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1章 棄てられた王女は幸せに暮らしている 3

「それ、ロンバルド王国の紋章では……」


 ロンバルドはヘイゼルがヘイゼルが生まれたオーランガワードのお隣に当たる国である。

 大陸のなかでも歴史が長く、富裕な国家でもある。


 そんな大国から名指しで封書がくるなんて、と目を見はるヘイゼルにアスランはちょっと苦笑した。


「まあ、一応は」


 砦で採れる宝石の売買を通して、先代の時代から付き合いはあったのだとアスランは簡単に説明した。


「こうやって手紙がくる自体、あんまりいい予感はしないんだけどね……」


 言いながら、ヘイゼルの目線が封書にくぎ付けになっているのに気づいてその場で封をあけた。

 みるみるうちに彼の表情が曇る。

 さっきまで笑っていたのが真顔になって、眉のあたりに不快さが宿る。


「──どうしたの?」


 聞くと、アスランはヘイゼルを安心させるように笑ってみせた。


「あ、大丈夫」

「私が見てもいいもの?」


 さっきあなたは私のことを、体が弱いわりに頑張りたがると言ったけれど、それはあなたも一緒でしょうとヘイゼルは思った。


 なにかとひとりで頑張るところが彼にはある。

 そして、ひとりで我慢してしまうのだ。


(それは砦のリーダーとして必要なことかもしれないけど……)


 出会ったきっかけもそうだった。彼は大切な決断をするために、ひとりで考えるために砦を出て……そしてファゴットの森にやってきて、そこでヘイゼルと出会った。

 あの時のあれがなかったら、自分たちは出会っていない。


 だけど、とヘイゼルは思う。


(今は、私がいるじゃない。大変なことは一緒に考えて、つらいこともはんぶんこ。だから、人って、一緒にいる意味があるんでしょう?)


「見せて」


 少しだけ言葉を強くして言うと、アスランは拒まなかった。

 手紙を覗き込むと、そこには流麗な筆致でこう書かれていた。


 ご結婚されたと聞いたので手紙を差し上げること。

 それが本当だとするなら祝いの言葉を言いたいこと。

 ついては一度ロンバルド王のもとまで来られたしということ。


「──??」


 一瞥して、ヘイゼルはおかしいと思った。

 どこを見ても、普通ならあるはずの、当たり前の祝辞と敬意がない。


 文章もごく短く、本文と署名の筆跡が違うところから、王はサインだけして本文は誰かに書かせたに違いなかった。


『新婚旅行のおつもりで、妻女も同行されたし』


 最後はこう締めくくられていた。

 さらりと書いてあるようだが、そこだけ行をあけてあるためやけに目立つ。


 ヘイゼルは不穏なものを感じて彼の顔を見直した。


「ねぇアスラン、これって……」

「ヘイゼルがうちに嫁いだことは、ガーヤを奪還した一件で周知の事実になっちゃったからねえ」


 ぱさぱさとアスランは書状を折りたたんで封筒にしまう。


「それを知って、ヘイゼルのことを自分の目で確かめたいってことなんだろう」

「確かめる……」


 生まれてすぐに王宮から捨てられたヘイゼルには、ロンバルド王国と実際に関わった経験はない。

 それでも、各種書物を読んだヘイゼルは知っている。

 その国がどんな外交をするのか。どんな印象を周辺国から持たれているのかも。


「心配いらないよ」


 ヘイゼルがなにか言うより早く、アスランは言った。


「ロンバルド王国には俺ひとりで行く」

「ひとり……」

「もちろん、砦の腕自慢は何人か連れていくけど」


 あんな国に、ばか正直にヘイゼルを連れてなんていけないよと付け加えるのも忘れない。


「やっぱり、あるのね。実際に行ったこと」

「あるよ」


 アスランは肩をすくめた。


「ヘイゼルが思っているのとそう変わりはないよ」

「アスラン……」

「冗談じゃない、こんな手紙一枚でほいほい連れていけるかってんだ」

「でもアスラン」


 ヘイゼルが言いかけると、それを上手にさえぎるようにアスランが顔を覗き込んできた。


 初めて会った時から、整ったきれいな顔だと思っていた。砂漠の男らしい日焼けした肌に、やさしい唇の線。それに、左右で色の違う瞳。

 その瞳にまっすぐ覗き込まれて、ヘイゼルはどきっとする。


「またしばらく留守にするけど、平気?」

「大丈夫よ、平気……」

「さみしくない?」

「私のことなら心配しないで。みんなもいるし……学ぶこともたくさんあるし」


 嘘ではなかった。


 砦の長であるアスランの妻になったからには、彼の不在時、代理としてしなければいけないことは山ほどある。

 ということは、学ぶこともたくさんあるということなのだ。

 それに、アスランは遊びに行くのではない。必要だから行くのだ。

 それを自分ひとりのわがままで邪魔したくなかった。


「だから大丈夫」


 ヘイゼルが言うと、そっか、とアスランは目を細めた。


 からかうような雄弁な瞳である。左右で色が違うのは幼い頃の病のせいだが、今では馬に乗るのも矢を射るのも不自由はないらしい。


(こんなこと今考えるのばかみたいだけど)


 ヘイゼルはこっそり思った。


(私の好きな人って、なんて、かっこいいんだろう……)


 見とれていると、アスランがちょっと笑った。


「ほんと、男って勝手だよね」

「え?」

「ヘイゼルをさみしがらせたくないのも本心だけど、全然大丈夫って言われると、それはそれでなんだかなあ」

「さみしいわよ!」


 打ち返すようにヘイゼルは言った。

 少々はしたないかもと思ったが、もう言ってしまった後なので遅かった。


「そんなの、決まってるじゃない……」


 だんだん声を小さくして続けると、膝の上でぎゅっと抱きしめられた。


「はい、よく言えましたね」

「もしかして、今の、わざとでしょう……」

「ヘイゼルも、ひとりで我慢しがちな人だからね」


 さらりと言われた。


(ばれてる、全部ばれてる……)


 どきっとした内心が、体の反応に素直に出てしまった。小さく体が跳ねるのを、ハグした手でやさしくなだめられる。


「大丈夫、隠さなくていいんだよ」

「あ……あなただって」

「俺がなに?」

「ごまかさないで。あの国は、私から見てもなかなかに面倒な部分がある国だわ」

「知ってる」


 抱きしめられた手が少しだけゆるんだタイミングで、ヘイゼルは彼の膝から立ち上がった。

 ガーヤの薬草茶のおかげで呼吸はだいぶ楽になっていたし、ここはいつ誰が通ってもおかしくないのだし。


「大丈夫、うまくやっとくさ」


 続いてアスランが立ち上がる。

 こうして並ぶとヘイゼルよりも頭ひとつぶんくらい背が高い。


「あそこの王には何度か会ったことがあるし、まあ慣れてるよ」

「それはそれですごいことだと思うけれど……」

「そう? いつも長々と待たされて、会うのは一瞬で終わるやつだよ。多分今回もそのパターンだと思うから」

「そうなの?」


 まだ不安げに首をかしげるヘイゼルを見下ろして、アスランは愛しくて仕方がないものを見るように微笑んだ。


「うん。だから俺が帰ってくるまで、ヘイゼルは砦でのんびり遊んでなよ」


 あんまり根詰めて勉強したらだめだよ、と言って額にキスを落とす。


「すぐ帰ってくるからさ」


 そう言い置いて、彼は次の日の朝早く砦を後にした。

 ほんとにすぐ帰ってくるよと言い残して。


 ──だが、そういうことにはならなかった。

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