1章 棄てられた王女は幸せに暮らしている 4
ところ変わって、ロンバルド王国の王宮内である。
国王の接見室で、アスランは既に一時間近く待たされていた。
あるじ不在の接見室は静まり返っており、物音ひとつしない。
(……まあ、慣れてるけどね)
誰もいないのをいいことに、綾織りのソファの上で大きく伸びをする。
この国の国王が、自分で呼び出したにもかかわらず、もったいぶってなかなか姿を現さないのはいつものことだ。
アスランはぐるりと辺りを見回す。
見事な装飾で隙間なく飾られた、豪華としか言いようのない部屋だった。
(ただ、なんとも言えない嫌な感じがするんだよな、ここ)
毎回来るたびに思うことだ。
先代の砦の『牙』であったバルカザールに連れられて、子どもの頃に何度かここへ入った時も、同じことを思った。
嫌な気配が染みついた部屋だ、と。
「来ておったか」
悠々とロンバルド国王が姿を現したのは、それからさらにしばらくしてからだった。
王は近侍を左右に引き連れて、アスランの対面に腰を下ろす。
「名乗ってもよい」
「アスラン・ガボットと申します」
今さらこれくらいのことで腹を立てたりしない、と思いながらアスランは尋常に名乗る。だがむやみと頭を下げることはしなかった。砦が代替わりしてアスランが『牙』になった今、彼も砦を束ねる立場にあるからだ。
アスランは国王をまっすぐ見つめる。
やや大きめの高い鼻梁と彫りの深い顔立ちの男で、確かな血筋のよさが顔立ちに表れていた。だが、眼窩の奥の瞳は冷たく光っている。
「そうそう……アスラン。砂漠の砦を束ねているのだったな、今は」
「さようです」
「で、ひとりかな」
「そうですね」
やんわりと、だが即答で返した。
招いておいて敬語もなしか。──と、アスランは思う。
それでいてうちのモルフォも重冠砂も、喉から手が出るほど欲しいんだろう。だったら最低限、対等な交易相手として礼を尽くしやがれ。とも。
(そのうち、頭下げさせてやるよ)
とはいえ、そんな内心は顔には出さない。
「妻は長旅に慣れませんので、ひとりで参りました。いけませんでしたか?」
「正直に言おう」
王がぐっと身を乗り出してきたので、アスランはおや、と思った。
「オーランガワードの第五王女が、そちらに嫁いだと聞いた。本当か」
「是」
アスランはわざと慇懃に返してやった。まあ、嫌味だ。
「王女が真に本人かどうか、この目で確かめたい」
アスランはちょっと沈黙した。
露骨なおっしゃりようですね、と返してやろうか考えていると、王はさらに続ける。
「仮に本人だとすると、ふたりの間には今後、オーランガワード王家の血を引く男子が生まれる可能性があるわけだ」
「そうですね」
平静を装っていたが、アスランは先ほどからむかつきが止まらない。
理由はひとつ、目の前の王がたくみに敬語を避けて話すからだ。
(俺のことはいい……こういう扱いは慣れてるし)
彼はもともと生まれも育ちも平民だし、今は砂漠の砦の『牙』としてみんなを束ねる立場であるけれど、偉ぶるつもりもまったくない。だが。
(ヘイゼルに対しても敬称を略すのは……ちょっと、かなり許せないな)
喧嘩はしないこと。不利な言質を取られないこと。
来る前から決めていたことを今一度胸の中で繰り返し、アスランはそこにもうひとつ付け加えた。
──近いうちに必ず、ヘイゼルだけでも敬称付きで呼ばせてみせる。
アスランの内心を知ってか知らずか、王は続けた。
「もしもそうなれば、互いの間の友好を深めておくことには意味があると考えている」
「なるほど」
ヘイゼルなしのアスランは単なる平民上がりの野生児だが、妻が王女なら話は違ってくる。そういうことを言われているのだった。
「といったわけで、同行せよと書面には書いたつもりだったのだが」
「そうでしたか」
他国よりも早く、ヘイゼルが本物かどうかこの目で確かめたい。
これはそういう身勝手な申し出なのだった。
「そこでだ、ものは相談なのだが」
