随分賑やかじゃないか」
「若い冒険者たちが何やら。ちょっと様子を見てきます」
そう言ってエロー君が足を向けた先で、森が爆ぜた。
大木が空を舞い、大量の土砂が巻き上げられている。
続いて姿を見せたのは巨竜だった。体が羽毛に覆われ、逞しい獣脚をもっている。主竜種だろう。あれは一人二人ではどうにもならない。
落とし穴や罠で動きを止めて、魔法と投げ槍を雨と浴びせて仕留めるものだ。
新参の冒険者らが、土煙に紛れながら、算を乱して逃げ惑っている。
まずいまずい。私も同様に、土煙を隠れ蓑に走った。
蒸気機関車の警笛よりも高らかに咆哮する巨竜へ向けて跳躍すると、抜刀一閃、その首を刎ねる。そしてそのままもとの場所に戻ると、下草刈りに汗を流す。
「まずいぞ、エロー君。今の騒ぎで鼠が逃散してしまったかも知れない」
せっせと下を漁るが、鼠の気配はない。エロー君の気配もなかったので肩越しに見ると、巨竜の死骸の後片付けを手伝っている。
そんなものはどうでもいい。今は鼠だというのに。
結局、昼過ぎまで粘って、三匹の鼠をどうにか仕留めた。ようやく戻ってきたエロー君に荷物をまとめさせると、帰ることにした。
道々、パンと水を少し腹に入れる。腹ペコでは風呂を楽しめないが、満腹になっても後で困る。この塩梅が大切だ。
前を行く若い冒険者が「10匹仕留めたぞ」と自慢しているが、見ていられなかった。ああいうやつは嫌いだ。
町に戻ると、厄介な後始末はエロー君に任せて風呂に向かった。
「後で風呂で合流しよう。たまには背中を流しあっても良いだろう」
別れ際にそう声をかけたのだが、エロー君から返ってきたのは軽蔑したような視線だけだった。もしかすると鼠三匹が響いたのかも知れない。
気にしても仕方ない。風呂に行こう。
汗をかいたし土煙にも汚された。さぞかし気持ちがよいだろう。にやけそうになる口許を押さえて、上等な公衆浴場に入った。
香草の浮かぶ一等湯を選び、三助もつけた。一番良い湯具を借りた。もう負ける気がしない。
椅子に腰かけて、三助に湯をざぶざぶと浴びせられる。
汗や砂ぼこりが流れ落ちていく感覚が心地よい。
まずは髪を湯で洗う。髪の一本一本に引っ付いていた砂と泥が取れていくのは、まる自身の罪が洗い流されていくようだ。と思ったのだが、別段やましいことのない私には関係のないことだったかもしれない。
ひととおりの汚れが落ちると、香油をたっぷりと含ませて髪と頭皮を揉みこまれる。最高だ。
次は首から下だ。塩と香油で肌をこすられると、汚れと疲れと全ての嫌な思い出が流されていく。
そうして頭のてっぺんから足の先まで綺麗になってから、湯に入る。
少し熱めの湯に顎まで浸かるのが好きだ。だからそうする。
そうしてじっとしていると、からだ全体がじんじんと温かくなってくる。
しっかり熱されて、けれど我慢できなくなる前に湯を出る。
そしてからりと乾いた布をたっぷり使って、隅々まで拭く。体に水滴が残らないようにする。そして湿り気のない服に着替える。
風呂屋を出ると、エロー君がいた。
「おや、もう帰ってしまったかと思っていたよ」
「風呂で合流と言ったのは先生じゃないですか。鼠代の精算もまだですし」
そう言って細かい銭をちゃらちゃらと差し出してくるので掌で押し返した。
「それはあげよう。今日の駄賃だ」
「いえ、今日は他に臨時の収入が出来たので、大丈夫です」
「やせ我慢はよくないよ」
そんな問答をしながら夕食の店に向かった。
都市中央区にある煉瓦亭という、その名のとおり煉瓦造りの店だ。
露店などではない。椅子と机があり、給仕がつくし、料理の種類も酒の数も豊富だ。はっきり言ってかなり値が張る。
「今日は暑い。こんな日は、冷たいものをさっぱりとやるか、熱くて香辛料たっぷりのものをがぶりとやるか、どちらかだろう」
店員から品書きを受け取って吟味を始めると、早速エロー君が不思議そうな顔をする。
「両方ではだめなんですか?」
「それは無粋ってものだよ。大人はそんな飲み方はしない。エロー君、君はいくつだったかな?」
「数えで15です」
「ならまだ満14歳か。食べ盛りの子供には、この酒の機微は分からんだろうなあ」
「15は大人です。酒だって飲みますし、結婚だってできます」
「そうかそうか」
エロー君の抗弁を聞き流しながら、酒の算段をする。
熱々のものなら、炙った牛肉か蒸し焼きにした豚肉だろう。どちらも抜群にうまい。だが、きっとかぶりついているうちに汗だくになる。するともう一度風呂に入らねばならなくなる。
となれば、ここは涼味に軍配が上がる。
茹でた麺を水で冷やし、魚醤と薬味を和えたものを二皿。それにワインを二杯頼む。エロー君のワインには水を入れる気配りをしてやる。子どもが酒で失態を犯さぬように面倒をしてやるのは、年長者の務めだろう。
