7章 わたしあなたの友達になれるかしら 5
アスランに促されて一度は背中を向けたけれど、ヘイゼルは、どうしても黙っていることができなくて改めてカルマに向かい合った。
「あの、カルマ殿下」
弱さは罪悪だと彼はさっき言った。
それはおそらく彼の信念なのだろう。そこに至るまでの彼の地獄を思う。
ヘイゼルにはあいにく、想像もつかない。
だけど、そうした経験が彼になんの影響も与えていないとは思えなかった。
「ひとつ聞いてもいいですか」
「はあ?」
「あなたがどれだけ我慢をしてきたか、私にはわかりません。でも今、心を許せる人はひとりでもいるんですか」
皮肉ではなく、本当に気になってした質問だったのだが、彼は心底軽蔑するとでもいうようにヘイゼルを見下ろした。
「愚問だね。王族ともなれば、あの手この手で陰湿な嫌がらせはしょっちゅう受けるものだ。いちいち気に病んでいては、それこそつとまらない」
「そういうことを聞いたのではなく……」
「強さこそ力。力こそすべて」
もしかして、とヘイゼルは思った。
この人はずっと、ひとりきりで耐えてきたのかもしれない。
だから、今のブルーデンスに対して過剰にイラつき、孤独なほうへ追い込もうとしているのではないか。
ヘイゼルにはそうとしか思えなかった。だって今日の彼のふるまいは、明らかに、王子としてのそれではない。
(ブルーデンスが笑いを取り戻したことが、そんなにも腹が立つとしたら)
もしかしたらこの人は、誰よりも屈辱を受けてきたのかもしれない。そういえば、この人は庶子だとどこかで聞いたし。
(どんな屈辱も耐えてしのび、我慢して、今の地位まで登りつめたんだとしたら……)
したことの是非はともかく、だとしたら納得がいくとヘイゼルは思った。
鎧の厚さは傷の多さに比例すると思うからだ。
「カルマ殿下」
「なんなの」
二度と会うこともないかもしれない自分がこんなことを言っても、彼の感情を逆なでするだけかもしれない。そうも思ったが、少しだけ悩んで、やはりヘイゼルは口をひらく。
「あなたは王になるんですよね」
「そのつもりだけど」
「歩いても歩いても憎しみ。それが、あなたの進む王の道なんですか」
「──上等だよ」
「だとしたら、王になっても安らぎは得られないのじゃないですか」
ぎらついた金茶の瞳がヘイゼルをにらみつける。
「上等だって言ってるだろ」
この人の、本当の顔はこれなんだわとヘイゼルは思った。
憎悪と怒りと邪悪さが、孤独を幾重にもふちどっている。
「私に……なにかできることがあればよかったんですが。残念です」
「なにかってなに」
「私がブルーデンスに対してできることがあったように」
「いらない」
最後まで聞かず、カルマはかぶせ気味に返してきた。
「誰にもなにも与えてもらわない」
「カルマ殿下」
「手に入れる。でなければ奪う。それだけだ」
「そ──」
「行くよ、ヘイゼル」
なにかまだ言うべき言葉があるような気がしたのだが、とっさに思いつかないでいると、アスランにそれとなく促された。
カルマの視線を背中に感じながらヘイゼルがその場を離れると、アスランが小声で言う。
「ヘイゼルは、意外と好戦的だよねえ」
「ええっ。私?」
「うん」
「好戦的だった?」
「まあね。彼にとってはそうだろう」
そうだったかとヘイゼルはうつむいた。
いやがらせもいくつかされたけれど、どうしても最後、彼がとげだらけのヤマアラシのように見えて仕方なくて、ああ言ってしまった。
だが彼にしてみれば喧嘩を売られたようにしか思えなかったのだとしたら、言わないほうがよかったのかもしれない。
「気にしなくていい」
「アスラン……」
「だって、良かれと思って言ったんだろ」
「そうだけど」
「それをどう受け取るかは相手次第。もしかして、またなにか絡んでくるかもしれないけど、その時は俺が蹴散らす」
そう言ったアスランの横顔がなんだかやけに凛々しく見えて、ヘイゼルは見とれる。
「砦に帰ろう、ヘイゼル」
「うん」
「あ、でもその前に一曲は踊らないとね。ガラですら踊ってるし」
言われて視線を巡らせると、ドゥンガラは広間の端のほうで神妙に貴婦人のダンスの相手を務めていた。
お世辞にも上手とは言えない踊りだったが、貴婦人たちの視線はあたたかく、次は私よ、その次は私よと列を作って順番を待っている。
「この服は明らかに対だし、俺たちが一曲も踊らずに帰ったら、砦の女性陣がマジ切れして砦に入れてもらえないかもしれないしね……」
アスランに片腕を預けたまま、ヘイゼルは少しずつ踊りの輪の中に入っていく。踊っている人たちはごく自然にふたりのために場所をあけてくれた。
「ねえアスラン」
「なに?」
「ガラって何歳?」
「29歳」
思ったより若い! と思いながらヘイゼルは続ける。
「ウースラは?」
「26歳」
いいじゃない、すごくいいわよとヘイゼルはひそかにうなずいた。
「ねえアスラン」
「なにー?」
「砦に帰るの、楽しみね」
「そうだねえ」
「みんなにお土産たくさん買って帰らないと」
「そうだね」
ゆるやかな音楽が心地よく聞こえてくる。アスランは宮廷音楽など知らないはずなのに、妙に場慣れした様子でヘイゼルをリードしている。
気負いもてらいもない。誰かに見せつけようという見栄もない。
ただひたすら、ヘイゼルのことだけを考えてくれているのがわかる。
不安も緊張もない、久しぶりに心地よい時間だった。
足元はごく簡単なステップのみ。ゆっくりと旋回しながら踊っていると、二階の桟敷席でブルーデンスが微笑んでいるのが目に入る。
アスランの肩越しに、ちょっとだけ手を振る。彼女もすぐに振り返してくれる。
「あのね、私ね、お友達ができた」
「よかったじゃない」
「たくさん話したいことある」
「俺もあるよ」
目と目が合う。どちらからともなく微笑みが浮かぶ。
「帰ったら、みんなにお礼を言わなくちゃ。そうだ、女の子たちには特にたくさんお土産を買って帰らないと……」
「それもいいね」
「それも?」
ヘイゼルは踊りながら首をかしげた。
「もってなに?」
「決まってるでしょ」
アスランは当たり前のように言った。
「ヘイゼルを甘やかして、かわいがって、離れていた時の話をめいっぱい聞いて」
それから、と言いながらアスランは素早くヘイゼルの唇にふれるだけのやさしいキスをした。
「ずっと一緒に幸せに暮らすんだよ」
◇◇◇
そう、物語のお姫様というものは、たいてい最後に恋を実らせる。
恋を実らせ、幸せになって、永遠に幸せな日々は続く。
私はそんなもの、信じていなかった。
甘すぎるお菓子みたいに、都合のいいおとぎ話だと思っていた。
だって私たちは生身の人間で、嫉妬したり後悔したり、言いすぎて自己嫌悪に陥ったりもするのだから。
でも違った。
物語のお姫様に魔法使いのおばあさんの助力があるように、私たちにだって救いの手はある。
手を伸ばせば誰かが助けてくれたりもする。
そうやって、あれもこれも超えてしまえば、そこはおとぎ話の終着点などではないのだった。
物語よりもさらに甘く、さらに確かな、ずっと続いていく日々があるのだった。