「伺いましょう」
「記録によれば、アスラン・ガボットは我が国の鉱山地区への立ち入りを何度か願い出ているはず」
「……そうですね」
アスランの笑顔がそのまま固まる。
(そうきたか)
というのが正直なところだった。
「その件について、話がしたい」
この国の王と対面するのは、忍耐力と平常心が必要だ。
来る前からわかっていたことではあったが、すでにもう、ヘイゼルの笑顔と一途なまっすぐさが恋しかった。
◇◇◇
「ただいまあー!」
たまった鬱屈を晴らすように、アスランは砦の仲間たちに向けて声を張った。
ロンバルド王国から滞在用にと与えられたのは、使用人の少し上、賓客のかなり下といった扱いの部屋だった。
「おかえり」
仲間たちはそろって日焼けした顔をそちらに向けてそう言ったが、アスランは一度では気が済まなかったらしく、合計三回、ただいまとおかえりを繰り返した。
コールアンドレスポンスが三回ということは、と屈強な男たちは目を見かわす。
アスランのストレス度合がかなり上のほうだと察したのだ。
まあ座れよと男の一人が自分の隣の床を叩く。
室内にはソファも置いてあるのだが、男たちは勝手に脇に寄せてしまい、中央の絨毯の上に胡坐をかいていた。アスランはそこに混ざると、ひとつ大きなため息をついた。
「いろいろと条件を出されたよー」
「だろうな」
「この国のこれまでからして、当然そうだろう」
いかつい男たちが、で? というように先を促す。
「とにかくヘイゼルを見せろってさ。あとまあ、変な条件もつけられたけど、そっちはいいや。受けないから」
「対価は?」
「鉱山地区の立ち入りを許可するって」
おお、と男たちの間から低いどよめきがもれる。
これまでアスランは何度も調査を申し出てきた。
自分たちは発掘のプロだし、それはロンバルド王国にとっても益になることだからと説明して。
だが、一度も通らなかった。
「それだけのことを言うのにずいぶん感じが悪かったよ、相変わらず」
「お疲れ、アスラン」
「まあどこの国も、王族なんてそんなもんだ」
誰かが言ってしまってから、やべ、というように口をつぐむ。
一瞬の沈黙が落ちて、その場の全員、にこにこ笑うヘイゼルをつい思い浮かべていた。
「まあ……うちにいる姫さんはちょっと別として」
男のひとりがもごもごと言い直す。
「俺に気つかわないでいーよー。王族の胸糞悪さは俺もよく知ってるからさ」
どこか気の抜けたような、間延びした言い方でアスランが言う。
「今回もそれを再確認しました、つーことで」
アスランは片手を首の付け根にあててもみほぐしながら言う。
「んじゃ、帰ろうか」
「えっ」
男たちがとっさに聞き返したので、アスランのほうがびっくりした。
「え? えってなに?」
「お前は帰るつもりなのか?」
「は、むしろみなさん帰らないおつもり?」
アスランは仲間の顔を見回したが、全員真顔だった。
「ここのヤマには入ってみたいとずっと言ってただろう」
「そりゃまあそうだけど」
「あとはこの辺だけだよな」
「そうだけど」
アスランは、大陸及び砂漠周辺のどこにどんな鉱山があり、なにがどのくらい採れているかをここ数年間でほぼ正確に把握していた。
だが歴史が長く伝統と血筋を重んじるロンバルド王国からは、入山を拒否されていたのだ。
「ヤマに入らなくてもわかること多いし……おそらく俺の読み通りだとは思うんだけどね」
「それにしても」
「許可が出るのにこのまま帰る気か」
せっかくの機会なのに、現場を確かめるのは大事だろうと男たちは口々に言ってきたので、アスランは面食らった。
「お前ら全員同意見なの? マジで?」
肯定を意味する沈黙が返ってきて、アスランは思わず眉をひそめた。
ヘイゼルをこの国にやってこさせるのは、正直気が進まない。しかも状況からして自分は鉱山へ入り、ヘイゼルひとりをここに置いておくことになるだろう。
(余計に、無理だ……)
「きれい、かわいい、だけでは砦の女王とは呼ばない」