ワインはもちろん白だ。
中には色々と混ぜ物をする輩などもいるが、私はその党には与さない。香辛料や蜂蜜で味をつけるだけでなく、水や塩、酢、葡萄の絞り汁などでかさ増しするようなことも横行しているらしいが、中々に冒涜的だと思う。
良いワインをそのままの味でいただく。それが一等に美味いのだ。
もちろん安物の陶器などは用いない。硝子のグラスをよく冷やし、ワインを注ぐ。そこへ氷を入れて一口飲むと、これが堪らない。
ワインに氷を入れる是非もあるが、一口目なら薄まることなく味わえる。そして二口目には、少し飲みやすくなる。三口目からは主張が控えめになるので、料理を楽しむにもってこいだ。
なので私は、暑い夏には、グラスと氷で白ワインをいただく手法を強くお勧めする。
もちろんグラスも氷も高価だが、ここで借用した幾ばくかのお金が効を奏する。自分のお金なら少し躊躇うかもしれないが、この金は違う。酒に費やされるために在るものなのだから、悉く散じてやらねばならぬ。これは私の義務と言える。
そうして涼やかな麺とワイン舌鼓を打っていると、何やら良い香りが漂ってきた。
どうやら隣の卓に大きな肉の塊が運ばれたようだ。
はしたなくならないよう、ちらりと横目に盗み見る。肉と脂が程よく焦げて、飴色に仕上がっている。まさに焼きあがりらしく、大きな塊を受け取った客が、手も口も脂まみれになりながら、かぶりついている。
先ほどはエロー君に講釈を垂れたが、こうして肉を目の当たりにすると何としても食べたくなってしまうのが人情というものだ。こればかりはやむを得ない。
とはいえ唐突に前言を翻すのも憚られる。
「おや、なんだか香ばしい匂いがするね」
「そうですね。隣の卓にあぶった肉が届いたようです」
私が水を向けても、エロー君の応えは捗々しくない。ここで「美味しそうです、ぜひ食べたいです」とおねだりをしてくれるなら私の格好もつくといのに。気の利かないこと、この上ない。
私としては、憮然とした声を出さざるを得ない。
「エロー君、あの肉と同じものを注文してきてくれるかい?」
「いいですけど、あれ、熱いですよ。熱いものと涼しいものの両方を食べることはしないんですよね?」
「うん、そうも思うんだけどね。だけどほら、煙がこちらまで漂ってきているから、もう体に匂いがついてしまったよ。こうなれば食べようと食べまいと変わらない。なら、食べたほうがいいのかもしれないからね」
「つまり、両方食べるってことでいいんですね」
「そこはほら、私は大人だから、高度な柔軟性を維持しながら臨機応変に対応するのだよ」
「ただのいきあたりばったりじゃないですか?」
エロー君から会心の反撃をもらったが、ここは原作に忠実に無視することとした。
卓に肉がどんと置かれると、たまらず素手で掴んでかぶりついた。ほぐれる肉、舌を包む塩気と脂、鼻を抜ける薪で焼いた肉特有の香り。
たまらず一息に半分ばかりを食べてしまった。
「これは、もう一度風呂だなあ」
そうこぼしながら、新たに頼んだ麦酒をあおっていると、エロー君が同じように肉を堪能しながら「こうなったら、僕も行きますよ」と言う。
「じゃあ一緒に入るかい?」
「先生は、もう少し自覚された方がよいと思います」
「自覚って?」
「いろいろとです。少なくともこのあたりでは、家族でもない若い男女は、一緒に風呂には入りませんよ」
「そうは言っても、私は君より年上だし、君はまだまだ少年じゃないか」
「せいぜい10くらいの差でしょう? それにさっきも言いましたが、僕は大人です。結婚だって出来るんですから」
「そうかい。それは、気を付けるとするよ」
その後、二人で随分飲み食いをしたらすっかり脚が出た。
どう検算してみても、合わない。飲みすぎたし喰いすぎた。
最後には、エロー君の臨時収入とやらの世話になってしまった。
悄然と帰路についたが、結局ツケでもうひと風呂を浴びてから寝具に潜ったら、瞬く間に寝入ってその日は終わった。
全体で見たら、佳い日だった。
次回テーマは「旅」です。
更新はのんびりです。
登場人物メモ
〇先生
日本から異世界転生した女性。チート的な強さを持つが、隠れ住みたい。隠れ住めていると思っている。見た目は20代くらいのくせに酒と食べ物の趣味は中年男性に近い。
〇エロー・メナス
14~15歳男の子。領主の衛士。衛士は、ただの衛兵と違い、大貴族であってもほんの数人しか持たない超エリート(腹心の近衛兵的な)。領地こそないが本人も子爵級の貴族。強い(先生からするとクソザコ)。領主に命じられ、先生の目付け役兼パイプ役をやらされている。