2章 むかついてますが、なにか 1
ロンバルド王国の正門は、門と呼ぶのに違和感があるほど荘厳で巨大だった。
そこをくぐると、広々とした馬車降り場がある。
左右にある渡り廊下には、ヘイゼルを見ようとする人々がうっとうしいほど集まってきていた。
(あれが? 隣国の王女殿下?)
(でも廃王女なのでしょう)
(そうなの?)
(だってほら、紋付の馬車じゃないことよ)
ひそひそと人々が噂するなか、馬車の横扉が音もなくあいてヘイゼルが姿を現した。
きれいに結い上げた頭をかがめるようにして馬車から降りる優美な姿に、見ていたものの誰からともなく、ほうっと声にならない吐息が漏れる。
「お招きありがとうございます、ヘイゼル・ファナティック・ガボットです」
柔らかい声で出迎えの人間にそう言い、ヘイゼルはにこっと笑ってみせる。
野次馬からはまた、どよめきがあがる。
ヘイゼルは遠方からの旅人らしく、ごく薄手の編み上げ靴を履いていたが、ドレスは非常に手の込んだものであることが遠目にもあきらかだった。
(王族の名前じゃないわ)
(でも見てあの服、すごいわよ)
(え、誰ですって?)
光沢のある淡い金色の生地に、同じく光沢のある白とピンクの糸で全面に刺繍を施してある。
昼用なので肌はあまり出さず、ヘイゼルのストロベリーブロンドを引き立たせる色合いを、砦のみんなで選んでくれたのだ。
ヘイゼルは馬車から降りて出迎え人の後ろをゆっくり歩きながら、あたりの人々にさりげない笑顔を見せる。
(アスランに、なにもないといいけれど……)
正直に言えば、長旅で体は疲れ切っていた。だがそんな顔を見せるわけにはいかない。
右に、左に会釈しながら歩くなか、ヘイゼルは、ここに来るに至った経緯を思い出していた。
そう、あれは五日ほど前のことだった。
◇◇◇
「え、アスランから?」
砦でも生え抜きの腕自慢で知られる、ドゥンガラという大男が伝言を持ってきたのが、ちょうどアスランが砦をたってから一週間ほど後のことだ。
ヘイゼルは素直にそれを受け取る。
──ロンバルド王が、ヘイゼルに会いたいと言っている。体の調子がよかったら来てくれると嬉しい。でも長旅になるから、無理はしなくていい。
手紙にはそうあった。
見た瞬間、ヘイゼルは思う。
なにかおかしい。
とっさに本人の筆跡かどうか確認している自分がいる。
アスランに何かあったのかしらと思いながら、ヘイゼルは応じた。
「わかったわ、行きます」
ほとんど悩む様子も見せない即答に、手紙を持ってきたドゥンガラのほうが目をしばたたかせている。
「確かあんたは体があまり……」
「そうだけど」
「ここからロンバルドの王宮までは、あんただと五日はかかると思うが……それだけの間、馬を走らせたことはあるのか」
「ないけれど、そんなことを言っている場合ではない気がするの」
うーん、とドゥンガラは太い首を傾けて考えるそぶりを見せた。
「ひとつ、念のために言っておくが、あいつはロンバルド王に脅されてそれを書いたわけじゃない」
「ええ」
「無理はしなくていいというのも本当だ」
「だとしたら、なおさら」
ん? とドゥンガラは首をかしげる。
「脅されていないのにこんな手紙を書くということは、それこそ何かあったんだと思うの」
ヘイゼルは手紙をもとの通りに折りたたむと、迷いのない瞳で言った。鮮やかな緑色の瞳がドゥンガラを見上げる。
「私、行くわ」
「……そうか」
「ロンバルド王が私を呼んで何をしたいのかわからないけど、誘いを受けることで、相手の思惑も読める。それってなにもしないでいるよりいいと思うし」
「姫さん」
「なあに?」
こうしていると、ドゥンガラはヘイゼルが見上げるほどに背が高い。
だが彼はどこかほっとしたようにヘイゼルを見下ろしている。
「俺は、アスランがあんたを選んだ理由が少しわかる気がするぜ」
剣をとれば負け知らず、石を掘らせても力自慢のドゥンガラは、その見かけによらず穏やかに低い声で話した。
ヘイゼルがきょとんとしていると、彼は続ける。
「あんたは、勇敢なんだ。きっと」
「そうかしら」
「体が弱いし線も細いからわかりにくいが、きっとそうなんだな」
「……ありがとう」
よくわからないながらも、ヘイゼルは返した。
それはおそらく、彼らにとっては最高級の褒め言葉なのだと思ったから。その時だ。
「ひ・め・さ・ま」
ドゥンガラよりもさらに低いんじゃないかというガーヤの声が聞こえて、ヘイゼルはぎくっとする。
おそるおそる振り向くと、岩の陰からガーヤの丸顔が半分だけのぞいていた。
ガーヤはじっとりとした気配をにじませてそこから出てくる。
「あの、あのねガーヤ、私ね」
「見損なってもらっては困りますとも!」
ヘイゼルがなにか言い訳をするより早く、ガーヤはどこから出したのか、薄手の大判ストールをしゅるしゅると彼女の首に巻き付ける。
「姫さまはもう、ご結婚も済ませた大人の女性です! 乳母やが口うるさくお守りする時代は過ぎたのです!」
まるで自分自身に言い聞かせるような口ぶりだった。
「そのくらいのこと、このガーヤが心得ていないとお思いですか! ええお止めしませんとも! いってらっしゃいまし!」
やたらはきはきとガーヤが言い終わるころには、ヘイゼルの首元はストールでぐるぐる巻きにされていた。
「あのう、ガーヤ……」
ヘイゼルが言いにくそうに視線を泳がせる。
ストールは幾重にも巻かれて、自分の足元も見えないくらいだ。
「今ってね、もうすぐ夏なのよ……」
「なにをおっしゃる、夜は冷え込むでしょうが!」
かっと目を見開いて言い返されて、ヘイゼルは大人しく引き下がった。
「はい……」
「首だけじゃないですよ、手首も、足首も、そうそうお腹も冷やしちゃいけませんからね!」
本当にどこから出したのか、次から次へと手触りのいい薄手の布を巻きつけてくるガーヤにされるがままになりながら、ヘイゼルはドゥンガラに目だけで助けを求めた。
──なんとかして。
ドゥンガラは小さく首を横に振っている。
無理だ、今は黙っとけ。ということなのだった。




