7章 わたしあなたの友達になれるかしら 4
「ブルーデンスが笑ってるね……」
カルマ王子は前置きなし、あいさつもなしでそう言った。
アスランのことははなから無視で、ヘイゼルにだけ話しかける。
「驚いた。どんな魔法を使ったの? 傷でも舐めあった?」
露骨な挑発に、ヘイゼルは目に力を込めてカルマ王子を見返す。
「あの方が、今まで笑えていなかったことのほうが不思議だと思いますけど。あんなに聡明で愛らしい人なのに。──どなたがそう仕向けたのかは存じませんが」
カルマ王子は軽く肩をすくめるにとどめた。
悔しいが、そこだけ切り取って見れば文句なしに優雅だ。
「怒りや悲しみをずっと押し殺していれば、笑うこともできなくなって当然です。感情を殺し続けたまま、都合よく笑える人なんていません」
「あはは、あはは、ごめん、おっかしくって!」
けらけらとカルマ王子はよく通る笑い声をあげた。
「ねえなに言ってるの? 君はそれでも王族の女なの? 甘ったるすぎて笑った」
そして、今さっきまで満開の笑顔だったのを一瞬で真顔に戻して、冷たく言った。
「君はひとつ思い違いをしてる。どんな屈辱を受けても、どんなに感情を殺しても、必要なら笑える。思ってもいない美辞麗句も言える。それが王族に必要な素質だ」
君だってそうでしょう? と言いながらカルマはななめに顔を寄せてきた。
ヘイゼルは思わず顎を引いて距離をとる。
「どこの誰とも知らない占い師の予言で城から捨てられても、今こうしてここにいるんだから」
「それはっ」
それはガーヤのおかげだった。そしてジャジャのおかげでもある。
今ここに自分が立っていられるのはアスランや、砦のみんなのおかげだ。
ヘイゼルは言おうとしたけれど、カルマ王子が続けるほうが早かった。
「あの子は弱かった。不適合。それだけだ」
「違いますっ」
自分のことなら我慢もできるが、ブルーデンスのことを言われてヘイゼルはかっとなった。
「違わない。王族にとって、弱さは罪悪だ」
「違う。絶対に違う」
むきになってヘイゼルは言いつのった。
自分だって、決してひとりの力でここにいるわけではない。
ブルーデンスが社交を苦手としているからといって、彼女が弱いということにはならない。
たまたま彼女のまわりには味方がいなかっただけの話だ。そしてそれは彼女のせいですらなく、これからは自分がいる。
……ということを、いったいどうしたら無礼にならず、品位も保って言えるかヘイゼルが考えていると、屈託のない声でアスランが言った。
「どうも、二度目ましてでしょうか、カルマ殿下」
「……そうだった?」
「一度目はずいぶん昔のことになりますが、二度目ですね」
アスランは嫌味なく、ごく自然な形で話に加わってくる。カルマは軽く眉をひそめた。
「……二度目?」
「ええ」
整った容貌の男ふたりはごく一瞬、互いの顔をしっかり見つめ合った。
「俺は覚えていますよ。先代の牙に連れられてこの王宮に初めて来た日、あなたもここにいた」
「……」
「もっとも、その時のあなたは少女の格好をしていたけど」
記憶を手繰るように斜め上を見やってから、カルマはなにかに思い当たったらしく、はっとしてアスランに視線を戻した。
「俺のことなど覚えていなくて当然です。でも、俺は覚えてますよ。あなたは王子ではなく踊り子の格好をして、国王陛下の脇にはべっていた。立ってではなく、膝をついて」
「だまれ」
「俺もまあまあ厳しい訓練を受けました。でもうちの先代は、俺の人格を潰そうとはしませんでしたよ」
「お前の妻を腕ずくでもどうにかしておくべきだったよ。その減らず口を閉じさせるために」
カルマの濃い金茶の瞳がどす黒い感情で燃えているのがありありとわかる。
自分もこの第一王子に言いたいことは山ほどあるが、ここで彼を怒らせるのはまずいのでは。
ヘイゼルははらはらとふたりを見比べたが、アスランは平然と微笑んでいる。
「男として装っておられても美麗でいらっしゃる。なにを着ておられてもお似合いですね。ドレスでも、男装でも」
「うるせえよ」
「さぞかし女性にもモテるんでしょう。でも、モテるのはうちのドゥンガラとどっちが上かなあ」
「あ、なんだって?」
カルマは露骨に顔をゆがめた。
過去の話に触れられたのがよほど癇にさわったのか、それともこちらのほうが地なのか、口調までが乱れている。
えっ、と思ったのはヘイゼルも同じだった。
(ガラが……なんですって?)