その時口をひらいたのは、これまで一度も発言していなかったドゥンガラという男だった。
「……と、俺は思う」
同じように胡坐をかいて座っていても、明らかに他の男たちと比べて筋肉がひとまわりい大きいのが服の上からでもわかる。
ドゥンガラが低い声で言うと、男たちは妙に静まり返った。
その沈黙が共感を示すものだと理解したアスランは、ちょっと焦って彼らを見回した。
「もしかしてみんな反対だったの、ヘイゼルとのこと?」
そうじゃない、とドゥンガラは返す。
決して大きい声ではないが、彼が話している時は他の男たちは割り込もうとしない雰囲気があった。
「お前が選んだ相手だ、反対はしない」
「反対『は』しない、ね……」
反対しないことと、砦の女王として認めることは別だと言っているのだ。
現に彼らは今もヘイゼルのことを、女王ではなく『姫さん』と呼んでいる。
「平和なだけが砦ではない。今回のことは、彼女がことをどうさばくか、見極めるいい機会なんじゃないのか」
ドゥンガラの静かな口調で言われてしまうと、表立って反対がしにくい。アスランはぐっと奥歯を噛みしめた。
「こないだ、俺が留守の時にうまくさばいたじゃん……」
アデラとの因縁があったファラハニ部族とのことを例に挙げてみたが、ドゥンガラは小さく首を横に振った。
「なあ、アスランよ」
「砂漠の部族はさ、ある程度話だって通じるよ。交渉もできる。でも大陸国家ってのはさ……」
ドゥンガラひとりに言いにくいことを言わせておくのも気が咎めたらしく、他の男たちも話に混ざってくる。
先日のあれでヘイゼルの評価は上がったが、あれはあくまでも砂漠の部族間の事柄であり、大陸国家とのことはまた別だと言いたいのだ。
「大陸国家は、基本的に俺らを下に見てるし」
「なにかありゃ、武力衝突は避けられないだろう」
「まあね……」
そこは事実なのでアスランもうなずくよりほかない。
「彼女は、お前がどう思おうが第五王女だ」
「となると、今後オーランガワードとの確執も見込まれる」
「武力衝突になった時、俺たちが命を賭けるにふさわしい人間かどうか。そこは彼女自身に証明させる必要があると思うね」
話を聞きながら、だんだんとアスランの首の角度が下がっていく。
内心の葛藤がそこにそのまま現れていた。
アスランとて、砦の長たる『牙』として、すべきことはわかっている。
だがこの国をある程度知っているからこそ、ヘイゼルを呼ぶのがためらわれるのも事実なのだった。
(ヘイゼルは体も弱いし……王家の陰険なあれやこれやと無縁で、ガーヤに大切に育てられてきているし……)
アスランがあまりにもしょんぼりしているのを見て、男たちはちょっと口をつぐんだ。
ただでさえロンバルド王との対面直後で疲れている彼にごりごり言い過ぎたと思ったのか、互いに気まずい目配せを交わし合っている。
その重い空気を断ち切るように、すっと立ち上がったのがドゥンガラだ。
彼は巨体からは想像もできないほど静かに歩いて部屋を横切ると、文机から紙とペンを持ってきてアスランの前に置いた。
そして穏やかな口調ながら、誰もが言えずにいたことを言う。
「やるべきことをやれ」
「うっ……」
「姫さんには手紙を書け。俺が届ける」
ロンバルド王国紋章の透かしが入った上等な紙を目の前に差し出されて、アスランは本気で悩む顔になった。
ドゥンガラは沈黙を保っている。仲間たちもじっとアスランの答えを待っている。
その眼圧に負けて、アスランはやがて大きな声を出した。
「だーもう! わかった、わかりました!」
ひったくるように紙とペンを取り上げると、文机に向かう。
彼はしばらく悩みながら手紙を書き終えると、封をしてそれをドゥンガラに手渡す。
そうしておいてからアスランは、疲れたような据わった目つきで仲間たちをじろりと見渡した。
「鉱山には入ろう。となれば国王の条件も飲むしかない。──その代わり、お前ら、死ぬほどこき使うから覚悟しておけよ」




