6章 地図とまち針の夜 4
ブルーデンスが閉じ込められているというドラモントは、うっかりすると通り過ぎてしまいそうなほど小さな村だった。
すんでのところでヘイゼルは木の道標を見つけて、馬首をそちらへまわす。
仮にも王家の直轄地とあって、道は手入れがなされており、歩きやすい。
ヘイゼルは村の入り口から少し離れたところに馬を止めて、手綱を木に結んだ。
「少しここで待っていてね」
声をかけると、栗毛の馬は理解したようにゆっくりと尻尾を左右に振る。
マントのフードを深くかぶり、ヘイゼルは慎重に先へ進んだ。
だが拍子抜けしたことに見張りは誰もおらず、小さな小屋の中から酒に酔ったような男たちの声が聞こえるだけだった。
なるほど、とヘイゼルは理解する。
ブルーデンスは足も悪いし、夜じゅう見張っていなくても逃げられないと思ったのだ。
(私にとっては好都合だけど)
王女が閉じ込められている建物は、思ったよりも簡単にわかった。
明かりがついている建物は他にひとつしかなかったからだ。
窓の外には虫除けの香まで焚かれている。
玄関には外から厳重に鍵がかかっており、ヘイゼルの手であけられるような代物ではない。
(ここまでは想定内……さてここからよね)
物音に気付いたらしく、建物の内側で明かりが揺れる。
「だ、だ、誰かそこにいるのですか」
ブルーデンスの声だった。
「私よ」
ヘイゼルが言うと、えっという声がして、ガタガタとなにやら気配がしたのち、窓からブルーデンスの顔がのぞいた。
「う……うそでしょう、どうしてここに」
「あなたがここに閉じ込められていると聞いたから」
「そうではありません。まさかおひとりで?」
ヘイゼルの他に人の気配がないことを察して、ブルーデンスの瞳がさらに見開かれる。
「あ、危ないじゃありませんか。夜なのよ。なにかあったらどうするんですか」
「あなたは私に、王族としての必須知識を教えてくれたでしょう」
「それがなにか?」
「どんな書物にも載っていない、生きた知識だったわ」
窓には鉄格子こそはまっていないが、人がひとり通り抜けるには足りない。
その小さな窓から、ブルーデンスは信じられないという顔を見せた。
「まさか、あんなことで……わたくしを助けにきたって、そうおっしゃるんですか」
「そうですわ。それに、王宮で孤立していた私に手紙を書いてお茶に誘ってくれるのは、勇気が必要だったはずなんです。その時のあなたの気持ちに今ここで応えてはいけませんか?」
ブルーデンスの顔が引っ込んだ。壁の内側で嗚咽が聞こえる。
「ちょっと待っててくださいね。私はこう見えて、王女らしからぬ知識を持っているんですよ」
言いながらヘイゼルは、灰色の冷たい石の壁を探る。
壁は長方形の石を積んで作られており、表面はざらついている。その石の壁をヘイゼルは丹念に探っていく。
考えが当たっているとしたら、この石積みのどこかに、それとわかるはっきりとした印があるはずなのだった。
「ヘイゼル王女……聞いてください、わたくし」
「はい」
「わたくしのほうこそ、あなたの言葉でとても勇気づけられたわ。あなたは当たり前のことをおっしゃったつもりでしょうけど……」
ヘイゼルは意識を半分以上手元に集中させている。
思い出しているのは、かつてアスランに習ったことだ。
『あのね、どんな建物でも、抜け道って存在するんだよ』
石でできたちょっと大きな建物は、みんなそうだと思っていい。砦もそうだし、城もそうだ。そうアスランは言っていた。
習ったことを思い出しながら、ヘイゼルは石の壁を探っていく。
『たとえばこの斜坑は別の立坑とつながってる。そして、もしも砦が攻め込まれて包囲されたら、ここを通って逃げられるようになってるんだ。大事なのは、抜け道があるって知ることだよ。それを知っている人間は探せるんだ』
探し方も簡単。いいかい、やり方を教えるよ。大丈夫、むずかしくなんかない。
『ほら、これ』
押してごらん、と言われた場所を両手で押すと、岩はゴリゴリと動いた。そこを手掛かりに、抜け道を作っていくのだ。
それと同じやり方がここにもあるはずだ、と懸命に集中していたヘイゼルの手元がぴたりと止まる。
コトリ、手に伝わる感触が一瞬だけ変わる。ここだ。
さらに押してみると、石は明らかに他とは違う手応えで動いた。
見つけた、とヘイゼルは思った。
この石が、抜け道の一歩目だ。
(できたっ)
ゴトゴトと石を動かしながらヘイゼルは思う。できた、自分にもできた。
『──よくできたね、ヘイゼル』
どこかでアスランの声が聞こえた気がした。
『砦の秘密の一つ目はなんだった? ……そう、泉だよね。じゃあ二つ目は?』
(それは、抜け道のみつけかた)
ヘイゼルは胸にこみあげてくる高揚感を感じながら中のブルーデンスに言った。
「大丈夫、私ここをあけられるわ」
◇◇◇
「今の音はなに? ……あっ、なにか動いた」
「待って、もうちょっと……」
初めのひとつを動かすのが一番大変だった。
ヘイゼルは何度も角度を変えながら石を動かし、長い時間かけて人がひとり通れる隙間を作り上げる。
本来の抜け道はもう少し大きいのだろうが、小柄なブルーデンスならこれで十分だった。
「出られそう?」
「出られるわ……今そちらに、行きっ、ます……」
ヘイゼルは外から手を隙間に伸ばした。
それを内側からブルーデンスがつかむ。
ゆっくり、足元を確かめるようにしてブルーデンスはそこから出てきた。杖は持っていなかった。
外に出た彼女は信じられないというように言う。
「うそみたい……こんなことって、あるのですね」
「無事でよかった。本当に」
「って、あなたケガしてるじゃありませんか!」
驚いたようにブルーデンスが言ったので、ヘイゼルも自分の両手を見下ろした。石がうまく動かなくていくつも擦り傷ができてしまっている。血がにじんでいる箇所もある。だがどれもかすり傷だ。
「平気よ」
「ごめんなさい、わたくしのために」
「たいしたことないわ」
「でも……」
みるみるうちに、ブルーデンスの顔がくしゃくしゃになる。
紫色の瞳からは大粒の涙がいくつもこぼれる。
「手に……手に傷をつくるなんて。あなたは明日の夜、夜会に出席しなくてはならないのに」
「気にしないわ、そんなこと」
「貴婦人たるもの、手には気を遣うべきだと教えたのはわたくしなのに……!」
「手よりもあなたのことが心配だったんだもの」
ヘイゼルが言うと、ブルーデンスはいっそう涙をぼろぼろと落とした。
そんな彼女にヘイゼルは言う。
「ねえ、お願いごとをしてもいい?」
「な、なんですか……」
しゃくりあげながら答える彼女に、ヘイゼルは微笑みながら言った。
「私のこと、これからは、ヘイゼルって呼んでください」
「へ、ヘイゼル……」
「それから」
ヘイゼルはブルーデンスの泣き顔をのぞき込みながら続けた。
「笑って」
ゆっくり、とてもゆっくり、ブルーデンスは笑顔になった。
ヘイゼルに応えようとしているのがはっきりと伝わってくる。
はじめはぎこちなく頬が震えていたけれど、何度かしゃくりあげながら、最後には口角をあげて、上品なかわいらしい笑顔になる。
初めて見た彼女の笑顔は、泣き笑いだった。
でもヘイゼルはそれを、とても美しいと思ったのだった。