「あいつはああ見えてかなりモテるんですよねー」
アスランの視線の先に目をやると、そこには、いつの間に来たものか、白い正装を身をまとったドゥンガラが貴族の女性たちに隙間なく囲まれていた。
「まあ、なんてお似合いになるの」
「いつもそういうの着られたらよろしいのに」
「ほんと、ほんと」
女性たちに取り囲まれて、ドゥンガラは困ったようにはにかんでいる。
いかつい顔立ちではあるが、彼は決して不細工ではない。
白と銀の正装は彼の体にぴったり沿っていたが、着慣れていないのもまたわかる。そしてそれを変にとりつくろったりせず、ありのままにうろたえているところが傍目にも好感が持てた。
「もう砂漠に帰ってしまわれますの?」
「次はいつ頃いらっしゃるの?」
「今日は踊ってくださらないとだめよ、絶対」
貴婦人たちは自分たちのふんわりしたドレスの使い道をよくわかっていて、ありとあらゆる方向から圧迫するようにドゥンガラを取り囲んでいる。その中心で、ドゥンガラは困ったようにじっとしている。まるで、自分が不用意に動いては周囲を傷つけてしまうことを知っている大型動物のように。
「いや、俺は卑しい生まれですから。尊いご婦人の傍にいていい男ではないんですよ」
まんざら謙遜というわけでもなく、訥々とドゥンガラは言う。
「貴族社会のことはよくわかりませんが、俺などに話しかけたりして、ご婦人たちの立場が悪くなったりせんのですかね」
貴婦人たちがきゅん、としたのがここからでも表情でわかった。
「まして踊りなんて。やったこともありませんし」
「やだわ、お教えするわよ」
「簡単よ、ねっよろしいでしょ」
「隅のほうなら目立ちませんわ。順番に踊りましょ」
さりげなく体を押しつけられて、ドゥンガラは振りほどくこともできずにじっとされるがままになっている。
「……は? なにあれ?」
ひどく不愉快そうにカルマ王子が吐き捨てる。
そして驚いているのはヘイゼルも同じだった。
「傍目にも、愛想ではない本気の気配がするのだけど……」
「だからあいつをここに残したんだよ」
アスランがさらりと言った。
「なんか、城の女性たちによくしてもらってる気配はしたのよ……私も知らないことを妙にいろいろ知っているし」
「あいつどこに連れて行ってもモテるよ」
本当に強い男ってああだよねとアスランは言った。
「変なプライドもないし、知らないことは素直にそう言えるし。女だから下に見るとか、そういうこともないし」
「わかる! ガラってそう!」
「誠実で、女性のことを下心抜きで考えることができる男で」
アスランはヘイゼルに言っている体でいて、その視線はカルマに向けている。カルマもアスランをきつくにらみつけている。
「距離感にも節度がある。見た目や育ちはどうであれ、騎士道精神を体現しているから人気なのでしょうね」
これにカルマは目の下を歪めて吐き捨てた。
「好き放題じゃない。誰にものを言ってるかわかってるの?」
「第一王位継承者のカルマ殿下にでしょう。存じ上げてますよ」
そして、とアスランは続けた。
「俺は、砂漠の砦を束ねる三代目の狼なんですよ」
「はっ、対等に話せる立場だとでも?」
「少なくとも俺は、砦を代表してものを言うことができますよ、ねえ殿下」
殿下という呼びかけが痛烈な皮肉に聞こえる。
お前はまだ王ではないだろう、とカルマには聞こえたはずだった。
ふたりの間に火花が散ったのが肉眼で見えそうなほどだった。
言うべきことを言ってしまうと、アスランは穏やかな笑顔をヘイゼルに向ける。
「さ、用事は済んだし帰ろうか」
「お前」
背を向けようとしたアスランに、カルマの声が飛ぶ。
「目立つということは、それだけ敵も増えるというのを知っているか?」
「あなたみたいにですか?」
間髪入れずに返されて、ついにカルマは口を閉ざした。




